宇治拾遺物語 12-6 空也(くうや)上人の臂(ひぢ)、観音院僧正祈り直す事

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原文

昔、空也(くうや)上人、申すべき事ありて、一条大臣殿に参りて、蔵人所(くらうどどころ)に上(のぼ)りてゐたり。余慶(よけい)僧正また参会し給ふ。物語などし給ふ程に、僧正ののたまふ。「その臂(ひぢ)はいかにして折り給へるぞ」と。上人(しやうにん)の曰(いは)く、「我が母物妬(ものねた)みして、幼少の時、片手を取りて投げ侍りし程に、折りて侍るとぞ聞き侍りし。幼稚(えうち)の時の事なれば、覚え侍らず。かしこく左にて侍る。右手折り侍らましかば」といふ。僧正のたまふ、「そこは貴(たふと)き上人にておはす。天皇の皇子とこそ人は申せ。いとかたじけなし。御臂まことに折り直し申さんはいかに」。上人いふ、「もとも悦(よろこ)び侍るべし。まことに貴く侍りなん。この加持(かぢ)し給へ」とて、近く寄れば、殿中の人々集りてこれを見る。その時、僧正、頂(いただき)より黒煙(くろけぶり)を出(いだ)して加持(かぢ)し給ふに、しばらくありて、曲れる臂(ひぢ)はたとなりて延びぬ。即(すなは)ち右の臂のごとくに延びたり。上人(しやうにん)涙を落して、三度礼拝(らいはい)す。見る人皆ののめき感じ、あるいは泣きけり。

その日、上人、供に若き聖(ひぢり)三人具(ぐ)したり。一人(ひとり)は縄を取り集むる聖なり。道に落ちたる古き縄を拾ひて、壁土(かべつち)に加へて、古堂の破れたる壁を塗る事をす。一人は瓜(うり)の皮を取り集めて、水に洗ひて獄衆(ごくしゆう)に与へけり。一人は反故(ほうご)の落ち散りたるを拾ひ集めて、紙にすきて経を書写し奉る。その反故の聖を、臂直りたる御布施(ふせ)に僧正に奉りければ、悦(よろこ)びて弟子になして、義観と名づけ給ふ。有りがたかりける事なり。

現代語訳

昔、空也上人が申し上げる事があり、一条大臣の所へ参上して、蔵人所に上っていた。余慶(よけい)僧正がその場に来合わせられた。雑談などをなさるうちに、僧正が仰せられる。「その臂(ひじ)はどうして折られたのですか」と。上人は「私の母が怒って、私の幼少の時、片手を取って投げた時に、折れたと聞いております。幼い時の事ですの覚えておりません。幸い左でございます。もし、右手であったならさぞ不自由したでしょう」と言う。僧正は、「あなたは尊い上人であられます。天皇の皇子だと言う人もいますが、まことに恐れ多い事です。御臂をしっかり祈って治して見せようと思いますがいかがでございますか」。上人はこれを聞いて、「このうえもなく嬉しく存じます。本当にありがたいことです。どうぞお祈りしてください」と言って、近くに寄ると、殿中の人々は集まってこれを見る。その時、僧正が、頭のてっぺんから黒煙を出してお祈りをなさる。すると、しばらくして、上人の曲がっていた臂(ひじ)はぴんと音をたてて延びた。たちどころに右の臂のように延びたのであった。上人は涙を流して、三度礼拝をする。これを見た人たちは皆、大声をあげて感心し、あるいは感涙する者もいた。

その日、上人は、供に若い僧三人を連れていた。一人は縄を取り集める聖である。道に落ちている古い縄を拾って、壁土に含ませ、古堂などの壁の破れを塗ったりする。一人は瓜の皮を取り集め、水で洗って獄中の囚人に与えていた。もう一人は反古紙が落ちて散らばっているのを拾い集めて、紙にすき直して、経文を書写なさる。その反故の聖を、臂が治ったお礼として僧正に進上したところ、僧正は喜んで弟子にし、義観と名付けられた。尊いことである。

語句  

■空也上人-我が国における浄土教の先駆者。「こうや」とも。「弘也」「公野」の字もあてられる。『諸門跡譜』では仁明天皇の皇子常康親王の子(903~972)。『帝王編年記』などでは醍醐天皇の子とする。天歴二年(948)、比叡山にて大乗戒を受けた。僧名、光勝。阿弥陀の名号を唱えて全国に布教し、市(いち)の聖、阿弥陀聖と呼ばれた。■一条大臣-源雅信(920~993)。宇多天皇の皇子敦実親王の子。管弦・歌舞・蹴鞠(けまり)に長じた。左・右大臣を歴任、鷹司殿とも呼ばれた。■蔵人所-蔵人の詰所。ここは大臣家のそれ。■余慶僧正-智弁(919~991)。筑前(福岡県)の人、姓は宇佐。園城寺の長史、法性寺座主を経て、永祚元年(989)、第二十代天台座主となる。観音寺僧正とも。■参会し給ふ-来合せられる。■もの妬みして-腹をたてて。怒って。■かしこく-運良くも。幸いな事にも。■左にて侍る-左手でございました。■折り侍らましかば-折っておりましたら、さぞ不自由でしょうに。■そこは-あなたは。■天皇の御子-なお『空也誄(るい)』などは単に皇胤(こういん)としている。■いとかたじけなし-まことに恐れ多い事です。■悦び侍るべし-うれしゅうございます。■加持-真言宗の密教で、印を結び、陀羅尼を唱え、観念をこらして、仏神を念ずること。■頂(いただき)-頭頂。頭のてっぺん。■はたとなりて-ピンと音をたてて。■ののめき感じ-大声をあげて感嘆し。騒ぎ立てて感心し。

■若き聖-以下の三人の供僧は、いずれも廃物とされた物の再利用による社会奉仕活動に従事しているが、建築修繕、食物付与、古紙再生と、市の聖と称された空也の社会福祉活動の一端をうかがわせるもの。■具したり-連れていた。■獄衆-獄中の囚人。■反故-ほぐ。ほご紙。■義観-伝未詳。新大系は、義観阿闍梨は空也の弟子であり、その彼に故空也聖の金鼓と錫杖が譲与されたという『小右記』万寿三年(1026)七月二十三日条の記事を紹介している。■有がたかりける事-尊い事。

備考・補足

■祈祷の効験によりおこり病の回復話である前話を受けて、これも、権僧正余慶の渾身の加持による身障治癒話。『元亭釈書』によれば、この快事を時の人々は「弥陀ノ病、明王ノ医」とたたえ合ったという。

朗読・解説:左大臣光永