宇治拾遺物語 12-8 聖宝僧正(しやうほうそうじやう)、一条大路(いちでうおほち)を渡る事

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原文

昔、東大寺に上座法師(じやうざほふし)のいみじくたのしきありけり。露(つゆ)ばかりも人に物与ふる事をせず、慳貪(けんどん)に罪深く見えければ、その時聖宝僧正(しやうほうそうじやう)の、若き僧にておはしけるが、この上座の物惜(ものを)しむ罪のあさましきにとて、わざとあらがひをせられけり。「御坊、何事したらんに、大衆(だいしゆ)に僧供(そうぐ)引かん」といひければ、上座思ふやう、物あらがひして、もし負けたらんに、僧供引かんもよしなし。さりながら衆中にてかくいふ事を、何(なに)とも答へざらんも口惜(くちを)しと思ひて、かれがえすまじき事を思ひめぐらしていふやう、「賀茂祭の日、真裸(まはだか)にて、褌(たふさぎ)ばかりをして、干鮭太刀(からざけたち)にはきて、やせたる牝牛(めうし)に乗りて、一条大路を大宮より河原まで、『我は東大寺の聖宝なり』と、高く名のりて渡り給へ。しからば、この御寺の大衆より下部(しもべ)にいたるまで、大僧供(だいそうぐ)引かん」といふ。心中に、「さりともよもせじ」と思ひければ、固くあらがふ。聖宝、大衆みな催し集めて、大仏の御前にて金(かね)打ちて、仏に申して去りぬ。

その期(ご)近くなりて、一条富小路に桟敷(さじき)うちて、「聖宝が渡らん見ん」とて、大衆みな集りぬ。上座もありけり。しばらくありて、大路の見物の者どもおびたたしくののしる。「何事かあらん」と思ひて、頭さし出(いだ)して西の方(かた)を見やれば、牝牛(めうし)に乗りたる法師の裸なるが、干鮭(からざけ)を太刀(たち)にはきて、牛の尻(しり)をはたはたと打ちて、尻に百千の童部(わらはべ)つきて、「東大寺の聖宝(しやうほう)こそ、上座(じやうざ)とあらがひして渡れ」と高くいひけり。その年の祭りには、これを詮(せん)にてぞありける。

さて大衆(だいしゆ)、おのおの寺に帰りて、上座に大僧供(だいそうぐ)引かせたりけり。この事帝(みかど)聞し召して、「聖宝は我が身を捨てて、人を導く者にこそありけれ。今の世にいかでかかる貴(たふと)き人ありけん」とて召し出(いだ)して、僧正までなしあげさせ給ひけり。上の醍醐(だいご)はこの僧正の建立(こんりふ)なり。

現代語訳

昔、東大寺にたいそう豊かな上座法師がいた。ごくわずかでも人に物を与えるという事をせず、けちで罪深かった。その時、聖宝僧正はまだ若い僧であられたが、この上座の僧が物をけちるのがあまりにもひどいからというので、わざと争い事を仕掛けられた。「御坊、何をしたら多くの僧に供養の品物を施せるのでしょうか」と言われたので、上座の僧は、「争って、もし負けたりして供養の品物を施すのもつまならいが、だからといって、多くの僧がいる中で、こう言うのを、何も答えないというのも悔しい事だ」と思って、彼がとうていできそうもない事を考え廻らせて、「賀茂祭の日に、真っ裸になって、褌だけをつけて、乾鮭(かんざけ)を太刀として挿して、やせた牛に乗って、一条大路を大宮大路から賀茂の河原まで、『我は東大寺の聖宝である』と、大声をあげてお通りください。そうしたら、この御寺の多くの僧から下部に至るまで、たくさんの供養物を施すであろう」と言う。心の中で、「そうは言ってもまさか実行はしないだろう」と思ったので、かたく賭けの約束をした。そこで聖宝は、多くの僧をみな呼び集めて、大仏の御前で鉦を打って、仏に誓いをたてて帰っていった。

その日が近くなって、一条富小路に桟敷を構えて、「聖宝が通るのを見よう」と多くの僧が集まった。上座の法師もいた。しばらくしてから、大路の見物客たちが大騒ぎをする。上座法師は、「何かあったのか」と思って、頭を突き出して西の方を見ると、牝牛に乗った裸の法師が、乾鮭(かんざけ)を太刀として挿して、牛の尻をぱたぱたと打って、その後には何百何千という子どもが付き従い、「東大寺の聖宝が、上座と賭けをして通るぞ」と大声で叫んだ。その年の葵祭では、これが第一の見物であった。

こうして衆僧はそれぞれ寺に帰って、上座に盛大に振舞いををさせた。これを帝がお聞きになり、「聖宝は身を捨てて、人を導く立派な者だ。今の世によくもこれほど尊い人がいたものだ」と言って、召し出して、僧正にまで昇進させられた。上の醍醐は、この僧の建立という。

語句  

■東大寺-奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。■上座-興福寺・東大寺などの諸大寺におかれた三綱(さんごう)(上座・寺主・都維那(ついな))の最上位で、別当に次ぐ管理職。徳望のある僧が就く。■いみじくたのしき-大変裕福な者。■つゆばかりも-ごくわずかでも。■慳貪(けんどん)-欲深で、けち。仏教で戒める三毒(食欲・瞋恚(しんい)・愚痴)の一つ。僧侶に最もふさわしくない性向。■聖宝僧正(しやうほうそうじやう)-理源大師(832~909)。葛声王(くずごえおう)の子。俗名は恒蔭王。元興寺・東大寺で三論・法相・華厳を学び、金峰山で修験道を修め、醍醐寺を開いた。延喜六年(906)、僧正に昇任。■あさましきにとて-あまりにひどいからというので。■あらがひ-争い事。賭け事。■せられけり-しかけられた。■何事したらんに-何をしたならば。■大衆(だいしゆ)-多くの僧、衆徒。■僧供(そうぐ)-僧侶への供養の品物。■引かん-「引く」は、引出物をする。施す。■よしなし-つまらない。■えすまじき事-とうていできそうもない事。■賀茂祭-陰暦四月の中の酉(とり)の日に行われた上賀茂・下賀茂神社の祭礼。葵祭。■褌(たふさぎ)ばかりをして-ふんどしだけを身につけて。■干鮭(からざけ)-乾鮭。鮭の内臓を取り捨てて、干したもの。■太刀にはきて-太刀としてさして。■一条大路-平安京の北縁を東西に走る大通り。宮中からの奉幣便が下賀茂神社へ向う通路で、沿道に最も見物人の集まる場所であった。上座法師は、聖宝が臆して断るであろうような場所としてそこを指定した。■大宮-大宮大路。■河原-賀茂川の河原。■渡り給へ-お通り下さい。■よもせじと-まさか実行しないだろうと。■かたくあらがふ-賭けをして言い争う。■催し集めて-呼び集めて。■金打ちて、仏に申して去りぬ-大仏の御前で、鉦を打って仏に誓いをたてて帰った。

■期-期日。■桟敷-見物のために高く構えた所。■大衆みな集まりぬ-奈良からこぞって集まった。■はたはたと打ちて-ぱたぱたと打って。■詮(せん)-第一番の見物。

■僧正までなしあげさせ給ひけり-聖宝は、醍醐天皇時代の延喜二年(902)に権僧正、四年後に僧正に任ぜられているが、いずれも晩年の事。本話は若き日の逸話なので、文徳~清和天皇時代(850~876)にあたる。■上の醍醐-醍醐寺の寺域(京都市伏見区笠取山全山)のうち、山上の堂舎。醍醐寺そのものは、貞観十六年(874)の草創。

備考・補足

■若き日の正義感に燃えた聖宝の、わが身の小さな体面や羞恥を捨てての、上座法師の非道への挑戦。大衆の期待を一身に背負ったその捨身の兆戦は、観衆の大きな支持を得て、華麗な勝利に結実、上座法師の慳貪(けんどん)に誅罰(ちゅうばつ)を加えることになった。

朗読・解説:左大臣光永