宇治拾遺物語 12-9 穀断(こくだ)ちの聖露顕(ひじりろけん)の事

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原文

昔、久しく行ふ上人(しやうにん)ありけり。五穀を断ちて年来(としごろ)になりぬ。帝(みかど)聞し召して、神泉に崇(あが)め据(す)ゑて殊(こと)に貴(たふと)み給ふ。木の葉を飲み食ひける。物笑ひする若公達(きんだち)集りて、「この聖(ひじり)の心見ん」とて、行き向ひて見るに、いと貴げに見ゆれば、「穀断(こくだ)ち幾年(いくとせ)ばかりになり給ふ」と問はれければ、「若き日より断ち侍れば、五十余年にまかりなりぬ」といふを聞きて、一人(ひとり)の殿上人(てんじやうびと)の曰(いは)く、「穀断ちの糞(くそ)はいかやうにかあるらん。例の人には変りたるらん。いで行きて見ん」といへば、二三人連れて行きて見れば、穀糞(こくくそ)を多く痢(ひ)り置きたり。あやしと思ひて、上人の出でたる隙(ひま)に、「ゐたる下を見ん」といひて、畳の下を引きあけて見れば、土を少し掘りて、布袋に米を入れて置きたり。君達(きんだち)見て、手を叩(たた)きて、「穀糞聖、穀糞聖」と呼ばはりて、ののしり笑ひければ、逃げ去りにけり。その後(のち)も行方も知らず、長く失(う)せにけりとなん。

現代語訳

昔、長い年月修行する上人がいた。五穀を断って何年も過ぎた。帝がこれをお聞きになり、神泉苑に崇めて住まわせになり、ことのほか尊んでおられた。上人は木の葉ばかり食べていた。その時に、いたずら好きの貴族の子弟たちが集まって、「この聖を試してみよう」といって、出向いて行って見ると、いかにも尊そうに見える。そこで、「穀断ちは何年ほどなされておられるか」と尋ねると、「若い時から断っておりますので、五十年あまりになりました」と言う。それを聞いて、一人の殿上人が、「穀断ちをした人の糞はどんなふうなものか。普通の人のとは違っているだろう。さあ行って見よう」と言う。そこで、二三人が連れだって行って見ると、口にいれていないはずの穀粒をいっぱい含んだ糞をいっぱいたれていた。変だと思って、上人が外出した隙に、「座っていた所の下を調べてみよう」と言って、畳の下を引き開けて見ると、土を少し掘った所に布袋に入れた米が置かれていた。子弟たちはこれを見て、手を叩いて、「穀糞聖、穀糞聖」と呼びかけながら、大笑いしたので、上人は逃げ去ってしまった。その後も行方不明で、長く姿をくらましてしまったという。

語句  

■五穀-主食となる五種類の穀物。一般には米・麦・稗・粟・豆の総称。『文徳実録』斉衡元年(854)七月二十二日条に、備前国(岡山県)から一人の穀断ちの優婆塞(うばそく)が朝廷に差し出され、天皇が神泉苑に置いて尊信した記事が見え、化けの皮がはがされてから「米糞聖人」と呼ばれた点も、本話と類似する。■神泉-神泉苑。大内裏の南に位置した広大な泉池で天皇の遊園地。現在の中京区御池通神泉苑町一帯。天長元年(824)の空海(弘法大師)による希雨の効験以来、それを吉例として干魃(かんばつ)時にはこの場所で雨乞いの祈祷が行なわれた。■物笑ひする若公達(きんだち)-いたずら好きの貴族の子弟たち。■いと-いかにも。■まかりなりぬ-なりました。■例の人-普通一般の人。すなわち平生米穀類を食べている人々。■変りたるらん-違っているだろう。■いで-さあ。■連れて-連れだって。■穀糞を多く-口に入れていないはずの穀類の粒が混じっている糞をいっぱい。『文徳実録』には「天暁厠ニ如(ゆ)ク。人有リテ之ヲ窺フニ、米糞積ルガ如シ」と見える。■君達(きんだち)-『文徳実録』は、「米糞聖人」とはやし立てたのは、若公達ではなく、「児・婦人」とする。

備考・補足

■天皇の尊信までも勝ち取った穀断ちの苦行僧。木食(もくじき)聖人として尊崇されていたその老僧の正体が、厠(かわや)の排泄物をのぞき見られることによってひとたまりもなく暴露されてしまった。留守の間に自分のいかさま聖の化けの皮がはがされたことも知らず帰って来たくだんの老僧は、青年たちから大声で嘲笑されるや、いずこともなく逐電する。ペテン犯罪をおおらかに包み込む笑いの空間。

朗読・解説:左大臣光永