宇治拾遺物語 12-10 季直少将(すゑなほのせうしやう)歌の事

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原文

今は昔、季直少将(すゑなほのせうしやう)といふ人ありけり。病(やまひ)つきて後(のち)、少しおこたりて、内に参りたりけり。公忠(きんただ)の弁(べん)の、掃部助(かもんのすけ)にて蔵人なりける比(ころ)の事なり。「乱り心地、まだよくもおこたり侍らねども、心もとなくて参り侍りつる。後は知らねど、かくまで侍れば、明後日(あさて)ばかりにまた参り侍らん。よきに申させ給へ」とてまかり出でぬ。

三日ばかりありて少将のもとより、

悔しくぞ後に逢(あ)はんと契(ちぎ)りける今日(けふ)をかぎりといはましものを

さてその日失(う)せにけり。哀(あは)れなる事のなまなり。

現代語訳

今は昔、季直少将(すえなおのしょうしょう)という人がいた。病気になってから、少し病気がよくなったので、内裏に参上した。公忠(きんただ)の弁(べん)が掃部助(かもんのすけ)で蔵人を務めていたころの事である。「病気らしい気分が、まだよくなってはおりませんが、仕事が気がかりで参りました。後の事はわかりませんがこのような具合ですから、明後日ぐらいにまた参ります。私の容態についてよろしくご奏上ください」と言って退出した。

三日ほど経って、少将のもとから

悔しくぞ後に逢はんと契りける今日をかぎりといはましものを
(悔しいのは後で逢おうと約束したことです。今日限りと言ってお別れ申せばよかったのにと存じます)

そして、その日に亡くなってしまった。気の毒な事であった。

語句  

■季直少将(すゑなほのせうしやう)-藤原季縄(?~919)。季直は、『大和物語』『新古今集』などのように季縄とあるべきところ。鷹匠(たかじょう)の名人として知られ、世に片野羽林(交野少将)と呼ばれた。■病つきて-病気になって。■おこたりて-平癒して。よくなって。■公忠(きんただ)の弁(べん)-源公忠(889~948。一説には946)。光孝天皇の孫。五位蔵人、近江守。延長七年(929)、右大弁。三十六歌仙の一人。滋野井弁と呼ばれた。■掃部助(かもんのすけ)-掃部寮の次官。公忠の就任は延喜十三年(913)。■乱り心地-病気のための気持ちの悪さ、すっきりしない気分。■心もとなくて-欠勤中の仕事の様子が気がかりで。■よきに申させ給へ-私の容態についてよろしくご奏上ください。当時の天皇は醍醐天皇。本話との類話である『大和物語』百一段には、季縄と醍醐天皇のやりとりが見える。■悔しくぞ~-この歌は『新古今集』巻八哀傷の部に載る。

備考・補足

■いったんは回復のきざしが見え、役所へも顔出しができ、またまもなく普通に出勤できるようになれそうだ、と心強い気持になれて、「では、あさってまた」との挨拶を残して別れた友に、「もうとてもだめだ。会えそうにない」と急な死の訪れを実感した時の無念さが、読む者の胸に迫る悲話。

朗読・解説:左大臣光永