宇治拾遺物語 12-12 高忠(たかただ)の侍(さぶらひ)、歌詠(よ)む事

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原文

今は昔、高忠(たかただ)といひける越前守(ゑちぜんのかみ)の時に、いみじく不孝なりける侍(さぶらひ)の、夜昼まめなるが、冬なれど、帷(かたびら)をなん着たりける。雪のいみじく降る日、この侍、清めすとて、物の憑(つ)きたるやうに震(ふる)ふを見て、守、「歌詠め。をかしう降る雪かな」といへば、この侍、「何を題にて仕(つかま)るべき」と申せば、「裸(はだか)なる由(よし)を詠め」といふに、程もなく震ふ声をささげて詠みあぐ。

はだかなる我が身にかかる白雪はうちふるへども消えせざりけり

と誦(よ)みければ、守いみじくほめて、着たりける衣(きぬ)を脱ぎて取らす。北の方(かた)も哀れがりて、薄色(うすいろ)の衣のいみじう香(かう)ばしきを取らせたりければ、二つながら取りて、かいわぐみて、腋に挟(はさ)みて立ち去りぬ。侍(さぶらひ)に行きたれば、居並(ゐな)みたる侍ども見て、驚きあやしがりて問ひけるに、かくと聞きてあさましがりけり。

さてこの侍、その後(のち)見えざりければ、あやしがりて、守尋ねさせければ、北山に貴(たふと)き聖ありけり、そこへ行きて、この得たる衣を二つながら取らせて、いひけるやう、「年まかり老いぬ。身の不孝、年を追ひてまさる。この生の事は益(やく)もなき身に候(さぶら)ふめり。後世をだにいかでと覚えて、法師にまかりならんと思ひ侍れど、戒師に奉るべき物の候はねば、今に過(すぐ)し候ひつるに、かく思ひかけぬ物を賜(たまは)りたれば、限りなくうれしく思ひ給へて、これを布施(ふせ)に参らするなり」とて、「法師になさせ給へ」と涙にむせかへりて泣く泣くいひければ、聖いみじう貴みて、法師になしてけり。さてそこより行方(ゆくかた)もなくて失(う)せにけり。在所(ありどころ)知らずなりにけり。

現代語訳

今は昔、高忠という者が越前守であった時に、きわめて不遇で貧しかった侍がおり、夜となく昼となく、まじめに働いていたが、冬の事であったが、裏地なしの一重の着物を着ていた。雪が激しく降ったある日、この侍が、外を掃除しようとして、物に憑かれたようにぶるぶる震えているのを見て、守が、「歌を詠め。見事に降る雪よ」と言うと、侍が、「何を題にして詠みましょうか」と問う。「裸でいることを詠め」と言うと、間もなく、震える声を懸命に張り上げて詠み出した。

はだかなる我が身にかかる白雪はうちふるへども消えざりけり
(裸の我が身に降りかかる白雪―白髪―は、いくら振り払っても消えてなくならないのです)

と詠んだので、守はたいそうお褒めになり、褒美に、着ていた着物をを脱いで与えられた。奥方も気の毒がって、薄色のたいそう香をたきしめた着物を与えた。すると、侍は、この二つとも受け取ってくるくると丸めるように畳み込むと、腋に挟んで立ち去った。侍所に行くと、居並んでいた侍たちが見て驚き、不思議に思っていろいろ尋ねたが、これこれとわけを聞いて、みな感心した。

それから、この侍はその後行方がわからなくなったので、どうしたのかと守が尋ねさせたところ、北山に尊い聖が住んでいるという。侍は、そこへ行ってこの手に入れた衣服を二つとも布施に進上して、「私もかなり老いました。我が身の不幸は年ごとに重なってまいります。今生の私はどうしようもない身に生れておるようです。せめて後生だけでも何とかして助かりたいと思って、法師になろうと思うのですが、戒師に差し上げる物も持ち合わせがなく、今まで出家できずにおりましたが、このたび、このように思いがけない物を戴きましたので、とても嬉しく、これを布施として差し上げるのです」。そして、「法師にして下さい」と涙にむせて泣く泣く言ったので、聖は、たいそう尊んで法師にしたのであった。老侍は、そこからまた行方も知れず、いなくなってしまった。在所はわからなくなってしまったという。                                               

語句  

■高忠(たかただ)-伝未詳。『今昔』巻一九-一三話では、越前守藤原孝忠。「国司補任」には、越前守としては、高忠の名も孝忠の名も見えない。藤原斯生の子の孝忠は従五位上・因幡守、藤原永頼の子の孝忠は従四位下・伊勢守。前者は十一世紀前期、後者は十世紀後期の人。ともに越前守の経歴はなく、決め手に欠く。■帷(かたびら)-裏なしの一重もの。袷(あわせ)や綿入れなどの冬物を持たない貧しさ。■清めすとて-外の掃除をしようとして。■ささげて-懸命に張り上げて。

■かいわぐむ-くるくると丸めるように畳む事。■侍-国の館の侍所。侍の詰所。■あさましがりけり-即興で歌を詠んだという事に驚いて、感心した。

■北山に-『今昔』は「館ノ北山ニ」とある。■二つながら取らせて-二つとも布施に進上して。■益もなき身に候ふめり-どうしようもなく救いのない身であるようです。■戒師-出家の戒を授けてくれる師僧。■今に過し候ひつるに-今まで出家できずに過ごしておりましたが。

備考・補足

■はげしい雪の日に、一重一枚で戸外の雪かたづけに当っていた老侍に、国司はあえて歌を詠ませ、それを褒美の口実にして、国司夫妻はともに着物を与えてねぎらう。 話がそこで終っても、歌徳説話として立派に完結することになったわけ。本話の標題は語り手がそこに力点を置いていることを明らかに物語ってはいるのだが、全体をみると、周囲の人々にはつゆその気配を見せずに道心を深く心に秘め、ついに到来した絶好の機会を逃さず、宿願の出家を遂げた老侍の、みごとな出家譚として構想された説話であることがわかる。『宇治拾遺』の編者は、前後の配列関係から見ても、出家話というよりは歌徳説話として扱っているのだが。

朗読・解説:左大臣光永