宇治拾遺物語 12-17 鄭大尉(ていたいい)の事

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今は昔、親に孝(けう)する者ありけり。朝夕に木をこりて親を養ふ。孝養(けうやう)の心空に知られぬ。梶(かぢ)もなき舟に乗りて向ひの嶋に行くに、朝には南の風吹きて、北の嶋にふきつけつ。夕にはまた舟に木をこりて入れてゐたれば、北の風吹きて家に吹きつけつ。

かくのごとくする程に、年比(としごろ)になりて、おほやけに聞し召して、大臣になして召し使はる。その名を鄭大尉(ていたいい)とぞいひける。

現代語訳

今は昔、親に孝行する者がいた。朝夕、木を伐(き)って親を養っていた。その孝養の心が天に通じた。梶もない舟に乗って、向いの島に行くと、朝には南の風が吹き、舟を北の島に吹きつけた。夕方にはまた伐った木を舟に積んでいると、北の風が吹いて家に吹きつけた。

こうしているうちに、長い年月が過ぎて、朝廷にまでこの事が聞え、大臣に任じられて召し出された。その名を鄭大尉といったという。

語句  

■孝(けう)-『今昔』などでも「孝養」「孝行」の孝は、みな「ケフ(きょう)」と読ませている。■木をこりて-薪を伐るのを仕事にして。■空に知られぬ-空に入る神(天帝)に知られた。■年比になりて-長年に及んだので。■おほやけ-朝廷、皇帝。■鄭大尉(ていたいい)-鄭弘(ていこう)。字は巨君。会稽(かいけい)の人。微職から昇進し、御漢の顕宗に仕え、元和元年(84)、大尉に至った。「大尉」は秦・後漢の官名で、承相(大臣)と同格で武事をつかさどった。

朗読・解説:左大臣光永

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