宇治拾遺物語 12-18 貧しき俗、仏性(ぶつしやう)を観じて富める事

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原文

今は昔、唐(もろこし)の辺州(へんしう)に一人(ひとり)の男あり。家貧しくて宝なし。妻子を養ふに力なし。求むれども得る事なし。かくて歳月を経(ふ)。思ひわびて、ある僧にあひて、宝を得べき事を問ふ。智恵ある僧にて、答ふるやう、「汝(なんじ)宝を得んと思はば、ただ誠の心を起すべし。さらば宝もゆたかに、後世(ごせ)はよき所に生れなん」といふ。この人、「誠の心とはいかが」と問へば、僧の曰(いは)く、「誠の心を起すといふは、他(た)の事にあらず。仏法を信ずるなり」といふに、また問ひて曰く、「それはいかに。たしかに承りて心を得て、頼み思ひて、二なく信をなし、頼み申さん。承るべし」といへば、僧の曰く、「我が心はこれ仏なり。我が心を離れては仏なしと。しかれば我が心の故(ゆゑ)に仏はいますなり」といへば、手を摺(す)りて泣く泣く拝みて、それよりこの事を心にかけて夜昼思ひければ、梵釈(ぼんしやく)諸天来たりて守り給ひければ、はからざるに宝出(い)で来(き)て、家の内ゆたかになりぬ。命終るに、いよいよ心、仏を念じ入りて、浄土にすみやかに参りてけり。この事を聞き見る人、貴(たふと)みあはれみけるとなん。

現代語訳

今は昔、唐(もろこし)の片田舎(かたいなか)に一人の男がいた。家が貧しくて財産もなく、妻子を養う力もない。財産を求めたが得られなかった。こうして歳月が過ぎていった。思い悩んで、ある僧に会い、財産を得る方法を聞いた。智恵のある僧で、「汝が財産を得ようと思うなら、ただ誠の心を起すがよい。そうすれば、財産も豊かになり後世には良い所に生れるであろう」と答えて言う。この男が、「誠の心とはどういうものですか」と再度聞くと、僧は、「誠の心を起すというのは、他でもない、仏法を信じるという事だ」と言う。また問うて、「それにはどうすればよいのですか。確かに承りました。信心の心を持ってお願いをし、二心なく仏を信じ、お頼み申し上げます。どうかお教えください」と言った。僧が、「自分の心がすなわちこれ仏である。自分の心が離れては仏はないという。だから自分の心の故に仏はおいでになるのだ」と言うと、この男は手を摺り合せ、泣く泣く拝んだ。それから男は夜となく昼となく心にかけて思っていた。そこで梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしゃく)や多くの神々が出て来て、男を守護したので、思いがけなく財産が出来、暮しも豊かになった。臨終の際には、ますます心に深く仏を念じて速やかに極楽浄土へ行ったのであった。この事を見聞した人は、感動して尊んだという。          、

語句  

■俗-俗人。■唐(もろこし)の辺州(へんしう)-中国の辺境の地。■宝-財産、資産。■思ひわびて-思いあぐねて。思い悩んだ末。■後世(ごせ)-この世の後に生れ変る世界。来世。■二なく-ほかの事に心を向けず、心を一つにして、ただひたすらに。■我が心はこれ仏なり-『観無量寿経』の十三観のうちの第八観に次のような表現がある。「諸仏如来は是れ法界身なり。一切衆生の心想の中に入りたまふ。是のゆゑに汝ら心に仏を想ふとき、是の心すなはち是れ三十二相八十随形好なり。是の心仏を作る。是の心是仏なり」(訓釈は『国訳一切経』による)。このほか『華厳経』の「我が心を離れては仏なし。我が心の故に仏はいますなり」という考え方には、『華厳経』の「三界唯一心」の思想なども参照される。■梵釈諸天-梵天・帝釈天をはじめ、四天王など古代インドの諸天神。いずれも仏法の守護神。

備考・補足

■現世においては「家の内がゆたか」であること、後世のためには「命終時にすみやかに浄土にまいる」こと、の二つは一般庶民の願望する現当(げんとう)二世の幸せ。その二つともが「仏法を信ずる」ことによってやすやすと実現されたという、あからさまな仏教宣伝話。外国説話とされていることで、その露骨な感じはかなりに減殺されてはいるけれども、まことに事件的内容の希薄な話といわざるを得ない。

朗読・解説:左大臣光永