宇治拾遺物語 12-20 遣唐使(けんたうし)の子、虎に食(く)はるる事

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原文

今は昔、遣唐使(けんたうし)にて唐(もろこし)に渡りける人の、十ばかりなる子を、え見であるまじかりければ、具(ぐ)して渡りぬ。さて過(すぐ)しける程に、雪の高く降りたりける日、歩(あり)きもせでゐたりけるに、この児(ちご)の遊びに出でて往(い)ぬるが、遅く帰りければ、あやしと思ひて出でて見れば、足形(あしがた)、後(うし)ろの方(かた)から、踏みて行きたるにそひて、大(おほ)きなる犬の足形ありて、それよりこの児の足形見えず。山ざまに行きたるを見て、「これは虎(とら)の食ひて行きけるなめり」と思ふに、せん方(かた)なく悲しくて、太刀(たち)を抜きて、足形を尋ねて山の方に行きて見れば、岩屋の口に、この児を食ひ殺して腹をねぶりて臥(ふ)せり。太刀を持ちて走り寄れば、え逃げていかで、かい屈(かが)まりてゐたるを太刀にて頭を打てば、鯉(こひ)の頭(かしら)を割るやうに割れぬ。次にまた、そばざまに食はんとて走り寄る背中を打てば、背骨を打ち切りてくたくたとなしつ。さて、子をば死なせたれども、腋(わき)にかい挟(はさ)みて家に帰りたれば、その国の人々、見て怖(お)ぢあさむ事限りなし。

唐(もろこし)の人は虎にあひて逃ぐる事だに難(かた)きに、かく虎をば打ち殺して、子を取り返して来たれば、唐(もろこし)の人はいみじき事にいひて、「なほ日本の国には兵(つはもの)の方(かた)はならびなき国なり」とめでけれど、子死にければ何(なに)にかはせん。

現代語訳

今は昔、遣唐使で唐に渡った人が、十歳ぐらいの子供と離れ離れに暮らす事ができそうにもなかったので、連れだって渡った。そうして、暮らしているうちに、雪が高く降り積もった日、外出もせずにいた。しかし、この児が一人で遊びに出ていったが、帰りが遅かったので、おかしいと不安に思い、外に出て見ると、雪の中に子どもの足形が残っており、その後の方から、その進行方向に添って大きな犬の足形が残っており、そこからこの児の足形が消えてしまっていた。山の方向に進んでいるのを見て、「これは虎が咥えていったもののようだ」と思うと、どうしようもなく悲しくて、太刀を抜いて、足形を追って山の方に行って見ると、岩屋の入口で虎が児を食い殺して腹をなめ回しながら伏せている。太刀を持って走り寄ると、逃げもせずに、うずくまっているのを、太刀で頭を打つと、鯉の頭を割る様に割れてしまった。次にまた脇の方から食いつこうと走り寄って来る虎の背中を打つと、背骨を打ち斬ったのでぐにゃぐにゃとなった。そうして、子を死なせたけれども、亡骸を小腋に挟んで家に帰ったので、その国の人々は、見て、このうえもなく驚いた。

唐の人は、虎に遭遇して、逃げる事さえ難しいのに、このように虎を打ち殺して取り返してきたので、唐の人たちはたいしたものだとほめそやして、「やはり日本の国には武術の方では比類のない国だ」とほめたたえたが、子が死んでしまったのでは何になろうか。むなしいことであった。

語句  

■遣唐使(けんたうし)-遣隋使に続いて、日本から中国の文化を学び、文物を導入するために派遣された使節団。舒明二年(630)から承和五年(838)まで十三次に及んだ。寛平六年(894)、第十四次の大使に任命された菅原道真の建議によって廃止された。全註解によれば、本話は、欽明六年(545)三月に中国ではなく百済(くだら)に派遣された膳臣巴提便(かしわでのおみはすし)が、その年の十一月の大雪の夜に愛児を虎にとられて退治したという『日本書紀』の所伝の異伝と見られる。■え見であるまじかりければ-離れ離れに暮らす事はできそうもなかったので。いつもそばに置いて顔を見ていたい気持から、という事。■歩(あり)きもせで-出歩くこともなく。外出もせずに。■遅く帰りければ-帰りが遅かったので。なかなか帰って来なかったので。■ねぶりて-なめて。なめ回しながら。■え逃げていかで-気づかないはずはないのに、逃げもせずに。■かひ屈まりて-体を丸めて。うずくまって。■そばざまに食はんとて-横合いから食いつこうと。わきの方へ回って食いつこうとして。■くたくたとなしつ-ぐにゃぐにゃの状態にしてしまった。■怖じあさむ-恐れ、驚き、あきれる事。■何にかはせん-何になろうか(むなしいことだ)。

備考・補足

■十二世紀後半の成立とされる『松浦宮物語』に「和国は兵の国として、小さけれども、神の守り強く、人の心かしこかんなり」とあることなどを想起させる中世日本の国家意識の高揚ぶりを伝える話。我が子を救出したい一念から、我が身の危険も念頭になくなってしまう親心の一途さが、この父親を勇猛な行動に駆り立てる。しかし、それは手遅れに終った。周囲の賛美もこの父親の耳にはうつろに響くばかり。結びの「子死にければ何にかはせん」という一文は、父親の無念さを余韻豊かに伝える。

朗読・解説:左大臣光永