宇治拾遺物語 12-21 ある上達部(かんだちめ)、中将の時召人(めしうど)にあふ事

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今は昔、上達部(かんだちめ)のまだ中将と申しける、内へ参り給ふ道に、法師を捕へて卒(ゐ)て行きけるを、「こは何法師ぞ」と問はせければ、「年比(としごろ)使はれて候(さぶら)ふ主を殺して候ふ者なり」といひたれば、「まことに罪重きわざしたるなる者にこそ、心憂(こころう)きわざしけるものかな」と、何(なに)となくうちいひて過ぎ給ひけるに、この法師、赤き眼(まなこ)なる目のゆゆしく悪(あ)しげなるして、にらみあげたりければ、よしなき事をいひてけるかなと、けうとく思(おぼ)し召して過ぎ給ひけるに、また男をからめて行きけるに、「こは何事(なにごと)したる者ぞ」と、懲(こ)りずまに問ひければ、「人の家に追ひ入れられて候(さぶら)ひつる。男は逃げてまかりぬれば、これを捕へてまかるなり」といひければ、「別の事もなきものにこそ」とて、その捕へたる人を見知りたれば、乞ひ許してやり給ふ。

大方(おほかた)この心ざまして、人の悲しき目を見るに随(したが)ひて助け給ひける人にて、初めの法師も、事よろしくは乞ひ許さんとて問ひ給ひけるに、罪の殊(こと)の外(ほか)に重ければ、さのたまひけるを、法師はやすからず思ひける。さて程なく大赦(たいしや)のありければ、法師もゆりにけり。

さて月明(あか)かりける夜、皆人はまかで、或(ある)は寝入りなどしけるを、この中将、月に愛(め)でてたたずみ給ひける程に、物の築地(ついぢ)を越えておりけると見給ふ程に、後(うし)ろよりかきすくひて、飛ぶやうにして出でぬ。

あきれ惑ひて、いかにも思(おぼ)し分かぬ程に、恐ろしげなる者来集(きつど)ひて、遥(はる)かなる山の険しく恐ろしき所へ率(ゐ)て行きて、紫の編みたるやうなる物を高く造りたるにさし置きて、「さかしらする人をば、かくぞする。やすき事はひとへに罪重くいひなして、悲しき目を見せしかば、その答(たふ)にあびり殺さんずるぞ」とて、火を山のごとく炊(た)きければ、夢などを見る心地して、若くきびはなる程にてはあり、物覚え給はず。熱さはただあつになりて、ただ片時(かたとき)に死ぬべく覚え給ひけるに、山の上よりゆゆしき鏑矢(かぶらや)を射おこせければ、ある者ども、「こはいかに」と騒ぎける程に、雨の降るやうに射ければ、これらしばしこなたよりも射けれど、あなたには人の数多く、え射あふべくもなかりけるにや、火の行くへも知らず、射散(いち)らされて逃げて往(い)にけり。

その折(をり)、男一人出(ひとりい)で来(き)て、「いかに恐ろしく思(おぼ)し召しつらん。おのれはその月のその日、からめられてまかりしを、御徳(とく)に許されて、世にうれしく、御恩報ひ参らせばやと思ひ候ひつるに、法師の事は悪(あ)しく仰(おほ)せられたりとて、日比窺(ひごろうかが)ひ参らせつるを見て候ふ程に、告げ参らせばやと思ひながら、我が身かくて候へばと思ひつる程に、あからさまにきと立ち離れ参らせ候ひつる程に、かく候(さぶら)ひつれば、築地(ついぢ)を越へて出で候ひつるにあひ参らせて候ひつれども。そこにて取り参らせ候はば、殿も御傷(きず)などもや候はんずらんと思ひて、ここにてかく射払ひて取り参らせ候ひつるなり」とて、それより馬にかき乗せ申して、たしかにもとの所へ送り申してんげり。ほのぼのと明くる程にぞ帰り給ひける。

年おとなになり給ひて、「かかる事にこそあひたりしか」と、人に語り給ひけるなり。四条の大納言の事と申すはまことやらん。

現代語訳

今は昔、ある公卿がまだ近衛中将と言われたころ、内裏へ出勤する途上で、法師を捕らえて連れて行ったのを見て、「これは何をした法師か」とお聞かせになると、「永年お仕えしてきた主を殺した者です」と言ったので、「それは実に重い罪を犯したものだな。ひどいことをした者かな」と、何となくつぶやいて通り過ぎられた。法師はそれを耳にして、赤い血走ったような気味の悪い目でにらみあげたので、中将は、「つまらぬ事を言ってしまったものだ」と気味悪くお思いになって通り過ぎて行かれた。するとまた、別の男を捕らえて引いて行くので、「これは何をした者か」と懲りずに問われると、「人の家に追い入れられていました。追った男は逃げてしまいましたから、これを捕らえて行くのです」と言ったので、「たいしたことをしたわけでもなかろう」と言って、その捕らえていた人を見知っていたので、頼んで許しておやりになった。

およそこのような気質で、他人の不幸を見ると、お助けになった人で、最初の法師も、たいした罪でなかったら、頼んで許してもらおうと思われたのだが、非常に重い罪だったので、そのようにおっしゃったのを法師は心穏やかでなく思ったのだった。それから間もなく大赦があったので、法師も許されたのであった。

さて、月の明るいある夜、皆、人は退出したり、或いは、寝入ったりなどしたのに、中将が、月を愛でてたたずんでおられた時、「何者かが築地を越えて降りたな」と御覧になるうちに、何者かが後から中将をすくいあげるように抱きかかえて、飛ぶように走り出た。

あっけにとられて、ただ茫然としているうちに、恐ろしそうな者が集って来て、遥か遠くの山中の険しく恐ろしい所へ連れて行った。柴を編んだような物を高く積み上げた所に動かないように置いて、「おせっかいな奴はこうしてやる。たいした罪でもない者をば、罪重く言いなして、辛い目に合せたから、このお返しにあぶり殺してくれる」と言って、火を山のように炊いたので、夢を見る心地がして、若くうぶな時分の事でもあり、気も遠くなっておられる。だんだん熱くなり、もうすぐ死ぬのだなと思われた時に、山上からものすごい音をたてて鏑矢が飛んで来た。そこにいた中将を処刑しようとする者どもが、「これはどうしたことか」と騒ぎ立てているうちに、雨が降るように多くの矢が射られた。この連中はしばらくはこちら側からも射返したが、向こうの人数が多く、多勢に無勢で 射合うこともできなかったのであろうか、火の始末はどこへやら、射散らされて逃げて行ってしまった。

その時、男が一人出て来て、「どんなに恐ろしくお思いになったことでしょう。私はある月のある日、捕らえられて行きましたが、貴方様の御蔭で許されて、まことに嬉しく、この御恩にお報い申したいと思っておりました。あの法師の事は悪く仰せられたというので、日頃からあなたをつけねらっているのを見ておりましたので、お知らせせねばと思いながら、私自身がこうしてついているので大丈夫だろうと思っておりましたところが、ほんのちょっと御側を離れましたすきに、こんな事になりました。築地を越えて出て来たところでお会いしたのですが、そこで取り返したなら殿がお怪我をされるのではと思い、ここでこのように矢を放ってお取り返しした次第です」と言って、それから馬にかきあげてお乗せして、確かにもとの所へお送り申し上げたのだった。ほのぼのと夜が明ける頃にはお帰りになったという。     

中将は年齢が高くなられてから、「実は以前こんな目に遭(あ)いました」と人にお話しになったのである。それが四条の大納言のことというのは、本当であろうか。

語句  

■上達部-摂政・関白・大臣・大納言・中納言・その他三位以上の貴族。公卿。■中将-近衛中将。近衛府の次官。■召人(めしうど)-ここは、捕らえられた人。囚人(しゆうじん)。■内へ参り給ふ道に-内裏へ出勤する途上で。■卒(ゐ)て行きけるを-連れて行ったのを。■こは-これは。■年比(としごろ)使はれて候(さぶら)ふ-永年お仕えしてきた。■主を殺して-律令にいう「八虐」の大罪の中の一つにあたる「不義」は、本主、本国守、現に業を受けた師を殺した罪。ここはそれに準ずるもので、確かな重罪である。■うち言ひて-つぶやいて。■ゆゆしく悪(あ)しげなる-ぞっとするような気味の悪い目つきで。■けうとく思し召して-男の反応を、そら恐ろしいものにお感じになって。■懲りずまに-最前嫌な思いをしたことに懲りもせずに。■男は逃げて-この「男」はもう一人の男。つまり、この者を追い込んだ相手の男。■別の事もなきものにこそ-別に何ほどの罪にもあたらない者ではないか。

■事よろしくは-事情が許せば。たいした罪状でなかったら。■やすからず-心が落ち着かない。不安だ。いらいらする。妬(ねた)ましく思う。■大赦-一般に国家的慶事や凶事に際して罪人の罪を減じて許す事を大赦と言い、常赦の対象者より罪の思い罪人を赦免することを大赦と言った。しかし、八虐の犯罪者は、この大赦によって赦免されても、「除名」(官位・勲位をことごとく除く罪)は免れなかった。■ゆりにけり-赦免された。牢を出た。 

■まかで-退出して。■築地-瓦葺の土堀。■かきすくひて-すくいあげるようにして抱きかかえて。

■いかにも思し分かぬ程に-自分の身に何が起こったのか、わけがわからずにいるうちに。■さかしら-差し出がましいことをするさま。出しゃばるさま。おせっかい。■やすき事-たいした罪でもない者をば。もちろんこれは、赤い眼の男の主観的な物言い、客観的には大罪。■答(たふ)に-お返しに。返報に。■きびはなる-かよわいさま。うぶな状態。ちなみにこの人物が後出のように藤原公任ならば、十八歳から二十代の初めのころにあたる。■片時に-一時(いっとき)(ほぼ二時間)の半分。転じてほんの短時間。■鏑矢(かぶらや)-鋭く大きな音を出す鏑矢。鏑矢は、木や鹿の角を蕪(かぶ)状に成形し、中を空洞にして数個の穴を開けた「鏑」をつけた矢。空を飛ぶ際、鏑の穴に風が通って高い音を発する。普通、殺傷力を持たせるために、その先端にさらに雁股の矢じりをつける。鳴鏑ともいう。■ある者ども-中将を処刑しようとして、こちら側にいる者ども。いた者ども。■火のゆくへも知らず-薪を山のように積んで焚いていた、火の始末もどこへやら。

■「いかに恐ろしく………候ひつるなり」-この男の事情説明の言葉遣いは一貫して丁寧な候調で、中将に対して並々ならぬ深い恩義を抱き続けていることが分る。■日比窺(ひごろうかが)ひ参らせつるを見て候ふ程に-つねづね、つけねらっておりましたのを気づいておりましたので。■あからさまに-ほんのちょっとの間。■もとの所-中将がさらわれた場所。

■年おとなになり給ひて-年齢が高くなられてから。■あひたりしか-出会いました。■四条の大納言-藤原公任(966~1041)が該当するか。公任は永観元年(983)十二月から正歴三年(992)八月まで左中将であった。                                               

朗読・解説:左大臣光永

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