宇治拾遺物語 12-22 陽成院(やうぜいゐん)ばけ物の事

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今は昔、陽成院(やうぜいゐん)おりゐさせ給ひての御所は、大宮よりは北、西洞院(にしのとうゐん)よりは西、油の小路よりは東にてなんありける。

そこは物すむ所にてなんありける。大(おほ)きなる池のありける釣殿(つりどの)に番の者寝たりければ、夜中ばかりに、細々とある手にて、この男が顔をそとそとなでけり。けむつかしと思ひて、太刀(たち)を抜きて、片手にてつかみたりければ、浅黄(あさぎ)の上下(かみしも)着たる翁(おきな)の、殊(こと)の外(ほか)に物わびしげなるがいふやう、「我はこれ、昔住みし主(ぬし)なり。浦嶋が子の弟なり。古(いにしへ)よりこの所に住みて千二百余年なるなり。願はくは許し給へ。ここに社(やしろ)を作りて斎(いは)ひ給へ。さらばいかにもまぼり奉らん」と言ひけるを、「我が心一つにてはかなはじ。この由(よし)を院へ申してこそは」と言ひければ、「憎(にく)き男の言事(いひごと)かな」とて、三度(たび)上(かみ)ざまへ蹴上(けあ)げ蹴上(けあ)げして、なへなへくたくたとなして、落つる所を口をあきて食ひたりけり。

なべての人ほどなる男と見る程に、おびたたしく大きになりて、この男をただ一口にて食ひてけり。

現代語訳

今は昔、陽成院がご譲位になられてからの御所は、大宮よりは北、西洞院(にしのとうゐん)よりは西、油の小路よりは東にあった。

そこは物の怪の住む所であった。大きな池があった釣殿に宿直の者が寝ていると、夜中に、細々と骨ばった手が、この男の顔をそっとそっと撫でた。薄気味悪く思い、太刀を抜いて、片手でつかんでみると、浅葱の上下を着た翁が、殊の外みすぼらしそうな様子で言った。「私は、ここに昔住んでいた主である。浦島太郎の弟である。古くからここに住んで千二百余年になるのだ。願わくば聞き届けて下され。ここに社を造って祭って下され。そうすればきっとお守り申し上げましょう」。男が、「私の一存では決めかねます。この事を院に申し上げてみなくては」と言ったので、「憎たらしい言いぐさよ」と、三度、上へ蹴り上げて、へとへとぐったりとさせ、落ちて来る所を口を開けて食ってしまった。

初めは普通の大人程の男と見ている間に、ものすごく大きくなって、この男をただ一口で食ってしまったという。

語句  

■陽成院-第五十七代天皇(868~949)。在位八七六~八八四年。退位後、没年までは六十五年間の長きに及ぶ。■おりゐさせ給ひて-ご譲位になってから。■御所-二条院。その位置を『河海抄』は、「二条以北、大炊御門以南、油小路以東、西洞院以西」とする。■物-物の怪、妖怪、鬼、霊の類。■釣殿-寝殿造りの東または西の廊の南端の泉水に臨んだ位置にある建物。■そとそと-そおっとそおっと。いかにも静かに。■けむつかし-気持ちが悪い、薄気味悪い。■浅黄-薄い藍色。浅葱(あさぎ)色、水色。■上下(かみしも)-上衣と袴とが同生地・同色の直垂(ひたたれ)・狩衣・素襖(すおう)などをいう。■翁(おきな)-書陵本などは「叟」。■物わびしげなる-みずぼらしそうな様子の者。■浦嶋-古くは浦嶋子、後には浦島太郎と呼ばれた伝説上の人物。漁師の子で竜神の治める海中の異郷に往来したとされる。『丹後国風土記逸文』『日本書紀』『浦島子伝』『古事談』などに載る。■願はくは-どうぞ。■斎(いは)ひ給へ-神として祭ってください。■まぼり奉らん-お守り申しましょう。■我が心一つにてはかなはじ-私の一存では決めかねます。■言ひ事-言い分。■なへなへくたくたとなして-すっかり力が抜けてぐったりしたさま。■なべての人-普通の人間の大人ほどの大きさの男。■おびただしく-ものすごく。                                 

朗読・解説:左大臣光永

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