宇治拾遺物語 12-23 水無瀬殿(みなせどの)むささびの事

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原文

後鳥羽院(ごとばのゐん)の御時、水無瀬殿(みなせどの)に、夜(よ)な夜(よ)な山より、傘(からかさ)ほどの物の光りて御堂へ飛び入る事侍りけり。西面(にしおもて)、北面(きたおもて)の者ども、面々(めんめん)に、「これを見あらはして高名(かうみやう)せん」と心にかけて用心し、侍りけれども、むなしくてのみ過ぎけるに、ある夜、かげかたただ一人(ひとり)、中嶋に寝て待ちけるに、例の光物(ひかりもの)、山より池の上を飛び行きけるに、起きんも心もとなくて、あふのきに寝ながら、よく引きて射たりければ、手ごたへして池へ落ち入る物あり。

その後(のち)人々に告げて、火を灯して面々見ければ、ゆゆしく大(おほ)きなるむささびの、年ふり、毛なども禿(は)げ、しぶとげなるにてぞ侍りける。

現代語訳

後鳥羽院の御時、水無瀬殿に夜な夜な山から、傘ぐらいの大きさの物が光りながら御堂へ飛び込むことがあった。北面や西面の警備の武士たちは、面々に、「これの正体をあばいて名をあげよう」と心に誓い、用心していたが、むなしく時が過ぎていった。ある夜、景賢はただ一人中島で寝て待っていたが、いつもの光物が、山から池の上に飛んで行ったので、起きるのももどかしくて、仰向けに寝たままで、矢をよく引き絞って射ると、手ごたえがあって池に落ち入る物がある。

その後、人々に知らせ、火を灯して、面々で見ると、とてつもなく大きなむささびで、年老いて、毛なども禿げ、ふてぶてしげなやつであった。

語句  

■水無瀬殿-大阪府三島郡島本町の水無瀬川の南にあった後鳥羽院の離宮。■西面(にしおもて)、北面(きたおもて)の面々(めんめん)-上皇の御所の西面及び北面の詰所にあって警備に当たった武士。北面は白河上皇の時、西面は後鳥羽上皇の時に創設された。■かげかた-『明月記』正治元年(1199)十一月一日条に見える右兵衛尉大神景賢かとする久保田淳氏の指摘に従いたい。景賢は元仁元年(1224)没、五十七歳。父は宗賢、子に景基がいる。■中嶋-寝殿造りの池の中にある島。■むささび-リス科の夜行性の小獣で、肢間が飛膜でつながっていて、樹間を飛行して渡る事ができる。                               

備考・補足

■光物の正体をあばこうと忍耐強く徹夜の見張りを続けて、遂に成功した若き日の景賢の武勇譚。後鳥羽院の諡号が送られたのは仁治三年(1242)であることから、本話の「後鳥羽院の御時」という表記は、本書成立年次の重要な手がかりとされるが、全註解などのように、本来は「本院」とあったものを後人が改めたとする見解もある。

朗読・解説:左大臣光永