宇治拾遺物語 13-4 亀を買ひて放つ事
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昔、天竺(てんじく)の人、宝を買はんために、銭(ぜに)五十貫を子に持たせてやる。大(おほ)きなる川の端(はた)を行くに、舟に乗りたる人あり。舟の方を見やれば、舟より亀、首をさし出(いだ)したり。銭持ちたる人立ち止(どま)りて、この亀をば、「何の料(れう)ぞ」と問へば、「殺して物にせんずる」といふ。「その亀買はん」といへば、この船の人曰(いは)く、いみじき大切の事ありて設(まう)けたる亀なれば、いみじき価(あたひ)なりとも売るまじき由(よし)をいへば、なほあながちに手を摺(す)りて、この五十貫の銭にて亀を買い取りて放ちつ。
心に思ふやう、「親の、宝買ひに隣の国へやりつる銭を、亀にかへてやみぬれば、親、いかに腹立ち給はんずらん」。さりとてまた、親のもとへ行かであるべきにあらねば、親のもとへ帰り行くに、通に人のゐていふやう、「ここに亀売りつる人は、この下(しも)の渡(わたり)にて舟うち返して死ぬ」と語るを聞きて、親の家に帰り行(ゆ)きて、銭(ぜに)は亀にかへつる由(よし)語らんと思ふ程に、親のいふやう、「何とてこの銭をば返しおこせたるぞ」と問へば、子のいふ、「さる事なし。その銭にては、しかじか亀にかへてゆるしければ、その由を申さんとて参りつるなり」といへば、親のいふやう、「黒き衣(ころも)着たる人、同じやうなるが五人、おのおの十貫づつ持ちて来たりつる。これ、そなる」とて見せければ、この銭おまだ濡れながらあり。
はや、買ひて放しつる亀の、その銭川に落ち入るを見て、取り持ちて、親のもとに子の帰らぬさきにやりけるなり。
現代語訳
昔、天竺の人が、宝を買うために、銭五十貫を子に持たせてやった。その子が大きな川のほとりに行くと、舟に乗った人がいる。船の方を見ると、舟から亀が首を差し出している。銭を持った子が立ち止まって、この亀を、「どうするのか」と尋ねると、「殺してある事に使う事になっているのだ」と言う。「その亀を買いたい」と言うと、この船の人は、「たいへん大切な事があって、そのために用意した亀なので、いくら積まれても売る事はできない」と言う。しかし、その子が、ぜひにと懸命に手を摺って懇願して、その亀を五十貫の銭で買い取り逃がしてやった。
しかし、子どもは、心の中では、「親が、宝を買うために隣の国へ持たせた銭なのに、亀を買うのに使い果たしたので、親は、どんなに腹を立てるであろうか」と思ったが、だからといってまた、親の所へ戻らないわけにはいかないので、親の所へ帰って行くと、途中の通りに座っていた人が、「あなたに亀を売った人は、この下のあたりで船がひっくり返って死んだ」と言う。それを聞いて、親の家に帰って行き、銭は亀に変えた事を話そうと思っていると、親の方から、「どうして銭を返してよこしたのか」と尋ねるので、「そういうことはありません。その銭はこれこれで亀に変えて逃がしてしまったので、その事を申し上げようとして参りました」と言うと、親が、「黒い着物を着た、同じ格好の五人、それぞれ十貫づつ持って来たのだ。これが、その銭だ」と言って見せると、この銭はまだ濡れたままである。
なんと、実は買って逃がした亀が、その銭が川に落ちるのを見て、それを拾いあげ、親の所へ子が帰る前に届けていたのである。
語句
■天竺(てんじく)の人-『法苑樹林』一八では、中国・陳代の揚州の人、巌恭とする。また、『冥報記』では、巌恭は船に同乗している、という設定。■貫-銭を数える単位で、一千文。『今昔』巻九-一三話では、「銭五千両」。■亀-『今昔』では「亀五ツ」。■何の料(れう)ぞ-何のためのものか。どうするのか。■物にせんずる-あることに使うことになっているのだ。■設けたる亀なれば-用意した亀なので。■いみじき価なりとも-どんなにお金を積まれても。■あながちに-ぜひにと懸命に。
■やみぬれば-使いきってしまったのだから。■道に人のゐて-道に人が座っていて。『今昔』は「途中ニ人値(あひ)テ告(つげ)テ」。■うち返して死ぬ-転覆して死んだ。底本「死ぬ」なし。書陵部本・竜門文庫本などにより補う。■さる事なし-そういうことはありません。銭を返した覚えはないです。■十貫-『今昔』では「銭千両」。■これ、そなる-これがそれ(その銭)だ。■はや-「・・・やりけるなり」という語尾表現と呼応して、「なんと、実は・・・」の意。