宇治拾遺物語 13-6 大井光遠(おほゐのみつとほ)の妹、強力(がうりき)の事

≫音声つき【古典・歴史】無料メールマガジンのご案内

スポンサーリンク

原文

今は昔、甲斐国(かひのくに)の相撲大井光遠(すまひおほゐのみつとほ)は、ひきふとにいかめしく、力強く、足早く、みめ、ことがらより始めて、いみじかりし相撲なり。それが妹に、年廿六七ばかりなる女の、みめ、ことがら、けはひもよく、姿も細(ほそ)やかなるありけり。それは退(の)きたる家に住みけるに、それが門に、人に追はれたる男の、刀を抜きて走り入りて、この女を質(しち)に取りて、腹に刀をさし当ててゐぬ。

人走り行(ゆ)きて兄人(せうと)の光遠に、「姫君は質に取られ給ひぬ」と告げければ、光遠がいふやう、「その御許(おもと)は、薩摩(さつま)の氏長(うぢなが)ばかりこそは質に取らめ」といひて、何(なに)となくてゐたれば、告げつる男(をのこ)、あやしと思ひて、立ち帰りて物より覗(のぞ)けば、九月ばかりの事なれば、薄色の衣一重(きぬひとかさね)に紅葉の袴(はかま)を着て、口おほひしてゐたり。男は大(おほ)きなる男(をのこ)の恐ろしげなるが、大の刀を逆手(さかて)に取りて腹にさし当てて、足をもて後(うし)ろより抱(いだ)きてゐたり。

この姫君、左の手しては顔を塞(ふた)ぎて泣く。右の手しては、前に矢箆(やの)荒作りたるが、ニ三十ばかりあるを取りて、手ずさみに、節の本(もと)を指にて板敷に押し当ててにじれば、朽木(くちき)の柔(やはら)かなるを押し砕くやうに砕くるを、この盗人目をつけて見るに、あさましくなりぬ。いみじからん兄人(せうと)の主(ぬし)、金槌(かなづち)をもちて打ち砕くとも、かくはあらじ。ゆゆしかりける力かな。このやうにては、只今のまに我は取り砕かれぬべし。無益(むやく)なり、逃げなんと思ひて、人目をはかりて飛び出でて逃げ走る時に、末に人ども走りあひて捕へつ。縛りて光遠(みつとほ)がもとへ具(ぐ)して行きぬ。

光遠、「いかに思ひて逃げつるぞ」と問へば、申すやう、「大(おほ)きなる矢箆の節を朽木なんどのやうに押し砕き給ひつるを、あさましと思ひて、恐ろしさに逃げ候(さぶら)ひつるなり」と申せば、光遠うち笑ひて、「いかなりとも、その御許(おもと)はよも突かれじ。突かんとせん手を取りてかいねぢて上(かみ)ざまへ突かば、肩の骨は上(かみ)ざまへ出でて、ねぢられなまし。かしこくおのれが腕(かひな)抜かれなまし。宿世(すくせ)ありて御許はねぢざりけるなり。光遠だにも、おれをば手殺しに殺してん。腕(かひな)をばねぢて腹、胸を踏まんに、おのれは生きてんや。それにかの御許の力は、光遠二人(ふたり)ばかり合せたる力にておはするものを、さこそ細(ほそ)やかに女めかしくおはすれども、光遠が手戯(てたはぶ)れするに、捕へたる腕(うで)を捕へられぬれば、手ひろごりてゆるしつべきものを。あはれ男子(をのこご)にてあらましかば、あふ敵(かたき)なくてぞあらまし。口惜(くちを)しく女にてある」といふを聞くに、この盗人死ぬべき心地す。

女と思ひて、いみじき質(しち)を取りたると思ひてあれども、その儀はなし。「おれをば殺すべけれども、御許の死ぬべきはこそ殺さめ。おれ死ぬべかりけるに、かしこう疾(と)く逃げて退(の)きたるよ。大きなる鹿の角を膝に当てて、小さき枯木(からき)の細きなんどを折るやうにあるものを」とて、追ひ放ちてやりけり。

現代語訳

今は昔、甲斐の国の相撲取りだった大井光遠は、背は低いが、太くがっちりしていて、力は強く、足が速く、容貌、人柄を初めとして、立派な相撲取りであった。その妹に、二十七八歳ぐらいで、顔、人柄、立居振舞もすばらしく、姿もほっそりとした人がいた。彼女は離れた家に住んでいたが、その家の門内に、人に追われている男が、刀を抜いて走り入り、この女を人質に取って、腹に刀をさし当てた。

家の者が走って行って、兄の光遠に、「姫君が人質に取られてしまいました」と知らせると、光遠は、「あの妹を人質に取れるのは、薩摩の氏長ぐらいの者だろう」と言って、気にもかけずにいたので、知らせた男はいぶかって、立ち帰って物陰から覗いてみると、九月ごろの事だったので、姫君は薄紫色の着物一重に紅葉の袴をつけて、口をふさいでいた。男は大きな恐ろしそうな奴だったが、大刀を逆手に持って姫君の腹にあてがい、足で後ろから抱きすくめていた。

この姫君は、左の手で顔を塞いで泣いている。右の手では前にあった粗造りの矢竹を、ニ三十本程取って、何げなく手を動かして、竹の節の根元を指で板敷に押し当ててねじっている。するとその矢立はまるで柔らかい朽木を押しつぶすように砕けてしまう。この盗人はそれに目を向けて見入り、恐ろしくなった。たいそうな力持らしい兄者人が金槌で打ち砕いてもこうはならないであろう。恐ろしい力だ。これでは、今に私もひねりつぶされてしまいかねない。そうなってはつまらない。逃げようと思って、隙をついて飛び出し逃げだした。その時、人々がその先へ追いかけてつかまえた。そして、男を縛りあげて光遠の所へ連れて行った。

光遠が、「何と思って逃げたのか」と尋ねると、「姫君が、大きな矢竹の節を、まるで朽木などのように簡単に押し砕かれたのにびっくりして、恐ろしさに逃げ出したのです」と言う。すると光遠は笑って言うのだった。「お前がどうしようとも、妹がよもや刀で突かれるようなことはあるまい。突こうなどとしたら逆に手を取って、捻り回して突き上げたならば、肩の骨が上の方に飛び出して、ねじり折られてしまったであろう。間違いなくお前の腕はひとたまりもなく抜けていたはずだ。前世からの因縁で幸いにも妹はねじり折らなかったのだ。この光遠でさえ、おまえなんか素手で殺せるであろう。腕をねじって腹や胸を踏んだらお前は生きていられるか。それにあの妹は俺の二倍にも匹敵する力を持っているのだ。にもかかわらず、あんなに細身で女らしくは見えるが、光遠が悪戯して手でつかまえたとしても、そのつかまえた手を逆につかまえられてしまうと、握っている手が思わず広げられて、放してしまう始末なのだ。ああ、もしあれが男であったなら、相撲で相手になる者はなかったろうに。悔しい事に女なのだ」と言うのを聞いて、この盗人は気を失いそうな気持になる。

女と思って、「これは、何よりの人質を取った」と思っていたが、効果はなかった。「おまえを殺すべきところだが、妹が死にそうになっていたなら殺しもしていたろう。それにしてもお前は死ぬはずだったのに、よくもす早く逃げのびたものよ。妹は大きな鹿の角を膝に当てて、小さな枯木の細い物などを折るように折る事ができるほどの者なのに」と言って、追っ払った。

語句  

■甲斐国-現在の山梨県。■ひき-背が低い人。低人(ひきひと)の略。■ふと-太(ふと)の略。■相撲-「相撲人」「相撲取」の略。■大井光遠-一条天皇時代の相撲人。『続本朝往生伝』の「異能」の項に名が見える。『権記』によれば、長保二年(1000)七月には紀時堪、他戸秀高に負け、寛弘四年(1007)八月には秦常正と引き分け、為雄に勝っている。■ひきふとにいかめしく-背丈は低いが、太くがっちりしていて。■みめ-顔つきや体型。■けはい-物腰。立居や動作ふるまい。■ことがらより始めて-人柄を初めとして。■いみじかりし-立派な。■退きたる家-『今昔』巻二三-二四話では「離レタル」とする。■質に取りて-人質に取って。

■その御許は-あの妹は。妹のことを親しみを込めて言った呼称。■薩摩の氏長-光孝・宇多天皇時代(九世紀末葉)の相撲人。大伴氏、右近衛府の官人。『日本三大実録』任和二年(886)五月二十八日条に、「膂力之士(強豪の力士)」として左近衛府の阿刀根継と双称され、「天下無双」とたたえられている。それほどの強者でない限り、あの妹を人質に取ることはできまい、ということ。■薄色の衣-薄紫色の衣。『今昔』は「薄綿ノ衣」。■紅葉の袴-襲(かさね)の色目の名。表は紅、裏は青。ここは年齢からして、書陵部本などのように「紅の袴」とあるべきか。■口おほひしてゐたり-手や袖口で口をおおうのは、恐怖心や羞恥心を示す動作。

■矢箆-矢じりと矢羽根を取り付ける前の矢竹(矢柄)で、まだ磨きをかけない、下ごしらえのもの。■手ずさみに-手なぐさみに。何げなく手を動かして。■板敷-部屋の板敷の床。■押し当ててにじれば-押しつけて、すりこするように動かすこと。■いみじからん兄人の主-たいそうな力持らしい兄者人が。これからすると、飛び込んできた男は、自分が人質に取っているには相撲人の妹であることを承知していることになる。『今昔』では、以下をのぞき見している男の感想としているが、そうあるのが合理的。■無益(むやく)なり-そうなってはつまらない。■人目をはかりて-人目のないすきをついて。■末に-男が逃げて行った先で。

■いかなりとも-たとえおまえがどうしようとしたところで。以下、光遠は妹を「御許」と称し続けるが、敬意と親しみを込めた普段からの呼称であったものと見たい。■かいねぢて上(かみ)ざまへ突かば-ねじって上の方へ突き上げたならば。「掻き捩ぢて」のイ音便。■かしこく-間違いなく確実に。物の見事に。■宿世(すくせ)ありて-前世からの何らかのよき因縁があって幸いにも。■手殺しに殺してん-刃物などを使わずに素手で殺そうとすれば殺せるだろう。■生きてんや-生きてはいられまい。■手戯(てたはぶ)れ-手と手で行う力比べの戯れ事。■手ひろごりてゆるしつべきものを-握っている手が思わず広げられて、放してしまうほどなのだから。■あはれ男子(をのこご)にてあらましかば-ああ、もし、あの子が男子であったならば。■あふ敵(かたき)なくてぞあらまし-相撲で対抗できる相手はいなかったろうに。

■その儀はなし-その人質の効果はなかった。■御許の死ぬべきはこそ殺さめ-妹の命が危なくなりそうだったら、貴様を殺しもしたろう。

備考・補足

■「みめ、ことがら、けはひもよく、姿も細やかなる」優美な女が、本人にはその自覚がないが、実は名の聞えた相撲取りである兄の二倍もの強力の持ち主だったという以外性に焦点のある力女譚。なお、我が国には『日本霊異記』の道場法師の孫娘以下の力女の系譜があるが、本話の背景については集成『今昔物語集一』の補注に詳しい。

朗読・解説:左大臣光永