宇治拾遺物語 13-8 出雲寺別当(いづもじのべつたう)、父の鯰(なまづ)になりたるを知りながら殺して食ふ事

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今は昔、王城の北、上(かみ)つ出雲寺(いづもじ)といふ寺、建ててより後(のち)、年久しくなりて御堂(みだう)も傾(かたぶ)きて、はかばかしう修理する人もなし。この近う、別当(べつたう)侍りき。その名をば上覚となんいひける。これぞ前(さき)の別当の子に侍りける。あひ次ぎつつ、妻子もたる法師ぞ知り侍りける。いよいよ寺はこぼれて荒れ侍りける。さるは伝教大師の、唐(もろこし)にて天台宗立てん所を選び給ひけるに、この寺の所をば絵に書きて遣はしける。「高雄(たかを)、比叡山(ひえいざん)、かむつ寺と、三つの中にいづれかよかるべき」とあれば、「この寺の地(ち)は人にすぐれてめでたけれど、僧なん乱(らう)がはしかるべき」とありければ、それによりてとどめたる所なり。いとやんごとなき所なれど、いかなるにか、さなり果ててわろく侍るなり。

それに上覚が夢に見るやう、我が父の前の別当、いみじう老いて、杖つきて出(い)で来ていふやう、「明後日未(あさてひつじ)の時に大風吹きて、この寺倒れんなんとす。しかるに我、この寺の瓦(かはら)の下に、三尺ばかりの鯰(なまづ)にてなん、行方(ゆくかた)なく、水も少なく、狭(せば)く暗き所にありて、あさましう苦しき目をなん見る。寺倒れば、こぼれて庭に這(は)ひ歩(あり)かば、童部(わらはべ)打ち殺してんとす。その時汝(なんぢ)が前に行(ゆ)かんとす。童部に打たずして賀茂川に放ちてよ。さらば広き目も見ん。大水に行(ゆ)きて頼もしくなんあるべき」といふ。夢覚めて、「かかる夢をこそ見つれ」と語れば、「いかなる事にか」といひて、日暮れぬ。

その日になりて、午(うま)の時の末よりにはかに空かき曇りて、木を折り、家を破(やぶ)る風出(い)で来ぬ。人々あわてて家ども繕(つくろ)ひ騒げども、風いよいよ吹きまさりて、村里の家どもみな吹き倒し、野山の竹木倒れ折れぬ。この寺、まことに未(ひつじ)の時ばかりに吹き倒されぬ。柱折れ、棟(むね)崩れて、ずちなし。さる程に、裏板の中に、年比(としごろ)の雨水たまりけるに、大(おほ)きなる魚ども多かり。そのわたりの者ども、桶(をけ)をさげて、皆かき入れ騒ぐ程に、三尺ばかりなる鯰の、ふたふたとして庭に這ひ出でたり。夢のごとく上覚が前に来ぬるを、上覚思ひもあへず、魚の大にたのしげなるに耽(ふけ)りて、鉄杖(かなづゑ)の大(おほ)きなるをもちて頭につき立てて、我が太郎童部(わらはべ)を呼びて、「これ」といひければ、魚大にてうち取られねば、草刈鎌といふ物をもちて鰓(あきと)をかき切りて、物に包ませて家に持(も)て入りぬ。さて異(こと)魚などしたためて桶(をけ)に入れて、女どもにいただかせて、我が坊に帰りたれば、妻の女、「この鯰(なまづ)は夢に見えける魚にこそあめれ。何(なに)しに殺し給へるぞ」と心憂(こころう)がれど、「異(こと)童部の殺さましも同じ事。敢(あ)へなん、我は」などといひて、「異人(ことひと)交せず、太郎、次郎童など食ひたらんをぞ、故御房はうれしと思(おぼ)さん」とて、つぶつぶと切り入れて、煮て食ひて、「あやしう、いかなるにか。異(こと)鯰よりも味はひのよきは、故御房の肉(しし)むらなれば、よきなめり。これが汁(しる)すすれ」など、あひして食ひける程に、大きなる骨、喉に立てて、「ゑうゑう」といひける程に、とみに出でざりければ、苦痛(くつう)して遂(つひ)に死に侍り。妻はゆゆしがりて、鯰をば食はずなりにけりとなん。

現代語訳

今は昔、都の北に上つ出雲寺という寺があり、建立してから長年経った。今では御堂も傾き、きちんと修理する人もいない。この近くにその寺の別当がいた。その名をば上覚といった。これが先代の別当の息子であった。この寺は、あいついで妻や子を持った法師がその寺務を扱っていたが、いよいよ寺は傷んで荒れていった。実は、伝教大師が唐で天台宗を興そうとその場所をお選びになった際に、この寺の場所を絵に書いて遣わされたものという。「高雄、比叡山、かむつ寺と、三つの中でどこがよいであろうか」と仰せになったところ、「この寺の地はよそよりも優れて結構だけれども、僧たちが落ち着いて修業しにくいだろう」ということだったので、それで取りやめになった所である。とても尊い場所ではあるが、どういうわけか、すっかりこのように荒れ果ててしまっているのである。

さて、その上覚が夢を見た。父である先代の別当がひどく年老いて、杖をついて出て来て言う。「明後日、午後二時に大風が吹いて、この寺は倒れるだろう。ところがわしはこの寺の瓦の下で、三尺ほどの鯰になっており、行く所もなく、水も少なく、狭くて暗い所にいて、ひどく苦しい目にあっている。寺が倒れたら、外へこぼれ出てわしが庭を這いまわったら、子どもが打ち殺そうとするだろう。その時わしはお前の前に出て行く。子供に殺させず、賀茂川に放してくれ。そうすれば解放された気分にもなれよう。大水の中で楽しい思いもできよう」と。上覚は夢から覚め、家族の者に、「こんな夢を見た」と語ったので、「どういうことなのか」と皆で話し合って、日が暮れた。

翌々日になって、正午過ぎから突然に空がかき曇り、木を折り、家を吹き抜ける風が出て来た。人々は慌てて家の修理などを行ったが、風はますます吹き荒れ、村里の家などをみな吹き倒して、野山の竹林も倒れて折れた。この寺はほんとうに午後二時ぐらいに吹き倒されてしまった。柱は折れ、棟は崩れて、どうしようもない。そうこうしているうちに、屋根裏の空間に長年の雨水が溜っており、その中に大きな魚などが生息していた。そのあたりの人たちが、桶を下げ、皆掻き入れて騒いでいるうちに、三尺ほどの鯰がばたばたとして庭に這い出て来た。夢に見たのと同じように上覚の前に出て来たので、上覚は思いがけず、大きく太った魚に夢中になって、大きな金槌を頭に突き立てて、自分の長男である子を呼んで、「これ」と言った。しかし魚が大きすぎて手に負えなかったので、草刈鎌で鰓(えら)をかき切り、物に包ませて家に持って入った。さて、他の魚なども片づけて桶に入れ、女たちに頭に乗せて運ばせ、自分の坊に帰ると、妻が、「この鯰は夢に見えた魚でしょうに。どうして殺してしまったのですか」と嘆くが、「よその子どもたちが殺したとしても同じことよ。しかたがないさ、おれは」と言って、「家族水入らずで、長男、次男なども一緒に食ってくれれば、親父も喜んでくれることだろうよ」と言って、ぶつ切りにして鍋に入れて煮て食ってしまった。「不思議に、どういうものか。他の鯰よりもいい味がする。死んだ親父の肉なので良いのだろう。この汁をすすれよ」などと一緒になって食っているうちに、大きな骨が喉に刺さり、「げぇげぇ」」と言っている間に、すぐに出てこなかったので、苦痛にのたうちながら遂には死んでしまった。妻は気味悪がって、それから鯰を食わなくなってしまったということだ。

語句  

■王城-宮城。皇居。■上つ出雲寺-延喜式七大寺の一つ。延暦年間(782~806)の最澄が創建した御霊会(ごりょうえ)の修法堂。京都市上京区鞍馬口通の上御霊社の境内にあったというが、現在は廃寺。しかし別当が置かれるほどの寺であったということからみると、古くは格式の高い、規模も大きな寺であったようだ。■はかばかしう-きちんと。■別当-寺務を取り仕切る責任者。■上覚-伝未詳。『今昔』巻二〇-三四話は、「浄覚」とするが、その人物も未詳。■あひ次ぎつつ-つぎつぎに。■知り侍りたる-住職として寺を運営していた。■こぼれて-傷んで。老朽化して。■さるは-実は。■伝教大師-最澄(767~822)。近江の人。延暦七年(788)、比叡山に根本中堂を建立。同二十三年、空海とともに入唐し、翌年帰朝。多数の仏書を持ち帰り、日本に天台宗を弘布した。■天台宗-天台法華宗。『法華経』の教義に基づき、禅定(ぜんじょう)と智恵との調和を宗旨とする。開祖である中国、隋の智顗(チギ)(智者大師)が浙江省の天台山に居住したことによる呼称。■選び給ひけるに-お撰びになった時には。■高雄-現在の京都市右京区梅ケ畑一帯。山上に高雄山神護寺がある。■比叡山-京都の北東部にあり、東が大比叡(848メートル)、西が四明岳(839メートル)。東の中腹に延暦寺の諸堂塔がある。なお、『今昔』はここを「比良」としている。■かむつ寺-前出の「上つ出雲寺」をさす。■いづれかよかるべき-どれがよいだろうか。■人にすぐれてめでたけれど-よそよりも優れて結構であるが。■乱がは-乱雑である。ここでは転じて、統率がとれない、落ち着いて修行しにくい、といった意味。■とどめたる-とりやめた。■いとやんごとなき-まことに尊い。■いかなるにか-どういうわけか。■さなり果てて-すっかりこのようになってしまって。「こぼれて荒れ侍りける」を受ける。

■それに-ところが。■いみじう-たいそう。■未の時-午後二時ごろ■倒れなんとす-倒れるであろう。■瓦の下に-瓦の下の屋根裏に雨水のたまるような空間があったか。それにしても、最初からそこに地震よけのまじないか何かのために鯰を入れる習慣があったものか、死んですぐにその場所に鯰となって転生したということなのか、疑問は残る。しかもこの三尺(約一メートル)もの大鯰は、どやらそこで成長したものらしいい。■鯰にてなん-鯰になって。■あさましう苦しき目をなん見る-ひどく苦しい思いをしている。■こぼれて-外にこぼれ出て。■はひありかば-はいまわると。■打ち殺してんとす-打ち殺そうとしよう。■汝(なんぢ)が前に行(ゆ)かんとす-私はお前の前に出て行こう。■賀茂川-京都市北区雲ケ畑の山間(やまあい)に発し、高野川と合流して市の東部を南下し、桂川に入る川。『今昔』では「桂河」とする。■広き目も見ん-のびのびとした思いもしよう。■いかなる事にか-どういうことなのか。

■午の時の末-午後二時に近い時。正午も過ぎてから。■ずちなし-どうしようもない。なすすべもない。「ずち」は「術」の呉音「ジュチ」の転訛。方法、の意。■裏板-屋根裏の板で囲われた場所。■ふたふたとして-懸命に体を動かすさま。ばたばたとして。■思ひもあへず-思いもよらず。■大にたのしげなるに耽(ふけ)りて-大きく肥えているのに夢中になって。■鉄杖(かなづゑ)-錫杖(しゃくじょう)のような金属製の杖。■太郎童部-自分の兆男である少年。■大にてうち取られねば-大きくて捕らえられないので。■鰓(あぎと)-魚のえらの部分。「胯(あぎ)ハアギナレバ、胯戸(あぎと)歟」(名語記)。■物に包ませて-『今昔』は「蔦(ほや)ニ貫(つらぬき)テ」。「蔦(ほや)は「つた葛(かずら)のようなつる草をいうか。■したためて-かたづけて。■いただかせて-頭にのせて運ばせて。■夢に見えける魚にこそあめれ-前出の「かかる夢をこそ見つれ」と、夫の上覚が語っていたことを受けている。■心憂(こころう)がれど-嘆くが。■異童部の殺さましも同じ事-どうせ、うちの子が殺さなくても、よその子供が殺したに違いないから、同じ事だ。■敢(あ)へなん-しかたがないさ。まあいいだろう。■我は-私はこの鯰になった人の息子というわけだから、許してもらえるだろう、の意であろう。■異人(ことひと)交せず-家族水入らずで。■故御坊-鯰に転生した上覚の父親、上覚の孫たちにとっての祖父。■思(おぼ)さん-お思いになるだろう。■つぶつぶと-ぶつぶつと。■あやしう-不思議に。■よきなめり-うまいのだろう。■あひして-一緒になって。■ゑうゑう-げぇげぇ。■とみに出でざりければ-すぐに出てこなかったので。■ゆゆしがりて-気味悪がって。                        

朗読・解説:左大臣光永

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