宇治拾遺物語 14-1 海雲比丘(かいうんびく)の弟子童(わらは)の事

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原文

今は昔、海雲比丘(かいうんびく)、道を行き給ふに、十余歳ばかりなる童子、道にあひぬ。比丘、童(わらは)に問ひて言ふ。「何(なに)の料(れう)の童ぞ」とのたまふ。童答えて曰(いは)く、「ただ道まかる者にて候(さぶら)ふ」といふ。比丘いふ、「汝(なんじ)は法華経は読みたりや」と問へば、童いふ、「法華経と申すらん物こそ、いまだ名をだにも聞き候はね」と申す。比丘またいふ、「さらば我が房に具(ぐ)して行きて法華経教へん」とのたまへば、童、「仰(おほ)せに随(したが)ふべし」と申して、比丘の御供に行く。五台山(ごだいさん)の坊に行き着きて、法華経を教へ給ふ。

経を習ふ程に、小僧常に来て物語を申す。誰(たれ)人と知らず。比丘ののたまふ、「常に来る小大徳(こだいとこ)をば童は知りたりや」と。童、「知らず」と申す。比丘のいふ、「これこそこの山に住み給ふ文殊(もんじゆ)よ。我に物語しに来給ふなり」と。かうやうに教へ給へども、童は文殊といふ事も知らず候ふなり。されど何とも思ひ奉らず。

比丘、童にのたまふ、「汝ゆめゆめ女人(にょにん)に近づく事なかれ。あたりを払ひて馴(な)るる事なかれ」と。童、物へ行く程に、葦毛(あしげ)なる馬に乗りたる女人の、いみじく化粧(けしやう)して美しきが道にあひぬ。この女のいふ、「われ、この馬の口引きて給(た)べ。道のゆゆしく悪(あ)しくて落ちぬべく覚ゆるに」といひけれども、童、耳にも聞き入れずして行くに、この馬あらだちて女さかさまに落ちぬ。恨みていふ、「我を助けよ。すでに死ぬべく覚ゆるなり」といひけれども、なほ耳に聞き入れず。我が師の、「女人の傍(かたは)らへ寄る事なかれ」とのたまひしにと思ひて、五台山(ごだいさん)へ帰りて、女のありつるようを比丘に語り申して、「されども、耳にも聞き入れずして帰りぬ」と申しければ、「いみじくしたり。その女は文殊の化して、汝が心を見給ふにこそあるなれ」とてほめ給ひける。

さる程に、童は法華経を一部読み終へにけり。その時比丘のたまはく、「汝法華経を読み果てぬ。今は法師になりて受戒(じゆかい)すべし」とて、法師になされぬ。「受戒(じゆかい)をば我は授くべからず。東京(とうけい)に禅定寺にいまする倫(りん)法師と申す人、この比(ごろ)おほやけの宣旨(せんじ)を蒙(かうぶ)りて、受戒を行ひ給ふ人なり。その人のもとへ行きて受くべきなり。ただ今は汝(なんぢ)を見るまじき事のあるなり」とて、泣き給ふ事限りなし。童(わらは)の申す、「受戒仕(つかまつ)りては即(すなは)ち帰り参り候(さぶら)ふべし。いかに思(おぼ)し召して、かくは仰(おほ)せ候ふぞ」と。また、「いかなれば、かく泣かせ給ふぞ」と申せば、「ただ悲しき事のあるなり」とて泣き給ふ。さて童に、「戒師のもとに行きたらんに、『いづ方(かた)より来たる人ぞ』と問はば、『清涼山(せいりやうざん)の海雲比丘(かいうんびく)のもとより』と申すべきなり」と教へ給ひて、泣く泣く見送り給ひぬ。

童、仰せに随(したが)ひて、倫法師のもとに行きて、受戒すべき由(よし)申しければ、案のごとく、「いづ方(かた)より来たる人ぞ」と問ひ給ひければ、教へ給ひつるやう申しければ、倫法師驚きて、「貴(たふと)き事なり」とて礼拝していふ、「五台山には文殊(もんじゆ)の限り住み給ふ所なり。汝沙弥(しゃみ)は海雲比丘の善知識(ぜんちしき)にあひて、文殊をよく拝み奉りけるにこそありけれ」とて貴ぶ事限りなし。さて受戒して、五台山へ帰りて、日比(ひごろ)ゐたりつる坊の在所を見れば、すべて人の住みたる気色(けしき)なし。泣く泣く一山(ひとやま)を尋ね歩(あり)けども、遂(つひ)に在所なし。

かれは、優婆崛多(うばくつた)の弟子の僧、かしこけれども、心弱く女に近づきけり。これはいとけなけれども、心強くて女人に近づかず。かるが故(ゆゑ)に、文殊、これをかしこき者なれば教化(けうげ)して、仏道に入らしめ給ふなり。されば世の人、戒(かい)をば破るべからず。

現代語訳

今は昔、海雲比丘が道を歩いて行かれると、途中で、十余歳ほどの童子と出会った。比丘が童子に問われた、「童子は何をしに行くのか」と。童が答えて言う、「ただ道を通る者です」と言う。そこで比丘が、「おまえは法華経を読んでいるか」と問うと、「法華経などというものは、まだ、名前さえもきいたことがございません」と言った。比丘がまた言う、「それでは、わしの部屋に連れて行って法華経を教えよう」とおっしゃると、童子は、「仰せに随います」と言って、比丘のお供をしてついて行った。こうして五台山の宿坊に行き着き、法華経をお教えになった。

さて、童子が経を習う時に、一人の少年僧がいつも来ては話をする。誰だかは分らない。比丘がおっしゃる、「いつも来る年若いお坊さんが誰だかお前は知っているか」と。童子は「知りません」と答える。比丘が言う、「これこそこの山にお住みになる文殊菩薩だ。わしに話をしに来られるのだ」と。このように教えられるが、童子は文殊という事も知らない。だから別に何とも思わない。

比丘が童子におっしゃる、「お前は決して女人に近づいてはならぬぞ。身辺に近づけず、慣れ親しむな」と。ところが、童子がある所へ行く時に、葦毛の馬に乗った女人で、念入りに化粧した美しい人に途中で出会った。この女が童子に、「お前様、この馬の口を引いておくれ。道がひどく悪くて落ちるかと思うので」と言ったが、童子は、耳に聞き入れもせずに行くと、この馬が暴れ出し、女が真っ逆さまに落ちた。女が恨みを籠めて言う、「私を助けておくれ。このまま今にも死にそうな気分だ」と言ったが、それでも童子は耳に聞き入れようとしない。我が師が、「女人の近くに寄ってはならぬ」とおっしゃられたのでと思って、五台山へ帰ってから、今しがたの女との出会いとそれからのいきさつを比丘に話し申し上げ、「それでも耳を貸さずに帰りました」と申し上げると、「よくやった。その女は文殊が姿を変えて、おまえの心を試して御覧になったのだ」とお褒めになった。

そうしているうちに、童子は法華経をすべて読み終えてしまった。その時比丘がおっしゃる、「お前は法華経を全て読み終えた。今は法師になって戒を受けよ」と言って法師になされた。そしてさらに「わしは戒を授ける資格を持っていない。洛陽の禅定寺におられる倫法師といわれるお方が、この頃、皇帝の宣旨を賜って受戒を行われる方である。その人の所へ行って戒を受けよ。それに今はもうお前に会えなくなる事情があるのだ」と、とめどなくお泣きになる。童子が言う、「戒を受けた暁にはすぐに帰ってまいります。どんなお考えで、そのような事をおしゃるのですか」と。また、「どうして、そんなにお泣きになるのですか」と言うと、「ただ悲しい事があるのだ」と言ってお泣きになる。それから童子に、「倫法師の所に行った時、『どこから来た人か』と聞かれたら、「清涼山の海雲比丘の所から」と申し上げるのだ」と教えられて、泣く泣くお見送りになった。

童子は仰せに随い、倫法師の所へ行き、受戒したい旨を申し上げると、案の定、「どこから来た人か」とお尋ねになるので、教えられたように申し上げると、倫法師は驚いて、「ありがたい事だ」と礼拝して言う、「五台山は文殊だけが住んでおられる所だ。初心者のお前は海雲比丘というよい指導者に会って、文殊をよく拝み申しげていたのだ」といってこのうえもなく尊ばれる。それから、童子は受戒して五台山に帰り、日頃住んでいた宿坊のあった場所を見ると、まったく人の住んでいるような気配がない。泣く泣く山中を捜し回ったが、結局、住んでいた場所は見つからなかった。

かの優婆崛多(うばくった)の弟子の僧は、賢かったが、心が弱く女に近づいてしまった。反対に、この童子は幼かったが心が強く女人に近づかない。そこで文殊は、この弟子は賢い者だとして教化し、仏道に導かれたのである。そういうわけだから、世の人、戒を破ってはならない。

語句  

■海雲比丘(かいうんびく)-唐の五台山の僧。『宋高僧伝』では、普賢菩薩の応身(衆生救済のためにこの世に現れた仏)とする。また善財童子の善知識(仏道への手引者)とも言われる。「比丘」は出家して具足戒を受けた者の通称。■十余歳ばかりなる童子-『古清涼伝』下には、年十六、七で、名は高守節(高力士の子息)とある。■何(なに)の料(れう)の童ぞ-何をしに行く童か。■法華経-妙法蓮華経の略。■五台山-中国山西省代州五台県の北東にある連山。五つの峰からなり、その最高峰は海抜3058メートル。中国仏教の有数の霊地で、多くの名僧知識を生む。文殊菩薩が住むともされ、『華厳経』菩薩住拠品に説かれる文殊の住むという清涼山になぞらえられた。

■小僧-少年のように若い僧。■誰(たれ)人と知らず-どこの誰だか分らない。■小大徳-少年のようにみえる『大徳』。大徳は、高僧及び仏菩薩の呼称。■文殊-梵語の音写「文殊師利」の略称。釈迦の脇侍として、左に侍して智恵をつかさどるとされる。右に侍して理をつかさどる普賢菩薩と対照をなす。■汝-前話の優婆崛多の弟子に対する訓戒「女人に近づく事なかれ。女人に近づけば・・・・」に対応する。■あたりを払ひて-身辺に近づけずに。■葦毛-馬の毛色。全体は白く、黒・濃褐色などの毛がわずかに交じっているもの。■乗りたる女人の-『古清涼伝』下では、十四、五歳の華やかな衣服をつけた麗人が、急病にかかって下馬したいが、暴れ馬で制御がきかないからと、しきりに援助を請うが、高守節の心が動かないと見るや、たちまちに消えうせる。■われ-目下の者に用いる対称の人代名詞。なんじ、おまえ。■この馬あらだちて女さかさまに落ちぬ-女の乗っていた馬が暴れだして、女は真っ逆さまに落ちた。『古清涼伝』下では、女は落馬せず、それから数里もの間、引き続き童に付きまとう。以下、前話で女が流れにおぼれて死にそうになる状況と同様に、相手が救いの手を差し伸べざるを得ないような事態の演出。前話では優婆崛多が女に化して誘惑したが、ここでは文殊が誘惑する女に化して童を試したのであった。■すでに死ぬべく覚ゆるなり-このまま今にも死にそうな気分だ。すぐ前の「落ちぬべく」と同じく、切迫している状態にあることを強調する言い方。■女のありつるよう-今しがたの女との出会いと女のふるまいぶり。■いみじくしたり-よく頑張った。よくぞ誘惑に負けなかった。■文殊の化して-文殊が姿を変えて。他の女性を頼んでではなく、自身が女に変身して試している点も前話の優婆崛多の場合と同じである。

■一部読めにけり-一部二十八品、すなはち全巻。『法華経』の一部分ではない。■東京(とうけい)-唐の西部・長安に対し、東部・洛陽をいう。ただし、北宋時代に「東京」といえば、開封をさす。■禅定寺-隋の煬帝(ようだい)が建立した寺院。■倫法師-『宋高僧伝』では、「臥倫禅師」。禅宗の僧か。伝未詳。■おほやけの宣旨(せんじ)を蒙(かうぶ)りて、受戒を行ひ給ふ人なり-皇帝から任命されて公式に戒を授ける人。私的な受戒を避けて、国家的に公認される僧侶になるべき道を勧めると同時に、童の今後の新しい師として倫法師を推したもの。■汝を見るまじき事のあるなり-こういうことを言うのは、もはやそなたとは会えないような事情があるからなのだ。『法華経』全巻の講義を終え、その真義を伝授したことで、海雲比丘は自分の役目は済んだと考え、童との離別を決意した予告の言葉。■戒師-戒を授ける僧。つまり倫法師。

■沙弥(しゃみ)-仏教教団において出家剃髪して十戒を受けた七歳以上二十歳未満の男子。初心の修行僧。わが国では、私的に出家・受戒した者をさして言うことがある。■禅知識-仏道へ人を導くすぐれた先達。■すべて人の住みたる気色(けしき)なし-(一緒に暮らしていた宿坊には)人が住んでいた気配がまったくない。■かれは-前話における弟子の僧をさす。底本「これは」、国史大系系所引一本により改訂。■これは-海雲比丘の弟子の童をさす。

備考・補足

■「宇治拾遺物語」の作者がアトランダムにではなく、前後の話を何らかの共通性に基づいて意識的に配列していることは疑いのないところだが、その編者自身の証言ともいうべきものが、本話の末部の評語である。そこでは、前話の師の戒めを破って女人に近づいた弟子と、本話のしからざる弟子とが対照され、後者がたたえられ、それに基づく教訓までもが示される。『宇治拾遺』の編者らしからぬ、まことに野暮な物言いという印象は受けるが、単独の編者の存在する明証として貴重なもの。ちなみに、『宋高僧伝』では、弟子の高守節が臥倫禅師から海雲の入滅を知らされて、急ぎ五台山に戻り、師の舎利を祭る塔を建てたとしている。

朗読・解説:左大臣光永