宇治拾遺物語 14-2 寛朝僧正(くわんてうそうじやう)、勇力(ゆうりき)の事

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原文

今は昔、遍照寺僧正寛朝(へんぜうじそうじやうくわんてう)といふ人、仁和寺(にんなじ)をも知りければ、仁和寺の破れたる所修理さすとて、番匠(ばんじやう)どもあまた集(つど)ひて作りけり。日暮れて、番匠どもおのおの出でて後(のち)に、「今日の造作はいか程したるぞと見ん」と思ひて、僧正中結(なかゆ)ひうちして高足駄(たかあしだ)はきて、ただ一人歩み来て、あがるくいども結ひたるもとに立ちはまりて、なま夕暮れに見られける程に、黒き装束(さうぞく)したる男の、烏帽子(えぼし)引きたれて顔たしかにも見えずして、僧正の前に出で来て、ついゐて、刀をさかさまに抜きて引き隠したるやうにもてなしてゐたりければ、僧正、「かれは何者ぞ」と問ひけり。男片膝(かたひざ)をつきて、「わび人に侍り。寒さの堪へがたく侍るに、その奉りたる御衣(おんぞ)、一つ二つおろし申さんと思ひ給ふるなり」といふままに、飛びかからんと思ひたる気色(けしき)なりければ、「ことにもあらぬ事にあんなれ。かく恐ろしげにおどさずとも、ただ乞はで、けしからぬ主(ぬし)の心際(こころぎは)かな」といふままに、ちうと立ちめぐりて、尻(しり)をふたと蹴(け)たりければ、蹴らるるままに男かき消(け)ちて見えずなりにければ、やはら歩み帰りて、坊のもと近く行きて、「人やある」と高やかに呼びければ、坊より小法師走り来(き)にけり。

僧正、「行きて火ともして来(こ)よ」。ここに我が衣剥(きぬは)がんとしつる男の、にはかに失(う)せぬるがあやしければ、見んと思ふぞ。法師ばら呼び具(ぐ)して来(こ)」とのたまひければ、小法師走り帰りて、「御坊引剥(ひは)ぎにあはせ給ひたり。御坊たち、参り給へ」と呼ばはりければ、坊々にありとある僧ども、火ともし、太刀(たち)さげて、七八人、十人と出で来にけり。

「いづくに盗人は候(さぶら)ふぞ」と問ひければ、「ここにゐたりつる盗人の、我が衣を剥がんとしつれば、剥がれては寒かりぬべく覚えて、尻をほうと蹴たれば、失(う)せぬるなり。火を高くともして、隠れ居(を)るかと見よ」とのたまひければ、法師ばら、「をかしくも仰(おほ)せらるるかな」とて、火をうち振りつつ、上(かみ)ざまを見る程に、あがるくいの中に落ちつまりて、えはたらかぬ男あり。「かしこにこそ人は見え侍りけれ。番匠(ばんじやう)にやあらんと思へども、黒き装束(さうぞく)したり」といひて上(のぼ)りて見れば、あがるくひの中に落ち挟(はさ)まりて、みじろくべきやうもなくて、倦(う)んじ顔作りてあり。逆手(さかて)に抜きたる刀はいまだ持ちたり。それを見つけて、法師ばら寄りて、刀と髻(もとどり)と腕(かひな)とを取りて引き上げて、おろして率(ゐ)て参りたり。具(ぐ)して坊に帰りて、「今より後(のち)、老法師とてな侮(あなづ)りそ。いと便(びん)なき事なり」といひて、着たりける衣(きぬ)の中に、綿厚かりけるを脱ぎて取らせて、追ひ出(い)だしてやりにけり。

現代語訳

今は昔、遍照寺の僧正であった寛朝という人は、仁和寺をも治めていたので、仁和寺の壊れた所を修理させようとした。そのために大工たちが多く集まって仕事をしていた。日が暮れて、大工たちもそれぞれ帰った後で、「今日の仕事はどれぐらい進んだか見てみよう」と思い、僧正は法衣の裾を引き上げ、高下駄を履いて、ただ一人歩いて来て、足場を組んである下を立ち回りながら薄暗がりの中で御覧になっていた。すると黒装束をした男が、烏帽子を目深にかぶっているので、顔はよく見えないが、僧正の前に出て来て膝をついてかしこまった。刀を逆さまに抜いて隠すように持って座っている。僧正は、「おまえは何者か」とその男に聞かれた。すると、男は片膝をついて、「落ちぶれた貧乏人でございます。寒さが耐えがたく、その召しておられる御召し物を一、二枚下げ渡していただこうと思っております」と言うやいなや、今にも飛びかかろうという様子だった。そこで僧正は、「なんでもない事ではないか。このように恐ろしそうに脅かさないでもよいのに、素直に請いもせず、ふとどきな性根だ」と言われたかと思うと、つっと男の背後へ立ち回って、尻をぽん蹴った。すると、男は、蹴られるやいなやかき消えて見えなくなった。それから僧正はゆっくりと歩いて帰った。宿坊のそば近くに行って、「誰かいるか」と大声で呼びかけると、宿坊から少年僧が走って出て来た。

僧正が、「行って火を灯して来なさい。そこで、私の着物を剥がそうとした男が、急にいなくなったのだ。不思議なので捜し出そうと思っているのだ。法師たちを呼び出して一緒に連れて来なさい」とおっしゃったので、少年僧は走って帰り、「御坊が追いはぎにお会いになられた。お坊様方、来てください」と呼びかけると、宿坊ごとに住んでいる僧たちがみな、火を灯し、太刀をさげて、七八人、十人とぞろぞろと出て来た。

僧たちが、「盗人は何処にいるのですか」と尋ねると、僧正が、「ここにいた盗人が、私の着物を剥ぎ取ろうとしたのだ。剥がれたらさぞや寒かろうと思って、尻をぽんと蹴ったら、いなくなったのだ。火を高く灯して、隠れているかどうか見なさい」とおっしゃったので、法師たちは、「おかしなことをおっしゃるものかな」と言って、火をうち振りながら上の方を見ると、足場を上る杭の中に落ち込んで、動けない男がいる。「あそこに 人が見えました。大工ではないかと思いますが、黒い装束をしています」と言って上って見ると、男が、上る杭の中に落ち挟まって、身じろぎをする術もなく、困り果てて途方に暮れた顔つきをしている。逆手に抜いた刀をまだ握っている。それを見つけて、法師たちは男の側に寄り、刀と髻と腕をつかんで引き上げ、そこからおろして連れて来た。坊舎に連れて帰ってから、寛朝僧正は、「これからは、老法師だからといって馬鹿にしてはならんぞ。まことにけしからぬ事だ」と言って、男が着ていた着物の中に、綿厚の自分のものを脱いで与え、追い出したのであった。

語句  

■勇力(ゆうりき)-強い力。すぐれた力。■遍照寺-京都市右京区嵯峨、広沢の池の北西にあった古義真言宗の寺。花山天皇の勅願により、永祚元年(989)十月、寛朝が創建した。■寛朝-宇多天皇の孫。真言宗の大僧正。■仁和寺-京都市右京区御室にある真言宗の寺院。山号は大内山。光孝天皇の遺志により、仁和四年(888)宇多天皇が創建。譲位後に居住したことにより、御室(おむろ)御所と呼ばれる。寛朝の仁和寺別当就任は康保四年(967)。■知りければ-治めていたので。管理していたので。■番匠-大工。木匠。■中結(なかゆ)ひうちして-法衣の裾を引き上げて。押さえの帯を腰の辺りに結ぶこと。■あがるくい-高い所へ上るための杭、の意。いわゆる工事の足場。■烏帽子-成人男子が必ずかぶる慣習になっていたかぶり物。■引きたれて-目深にかぶって。■ついゐて-「突き居る」で、膝をついてかしこまっていること。■もてなす-処置する。取り扱う。■かれは何者ぞ-おまえは何者か。■わび人-落ちぶれた貧乏人。■その奉りたる御衣(おんぞ)-その召しておられるお召物。■一つ二つおろし申さんと思ひ給ふるなり-一、二枚お下げ渡していただこうと存ずるのです。丁寧な調子ながら無礼な物言い。■言ふままに-言いながら。■蹴らるるままに-蹴られると同時に。■やはら-(副)そっと。静かに。ゆっくりと。やおら。■もと-あたり。そば。

■にはかに失せぬるがあやしければ-僧正が自分が、けたはずれな怪力の持ち主であることを自覚していない事を物語る。■見んと思ふぞ-捜そうと思うのだ。■御坊-僧の敬称、ここは寛朝。■引剥ぎ-「ひきはぎ」の略形。追いはぎ。■御坊たち-ここは小法師から見て先輩にあたる住僧たちをさす。

■寒かりぬべく-きっと寒いだろうと。■尻をほうと-尻をぽんと軽く。■をかしくも仰(おほ)せらるるかな-おもしろくもおっしゃることかな、これは逆ではないか。盗人に襲われたと言いながら、襲った相手の尻を蹴上げて、行方不明にしてしまったといういきさつの滑稽(こっけい)さ。■えはたらかぬ男-動けずにいる男。「はたらく」は、中古~中世には「動く」の意で常用された。■番匠にやあらんと-大工であろうかと。足場の高い所にいるので、こう推測した。■倦(う)んじ顔-困り果てて途方に暮れている顔つき。また疲れ切ってがっくりしている顔つき。■逆手に持ちたる刀は・・・いまだ持ちたり-この抜刀の所持と前出の黒装束が追いはぎの証拠とされた。■刀と髻と腕とを-底本「刀も髻も腕とを」。国史大系所引一本により改訂。■いと便なき事なり-まことにけしからん事だ。

備考・補足

■黒装束で抜刀を逆手に持ち、自信たっぷりにおどし文句を並べた強盗が、一瞬のうちに自分の怪力を自覚していない老僧正に一蹴(いっしゅう)されたという意外な勝負の笑劇的一件。『真言伝』五の類話には、「私云、此僧正、強盗ケアゲ給ヘル事、力ツヨクオハシケルト云タリトモ、サハ侍ラジ。護法ナンドノ守護シテ、治罰シ給ヒケルトゾ覚侍ル」との私注が載るが、それに賛同しては、この話の生命を封じる事になろう。

朗読・解説:左大臣光永