宇治拾遺物語 14-3 経頼(つねより)、蛇(くちなは)にあふ事

≫音声つき【古典・歴史】無料メールマガジンのご案内

スポンサーリンク

原文

昔、経頼(つねより)といひける相撲(すまひ)の家の傍(かたは)らに古河(ふるかは)のありけるが、深き淵なる所ありけるに、夏その川近く、木陰(こかげ)のありければ、帷(かたびら)ばかり着て、中結(なかゆ)ひて、足駄(あしだ)はきて、またぶり杖(づゑ)といふものつき、小童一人(こわらはひとり)供に具(ぐ)して、とかく歩(あり)きけるが、涼まんとて、その淵の傍らの木陰にゐにけり。淵青く恐ろしげにて、底も見えず。葦(あし)・菰(こも)などいふ物生(お)ひ茂りたりけるを見て、汀(みぎは)近く立てりけるに、あなたの岸は六七段ばかりは退(の)きたるらんと見ゆるに、水のみなぎりてこなたざまに来(き)ければ、「何(なに)のするにかあらん」と思ふ程に、この方(かた)の汀近くなりて、蛇(くちなは)の頭をさし出でたりければ、「この蛇大(おほ)きならんかし。外(と)ざまに上(のぼ)らんとするにや」と見立てりける程に、蛇頭(かしら)をもたげて、つくづくと守りけり。

「いかに思ふにかあらん」と思ひて、汀一尺ばかり退(の)きて端(はた)近く立ちて見ければ、しばしばかりまもりまもりて、頭を引き入れてけり。さてあなたの岸ざまに水みなぎると見ける程に、またこなたざまに水波立ちて後(のち)、蛇(くちなは)の尾を汀よりさし上げて、我が立てる方ざまにさし寄せければ、「この蛇思ふやうにあるにこそ」とて、まかせて見立てりければ、なほさし寄せて経頼が足を三四返ばかりまとひけり。「いかにせんずるにかあらん」と思ひて立てる程に、まとひ得て、きしきしと引きければ、「川に引き入れんとするにこそありけれ」と、その折に知りて、踏(ふ)み強(つよ)りて立てりければ、「いみじう強く引く」と思ふ程に、はきたる足駄(あしだ)の歯を踏み折りつ。

引き倒されぬべきを、構へて踏み直りて立てれば、強く引くともおろかなり。引き取られぬべく覚ゆるを、足を強く踏み立てければ、かたつらに五六寸ばかり足を踏み入れて立てりけり。「よく引くなり」と思ふ程に、縄などの切るるやうに切るるままに、水中に血のさつと沸き出づるやうに見えければ、「切れぬるなり」とて足を引きければ、蛇(くちなは)引きさして上(のぼ)りけり。

その時、足にまとひたる尾を引きほどきて、足を水に洗ひけれども、蛇の跡失せざりければ、「酒にてぞ洗ふ」と人のいひければ、酒取りにやりて洗ひなどして後(のち)に、従者(ずさ)ども呼びて、尾の方を引き上げさせたりければ、大(おほ)きなりなどもおろかなり。切口(きりくち)の大きさ、径一尺ばかりあるらんとぞ見える。頭(かしら)の方(かた)の切(きれ)を見せにやりたりければ、、あなたの岸に大きなる木の根のありけるに、頭(かしら)の方(かた)をあまた返りまとひて、尾をさしおこして、足をまとひて引くなりけり。力劣りて中より切れにけるなめり。我が身の切るるをも知らず引きけん、あさましき事なりかし。

その後蛇(くちなは)の力の程、幾人(いくたり)ばかりの力にかありしと試みんとて、大きなる縄を蛇の巻きたる所につけて、人十人ばかりして引かせけれども、「なほ足らず足らず」といひて、六十人ばかりかかりて引きける時にぞ、「かばかりぞ覚えし」といひける。それを思ふに、経頼が力は、さは百人ばかりが力を持(も)たるにやと覚ゆるなり。

現代語訳

昔、経頼(つねより)という相撲取りの家の傍に古い川があり、深い淵になった所があった。夏、その川近くに木陰があったので、経頼は帷だけを着て、裾上げをして腰に帯を締め、下駄を履いて、またぶり杖というものをつき、幼子を一人供に連れて、あちこち歩いていたが、涼もうとして、その淵の傍らの木陰に坐っていた。淵は青く恐ろしい雰囲気で底も見えない。葦や菰というものなどが生い茂っているのを見ながら、水際近くに立っていると、向こう岸は六七段は離れているように見えたが、そちらから水が盛り上がって、こちらに打ち寄せて来た。何の仕業かと思っているうちに、こちら側の水際の近くになって、蛇が頭をさし出したので、「この蛇はきっと大きいに違いない。水の外に出ようとしているのだろうか」と見て立っていると、蛇は頭をもたげて、じっとこちら側を見つめていた。

「何を考えているのだろうか」と思って、水際から一尺ほど後ずさり、川端近くに立って見ていると、蛇はしばらくじっと見守ってから、水の中に頭をひっこめた。それから、向こう岸の方の水が盛り上がるのを見ていると、またこちら側の水が波立ち、蛇が尾を水際からさし上げて、自分の立っている方にさし伸ばしてきた。「この蛇は何か思う事があるのだろう」と思って、蛇のするのにまかせて立って見ていると、さらに尾を差し伸ばし、経頼の足に三回、四回ほど巻きついた。「どうしようというのか」と思って、立っていると、巻きつけてしまってから、ぎゅうぎゅうと引っ張ったので自分を川に引き込もうとしているのだろうと、その時になって分り、力を入れて強く踏ん張っていたが、相当強く引くのだなと思っているうちに、履いていた下駄の歯を踏み折ってしまった。

今にも、引き寄せられてしまいそうなため、足を強く踏ん張って立っていたので、地面に五六寸ばかり足をめりこませて立っていた。よく強く引くものだなと思っているうちに、蛇は、縄などが切れるように切れると同時に、水中に血がさっと湧き出るように見えたので、切れてしまったのだなと思って、足を引くと、引く力のなくなった蛇の尾が岸に上がって来た。

その時、経頼は、足にからみついた尾をひきほどいて、足を水で洗ったが、蛇の締めた跡が消えなかったので、「酒で洗うとよい」と人が言ったので、酒を取りに行かせて洗ったりした後に、家来たちを呼んで尾の方を引き上げさせると、大きいなどと言い表されるものではなく、切口の大きさは直径約一尺ほどはあろうかと見えた。頭の方の切れた所を見に行かせると、向こう岸には大きな木の根があったが、それに頭の方をなんべんも巻きつけて、尾をこちらへ伸ばし、経頼の足にからめて引いていたのだった。しかし、力及ばず中から切れてしまったようであった。我が身が切れるのも分らず、引いたのであろうが、それはあきれかえった話である。

その後、蛇の力は何人分の力に匹敵したのだろうか試してみようと、大きな縄を蛇が巻きついていた所に結び付け、10人ほどで引かせたが、経頼は、「まだ不足だ。こんなもんじゃない」と言った。そこで、六十人ほどかかって引っ張った時に、「このくらいの力だと思った」と言った。それから推し量ると経頼の力は、百人ぐらいの力に相当したのではと思われるのである。

語句  

■経頼-伝未詳。同文的類話である『今昔』巻二三-二二話には、「丹後ノ国ニ海(あま)ノ恒世(つねよ)ト云右ノ相撲人有ケリ」とあり、「つねより」は「つねよ」の訛伝(かでん)であるかもしれない。海恒世は、永観二年(984)七月の左の最手(ほて)真髪成村との勝負のけががもとで没している。なお、同時代の「つねよ」には、長和二年(1013)五十三歳でまだ右の最手の位置にあった越智恒世もいる。相撲人の「つねよ」については、長野甞一『今昔物語集の鑑賞と批評』(明治書院)参照。■帷(かたびら)-裏地をつけない夏物の一種の着物。■中結(なかゆ)ひて-裾上げをして腰に帯を締めること。■またぶり杖(づゑ)-先がふたまたに分れている木の枝で作った杖。■菰(こも)-真菰(まこも)。沼地に群生し、長い葉や茎は、むしろや菰の材料とされた。■汀(みぎわ)-海や湖など水と陸地が接している水際のこと、また、波が打ち寄せる波打ち際のこと。■あなた-あちら。■段-距離の単位。一段は六間、一間は約1.8メートル。「六七段」は約六五~七六メートル。■退(の)きたるらんと見ゆるに-隔たっているように見えたが。■水のみなぎりて-水面が盛り上がって。■こなたざまに-こちらのほうに。■来ければ-打ち寄せて来たので。■何のするにかあらんと-何者のしわざであろうかと。■外(と)ざまに-外様に。川の外へ。『今昔』は「此方様(こなたさま)ニ」とする。■上らんと-上ろうと。■するにやと-するのであろうかと。■つくづくと守りけり-経頼をじっと凝視した。

■尺-一尺は約30センチ。『今昔』は「四五尺許(ばかり)ヲ云テ」。■まもりまもりて-互いに相手を見つめ合って目戦(めいくさ)をしたが、蛇の方が負けて頭を水に引っ込めた。■思ふやうのあるにこそ-何かねらい(意図)があるようだ。■まかせて見立てりければ-こちらは何の動きも見せずに、ただ大蛇の動きを黙って見守っていると。■三四返ばかりまとひけり-三、四回ばかり巻きつけた。■きしきしと-ぎゅっぎゅっと。経頼の足が締め上げられる感じ。大蛇はぐいぐい引くが、経頼の足は動かず、締めあげられていくことになる。■踏み強りて-力を入れて強く踏ん張って。■歯を踏み折りつ-歩行中には足の力が前方にかかるので鼻緒が切れるのが普通である。歯が折れたとあるのは、足の力がいかに下方にかかっていたかを物語る。

■構へて踏み直りて-気を入れて踏んばり直して。踏んばりの体制を立て直して。■強く引くともおろかなり-「強く引く」と言ったのでは、まるで言い表したことにはならないほどだ。引きが強いなどというものじゃない。『今昔』は「強ク引クト云ヘバ愚也ヤ」。■かたつらに後五六寸ばかり・・・-(両足で踏ん張ってはいるが、蛇の尾の巻きついているほうの足には、ことに力がかかるので)片方の地面には。「ら」は「ち」の誤写とも見られる。■縄などの切るるやうに-縄などが伸びきって引きちぎられるように ぷっつりと。『今昔』には「フット切ルヽマヽニ」とある。■足を引きければ、蛇(くちなは)引きさして上(のぼ)りけり-経頼が足を引いたところ、対岸の蛇のほうは引くのを止めたのでちぎれた蛇の尾が岸へ上がって来た。『今昔』では「蛇ノ尾引(ひか)サレテ」とあり、蛇のちぎれた尾の一部が引っ張られて岸に上がって来た意が、明白である。

■酒にてぞ洗ふ-蛇による 外傷を、消毒するのに酒を用いた。■径(わたり)一尺-直径約30センチ。■あまた返りまとひて-何べんも巻きつけて。■力劣りて-『今昔』では「蛇ノ力ノ恒世ニ劣テ」。

■なほ足らず足らず-まだこれでは不足だ。こんなものじゃない。■かばかりとぞ覚えし-このくらいの力だと思った。

備考・補足

■夏の川辺にくつろいでいた相撲取の経頼。突然押し寄せて来た盛り上がった水の中からぬっとのぞいた大蛇の頭。にらめっこの緒戦に敗退した蛇は、捲土重来(けんどちょうらい)、太い尾を伸ばして経頼の足に巻きつき再挑戦となるが、百人力の経頼に六十人力程度では歯が立つはずもなく、われと我が身をみずからの無理な力の入れようによって断ち切って果てる。人間と大蛇の生死をかけた力くらべ譚の結末は、しかし以外に明るい。

(注)捲土重来-一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すことのたとえ。巻き起こった土煙が再びやって来る意から。▽「捲土」は土煙が巻き上がることで、勢いの激しいことのたとえ。「重来」は再びやって来る。

朗読・解説:左大臣光永