宇治拾遺物語 14-5 新羅国(しらぎのくに)の后(きさき)、金の榻(しぢ)の事

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原文

これも今は昔、新羅国(しらぎのくに)に后(きさき)おはしけり。その后、忍びて密男(みそかをとこ)を設(まう)けてけり。御門みかど)この由(よし)を聞き給ひて、后を捕へて、髪に縄をつけて上(うへ)へつりつけて、足を二三尺引き上げて置きたりければ、すべきやうもなくて、心のうちに思ひ給ひけるやう、「かかる悲しき目を見れども、助くる人もなし。伝へて聞けば、この国より東に日本といふ国あなり。その国に長谷観音(はせくわんおん)と申す仏現(げん)じ給ふなり。菩薩(ぼさつ)の御慈悲、この国まで聞えてはかりなし。たのみをかけ奉らば、などかは助け給はざらん」とて、目をふさぎて念じ入り給ふ程に、金の榻(しぢ)足の下(した)に出(い)で来ぬ。それを踏(ふ)まへて立てるに、すべて苦しみなし。人の見るにはこの榻見えず。日比(ひごろ)ありて、ゆるされ給ひぬ。

後(のち)に、后、持ち給へる宝どもを多く、使(つかひ)をさして長谷寺に奉り給ふ。その中に大(おほ)きなる鈴、鏡、金の簾(すだれ)、今にありとぞ。かの観音念じ奉れば、他国の人も験(しるし)を蒙(かうぶ)らずといふ事なしとなん。

現代語訳

これも今は昔、新羅の国に后がおられた。その后は、秘かに間男を作っていた。御門はこの事をお聞きになり、后を捕えて、髪に縄をつけて上へ吊り上げ、足を二三尺ばかり地面から引き上げて置いた。后は、どうしようもなく、心の中で思われるのは、「こんな悲しい目に逢っていても誰も助ける人はいない。伝え聞けば、この国から東に日本という国があるという。その国に長谷観音という仏さまが現れなさっておいでるという。その菩薩様の御慈悲深い事はこの国にまで際限なく聞こえくる。願い事をお願申いすれば、きっと助けてくれるでしょう」と、目をふさいでじっと祈っていると、金の踏み台が足の下に現れた。后がそれを踏み台にして立たれると、苦しみがまったくなくなった。他の人にはこの踏み台は見えない。こうして何日か経って、后は許された。

後で、后は持っておられた宝などを、たくさん、使者を出して長谷寺に奉納された。その中には大きな鈴、鏡、金の簾(すだれ)があり、今もあるという。その観音を念じ奉れば、他国の人でも、その霊験を蒙らないという事はないという事である。

語句  

■新羅国-朝鮮半島の南東部に栄えた王国。四世紀中ごろの建国。九三五年、高麗の王建に滅ぼされた。■后-『長谷寺霊験記』(以下『霊験記』と略称)によれば、新羅国の武王(照明王)の第一の后(大樋皇后)のこととする。■密男(みそかをとこ)-間男。『霊験記』では、武王の近臣義顕とし、武王の出陣中に犯されたとする。■二三尺-『霊験記』『今昔』巻十六-十九話は、ともに「四、五尺」。■心のうちに思ひ給ひけるやう、・・・・・『霊験記』では、以下は皇后が深く帰依していた僧の進言によるとする。■長谷漢音-奈良県桜井市にある長谷寺の観音、『霊験記』には、「彼ノ観音ハ閻浮ノ本尊トシテ漢家本朝ニ聞エタル霊像ニテ在セバ、我国他国ト無ク仰グ者ハ速疾ニ益ニ預ル」。■金の-『霊験記』には、「忽然トシテ十四、五許リノ童子現ニ来テ金ノ榻ヲ以テ后ノ御足ニ踏マセ奉リ給ヒヌ・・・」とある。■榻(しぢ)-牛車の轅(ながえ)の軛(くびき)を置く台。乗降時の踏み台ともした。■日比(ひごろ)ありて-何日もたってから。『霊験記』では「二十一日ヲ経ヌ」。■使(つかひ)-『霊験記』では「義平先生等七人ヲ使者トシテ、日本国天暦六年壬子歳三月ノ頃」とする天暦六年は、九五二年。

備考・補足

■もともとは長谷寺観音の霊験利生(りしょう)の宣伝話として流布していたものらしく、『長谷寺霊験記』上一二話の叙述はまことに詳細である。

朗読・解説:左大臣光永