宇治拾遺物語 14-6 玉の価(あたひ)はかりなき事

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原文

これも今は昔、筑紫(つくし)に大夫さだしげと申す者ありけり。この比(ごろ)ある箱崎の大夫のりしげが祖父(おほぢ)なり。そのさだしげ京上(きやうのぼ)りしけるに、故宇治殿に参らせ、またわたくしの知りたる人々にも心ざさんとて、唐人(たうじん)に物を六七千疋(びき)が程借(か)るとて、太刀(たち)を十腰(こし)ぞ質(しち)に置きける。

さて、京に上(のぼ)りて宇治殿に参らせ、思ひのままにわたくしの人々にやりなどして帰り下(くだ)りけるに、淀(よど)にて舟に乗りける程に、人設(まう)けしたリければ、これぞ食ひなどしてゐたるける程に、端舟(はしぶね)にて商(あきな)ひする者ども寄り来て、「その物や買ふ。かの物や買ふ」など尋ね問ひける中に、「玉をや買ふ」といひけるを、聞き入るる人もなかりけるに、さだしげが舎人(とねり)に仕へけるをのこ、舟の舳(へ)に立てりけるが、「ここへ持(も)ておはせ。見ん」といひければ、袴(はかま)の腰より、あこやの玉の大(おほ)きなる豆ばかりありけるを取り出(いだ)して取らせたりければ、着たりける水干(すいかん)を脱ぎて、「これにかへてんや」といひければ、玉の主(ぬし)の男、所得(せうとく)したりと思ひけるに、惑ひ取りて、舟さし放ちて往(い)にければ、舎人も高く買ひたるにやと思ひけれども、惑ひ往にければ、悔(くや)しと思ふ思ふ袴の腰に包みて、異(こと)水干着かへてぞありける。

かかる程に日数積りて、博多(はかた)といふ所に行き着きにけり。さだしげ舟よりおるるままに、物貸したりし唐人のもとに、「質(しち)は少なかりしに、物は多くありし」などいはんとて行きたりければ、唐人も待ち悦(よろこ)びて、酒飲ませなどして物語しける程に、この玉持のをのこ、下種(げす)唐人にあひて、「玉や買ふ」といひて、袴の腰より玉を取り出でて取らせければ、唐人玉を受け取りて手の上に置きて、うち振りて見るままに、あさましと思ひたる顔気色(かほけしき)にて、「これはいくら程」と問ひければ、ほしと思ひたる顔気色を見て、「十貫」といひければ、惑ひて、「十貫に買はん」といひけり。「まことは廿貫」といひければ、それをも惑ひ、「買はん」といひけり。さては価(あたひ)高き物にやあらんと思ひて、「賜(た)べ、まづ」と乞ひけるを、惜(を)しみけれども、いたく乞ひければ、我にもあらで取らせたりければ、「今よく定めて売らん」とて、袴の腰に包みて退(の)きにければ、唐人すべきやうもなくて、さだしげと向ひたる船頭がもとに来て、その事ともなくさへづりければ、この船頭うち頷(うなづ)きて、さだしげにいふやう、「御従者(ずんざ)の中に玉持ちたる者あり。その玉取りて給(たま)はらん」といひければ、さだしげ、人を呼びて、「この供なる者の中に玉持ちたる者やある。それ尋ねて呼べ」といひければ、唐人(たうじん)走り出でて、やがてそのをのこの袖(そで)を控へて、「くは、これぞ、これぞ」とて引き出でたりければ、さだしげ、「まことに玉や持ちたる」問ひければ、しぶしぶに候(さぶら)ふ由(よし)をいひければ、、「いで、くれよ」と乞はれて、袴(はかま)の腰より取り出でたりけるを、さだしげ、郎等(らうどう)して取らせけり。

それを取りて、向ひゐたる唐人、手に入れ受け取りてうち振りてみて、立ち走り、内に入りぬ。何事にかあらんと見る程に、さだしげが七十貫が質に置きし太刀(たち)どもを、十ながら取らせたりければ、さだしげはあきれたるやうにてぞありける。古水干(ふるすいかん)一つにかへたるものを、そこばくの物にかへてやみにけん、げにあきれぬべき事ぞかし。玉の価(あたひ)は限りなきものといふ事は、今始めたる事にはあらず。筑紫(つくし)にたうしせうずといふ者あり。それが語りけるは、物へ行きける道に、をのこの、「玉や買ふ」いひて、反古(ほうご)の端(はし)に包みたる玉を懐(ふところ)より引き出でて取らせたりけるを見れば、木欒子(もくれんじ)よりも小さき玉にてぞありける。「これはいくら」と問ひければ、「絹廿疋(ぴき)」といひければ、あさましと思ひて、物へ行きけるをとどめて、玉持(たまもち)のをのこ具(ぐ)して家に帰りて、絹のありけるままに六十疋ぞ取らせたりける。「これは廿疋のみはすまじきものを、少なくいふがいとほしさに、六十疋を取らするなり」といひければ、をのこ悦(よろこ)びて往(い)にけり。

その玉を持ちて、唐(たう)に渡りてけるに、道の程恐ろしかりけれども、身をも放たず、守りなどのやうに首にかけてぞありける。悪(あ)しき風の吹きければ、唐人は悪しき波風にあひぬれば、舟の内に一(いち)の宝と思ふ物を海に入るるなるに、「このせうずが玉を海に入れん」といひければ、せうずがいひけるやうは、「この玉を海に入れては、生きてもかひあるまじ。ただ我が身ながら入れば入れよ」とて抱(かか)へてゐたり。さすがに人を入るべきやうもなかりければ、とかくいひける程に、玉失ふまじき報(ほう)やありけん、風直りにければ、悦びて入れずなりにけり。その舟の一(いち)の船頭といふ者も大(おほ)きなる玉持ちたりけれども、それは少し平(ひら)にて、この玉には劣りてぞありける。

かくて唐(たう)に行き着きて、「玉買はん」といひける人のもとに、船頭が玉をこのせうずに持たせてやりける程に、道に落してけり。あきれ騒ぎて帰り求めけれども、いづくにあらんずると思ひわびて、我が玉を具して、「そこの玉落としつれば、すべき方(かた)なし。それがかはりにこれを見よ」とて取らせたれば、「我が玉はこれに劣りたりつるなり。その玉のかはりにこの玉を得たらば、罪深かりなん」とて返しけるぞ、さすがにここの人には違(たが)ひたりける。この国の人ならば取らざらんやは。

かくてこの失ひつる玉の事を嘆(なげ)く程に、遊(あそ)びのもとに往(い)にけり。二人(ふたり)物語しけるついでに、胸を探りて、「など胸は騒ぐぞ」と問ひければ、「しかしかの人の玉を落して、それが大事なる事を思へば、胸騒ぐぞ」といひければ、「ことわりなり」とぞいひける。

さて帰りて後(のち)、二日ばかりありて、この遊びのもとより、「さしたる事なんいはんと思ふ。今の程時かはさず来(こ)」といひければ、何事かあらんとて急ぎ行きたりけるを、例の入る方(かた)よりは入れずして、隠れの方(かた)より呼び入れければ、「いかなる事にかあらん」と思ふ思ふ入りたりければ、「これはもし、それに落したりけん玉か」とて取り出でたるを見れば、違(たが)はずその玉なり。「こはいかに」とあさましくて問へば、「ここに玉売らんとて過ぎつるを、さる事いひしぞかしと思ひて、呼び入れて見るに、玉の大(おほ)きなりつれば、もしさもやと思ひて、いひとどめて、呼びにやりつるなり」といふに、「事もおろかなり。いづくぞ、その玉持ちたりつらん者は」といへば、「かしこにゐたり」といふを、呼び取りてやりて、玉の主(ぬし)のもとへ率(ゐ)て行きて、「これはしかじかして、その程に落としたりし玉なり」といへば、えあらがはで、「その程に見つけたる玉なりけり」とぞいひける。いささかなる物取らせてぞやりける。

さてその玉を返して後(のち)、唐綾(からあや)一つをば、唐には美濃(みの)五疋(ひき)が程にぞ用ゐるなる。せうずが玉をば唐綾五千段にぞかへたりける。その価(あたひ)の程を思ふに、ここにては絹六十疋にかへたる玉を、五万貫に売りたるにこそあんなれ。それを思へば、さだしげが七十貫が質を返したりけんも驚くべくもなき事にてありけりと。人の語りしなり。

現代語訳

これも今は昔、筑紫に太夫さだしげという者がいた。この頃いる箱崎の大夫のりしげの祖父である。そのさだしげが京に上った時に、故宇治殿へさし上げ、また個人的に知っている人たちへ挨拶の贈物をしようと、唐人に銭を六七千疋(びき)借りようとして、太刀を十振り質に入れた。

さて京に上ってから、宇治殿に献上し、思いどうりに個人的な知り合いにも贈物をやりなどして帰途についたが、淀の船着き場で舟に乗った時、同船していた人が食べ物のもてなしをしてくれた。それをご馳走になっていると、小舟を操って商売をする者たちが寄って来て、「これ買わんか、あれ買わんか」などと尋ね問いかけ回っている中に、「玉を買わんか」と言うのが聞えた。聞き入れる人もないのに、さだしげの舎人として仕えていた男が、舳先に立っていたが、「ここへ持って来い。見よう」と言ったので、玉の主の男が、袴の腰から、真珠の大きな豆ほどあるものを取り出して渡すと、舎人は、着ていた水干を脱いで、「これと換えてくれるか」と言った。そこで、玉主の男は、もうかったぞと思ったが、いささかあわてた様子で受け取って、寄せた舟を突き放して去っていった。その様子を見た舎人も「高く買ったかな」と思ったが、玉売りがあわてて行ってしまったので、残念だと思いながらも交換した玉を腰に包んで、別の水干に着替えていた。

こうしているうちに、日が重なり、博多という所に到着した。さだしげは船から降りるとすぐに、銭を貸してくれた唐人のところにへ、「質草は少なかったのに、銭をたくさん拝借できまして」と礼を言おうとして出かけて行ったが、唐人も待っていて喜び、酒を飲ませたりなどして話をしていた。その時に、例の玉を持っていた男が、唐人の召使に会い、「玉を買わんか」と言って、袴の腰から玉を取り出して渡した。するとその召使は玉を受け取って手の上に置き、うち振って見るやいなや、意外な顔つきになり、「これはいか程か」と聞いたので、舎人の男は、相手が欲しがっているような顔つきを見て、「十貫」と言ったので、少しせいて、召使の男は、「十貫で買おう」と言った。「本当は二十貫」と言うと、それについてもせいて、「買おう」と言った。舎人の男は、さては値段の高い物なのだろうと思って、「返してくれ、今回は」と頼むと、召使は惜しんだけれども、玉の持ち主の男がすごく熱心に頼んだので、不承不承返してよこした。そこで玉の持ち主の男が、「改めてよく価格を考えた上で売ろう」と言って、袴の腰に包んで退いたので、唐人の召使もどうしようもなくて、さだしげと向いあった船頭の所へ来て何事か話しかけた。それで、この船頭は頷いて、さだしげに、「御家来衆の中に玉を持っておられる方がいます。その玉を取って譲ってください」と言った。それを聞いてさだしげは人を呼んで、「ここにいる供人の中に玉を持っている者がいるそうな。それを聞いて呼べ」と言ったので、この唐語で話をした使用人の唐人が走り出し、たちまちその玉を持っている男の袖を引っ張って、「ほら、この者だ、この者だ」と言って引き出した。そこで、さだしげが、「ほんとうに玉を持っているのか」と尋ねると、しぶしぶ玉を持っている事を告げた。玉を持っていた男が、「さあ、こっちへくれ」と請われて、袴の腰から取り出したのを、さだしげは、家来に命じて受け取らせた。

それを向いに座っていた唐人が受け取り、玉を手の中に入れて打ち振って見て、立ち上がって走り出し、家の中に入って行った。「どうしたのか」と見ていると、さだしげが七十貫で質草として置いておいた十振りの太刀をそっくりみな返してよこしたので、さだしげはあっけにとられた様子であった。古い水干一つと交換した物を、これほどたくさんの物に換えてしまたということは、まったくあきれたことである。玉の価が計り知れないものだという事は今に始まった事ではない。筑紫にたうしせうずという者がいた。それが語ったのは、ある所へ行った通り道で、男が、「玉を買わんかね」と言って、反古紙(ほうごし)の端に包んだ玉を懐から引き出して渡したのを見ると、木欒子(むくれんじ)よりも小さな玉であった。「これはいくらか」と尋ねると、「絹二十疋」と言ったので、たうしせうずはびっくりして、目的の所へ行くのを止めて、玉持の男を連れて家に帰った。そして、絹があったのを幸いに六十疋(ぴき)を渡してやった。「これは二十疋だけでは済むまいに、安く言ったのが殊勝だから、六十疋を取らせるのだ」と言ったので、男は喜んで帰って行った。

たうしせうずは、その玉を持って唐に渡った。道中恐ろしかったが肌身離さず、お守りのように首にかけていた。暴風が吹いたので、唐人は、こういう暴風に会ったなら、舟の中にある一番の宝物と思うものを海に沈めるというのが習慣だから、「このせうずの玉を沈めよう」と言うと、せうずは、「この玉を海に沈めたら生きていても仕方がない。ただ自分も一緒に沈めるのなら沈めてくれ」と言って玉を抱えていた。さすがに人間を海に入れるわけにはいかなかったので、なにやかやと言っているうちに、玉を失わずにすむという前世からのお告げがあったのか、風が治まったので、喜ばしくも、玉を海に沈めずにすんだのであった。その舟の第一の船頭という者も、大きな玉を持っていたが、それは、少しつぶれているようで、この玉に比べると劣っていた。

こうして、唐に行き着き、「玉を買おう」と言う人の所に船頭の玉をこのせうずに持たせてやると、それを途中で落してしまった。せうずは、あわてふためき、もと来た引き返して捜したが、どこにあるのか見つからず、困り果てて、自分の玉を持って行き、「あなたの玉を落としてしまって、どうしようもありません。その代りにこれを、あなたの玉にして下さい」と言って渡すと、「自分の玉は、これよりは劣っている物でした。代わりにこの玉を得たなら、得をし過ぎて罰が当たるでしょう」と言って、返してきた。さすがに日本の国の人とは違っていた。日本の人ならば、どうして受け取らずにいることができようか。

こうして、せうずは、この失くした玉の事を嘆いていたが、ある時、遊女の所へ行った。遊女が、寝物語のついでにせうずの胸を探って、「どうして胸がどききしているのですか」と聞いたので、「これこれの人の玉を落としたが、それが大変な事だと思うので、胸が騒ぐのだ」と言うと、遊女は、「それはもっともなことです」と言った。

さて帰って二日ほど経って、この遊女の所から、「大変な事をお伝えしようと思います。今を逃さず、すぐにお出で下さい」と言って来たので、「どうしたのだろう」と急いで出かけたが、いつもの入口からは入れないで、人目につかない裏口の方から呼び入れたので、「何があったのだろう」と思いながら入って行ったが、「これはもしやあなたさまが落したという玉ではありませんか」と言って、取り出したのを見ると、間違いなく失くした玉であった。「これはどうして」と驚いて尋ねると、遊女が、「ここで『玉を売ろう』として通り過ぎた者があったので、あなたさまが玉を落としたと言っていたのを思い出して、呼び入れて見ますと、玉が大きなものだったので、もしやひょっとしてと思って、話しかけて、足止めをし、あなたさまを呼びに行かせたのです」と言う。「言うまでもない。どこだ。その玉をもっていた者は」と言うと、「あすこにいます」と言う。そこで、呼び寄せにやって、玉の持ち主の唐人の船頭の所へ連れて行って、「これはこうこうこういうわけで、そのへんで落した玉です」と言うと、男は違うと抗弁することもできずに、「そのあたりで見つけた玉です」と言った。そこでわずかのお礼を与えて帰した。

さて、その玉を返してから後のこと、唐綾一巻は、唐では美濃絹五疋に匹敵するということだが、せうずの玉を唐綾五千段と交換した。その価値を思うと、日本で絹六十疋に換えた玉を、五万貫に売ったことにもなる。それを 思うと、さだしげの七十貫の質を返したというのも驚く事ではなかったのだと、ある人が語った。

語句  

■筑紫-筑前・筑後を総称していう。北九州の古称。広義には九州全体をさす。■さだしげ-伝未詳。『今昔』巻二六-一六話には「鎮西ノ筑前ノ国ノ貞重ト云勢徳ノ者有ケリ。字ヲバ京大夫トゾ云ケル」とある。■箱崎-大陸との交易港があった福岡市東区箱崎の地。■のりしげ-大宰府の役人・秦則重。伝未詳。■故宇治殿-藤原頼通、摂政、関白。道長の子。「故」とあるのは後世からの呼称。本話の時点では存命していた。■参らせ-さしあげ(謙譲語)。■心ざさんとて-挨拶の贈物をしようと。■疋-銭貨の単位で、一疋は、古くは十文、後には二十五文。■十腰-十振り、十本。

■淀-京都市伏見区の淀川べりにあった船の発着場。■設け-食べ物のもてなし。■端船にて商ひをする者-小舟を操って商売をする者。■玉をや-この「玉」はあこや貝から採る玉、つまり真珠。「あこやの玉」と後出。■舎人(とねり)-馬の口取りなどの雑役を務める者として仕えている男。■舳(へ)-舳先(へさき)、船首。■水干(すいかん)-狩衣の略装、庶民の平服。■所得(せうとく)したり-もうけ物をした。得をした。■惑ひ取りて-買い手の気持ちが変らないうちに早く受取ろうと、いささかあわてた様子で受け取って。■舎人も高く買ひたるにやと云々-売り手のあわてたような態度を見て、舎人は、「高く買わされたかな」と動揺した。■悔(くや)しと思ふ思ふ袴の腰に包みて-売り手が寄せていた小舟をあわてて突き放して漕ぎ去ったので、舎人は、「やっぱり高く買ってしまったのだ」と悔しい思いに駆られる。

■博多-福岡市東部、博多湾に面した大宰府時代からの貿易港。■質は少なかりしに云々-わずかの質(保険の品)で、たくさんの銭を用立ててくれたお礼を言おうと、前出の「思ひのままにわたくしの人々にやりなどして帰り下りけるに」の一文が、贅沢な資金のおかげで今回の上京の成果に、さだしげが満足していたことをすでに伝えていた。■下種の唐人-さだしげに銭を貸してくれた唐人に仕える身分の低い唐人。■あさましと思ひたる顔気色-良質で高価な逸品であると気づいて驚いた顔つき。■貫-銭の単位。一貫は百疋で、一文銭一千枚。■惑ひて-それは安い、買物だ、ぜひ買いたい、という様子。■賜べ、まづ-返してくれ、ともかく今は。■我にもあらで-いかにも残念そうに。不承不承。■今よく定めて-改めて価格を考えたうえで。■その事ともなくさへづりければ-何のことか分らないが、唐人同士が彼らの言葉(唐の言葉)で話し合ったことをさす。■このさへづる唐人-この唐の言葉で話をした使用人の唐人が。■やがてそのをのこの袖(そで)を控えて-たちまちにその玉を持っている男の袖を引っ張って。■くは、これぞこれぞ-ほら、この者だ、この者だ。■候(さぶら)ふ-「ある」の丁寧な返答。ありますということを。■いで、くれよ-さあ、こっちへくれ。有無を言わさぬ命令口調。■郎等して取らせたり-家来に命じて、受け取らせた。「郎等」はここでは、舎人より格の高いさだしげの側近の家来。

■七十貫-七千疋を借用した質草に渡していた太刀。さだしげが「六、七千疋」を借りた事は前出。■十ながら-十振りの太刀をそっくりみな。『今昔』では「十腰乍ラ貞重ニ返シ取セテ、玉の直高シ、短也ト云事モ不云、何ニモ云事無シテ止ニケリ」とする。商人である唐人があえて損をするはずはないから、おそらくあこやの玉一つが十分に十振りの太刀以上の値打ちがあったのであろう。『今昔』の「値段の高い低いについていっさい触れなかった」という記述から推測すれば、玉と太刀との価格の差は、とうてい釣り合わないような隔たりがあったとみたくなる。■そこばくの物-たくさんの物、すなはち十振りの太刀。■玉の価は・・・以下は『今昔』に見えない別話。■たうしせうず-大系は「導師少僧都」に擬するが、所伝は未詳。■木欒子(もくれんじ)-ムクロジ科の落葉樹。中国原産のその実は古来、数珠玉とされてきた。■絹廿疋-一疋は布帛(ふはく)二反。一反は二丈六尺~二丈八尺(約10メートル)。従って二十疋は四十反でたいそうな分量になる。■あさましと思ひて-「それは高すぎる」とあきれたのではなく、逆に「安すぎる」と驚いたのである。それゆえ、どこかへ出かけるのを取りやめて、玉の持ち主の男を自宅に同道し、しかも言い値の三倍の絹を取らせたのであった。

■舟の内に一の宝と思ふ物を海に入るるなるに-船中にある第一の宝と思われる物を投げ入れるという風習があるが。海上が荒れるのは海中の竜王の怒りのためと見、それを静めるための呪(まじな)いとした。『古事談』第六には、唐から渡来した水竜という笛は、初めそれを乗せた船が日本への航海中、沈没しそうになった際、投げ入れて事無きを得たと見える。後日、その笛は金一千両と交換されて平等院の宝蔵に納められたという。■我が身ながら入れば入れよ-自分をもいっしょに沈めるのなら沈めてくれ。■玉失ふまじき報やありけん-せうずに、玉を失わずにすむという前世の果報があったものであろうか。■少し平(ひら)にて-わずかにつぶれているような球体であったこと。

■帰り求めけれども-来た道を引き返して探し求めたが。■いづくにあらんずると思ひわびて-見つからなかったので、どこへ行ってしまったのかと困り果てて。■そこの玉-そこもとの玉。そなたの玉。■これを見よ-これを、そなたの玉にしてください。■罪深かりなん-得をし過ぎて罰が当りましょう。虫がよすぎましょう。■さすがにここの人には違(たが)ひたりける-さすがに徳育の進んでいる唐の国の人は、この欲張りな日本の国の人とは違っていた。鷹揚(おうよう)な唐人に対する敬意がうかがわれる。■取らざらんやは-受け取らないはずがなかろう。

■遊び-遊女。遊び女(め)。浮れ女(め)。■胸を探りて-遊女が、せうずの胸を手でまさぐって。■など、胸は騒ぐぞ-どうしてあなたの胸はこんなにどきどきしているの。■大事なる事-重要な事。■ことわりなり-なるほどごもっともです。

■さしたる事-たいへん重大なこと。現代語ではもはや用いられなくなった言い方。現代語では後に否定語をともなってしか使われない。■今の程時かはさず来(こ)-今すぐに時を移さずに来て。■例の入る方-一般の入口の方。■隠れの方より-人目につかない裏口の方から。■それに落したりけん玉か-あなた様が落したという玉ですか。■さる事いひしぞかしと-あなたさまが玉を落としたと言っていたのだったと。■玉の大(おほ)きなりつれば-玉が普通には見られないほど大きかったので。せうずは自分が船頭から預かってなくした玉は、ずいぶん大きなものだったということを過日の二人物語(いわゆる寝物語)の折に遊女に話していたことになる。■もしさもやと-もしやひょっとして。■事もおろかなり-言うまでもない。全く疑う余地はない。■玉の主-その玉の持主である唐人の船頭。■えあらがはで-抗弁することもできずに。

■唐綾-中国産の模様を浮織(うきおり)にした綾絹(あやぎぬ)。■美濃(みの)-美濃産の絹布。美濃八丈。

備考・補足

■前半のさだしげの舎人が手に入れた「玉」と後半のたうしせうずが手に入れた「玉」は、いずれも交易のために、北九州の港に渡航して来た唐人や、唐の本土の唐人によって高い価格で取引されたという共通性を持つ。わが国の「真珠」は、すでにこの頃から大陸の人々には珍重される交易品であったということらしい。買い手と売り手駆け引きの心理や、唐人と日本人の国民性の違いにも触れた珍しい商取引き話。

朗読・解説:左大臣光永