宇治拾遺物語 14-7 北面の女雑仕(をんなざふし)六が事

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これも今は昔、白河院の御時、北面(きたおもて)のざうしにうるせき女ありけり。名をば六とぞいひける。殿上人(てんじやうびと)どももてなし興(きよう)じけるに、雨うちそぼ降りてつれづれなりける日、ある人、「六呼びてつれづれ慰めん」とて使(つかひ)をやりて、「六呼びて来(こ)」といひければ、程もなく、「六召して参りて候(さぶら)ふ」といひければ、「あなたより内の出居(でゐ)の方(かた)へ具(ぐ)して来」といひければ、侍出(さぶらひい)で来(き)て、「こなたへ参り給へ」といへば、「便(びん)なく候ふ」などいへば、侍帰り来て、「召し候へば、『便なく候ふ』と申して恐れ申し候ふなり」といへば、つきみていふにこそと思ひて、「などかくはいふ。ただ来(こ)」といへども、「僻事(ひがごと)にてこそ候ふらめ。先々(さきざき)も内(うち)の御出居などへ参る事も候はぬに」といひければ、この多くゐたる人々、「ただ参り給へ。やうぞあるらん」と責めければ。「ずちなき恐れに候へども、召しにて候へば」とて参る。

この主(あるじ)見やりたれば、刑部録(ぎやうぶのろく)といふ庁官(ちやうくわん)、鬢(びん)、髭(ひげ)に白髪交(ま)じりたるが、とくさの狩衣(かりぎぬ)に襖袴(あをばかま)着たるが、いとことうるはしくさやさやとなりて、扇を笏(しやく)に 取りて、少しうつぶしてうづくまりゐたり。

大方(おほかた)いかにいふべしとも覚えず、物もいはれねば、この庁官、いよいよ恐れかしこまりてうつぶしたり。主(あるじ)、さてあるべきならねば、「やや、庁にはまた何者(なにもの)か候ふ」といへば、「それがし、かれがし」といふ。いとげにげにしくも覚えずして、庁官後(うし)ろざまへすべり行く。この主(あるじ)、「かう宮仕(みやづか)へするこそ神妙(しんべう)なれ。見参(げんざん)には必ず入れんずるぞ。とうまかりね」とこそやりけれ。この六、後(のち)に聞きて笑ひけるとか。

現代語訳

これも今は昔、白河院の御時、北面の武士の詰所で雑役に従事する利発で気立てのいい女がいた。名を「六」と言った。殿上人たちがもてはやし、からかったりしておもしろがっていたが、雨がしとしとと降って手持無沙汰であった日、ある人が、「六を呼んで退屈しのぎをしよう」と使いをやって、「六を呼んで来い」と言った。まもなく、「六を召し連れて参りました」と言う。「そこよりも院の御所の客間にのほうに連れて来い」と言ったので、侍が出ていって、「こっちへおいでなさい」と言うと、「それは分不相応なことでございます」などと言う。侍が帰って来て、「召しますと、『似つかわしくありません』と言って恐縮しております」と言うので、いらぬ遠慮をして言っているのであろうと思い、「どうしてそんなことを言うのか。すぐに来い」と言っても、「何かの間違いでございましょう。今までも院の御所の客間などへ入った事はございませんのに」と言った。それで、この大勢いた人々も、「かまわずおいでなさい。ほかに何かわけでもあってのことであろう」と責めたので、「まことにもって畏れ多いことでございますが、お召しですので」と言ってやって来た。

ここの主人がご覧になると、刑部の録という庁官が、鬢(びん)、髭(ひげ)に白髪が交じり、木賊(とくさ)色の狩衣(かりぎぬ)に指貫袴(さしぬきばかま)を着用してまことにきちんとして衣ずれの音をさせ、扇を笏(しゃく)のようにして持って、少しうつぶせになってうずくまっていた。

まったく何と言っていいか分らず、すぐには言葉も出ない。この庁官は庁官でますます畏れいって平伏していた。主人は、いつまでも黙っているわけにもいかず、「おい。庁にはまだ誰か残っているか」と言うと、「誰それ、かれそれ」と言う。庁官は、どういうわけで呼び出されたのか得心できないまま、後ろの方へそのままにじりさがっていく。そこでこの主人は、「かように宮仕えするのはまことに殊勝である。名前を記帳して必ず院にお目にかけようそ。早う引き下がれ」と言って帰らせた。雑仕女の六は後で聞いて笑ったという。

語句  

■雑仕女-雑役に従事する下級の女官。■白河院-第七十二代天皇(1053~1129)。■北面(きたおもて)-白河院が創設した院の御所の北側の武士の詰所■うるせき女-才気渙発な女。また、利発で気立てのよい女。気の利いた女。■もてなし興(きよう)じけるに-もてはやし、からかったりしていたが。■うちそぼ降りて-しとしとと降って。■つれづれなりける日-手もち無沙汰であった日。■程もなく-まもなく。■六召して参りて候(さぶら)ふ-呼びに行った侍が、女雑仕の「六」と、刑部の「録」とを取り違えて呼びだした。以下のやりとりが、取次を介したものであったために、本人が現れるまで、「六」を待っていた殿上人たちには、「録」が出てこようとは思いも寄らなかった。六を呼んでまいりました。■出居(でゐ)-院の御所の廂(ひさし)の間に設けられた客間。 来客の饗応など、やや改まった応対のための部屋。■具して来-連れて来い。■便(びん)なく候ふ-具合が悪うございます。自分には似つかわしくないと尻込みしている返答。■つきみていふにこそ-いらぬ遠慮をして。「つきむ」は、断わる、拒むの意。■ただ来(こ)-すぐに来い。■僻事(ひがごと)にてこそ候ふらめ-何かの間違いでございましょう。■さきざきも-今までも。■ただ参り給へ-かまわずおいでなさい。■やうぞあるらん-それとも何かわけがあるのであろうか。■ずちなき恐れに候へども-まことにもって畏れ多いことでございますが。■召しにて候へば-お召しですから。

■見やりたれば-ご覧になると。■刑部の録-刑部省の四等官。「庁官」は院の庁の官人(役人)。■とくさ-木賊(とぅさ)色。黒みを帯びた青または萌黄(もえぎ)色。■襖袴着たる-指貫袴を着用して。底本「青袴」を陽明文庫本にて改訂。■いとことうるはしく-まことに折り目正しい姿で。■さやさやとなりて-衣ずれの音を立てて。■笏に取って-笏のように持って。

■大方-まったく。何ともはや。■物もいはれねば-言葉も出ないので。■さてあるべきならねば-いつまでも黙っているわけにはいかないので。■やや-おい。■また何者(なにもの)か候ふ-ほかに誰かいるのか。■それがし、かれがし-だれそれ、かれそれ。■いとげにげにしくも覚えずして-どういう用事で呼び出されたのか得心できないまま。「げに(実に)げに(実に)」はまことにまことに。なるほどもっとも。同じ言葉を重ねて強調している。■後(うし)ろざまへすべり行く-後ろのほうへそのままにじりさがっていく。■神妙なれ-まことに感心である。殊勝である。■見参(げんざん)には必ず入れんずるぞ-伺候者の名帳に名を載せて院にお目にかけるであろう。■とうまかりね-もう退出してよい。早く引き下がれよ。■やりてけれ-帰らせた。■この六-女雑仕の六は。

朗読・解説:左大臣光永

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