宇治拾遺物語 14-9 大将(だいしやう)つつしみの事

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原文

これも今は昔、「月の、大将(だいしやう)星をおかす」といふ勘文(かんもん)を奉れり。よりて、「近衛大将(このゑのだいしやう)重く慎み給ふべし」とて、小野宮右大将(をのみやのうだいしやう)はさまざまの御祈りどもありて、春日社(かすがのやしろ)、山階寺(やましなでら)などにも御祈りあまたせらる。

その時の左大将は、枇杷左大将(びはのさだいしやう)仲平と申す人にてぞおはしける。東大寺の法蔵僧都は、この左大将の御祈りの師なり。定めて御祈りの事ありなんと待つに、音もし給はねば、おぼつかなきに京に上(のぼ)りて、枇杷殿に参りぬ。

殿あひ給ひて、「何事にて上(のぼ)られたるぞ」とのたまへば、僧都申しけるやう、「奈良にて承れば、左右大将慎み給ふべしと、天文博士勘(かんが)へ申したりとて、右大将殿は春日社、山階寺などに御祈りさまざまに候(さぶら)へば、殿よりも定めて候ひなんと思ひ給へて、案内つかうまつるに、『さる事も承らず』と皆申し候へば、おぼつかなく思ひ給へて参り候ひつるなり。なほ御祈り候はんこそよく候はめ」と申しければ、左大将のたまふやう、「もともしかるべき事なり。されどおのが思ふやうは、大将の慎むべしと申すなるに、おのれも慎まば、右大将のために悪(あ)しうもこそあれ。かの大将は才(さえ)もかしこくいますかり。年も若し。長くおほやけにつかうまつるべき人なり。おのれにおきてはさせる事もなし。年も老いたり。いかにもなれ、何条事かあらんと思へば、祈らぬなり」とのたまひければ、僧都ほろほろとうち泣きて、「百万の御祈りにまさるらん。この御心の定(ぢやう)にては、ことの恐りさらに候はじ」といひてまかでぬ。されば実に事なくて、大臣になりて七十余までなんおはしける。

現代語訳

これも今は昔、天文博士が、「月が、大将星を侵す」という上奏書を天皇にさしだした。これによって、「近衛大将は厳重に慎みなさるべきである」ということで、小野宮右大将(をのみやのうだいしやう)はさまざまな御祈祷などをなさって、春日大社や興福寺などにおいても何度も祈祷をさせられた。

その時の左大将は、枇杷左大将(びはのさだいしやう)仲平という人であった。東大寺の法蔵僧都は、この左大将の御祈りの師である。「きっと御祈りのお頼みがあるだろう」と待っていたが、何の音沙汰もなかったので、気がかりで京に上って枇杷殿に参上した。

殿はお会いになって、「何事でお上りなされたか」と仰せられるので、僧都は申し上げた。「奈良で承ったところ、左右大将は慎みなさるべきである、と天文博士が判断したというので、右大将殿は春日大社、興福寺などに御祈祷をさまざまになさっておられますから、殿からもきっとお頼みがあろうかと存じました。しかし、様子をうかがってみますと、『そんな事は何も聞いておりませぬ』と皆が申します。それで気がかりに存じまして、参ったのでございます。やはりお祈りするのがようございましょう」と申し上げた。すると、左大将は、「いかにもその通りである。しかし私が思うには、大将が慎むべきだと申すそうであるが、わしが謹慎すれば、右大将にとっても具合の悪いことになるのだ。あの大将は学識にも富んでおられる。年も若いし、長く朝廷にお仕えになるべきお方であろう。わしはと言えば、そのようなこともない。年も取っている。どのようになっても何という事があろうかと思うので、祈りもしないのだ」と仰せられた。それを聞いて僧都ははらはらと泣いて「このお言葉は百万の御祈りにも勝るでしょう。このお心のとおりにお過ごしになれば恐れる事もいっこうにありますまい」と言って、退出した。そういうわけで、まったく何事もなく過され、大臣になって七十余歳までおいでになったという。

語句  

■月の・・・-月が大将星を侵犯する。「大将星」は星座の名。『今昔』巻二〇-四三話には、「朱雀院御代ニ天慶ノ比、天文博士、月、大将ノ星ヲ犯スト云フ勘文奉レバ」。■勘文(かんもん)-大学寮・陰陽寮・神祗官が、行事の期日の吉凶や天変地異などに関する諮問に対して勘案した上奏書。■重く-厳重に。■小野宮右大将-藤原実頼(900~970)。関白忠平の子。天慶元年(938)~同八年まで右大将。巻第七ノ六話注参照。■御祈りどもありて-ご祈祷をおさせになって。■春日社(かすがのやしろ)-春日大社。藤原氏の氏神を祀り、奈良市春日野町に鎮座する。■山階寺(やましなでら)-興福寺。藤原氏の氏寺で奈良市登大路町にある法相宗の大本山。

■枇杷左大将(びはのさだいしやう)仲平-藤原仲平(875~945)。基経の子、実頼の伯父。承平二年(932)から没年まで左大将。■法蔵僧都-藤原氏。寛救僧都の弟子(907~969)。東大寺第四十六代別当。康保五年(968)任権少僧都。■定めて御祈りの事ありなん-きっとお祈りのお頼みがあるだろうと。■音もし給はねば-何の音沙汰もないので。■おぼつかなきに-気がかりで。■枇杷殿に-ここでいう「枇杷殿」は仲平の邸。近衛大路の南、室町小路の東。また一説には鷹司小路の南、東洞院大路の西一町とする(捨芥抄)。

■天文博士-陰陽寮に属し、天体を観測し、異変を知った場合には天皇に密封勘奏する。■申したりとて-判断致したというので。■殿よりも-殿さまからも。■定めて候ひなんと-きっとお頼みがあろうと存じまして。■案内つかうまつるに-ご様子をうかがってみますと。■おぼつかなく思ひ給へて-気がかりに存じまして。■よく候はめ-ようございましょう。■もともしかるべき事なり-いかにもその通りである。■申すなるに-申すそうであるが。■おのれも慎まば-自分も謹慎したならば。■悪しうもこそあれ-悪いことにもなる。■才(さえ)もかしこくいますかり-学識にも富んでおられる。■おほやけにつかうまつるべき人なり-朝廷にお仕え申さねばならないお人である。■おのれにおきては-わたくしはと言えば。■させることもなし-そのようなこともない。■いかにもなれ-どのようになっても。■何条事かあらんと-何ということがあろうかと。

■百万の-類話の『今昔』巻二〇-四三話では「百千万ノ」。■この御心の定(ぢやう)にては-このお心のとおりでおられるならば。『今昔』は「此の御心、仏ノ教ヘ也。我ガ身ヲ棄テ人ヲ哀ブハ、無限キ善根也。三宝必ズ加護シ給ヒナム。然バ、御祈無ト云共、恐レ不可有ズ」と意を尽す。■ことの恐りさらに候はじ-恐れる事もいっこうにありますまい。■大臣になりて・・・・-仲平は承平三年(933)、右大臣に就任、同七年には左大臣に転じ、没年まで在任する。              

備考・補足

■将来ある若き甥・実頼の延命息災を願って、老いの我が身のためにはあえて祈祷を依頼しなかったという仲平の美談。その恬淡(てんたん)無欲がかえって神明の助けを受け、身の昇進と天寿全うの幸せを呼ぶことになったかという示唆がある。

朗読・解説:左大臣光永