宇治拾遺物語 14-11 高階俊平(たかしなとしひら)が弟の入道、算術の事

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これも今は昔、丹後前司高階俊平(たんごのぜんじたかしなとしひら)といふ者ありける。後(のち)には法師になりて、丹後入道とてぞありけり。それが弟(おとど)にて、司(つかさ)もなくてある者ありけり。それが主のともに下(くだ)りて、筑紫(つくし)にありける程に、新しく渡りたりける唐人の、算いみじく置くありけり。それにぞあひて、「算置く事習はん」といひければ、初めは心にも入れで教へざりけるを、少し置かせてみて、「いみじく算置きつべかりけり。日本にありては何(なに)にかはせん。日本に算置く道、いとしもかしこからぬ所なり。我に具(ぐ)して唐に渡らんといはば、教へん」といひければ、「よくだに教へてその道にかしこくだにもなりなば、いはんこそ随(したが)はめ。唐(たう)に渡りても、用ひられてだにありぬべくは、いはんに随ひて唐(たう)にも具せられて行かん」なんど、ことよくいひければ、それになん引かれて心に入れて教へける。

教ふるに随ひて、一事を聞きては十事も知るやうになりければ、唐人(たうじん)もいみじく愛(め)でて、「我が国に算置く者は多かれど、汝(なんぢ)ばかりこの道に心得たる者はなきなり。必ず我に具して唐(から)へ渡れ」といひければ、「さらなり。いはんに随はん」といひゐけり。「この算の道には、病(やまひ)する人を置きやむる術もあり。また病せねども、憎(にく)し、妬(ねた)しと思ふ者を立ち所に置き殺す術などあるも、さらに惜(を)しみ隠さじ、ねんごろに伝へんとす。たしかに我に具(ぐ)せんといふ誓事(ちかごと)立てよ」といひければ、まほには立てず。少しは立てなどしければ、「なほ人を殺す術をば、唐(たう)へ渡らん舟の中にて伝へん」とて、異事(ことごと)どもをばよく教へたりけれども、その一事をば控えて教へざりけり。

かかる程に、よく習ひ伝へてけり。それに、にはかに主の事ありて上(のぼ)りければ、その供に上(のぼ)りけるを、唐人聞きてとどめけれども、「いかで年比(としごろ)の君の、かかる事ありてにはかに上(のぼ)り給はん、送りせではあらん。思ひ知り給へ。約束をば違(たが)ふまじきぞ」などすかしければ、げにと唐人(たうじん)思ひて、「さは、必ず帰りて来よ、今日明日(けふあす)にても唐(から)へ帰らんと思ふに、君の来たらんを待ちつけて渡らん」といひければ、その契(ちぎ)りを深くして京に上(のぼ)りにけり。世の中のすさまじきままには、「やをら唐にや渡りなまし」と思ひけれども、京に上(のぼ)りにければ、親しき人にいひとどめられて、俊平(としひら)入道など聞きて制しとどめければ、筑紫(つくし)へだにえ行かずなりにけり。

この唐人はしばしは待ちけるに、音もせざりければ、わざと使(つかひ)おこせて、文を書きて恨みおこせけれども、「年老いたる親のあるが、今日明日(けふあす)とも知らねば、それがならんやう見果てて行かんと思ふなり」といひやりて、行かずなりにければ、しばしこそ待ちけれども、「謀(はか)りけるなりけり」と思へば、唐人(たうじん)は唐に帰り渡りて、よくのろひて行きにけり。初めはいみじくかしこかりける者の、唐人(たうじん)にのろはれて後(のち)には、いみじくほうけて、物も覚えぬやうにてありければ、しわびて法師になりてけり。入道の君とて、ほうけほうけとして、させる事なき者にて、俊平(としひら)入道がもとと山寺などに通ひてぞありける。

ある時、若き女房どもの集りて庚申(かうしん)しける夜、この入道君、片隅にほうけたる体(てい)にてゐたりけるを、夜更(ふ)けけるままにねぶたがりて、中に若く誇りたる女房のいひけるやう、「入道の君こそ。かかる人はをかしき物語などもするぞかし。人々笑ひぬべからん物語し給へ。笑ひて目を覚(さま)さん」といひければ、入道、「おのれは口てづづにて、人の笑ひ給ふばかりの物語はえ知り侍らじ。さはあれども、笑はんとだにあらば、笑はかし奉りてんかし」といひければ、「物語はせじ、ただ笑はかさんとあるは、猿楽(さるがく)をし給ふか。それは物語よりはまさる事にてこそあらめ」と、まだしきに笑ひければ、「さも侍らず。ただ笑はかし奉らんと思ふなり」といひければ、「こは何事(なにごと)ぞ。とく笑はかし給へ。いづらいづら」と責められて、何(なに)にかあらん、物持ちて火の明(あか)き所へ出(い)で来(き)たりて、「何事せんずるぞ」と見れば、算の袋を引き解きて、算をさらさらと出だしければ、これを見て女房ども、「これ、をかしき事にてあるかあるか、いざいざ笑はん」など嘲(あざけ)るを、いらへもせで、算をさらさらと置きゐたりけり。

置き果てて、広さ七八分ばかりの算のありけるを一つ取り出でて、手に捧げて、「御前(ごぜん)たち、さは、いたく笑ひ給ひてわび給ふなよ。いざ笑はかし奉らん」といひければ、「その算捧げ給へるこそをこがましくてをかしけれ。何事にてわぶばかりは笑はんぞ」など言ひ合ひたりけるに、その八分(ぶん)ばかりの算を置き加ふると見れば、ある人みなながら、すずろにゑつぼに入りにけり。

いたく笑ひて、とどまらんとすれどもかなはず。腹のわた切るる心地して、死ぬべく覚えければ、涙をこぼし、すべき方(かた)なくて、ゑつぼに入りたる者ども物をだにえいはで、入道に向ひて手を摺(す)りければ、「さればこそ申しつれ。笑ひ飽き給ひぬや」といひければ、頷(うなづ)き騒ぎて伏しかへり、笑ふ笑ふ手を摺りければ、よくわびしめて後(のち)に、置きたる算をさらさらと押しこぼちたりければ、笑ひさめにけり。「今しばしあらましかば、死になまし。またかばかり堪へがたき事こそなかりつれ」とぞ言ひ合ひける。笑ひ困(こう)じて、集り伏して、病むやうにぞしける。

かかれば、「人を置き殺し、置き生くる術ありといひけるをも、伝へたらましかば、いみじからまし」とぞ人もいひける。算の道は恐ろしき事にぞありけるとなん。

現代語訳

これも今は昔、丹後の前の国司で高階俊平という者がいた。後では法師になって、丹後入道と言っていた。その弟で、官職もないままの者がいた。それが主人の御供として下り、筑紫にいた時、新しく渡って来た唐人で、算をたいそう巧みに置く者がいた。高階の弟が、それに会って、「算を置く事を習いたい」と言うと、初めは気にもかけず教えもしなかったが、ある時、少し置かせて見て、「大いに算の術に上達する見込みがある。日本にいてはどうしようもない。日本は算の術の道でそれほど感心できる所ではない。私と一緒に唐に渡るというなら教えよう」と言うので、俊平の弟は、「私に心を入れて教えてくださって、私が算の道に通じるようになりましたら、言われなくても随いましょう。唐に渡って、官職につけるのさえ確かなら言われなくても随ってついていきましょう」などと、調子よく言ったので、それに引かれて熱心に教えた。

教えるに随って、一事を聞いては十事を知るようにもなったので、唐人もたいそう褒めて、「我が国に算を置く者は多いが、お前ほどこの道を悟り得た者はいない。必ずわしについて唐へ渡れ」と言ったので、「もちろんです。仰せにしたがいましょう」と言っていた。「この算の道には、病気にかかった人を治す術もある。また病気にかかっていなくても、憎いとか、妬ましく思う者をたちどころに殺す術などもあるが、それらの何一つも惜しみ隠さずに丁寧に伝えようとしているのだ。確かにわしについて行こうという誓いをたてよ」と言った。弟はその誓いを完全には立てなかったが、少しは立てなどしたので、唐人は、「やはり人を殺す術は唐へ渡る船の中で伝えよう」と言って、そのほかの術はよく教えたが、その術は控えて教えなかった。

こうしているうちにも、よく習い伝えていった。ところが、突然に主人の用事ができて上ったので、俊平の弟も、その供をして上ることになった。唐人はそれを聞いて止めようとしたが、「なんで、長年お仕えしている主君にかくかくの事がおきてにわかに上洛されるというのに都までお送りせずにおられましょうか。どうか分ってください。約束は破りますまい」などと、言葉巧みに説得したので、いかにもと唐人は思って、「では、必ず戻って来いよ。今日明日にでも唐へ帰ろうと思っていたが、おまえの来るのを待って渡ろう」と言うので、そのことをかたく約束をして京に上って行った。暮しにくい世の中であったので、「こっそり唐にでも渡ろうか」と思っていたが、京に上ってみると、親しい人たちに止められ、俊平入道なども聞いて押し留めたので、筑紫へも行けなくなってしまった。

この唐人は俊平の弟が来るのをしばらくは待っていたが、音沙汰もなかったので、わざわざ使いを出して、手紙を書いて恨みごとを伝えたが、弟は、「年老いた親がいて、今日明日ともわからない状態です、その成りゆきを見届けてから行こうと思っています」と返事をして、行かないままになってしまった。唐人は、しばらくは待っていたが、「私をだましたのだ」と思って、唐に帰って行ったが、その際にしっかりと弟を呪って去って行った。初めはたいそうかしこかった者が、唐人に呪われてからは、ひどくぼけてしまい、物の分別もつかなくなったので、しかたなく法師になった。入道の君といって、まるでふぬけのようになって、何の役にも立たなくなり、俊平入道の所と山寺などの間を行ったり来たりしていた。

ある時、若い女房たちが集まって庚申待ちをした夜、この弟の入道の君が、片隅にまぬけた様子で座っていた。夜が更けて来るにつれて皆眠たがったが、その中でも特に若さにあふれる女房がいて言った。「入道の君さん。こういう人は面白い物語などもなさるものよね。みんなが笑いだしそうな物語をなさいませ。笑って目を覚ましましょう」。すると入道は、「私は口下手(くちべた)で、人を笑わせる程の物話はできませんが、それでも笑いたいとおっしゃるのであれば、笑かせてあげましょう」と言うと、若い女房は、「物語はせず、ただ笑わせようというのは、猿楽でもなさるんすか。それなら物語よりずっと面白いに違いないわ」と、まだ何も始めないのに笑ったので、「そうではありません、ただ笑わせあげようと思っているのです」と言うと、「では何をするの、早く笑わせてくださいな。さあさあ」と責められる。そこで何やら、物を持って灯の明るい所へ出て来た。「何をするのだろう」と見ていると、算木の袋を解いて、算木をさらさらと取り出した。これを見て、女房たちが「これがおかしい事だって言うのかしら。そうかしら。だったらさあさあ笑いましょう」などと馬鹿にするのに入道は答えもせず、算木をさらさらと置いていた。

置き終わってから、幅七八分ほどの算木があったのを一つ取り出して、手に捧げ持ち、「皆様方、では、笑いころげて苦しまれませんように。さあ、笑わせて見ましょう」と言うので、「その算木を捧げ持っておられる手つきがまぬけな様子でおかしですわ。どうして苦しむ程笑うものですか」などと言い合っていたが、その八分ばかりの算木を加えると見るや、一座の人は一人残らず、自然と愉快そうに笑いだした。

はげしく笑って、止めようとするが止められない。腸(はらわた)がちぎれる思いをして、死ぬのではないかと思ったが、涙をこぼし、どうしようもなくて、大笑いをしている者たちは物も言うことができず、入道に向って手を摺り合わせるのだった。「だから言ったのですよ。笑う事に飽きはしませんか」と言うと、頷いて、騒いで、転げ回って笑いながら手を合わせて拝んだので、十分に辛い思いをさせてから、置いていた算木を手早く押し倒すと、一同の笑はぴたっと止んだのだった。女房たちは、「もう少し続いていたら、きっと死んでいたことでしょう。また、こんなに堪えがたい事はありませんでした」と言い合った。笑いすぎて、一同皆集まって横たわって、病人のようになっていた。

こんな具合だったので、「算木を置いて人を殺したり生かしたりする術があると言ったが、その術をも伝えていたなら、大変な事になったであろうに」と人々は評判した。算木の力は恐ろしいものであったという。                            
 

語句  

■算術-算木を置いて占う術。■算木- 易で占いに使う長さ約9センチメートルの正方柱体の木。六本を一組みとする。筮竹(ぜいちく)を操作して得た卦(け)の形に並べて判断する。■高階俊平(たかしなとしひら)-内蔵頭高階助順の子。丹後守、従四位下。『後拾遺集』『金葉集』に入集。藤原道隆の妻高階貴子の甥(おい)であり、定子、伊周、隆家らとは従兄弟(いとこ)の関係。『尊卑分脈』『高階氏系図』では「信平」とする。■法師になりて-法名は信寂。■主のともに-『今昔』巻二四-二二話によれば、「其(それ)ガ閑院ノ実成ノ師ノ共ニ鎮西ニ下テ有ケル程ニ」。■算いみじく置くありけり-算木を巧みに置く者がいた。■心にも入れで-気にもしないで。■いみじく算置きつべかりけり-ずいぶん算を置く天分がある。算の道に進めそうな才能がある。■べかり-けり-…にちがいないのだ。■算置く道、いとしもかしこからぬ所なり-算道の専門家もいないような国である。つまりその修行にもふさわしくない場所だ。■いと-しも-(下に打消の語を伴って)それほどには。たいして。 ■かしこし(賢し)-すぐれている。りっぱだ。■からぬ-打ち消しの語。■よくだに教へてその道にかしこくだにもなりなば-私に心を入れて教えてくださって、私が算の道に通じるようになりましたら。■用ひられてだにありぬべくは-官途に就けることさえ確実でありますのならば。■ことよくいひければ-気を持たせるように、期待をさせるように巧みに言ったので。

■汝(なんぢ)ばかり-そなたほどに。そなたの段階まで。■さらなり-言うまでもありません。もちろんのことです。■置きやむる術-算を置いて治してしまう術。■さらに惜(を)しみ隠さじ、ねんごろに伝へんとす-それらの何一つも惜しみ隠さずに、丁寧に伝授しようと思う。諸本は「ねんごろに」が「君に」とある。■たしかに我に具(ぐ)せんといふ誓事(ちかごと)立てよ-必ず自分について修行を貫くという誓いを立てよ。唐人がその才能にすっかりほれ込んでいるさまが詳述されている。■まほには-本格的には。真剣には。『今昔』には「実ニハ不思ドモ、此ヲ習ヒ取ラムト思フ心ニテ、少許ハ立テケリ」と、俊平の弟の打算的な心境が見える。■なほ人を殺す術をば、唐(たう)へ渡らん舟の中にて伝へん-やはり人を殺す術は、唐へ渡る船中で伝えよう。唐人は心底からはまだ俊平の弟を信用しきってはいなかったために、最後の切り札は温存しておこうとしていた。

■それに・・・-熱心な習得が続いていたのに、突然お仕えしていた主君に用事が持ち上がって上京ということになったので。『今昔』には「師、安楽寺ノ愁ニ依テ、俄ニ事有テ、京ニ上ケルニ」とあり、俊平の弟の主君は大宰府の師であるらしくも読める。■年比(としごろ)の君の-長年お仕えしていた主君が。■送りせではあらん-都までお送りしないわけにまいりましょうか。■すかしければ-言葉巧みに説得したので。■世の中のすさまじきままには-世の中に嫌気がさしていたので。■やをら唐には渡りなまし-人目に立たないようにして唐に渡ってしまおうかと。■行かずなりにけり-行けなくなってしまった。

■音もせざりければ-俊平の弟がいつまでも音信もしなかったので。■わざと使(つかひ)おこせて-わざわざ使いをよこして。■今日明日(けふあす)とも知らねば-今日か明日か、命終(みょうしゅう)の時が迫っていて、離れるわけにいかないので。■謀(はか)りけるなりけり-私をだましたのだった。■唐に帰り渡りて-もう俊平の弟の事は見限って、唐へ海を渡って帰国することにして。■よくのろひて行きにけり-裏切られた悔しさから、しっかりと呪いをかけて行ったのだった。■いみじくほうけて-ひどくぼけてしまって。■しわびて-しかたがなくて。どうしようもなくなって。■ほうけほうけとして-まるでふぬけのようになって。ぼけ具合が並大抵ではないありさま。■させる事なき者にて-何の役にも立たない廃人となって。

■庚申(かうしん)-庚申待ちの略。道教で、人間の体内にいる三尸(さんし)という虫は、庚申の夜、眠った人の体から抜け出して天帝のもとにいたり、その人の罪過を訴え、命を短くするとされた。そのために庚申の夜は物語や遊戯をしたりして眠らずに過ごすという風習があった。■入道の君-入道の君さん、「こそ」は呼称に添えて、親しみを表す接尾語。■口てづづにて-口下手で。■物語はせじ・・・猿楽をし給ふか-物語はしない。それでしかも、ただ笑わせようということなら、猿楽事をしなさいますか。「猿楽」はこっけいな物まねの所作。■まだしきに-入道がまだ何も始めないうちから。「末(ま)だし」は1 まだその時期に達していない。2 まだ準備が整わない。不十分だ。■さも侍らず-それは違います。■ただ笑はかし奉らんと思ふなり-私は何もせずにともかく皆様方を笑わせようと思っているのです。■いづらいづら-どうしたの、どうしたの。さあ、さあ。相手を急き立てる語。■これ、をかしき事にてあるかあるか、いざいざ笑はん-これがおかしな事だって言うの、そうなの。それなら、さあさあ笑いましょう。■いらへもせで-女房たちの軽口には返事もせずに、いかにも真剣に。■さらさらと-すばやい手つきで処理するさま。

■広さ七八分-幅約2.1~2.4センチ。一分は一寸(約3センチ)の十分の一。長さは約10センチ。■御前(ごぜん)たち-皆様がた。女房たちへの敬称。■わび給ふなよ-お苦しみになられぬように。■をこがましくて-まぬけた様子で。女房たちは入道を馬鹿にしきっていた。■ある人みなながら-一座の人は一人残らず。■すずろにゑつぼに入りにけり-自然と愉快そうに笑いだしてしまったのであった。

■腹のわた切るる心地して-「はらわたがよじれる」という笑い方よりはげしい笑いぶり。■死ぬべく覚えければ-苦しくて死にそうな具合になったので。■物をだにえいはで-口も利けない状態で。■さればこそ申しつれ-だからこそ初めに申し上げたでしょう。■伏しかへり-転げ回って。■よくわびしめて後(のち)に-十分につらい思いをさせてから。■さらさらと押しこぼちたりければ-手早く惜し崩してしまうと。■笑ひ困(こう)じて-すっかり笑い疲れて。

朗読・解説:左大臣光永

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