宇治拾遺物語 15-4 門部府生(かどべのふしやう)、海賊射返す事

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これも今は昔、門部府生(かどべのふしやう)といふ舎人(とねり)ありけり。若く身は貧しくてぞありけるに、ままきを好みて射けり。夜(よる)も射ければ、わづかなる家の葺板(ふきいた)を抜きて、ともして射けり。妻もこの事をうけず、近辺の人も、「あはれ、よしなき事し給ふものかな」といへども、「我家もなくてまどはむは、誰(だれ)も何(なに)か苦しかるべき」とて、なほ葺板をともして射る。これをそしらぬもの一人(ひとり)もなし。かくする程に、葺板みな失せぬ。果(は)てには椽(たるき)、木舞(こまひ)を割りたきつ。また後には棟(むね)、梁(うつばり)焼きつ。後(のち)には桁(けた)、柱みな割りたき、「これ、あさましき物のさまかな」と言ひ合ひたる程に、板敷(いたじき)、下桁(しもげた)までもみな割りたきて、隣の人の家に宿りけるを、家主、この人の様体(やうだい)を見るに、「この家もこぼちたきなんず」と思ひていとへども、「さのみこそあれ、待ち給へ」などいひて過ぐる程に、よく射る由(よし)聞えありて、召し出(いだ)されて、賭弓(のりゆみ)つかうまつるに、めでたく射ければ、叡感(えいかん)ありて、果(は)てには相撲(すまひ)の使(つかひ)に下(くだ)りぬ。

よき相撲ども多く催し出でぬ。また数知らず物まうけて上(のぼ)りけるに、かばね嶋といふ所は海賊(かいぞく)の集る所なり。過ぎ行く程に、具(ぐ)したる者のいふやう、「あれ御覧候(さぶら)へ。あの舟どもは海賊の舟どもにこそ候ふめれ。こはいかがさせ給ふべき」といへば、この門部府生(かどべのふしやう)いふやう、「をのこ、な騒ぎそ。千万人の海賊ありとも、今見よ」といひて、皮籠(かはご)より、賭弓の時着たりける装束取り出でてうるはしく装束(しやうぞ)きて、冠、老懸(おいかけ)など、あるべき定(ぢやう)にしければ、従者ども、「こは、物に狂はせ給ふか。かなはぬまでも、楯(たて)づきなどし給へかし」と、いりめき合ひたり。うるはしく取りつけて肩脱ぎて、馬手(めて)、後(うし)ろ見まはして、屋形の上に立ちて、「今は四十六歩(ぶ)に寄り来にたるか」といへば、従者ども、「大方(おほかた)とかく申すに及ばす」とて、黄水(わうずい)をつき合ひたり。

「いかに、かく寄り来にたるか」といへば、「四十六歩に近づき候ひぬらん」といふ時に、上屋形(うはやかた)へ出でて、あるべきやうに弓立(ゆだち)ちして、弓をさしかざして、しばしありてうち上げたれば、海賊が宗徒(むねと)のもの、黒ばみたる物着て、赤き扇を開き使ひて、「とくとく漕(こ)ぎ寄せて、乗り移りて、移し取れ」といへども、この府生騒がずして、ひき固めてとろとろと放ちて、弓倒して見やれば、この矢、目にも見えずして、宗徒の海賊がゐたる所へ入りぬ。はやく左の目にいたつき立ちにけり。海賊、「や」といひて、扇を投げ捨てて、のけざまに倒れぬ。矢を抜きて見るに、うるはしく戦(たたかひ)などする時のやうにもあらず、ちりばかりの物なり。これをこの海賊ども見て、「やや、これはうちある矢にもあらざりけり。神箭(かみや)なりけり」といひて、「とくとく、おのおの漕ぎもどりね」とて逃げにけり。

その時、門部府生うす笑ひて、「なにがしらが前には、あぶなく立つ奴(やつ)ばらかな」といひて、袖(そで)うちおろして、小唾吐(こつばは)きてゐたりけり。海賊騒ぎ逃げける程に、袋一つなど少々物ども落したりける。海に浮びたりければ、この府生取りて笑ひてゐたりけるとか。

現代語訳

これも今は昔、門部府生という舎人がいた。若く貧しい身だったが、真巻弓(ままきゆみ)を射つのが好きだった。夜も射たので、小さな家の屋根板までも抜き取って、灯火にして射た。妻もこのことを許しがたく思い、近所の人も「ああ、つまらない事をなさるものよ」と言うが、「我が家を壊して、路頭に迷う事になったとしても、誰に遠慮がいるものか」と言って、なおも屋根板を燃やして灯火として射続けた。これを非難しない人は一人もいない。そうしているうちに、屋根板は全部無くなってしまった。最後には、垂木、木舞を割って焚(た)いた。また、その後では棟、梁をも焼いた。さらにその後には、桁、柱まで皆、割って焚き、「これは、あきれかえったざまだ」と近所の人が言い合っているうちに、板敷、下桁までも皆割って焚き、住む所が無くなったので、隣の人の家に泊まっていた。家主は、この人の様子を見て、「この家も壊して焚くに違いない」と思って嫌がるが、「そういつまでもこんなふうではおりません。見ていてください」などと言って過ぎるうちに、弓を上手に射るというのが評判になって、召し出され、賭弓に参加したところ、見事に射たので、天皇のお褒めにあずかり、最後には、相撲取りを集める使者として、地方に下った。

強い相撲取りを多数呼び集めることができた。また数知れぬ程の物を手に入れて上ったが、かばね島という所は海賊の集まる所であり、そこを通り過ぎて行くと、供の
者が、「あれを御覧なさいませ。あの舟の群れは海賊どもの舟に違いありません。これはどうなさいますか」と言う。すると、門部府生は、「男なら騒ぎ立てるな。千万の海賊がいようと今に見ておれ」と言って、革の行李から、賭弓の時に着た装束を取り出して、きちんと身に着け、冠、老懸などを作法通りに身に着けると、従者たちは、「これは、気でも狂われたか。かなわぬまでも、何とか手向ってくださいよ」と、いらだって大騒ぎをした。府生はきれいに身づくろいをして、肩脱ぎをし、敵がいないかと右手や後方を見回して、屋形の上に立って、「もう四十六歩の矢頃まで近寄ったか」と言うと、従者たちは、「まったく、とやかく申すまでもありません」と怯えきって、黄色い水を吐き合っていた。

「どうだ。もう寄って来たか」と言うと、従者たちが、「四十六歩までには近づきましたでしょう」と言う。府生は上屋形へ出て、作法通りに身構えて立ち、弓をかざして、しばらく待った後、弓を高くさし上げて引き絞った。海賊の首領と思われる者が、黒ばんだ着物を着て、赤い扇を開いて使い、「早く漕ぎ寄せろ。乗り移って、獲物を移し取れ」と言うのだが、この府生は騒ぎもせず、十分に引き絞って、音もなく矢を放ち、弓を倒して見ると、この矢は、目にも止らぬ速さで海賊の首領がいた所へ入っていった。なんと驚いたことに、首領の左目に、その儀式用のいたつき矢が突き刺さった。海賊は「ぎゃっ」と言って、扇を投げ捨てて、あおむけに 倒れた。矢を抜いて見ると、軍などをする時の矢ではなく、ごくごく小さな矢であった。これをこの海賊どもが見て、「ややっ。これはざらにある矢ではないぞ。神矢であったのか」と言って、「さっさとそれぞれ漕ぎ戻れ」と逃げてしまった。

その時、府生は薄笑いをして、「この我らを前にして、まったくあぶなっかしい真似をする奴らよ」と言って、たくし上げた袖を下(おろ)し、唾を吐き捨てて座っていた。海賊があわてて逃げた時に、袋ひとつなど少々の物を落して行ったが、それが海に浮かんでいたので、この府生は取り上げて、笑って座っていたということである。

語句

■門部府生(かどべのふしょう)-内裏の諸門の警護に当る衛門府の下級職員。■舎人(とねり)-皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた者。■ままき-「真巻弓」の略。木野戸勝隆の『古事談私記補遺』によれば、真弓(丸木の弓)に籐(とう)または樺(かば)を巻いたものを真巻と号したか、とし、「マゝキ」は的矢の名なれば、的を射る事をマゝキユミともいへるなるべし」とする。主として賭弓(のりゆみ)などの射的競技に用いられたもの。■葺板(ふきいた)-屋根を葺いている板。■ともして-「ともし火」として。■うけず-承知せず。許しがたく思い。■あはれ-ああ。■よしなき事-つまらない事。■我家もなくてまどはむは-自分の家がなくなって、路頭に迷う事になったとしても。■誰も何か苦しかるべき-誰に遠慮がいるものか。■椽(たるき)-垂木(たるき)。ここは屋根板を支えるために棟から軒に縦に渡されている小角材。■木舞(こまひ)-軒の垂木に横に渡す細い板。■割りたきつ-割っては焼いてしまった。■棟(むね)-棟木(むねぎ)。屋根の最も高い所に横に渡してある太い木。■梁(うつばり)-家の柱の上に立てて、棟木と屋根を支える角材。■桁(けた)-柱の上に渡してほかの材木を受ける木。梁と打ち違いになる。■あさましき物のさまかな-あきれかえったしわざであるよ。■下桁(しもげた)-床板を張るために板の下に渡した横木。■様体を見るに-様子を見ると。■こぼちたきなんず-きっとこわして燃やしてしまうだろう。■いとへども-嫌がるが。■さのみこそあれ-そういつまでもこんなふうではおりません。■待ち給へ-見ていてください。■聞えありて-評判になって。■賭弓(のりゆみ)-正月十八日の宮中の行事。天皇が弓場殿に臨席し、近衛府、兵衛府の舎人が射的の数を競い、勝者には賜物を賜り、敗者は罰盃を受ける。門部府生は、この天覧競技への出場を待ち望んでいた。■つかうまつるに-お仕えすると。■めでたく-みごとに。■叡感ありて-ご感服なさって。■相撲の使-宮中で七月に行われる相撲の節会に出る相撲人を招集するために、二、三月ごろ、諸国に派遣された使者。賭弓の勝者が派遣される慣習になっていた。

■かばね嶋-骨島。備前国(岡山県)の瀬戸内海にあったとされる島。『日本霊異記』上七話の例からみても、そこは海賊の巣窟になっていたらしい。■皮籠(かはご)-革張りの旅行用の行李(こうり)。■老懸(おいかけ)-武官が冠の落下を防ぐために用いた懸緒(かけお)。菊花を半切りにした形に馬の毛で作り、頬(ほお)をおおうように冠の両側につける。頬助(ほおすけ)とも。■定-きまり。■楯つき-手向い、対抗すること。■いりめきあひたり-いらだって大騒ぎしていた。■馬手(めて)-馬の手綱を握る方の手、右手。転じて右の方角。すきのできる後方と右側に敵が回っていないかどうかを、まず確かめた。■四十六歩-私註の「のり弓のやごろ也。約十五間ほど也」に従う。十五間は約二十七メートル。■黄水(かうずい)をつき合ひたり-胃から黄色い水(胃液)を吐き出すこと。極度の恐怖に駆られている状態を物語る。

■弓立(ゆだち)-射手が身構えて立つこと。■宗徒(むねと)-首領とおぼしき者。首領。■ひき固めてとろとろと放ちて-十分に引きしぼって、音もなく矢を放って。■はやく-なんと驚いたことに。■いた-矢じりの一種。先のあまり鋭くないこの矢じりのついた矢は練習や競技用のもの。■うるはしく戦などする時のやうにもあらず-本格的に戦闘をする場合に用いる矢のようでもない。■ちりばかりの物-ごくごく小さな矢。■うちある矢-普通によく見かける矢。■神箭(かみや)-神が射てよこした矢。■なにがしら-自称の代名詞。われら、それがしたち、手前ども。

朗読・解説:左大臣光永

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