宇治拾遺物語 15-6 極楽寺僧(ごくらくじのそう)、仁王経(にんわうぎやう)の験(げん)を施す事

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これも今は昔、堀川太政大臣と申す人、世心地(よごこち)大事にわづらひ給ふ。御祈りどもさまざまにせらる。世にある僧どもの参らぬはなし。参り集(つど)ひて御祈りどもをす。殿中騒ぐ事限りなし。

ここに極楽寺は、殿の造り給へる寺なり。その寺に住みける僧ども、「御祈りせよ」といふ仰(おほ)せもなかりければ、人も召さず。この時にある僧の思ひけるは、「御寺に安く住む事は、殿の御徳(とく)にてこそあれ。殿失(う)せ給ひなば、世にあるべきやうなし。召さずとも参らん」とて、仁王経を持ち奉りて、殿に参りて、物騒がしかりければ、中門(ちゆうもん)の北の廊(らう)の隅(すみ)にかがまりゐて、つゆ目も見かくる人もなきに、仁王経他念なく読み奉る。

二時(ふたとき)ばかりありて、殿仰せらるるやう、「極楽寺の僧、なにがしの大徳(だいとこ)やこれにある」と尋ね給ふに、ある人、「中門の脇(わき)の廊に候(さぶら)ふ」と申しければ、「それ、こなたへ呼べ」と仰せらるるに、人々あやしと思ひ、そこばくのやんごとなき僧をば召さずして、かく参りたるをだによしなしと見ゐたるをしも召しあれば、心も得ず思へども、行きて召す由(よし)をいへば参る。高僧どもの着き並びたる後(うし)ろの縁にかがまりゐたり。

「さて参りたるか」と問はせ給へば、南の簀子(すのこ)に候ふよし申せば、「内へ呼び入れよ」とて、臥(ふ)し給へる所へ召し入れらる。無下(むげ)に物も仰せられず、重くおはしつるに、この僧召す程の御気色(きしよく)こよなくよろしく見えければ、人々あやしく思ひけるに、のたまふやう、「寝たりつる夢に、恐ろしげなる鬼どもの、我が身をとりどりに打ちれうじつるに、びんづら結(ゆ)ひたる童子(どうじ)の、楉(すはえ)持ちたるが、中門(ちゆうもん)の方より入り来て、楉してこの鬼どもを打ち払へば、鬼どもみな逃げ散りぬ。『何(なに)ぞの童(わらは)のかくはするぞ』と問ひしかば、『極楽寺のそれがしが、かくわづらはせ給ふ事、いみじう嘆(なげ)き申して、年比(としごろ)読み奉る仁王経(にんわうきやう)を、今朝(けさ)より中門の脇に候ひて、他念なく読み奉りて祈り申し侍る。その聖(ひじり)の護法の、かく病(や)ませ奉る悪鬼(あくき)どもを追ひ払ひ侍るなり』と申すと見て、夢覚(さ)めてより、心地のかいのごふやうによければ、その悦(よろこ)びいはんとて呼びつるなり」とて、手を摺(す)りて拝ませ給ひて、棹(さを)にかかりたる御衣を召して、被(かづ)け給ふ。「寺に帰りて、なほなほ御祈りよく申せ」と仰せらるれば、悦びてまかり出づる程に、僧俗の見思へる気色(けしき)やんごとなし。中門の脇に、ひめもすにかがみゐたりつる、おぼえなかりしに、殊(こと)の外(ほか)美々(びび)しくてぞまかり出でにける。

されば人の祈りは、僧の浄不浄にはよらぬ事なり。ただ心に入りたるが験(げん)あるものなり。「母の尼して祈りをばすべし」と、昔より言ひ伝へたるも、この心なり。
                                                                         

現代語訳

これも今は昔、堀川太政大臣というお方が、重い疫病を患っておられた。御祈祷などをいろいろなされ、名のある僧で参らぬ者はない。参り集って御祈祷などをする。殿中の騒ぎは大変なものである。

さて、極楽寺というのは、堀川の殿がお造りになった寺である。その寺に住んでいた僧たちには「祈祷せよ」という太政大臣からの仰せも無かったので、御殿からのお召しもない。この時、ある僧が、「御寺に安穏に住んでおられるのは堀川の殿のおかげである。殿がお亡くなりになったなら、暮らしてもいけないのだ。お呼びかけがなくても参上しよう」と思って、仁王経を携えて御殿に出向いた。ところが、御殿はもの騒がしかったので、中門の北の廊下の隅にかがんで、誰一人として目をかけてくれる人もないままに、仁王経を一心に読み奉っていた。

四時間ほど経ってから、堀川の殿が、「極楽寺の僧で、なになにという僧はここに参っておるか」と尋ねられた。ある人が、中門の脇の廊下に伺候している旨申し上げると、殿は、「その僧をここへ呼べ」と仰せられた。人々は不思議に思い、幾人も来ている高僧・貴僧を召さずに、よりによって参上したことさえ納得できずに見ていた者を、召されたので、わけがわからずにいたが、行って、「お召しだ」と伝えると参上した。そして、高僧たちが並んで着席している後ろの縁に屈んでいた。

「さて、参ったか」と殿がお尋ねになるので、南の縁に伺候していることを申し上げると、「中へ呼び入れよ」と、おやすみになっておられる所へ召し入れられる。いっこうに物も言われないほどの重体でおられたのに、この僧を召す時のご様子は、このうえなく具合がよろしいように見えたので、人々は不思議に思った。殿が、「寝ていた時の夢に、恐ろしそうな鬼どもが現れて、我が身をめいめいに打って痛めつけた。その時、みずらを結った童子が、鞭(むち)をもって中門から入って来て、それで鬼どもを打ち払うと、鬼どもはみな逃げ散ってしまった。『どこの童子がこのようにするのか』と聞くと、『極楽寺のなにがしが、殿がこのように患っておられるのをたいそう嘆きまして、長年読み奉っております仁王経を、今朝から中門の脇に控えて、一心にお読みして、お祈り申しております。その聖の護法童子が、このように殿を患わせている鬼どもを追い払ったのでございます』と言うのを夢に見た。夢から覚めてみると、拭(ぬぐ)い去ったように気分がいいので、その礼を言おうと思って呼んだのだ」と言って、手を摺り合わせて拝まれ、衣文棹(えもんざお)にかかっていた御衣(おんぞ)を取り寄せてお与えになった。「寺に帰ってからも、なお一層祈祷せよ」と仰せられたので、喜んで退出した。その時、そこにいた僧たちがこれを見て尊び、感嘆する様はたいへんなものであった。中門の腋に一日中屈んでいた時には、誰にも注目されなかったのに殊の外面目を施して退出したのであった。

だから、人の祈りは、僧の浄、不浄には関係ないのである。ただ一心にするのが効験あるものなのだ。「母の尼君の心でお祈りせよ」と、昔から言い伝えているのも、この心を言うのである。

語句

■堀川太政大臣-底本「堀川兼通公」とするが、『今昔』巻一四-三五話の藤原基経が史実に合う。基経(836~891)は摂政良房の養嗣子。摂政、関白、太政大臣を歴任、堀河殿と号した。■世心地(よごごち)-世間ではやっている病。疫病。■大事に-重く。■御祈りども-ご祈祷などを。■世にある-名のある。評判の高い。

■極楽寺-京都市伏見区深草、宝塔門前にあった、興福寺、法性寺、法興寺、法成寺、平等院などと並ぶ藤原氏の氏寺の一つ。基経の発願・創建、没後は時平・仲平・忠平らが建造を加えた。 本尊は阿弥陀如来、開基は聖宝法印。昌泰二年(899)、定額寺に列する。■人も召さず-誰もお呼びにもならない。官からのお召しもない。■やすく-安穏に。■御徳(とく)にこそ-おかげである。■失せ給ひなば-お亡くなりになると。■世にあるべきやうなし-世に生きていける術もない。暮らしてもいけないのだ。■仁王経-「仁王護国般若波羅密多経」(不空訳・新訳)が行われていたが、「仁王般若波羅蜜経」(羅什訳・旧訳)もあった。■中門(ちゆうもん)-寝殿造りで東・西の対屋(たいのや)から泉殿・釣殿に延びる廊下の中間に位置する。■かがまりゐて-かがみ座って。■つゆ目も見かくる人もなきに-少しも気づいて見てくれる人もないのに。■他念なく-一心に。

■大徳(だいとこ)-高僧および仏菩薩の呼称、御坊。■これにある-ここに参っているか。■そこばくのやんごとなき僧-大勢集まっている貴僧・高僧。■参りたるをよしなしと-推参とはずうずうしいと。■しも-よりによって

■南の簀子(すのこ)-寝殿造りで、廂(ひさし)の間の外側に続く板敷の箇所。■候ふよし申せば-伺候している旨申し上げると。■内へ呼び入れよ-中門の脇の廊で祈祷していた極楽寺の殊勝な僧を、自分の伏しているこの母屋の中央の部屋へ招き入れよとの基経の命令。■臥し給へる所へ-おやすみなっている所へ。■むげに-いっこうに。■とりどりに打ちれうじつるに-さまざまに打って痛めつけた時に。「打ちれうじ」は「打ち掕じ」で打ち殴って責めさいなむ、の意。■びんづら-角髪(みづら)。「耳髪」の約とされる。髪を頭の中央で左右に分け、耳の辺りで輪の形に綰(わ)げた形。上代の男性の髪型であったが、後には主として少年のものとなった。■楉(すはえ)-細く長い枝。転じてむち。■それがしが-誰それが。これこれという者が。実際に夢の中では、ここで具体的な名があげられているわけである。■護法-仏教やその修行者を守護する童子姿の神。ここは基経の加持祈祷をしている極楽寺の僧に付き従っている守護神。■かいのごふやうに-ぬぐい去ったように。■棹(さを)-衣類を掛けるための棹(さお)。衣桁(いこう)または衣架(いか)とも。鳥居形の枠に作るのが普通であるが、一本の棹の両端をひもでくくってつり下げるやり方のものもあった。■被(かづ)け給ふ-目下の者の労をねぎらって褒美の品を頭上にのせて与えること。■見思へる気色(けしき)やんごとなし-褒賞をもらうほどによい働きをした者よ、との賞賛の気持ちを込めたまなざしと表情。■まかり出づる程に-退出するその時に。■ひめもすに-一日中。■おぼえなかりしに-目にとめられていなかったのに。■美々しくてぞ-面目をほどこして。

■ただ心に入りたるが-ひたすら誠意をこめてすることが。『今昔』には、「只、誠ノ心ヲ致セルガ」とある。■母の尼して祈りをばすべし-病人の母親の尼に祈祷をさせると最も効果がある。子を思う母の一途な気持ちこそ効験を招くということ。

朗読・解説:左大臣光永

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