宇治拾遺物語 15-7 伊良縁野世恒(いらえのよつね)、毘沙門(びしやもん)の御下(くだ)し文(ぶみ)の事

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今は昔、越前国(ゑちぜんのくに)に伊良縁(いらえ)の世恒(よつね)といふ者ありけり。とりわきてつかうまつる毘沙門(びしやもん)に、物も食はで、物のほしかりければ、「助け給へ」と申しける程に、「門(かど)にいとをかしげなる女の、家主(いへあるじ)に物いはんとのたまふ」といひければ、誰(たれ)にかあらんとて、出であひたれば、土器(かはらけ)に物を一盛(ひとも)り、「これ食ひ給へ。物ほしとありつるに」とて取らせたれば、悦(よろこ)びて取りて入りて、ただ少し食ひたれば、やがて飽き満ちたる心地して、ニ三日は物もほしからねば、これを置きて、物のほしき折(をり)ごとに、少しづつ食ひてありける程に、月比(つきごろ)過ぎて、この物も失(う)せにけり。

「いかがせんずる」とて、また念じ奉りければ、またありしやうに人の告げければ、始めにならひて惑ひ出でて見れば、ありし女房のたまふやう、「これ下文(くだしぶみ)奉らん、これより北の谷、峯百町を越えて、中に高き峯あり。それに立ちて、『なりた』と呼ばば、もの出(い)で来(き)なん。それにこの文を見せて、奉らん物を受けよ」といひて往(い)ぬ。この下文を見れば、「米二斗渡すべし」とあり。やがてそのまま行きて見ければ、まことに高き峯あり。それにて「なりた」と呼べば恐ろしげなる声にていらへて、出で来たるものあり。見れば額(ひたひ)に角生(つのお)ひて、目一つあるもの、赤き褌(たふさぎ)したるもの出で来てひざまづきてゐたり。「これ御下文なり。この米得させよ」といへば、「さる事候ふ」とて、下文を見て、「これは二斗と候へども、一斗を奉れとなん候ひつるなり」とて、一斗をぞ取らせたりける。そのままに受け取りて帰りて、その入れたる袋の米を使ふに、一斗尽きせざりけり。千万石取れども、ただ同じやうにて、一斗は失せざりけり。

これを国守聞きて、この世恒(よつね)を召して、「その袋、我に得させよ」といひければ、国の内にある身なれば、えいなびずして、「米百石の分(ぶん)奉る」といひて取らせたり。一斗取れば、また出でき出できしてければ、いみじき物まうけたりと思ひて持(も)たりける程に、百石取り果てたれば、米失せにけり。袋ばかりになりぬれば、本意(ほい)なくて返し取らせたり。世恒がもとにて、また米一斗出(い)で来(き)にけり。かくてえもいはぬ長者にてぞありける。
                                                                         

現代語訳

今は昔、越前の国に伊良縁の世恒という者がいた。特別に信じ申し上げる毘沙門に、何も食べておらず、食物が欲しかったので、「お助け下さい」と申し上げていた。すると、ある人が、「たいそう魅力的で美しい女の人が門前に来て、御主人と話したいとおっしゃっております」と言ったので、誰だろうかと思って、出て会ってみると、食器に食べ物を一盛り盛って、「これを召しあがれ。何か欲しいとのこと」と言って与えた。ほんの少しだけ食べてみたが、すぐに満腹になったような気分になって、二三日は食物を欲しいとは思わなかった。そこで、世恒は、残りをとっておき、食物が欲しくなるたびに、少しづつ食べて飢えを凌いでいたが、幾月かが経って、この食物も無くなってしまった。

「どうしようか」と、またお祈りしたところ、また前と同じように人が告げたので、前のようにあわてて出て見ると、いつかの婦人が来た。「この下文(くだしぶみ)をお渡しいたします。ここから北の方にある谷と峯を百町越えて行くと中に高い峯があります。そこに立って『なりた』と呼ぶと、誰か出て来るでしょう。それにこの文を見せて、与えられる物を受け取りなさい」と言って去って行った。この下文を見ると、「米二斗渡すべし」と書いてある。すぐ言われたとおりにそこへ行って見ると、実に高い峯がある。そこで、「なりた」と呼ぶと、恐ろしそうな声で返事をして、出て来た者がいる。見ると、額には角が生え、一つ目で、赤い褌を穿いた者が出て来て、膝まずいていた。「これは御下文である。この米をいただきたい」と言うと、「承知しております」と言って、下文を見て、「ここには二斗とありますが、一斗差し上げろと伺っておりました」と言って、一斗の米袋を与えた。そのまま受け取って帰り、その袋の米を使っていると、その一斗が無くならないのだった。千万石取ってみても、ただ同じように、その一斗は無くならないのだった。

これを国守が聞いて、この世恒を呼んで、「その袋をわしにくれ」と言ったので、越前に生活する身であり、国守の言葉には逆らえず、「百石分の米を差し上げます」と言ってその米袋を進上した。一斗取ると、また後から後からその分が出て来るので、国守はすばらしい宝物を手に入れたわいと思って持っているうちに、百石分を取り終わったところで、米は無くなってしまった。袋だけになったので、不本意ながら世恒に返してやった。すると、世恒の所では、またもや米一斗が出て来た。こうして世恒は肩を並べる者もないような大金持ちになって暮らしたのであった。

語句

■越前国(ゑちぜんのくに)-現在の福井県の東北部。■伊良縁の世恒-伝未詳。『今昔』巻一七-四七話は加賀堟の「生江ノ世恒」、『元亭釈書』二十九では「大江諸世」とする。■とりわきて-特に。■つかうまつる-ご信心申し上げる。■毘沙門(びしやもん)-毘沙門天。梵語の音写で多聞天と訳される。北方の守護神で福徳の神。『今昔』『元亭釈書』は吉祥天女とする。吉祥天も福徳の神で、毘沙門天の妻(一説に妹)とされる。■物も食はで-何も食べておらず。■物のほしかりければ-食べ物がほしかったので。腹が減ってひもじかったので。■いとをかしげなる女-魅力的な美しい女。■物いはんとのたまふ-案内を請うていらっしゃる。「物いはん(話をしたい)」は、「物まう(物申さむ)」と同じく、現在の「もしもし」にあたる。■誰にかあらん-誰であろうか。■物を-食物を。■物ほしとありつるに-何か欲しいということでしたので。■取らせたれば-与えたので。■やがて-すぐに。■飽き満ちたる心地して-満腹になったような気持がして。■置きて-とっておいて。■物のほしき折ごとに-何か食べたいと思うたびごとに。■月比(つきごろ)-幾月か。

■いかがせむずるとて-どうしようかと思って。■念じ奉りければ-お祈り申しあげたところが。■ありしやうに-いつぞやと同じように。■惑ひ出でて見れば-あわてふためいて出て見ると。■ありし女房-二行目の「いとをかしげなる女」をいう。■下文(くだしふみ)官庁・権門・社寺などから管理下にある者への権威ある命令書、指図の書状。■これ下文奉らん-この命令書をさしあげましょう。■百町-一町は約109メートル。■なりた-意味不明。「成田」で、田作りに成功している者の意か。後出の怪物の呼称。毘沙門天の下部?。■もの出で来なん-誰か出て来るでしょう。■奉らん物を受けよ-その者が差し出すであろう物を受け取れ。■やがて-すぐに。■そのまま-そのとおり。■いらへて-答えて。■角生(つのお)ひて-角が生えていて。■米二斗-『今昔』には「米三斗」。一斗は十升(約18リットル)。■褌(たふさぎ)-ふんどし。■ひざまづきてゐたり-毘沙門天の忠実な下部(しもべ)であることを示したしぐさ。■得させよ-もらいらい。■候へども-書いてございますが。■さる事候ふ-その事は承知しております。聞いております。■一斗を奉れとなん候ひつるなり-米一斗を差し上げよ、と伺っております。直接口頭で与えられた指図を優先させるということ。後出のように、この一斗は一千万石にも相当する無限の量であり、二斗である必要がなかったことがわかる。■千万石-「石」は升目の単位。一石は十斗。

■国の内にある身なれば-越前に生活する者なので。■えいなびずして-ことわりきれずに。■いみじき物まうけたり-すばらしい宝物を手に入れたわい。■取り果てたれば-取り終わったところで。■本意(ほひ)なくて-不本意ながら。残念に思いながら。■返し取らせたり-返してやった。■えもいはぬ長者にてぞありける-いいようもない大金持として過した。

朗読・解説:左大臣光永

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