宇治拾遺物語 15-9 仁戒上人往生(わうじやう)の事

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原文

これも今は昔、南京に仁戒上人といふ人ありけり。山階寺(やましなでら)の僧なり。才学、寺中にならぶ輩(ともがら)なし。しかるに、にはかに道心を起して寺を出でんとしけるに、その時の別当(べつたう)興正僧都、いみじう惜(を)しみて、制しとどめて出(いだ)し給はず。しわびて、西の里なる人の女(むすめ)を妻にして通ひければ、人々やうやうささやき立ちけり。人にあまねく知らせんとて、家の門に、この女の頭に抱(いだ)きつきて、後(うし)ろに立ち添ひたり。行き通る人見て、あさましがり、心憂(こころう)がる事限りなし。徒者(いたづらもの)になりぬと、人に知らせんためなり。さりながら、この妻とあひ具(ぐ)しながら、さらに近づく事なし。堂に入りて、夜もすがら眠らずして涙を落として行ひけり。この事を別当僧都聞きて、いよいよ貴(たふと)みて呼び寄せければ、しわびて逃げて、葛下郡(かつらぎのしものこほり)の郡司(ぐんじ)が聟(むこ)になりにけり。念珠(ねんず)などをもわざと持たずして、ただ心中の道心はいよいよ堅固(けんご)に行ひけり。

ここに添下郡(そふのしものこほり)の郡司、この上人(しやうにん)に目をとどめて、深く貴み思ひければ、跡も定めず歩(あり)きける尻(しり)に立ちて、衣食、沐浴(もくよく)等を営みけり。上人思ふやう、「いかに思ひて、この郡司夫妻はねんごろに我を訪(とぶら)ふらん」とて、その心を尋ねければ、郡司答ふるやう、「何事か侍らん。ただ貴く思ひ侍れば、かやうに仕(つかまつ)るなり。ただし、一事申さんと思ふ事あり」といふ。「何事ぞ」と問へば、「ご臨終(りんじゆう)の時、いかにしてかあひ申すべき」といひければ、上人、心に任せたる事のやうに、「いとやすき事にありなん」と答ふれば、郡司、手を摺(す)りて悦(よろこ)びけり。

さて年比(としごろ)過ぎて、ある冬、雪降りける日、暮(くれ)がたに、上人、郡司が家に来ぬ。郡司悦びて、例の事なれば、食物(くひもの)、下人どもにも営ませず、夫婦手ずからみづからして召させけり。湯なども浴(あ)みて臥(ふ)しぬ。暁はまた、郡司夫婦とく起きて、食物(くひもの)種々に営むに、上人の臥し給へる方香ばしき事限りなし。匂(にほ)ひ、一家に充(み)ち満(み)てり。これは名香などたき給ふなめりと思ふ。「暁はとく出でん」とのたまひつれども、上人、夜明くるまで起き給はず。郡司、「御粥出で来(き)たり。この由(よし)申せ」と御弟子にいへば、「腹悪(あ)しくおはする上人なり。悪(あ)しく申して打たれ申さん。今起き給ひなん」といひてゐたり。

さる程に、日も出でぬれば、例(れい)はかやうに久しくは寝(ね)給はぬに、あやしと思ひて、寄りておとなひけれど、音なし。引きあけて見ければ、西に向ひ端座合掌(たんざがつしやう)して、はや死に給へり。あさましき事限りなし。郡司夫婦、御弟子どもなど悲しみ泣きみ、かつは貴み拝みけり。「暁香(かう)ばしかりつるは極楽(ごくらく)の迎(むか)へなりけり」と思ひ合す。「終(をは)りにあひ申さんと申ししかば、ここに来たり給ひてけるにこそ」と、郡司(ぐんじ)、泣く泣く葬送(さうそう)の事もとり沙汰(さた)しけるとなん。
                                                                         

現代語訳

これも今は昔、奈良に任戒上人という人がいた。興福寺の僧である。その学問の才は、寺の中で並ぶ者はいなかった。ところが、急に求道心を起して、寺を出ようとしたので、その時の別当、興正僧都がたいそう惜しんで、引きとどめて出そうとはなさらなかった。上人は困り果て、西の里にいる人の娘を妻として、その家に通ったので、世間にも次第に噂が立ち始めた。上人はわざと人目につくように、娘の家の門前で、娘に抱きついたり、後にくっついて歩いたりした。道を行き交う人たちはそれを見て、あきれかえり、たいそういとわしく思った。これは「役立たずな人間になってしまった」と他人に思わせるために上人がわざとした事である。しかしながら、人前ではそのように振舞はしたが、この妻と連れ添いながら、いっこうに夫婦の営みを持つ事はなかった。堂に入って一晩中眠らずに涙を流して修行を行っていた。この事を別当僧都が聞き、ますます尊んで呼び寄せたので、途方に暮れて逃げ出し、葛下郡(かつらぎのしものこほり)の郡司の婿になってしまった。数珠などわざと持とうとしなかったが、心の中の求道心はますます堅固にして、修行に励んだのだった。

ここに添下郡(そふのしものこほり)の郡司が上人に目をつけて、深く尊く思ったので、行方も定めず歩き回る上人の後ろを追いかけるようにして、衣食、沐浴などのお世話をしていた。上人は、「何を考えてこの郡司夫婦は親切に私を見舞うのだろう」と思って、そのわけを尋ねると、この郡司は、「何があるものですか。ただ尊く思いましたので、このようにお手伝いをするのです。ただし、一言だけ申し上げたいことがございます」と言う。「それは何ですか」と尋ねると、「ご臨終の際に、どうすればお会いできるでしょうか」と言うので、上人は、それが自分の思い通りになるかのように、「とても簡単な事ですよ」と答えたので、郡司は手を摺り合せて喜んだ。

さて、何年か過ぎて、ある冬、雪が降った日の暮れ方に、上人が郡司の家にやって来た。郡司は喜んで、いつもの事なので、食物を使用人には作らせず、夫婦みずから手作りして食べさせたのであった。その後、上人は湯浴みなどをしてお休みになった。夜明けには郡司夫婦は早めに起きて、食物などいろいろと準備したが、上人がお休みになっている方角からたいそう香ばしい匂いがして、その匂いは家中に満ち広がった。これは名香など炊かれているのであろうと思った。「夜明けには早くに出て行こう」とおっしゃっていたが、上人は、夜が明けるまで起きられなかった。郡司は、「御粥ができました。この事を申しあげろ」と弟子に言うと、「短気な上人でいらっしゃいます。下手な事を言うと打たれます。もうすぐ起きてこられるでしょう」と言って、座っていた。

そうしていると、日も上がって来たので、いつもはこんなに長くお休みにならないのにと、変に思って、上人の部屋に近寄って声をかけても返事がない。戸を引き開けて見ると、西に向い、端座し合掌してすでに死んでおられた。あまりの事になんとも言いようがない。郡司夫婦や御弟子たちは悲しんだり泣いたり、また尊んで礼拝したりした。「夜明けに香ばしい匂いがしたのは、極楽からの迎えであったのだ」と皆は思い合った。「臨終の時にお会いしたいと申し上げたので、ここに来てくださったのだ」と、郡司は泣く泣く野辺の送りの事も取り計らったという。                             

語句

■南京-奈良。■仁戒上人-「仁戒」は伝未詳。『古事談』などでは、増賀の弟子の任賀。ここは任賀と見ておく。『続本朝往生伝』任賀伝には、「本是興福寺ノ英才。深ク後世ヲ恐レ、全ク名聞ヲ棄テ、或ハ寡婦ニ嫁スト称シ・・・」と紹介される。■ならぶ輩(ともがら)なし-比べられる者がいない。■山階寺(やましなでら)-興福寺。■興正僧都-従来、興正菩薩叡尊が擬せられてきたが、年代上の矛盾から疑問視もされていた。新大系の「空晴」とする新見に従いたい。空晴(876~957)は、天歴三年(949)に興福寺別当に就任。天歴二年以降は少僧都であった。■制しとどめて-引き留めて。■しわびて-困りきって。■やうやうささやき立ちけり-しだいに噂が立ち始めた。■あまねく-広く。■家の門に-女の家の門前で、わざと人目に立つ場所を選んだ。以下は、ことさらに女にうつつを抜かしているさまを他人に印象づけるためのふるまい。■立ちそひたり-くっついていた。■あさましがり-あきれかえり。■心憂がる-厭わしく思う。■徒者(いたづらもの)-役に立たないだめな男。■あひ具しながら-連れ添いながら。■さらに-いっこうに。■さらに近づく事はなし-まったく夫婦の営みはしなかった。『古事談』第三話の類話では「仁賀ハ堕落ノ由ヲ称シ、実ニハ片角ニテヨモスガラナキ居タルナリ」とする。■夜もすがら-一晩じゅう。■行ひけり-修業していた。■葛下郡(かつらぎのしものこおり)-現在の奈良県北葛城郡。「郡司」は群を治める職名。■念珠(ねんず)などをも-数珠なども。

■添下郡(そふのしものこほり)-現在の奈良県生駒郡。ここから以降は『古事談』などには不載。■尻に立ちて-後ろにつき従って。■沐浴(もくよく)-湯浴み。僧への供養の一つとされていた。■営みけり-ととのえた。■訪(とぶら)ふらん-見舞うのだろうかと思って。■何事か侍らん-何がありましょうか。■いかにしてかあひ申すべき-どうすればお会いできるでしょうか。郡司は任戒が疑いなく極楽に往生する「往生人」であることを確信し、彼との臨終時の結縁を熱望した。■心に任せたる事のやうに-思いのままにできることのように。■ありなん-ありましょう。「あらん」を強めた言い方。

■下人どもにも営ませず-使用人たちには手をつけさせずに。■手づからみづからして-自分たちの手でととのえて。■香ばしき事限りなし-限りなくかぐわしい香がしている。室内芳香は「往生人」の臨終時の瑞相の一つとされる。■名香などたき給ふなめり-名香をたいて仏に奉っておられるのであろう。■腹悪しくおはする-短気でいらっしゃる。怒りっぽくていらっしゃる。■悪しく申して-下手に声をおかけして。いらぬことを申し上げて。■今起き給ひなん-もうきっと起きてこられるでしょう。「給ひなん」は「給はん」の強意表現。

■寄りておとなひけれど-寝ておられる部屋に近寄って声をかけてみたが。■西に向ひ端座合掌して-往生を約束された「往生人」の臨終時の行儀。■極楽の迎へ-極楽からの聖衆(しょうじゅ)来迎。

備考・補足

■大寺院に安住してマンネリ化した出家者としての生活から抜け出すためには、寺を出てやり直すのが最善の方法と考える風潮が、平安中期ごろから始まった。『発心集』にはその例が多見される。本話における任戒(任賀)の行動はその「再出家」ぶりの典型を示すもの。思えば、仁賀の師である増賀(巻第十二ノ七話)もまた、狂気のふるまいによって多武峰(とうのみね)に隠棲し、世間と決別してみずからの信仰の純粋を守ろうとした先達であった。

朗読・解説:左大臣光永