序
原文
それ、申楽延年(さるがくえんねん)のことわざ、その源(みなもと)を尋(たづ)ぬるに、あるは仏在所(ぶつざいしよ)より起(おこ)り、あるは神代(かみよ)より伝(つた)ふといへども、時移(ときうつ)り、代隔(よへだ)たりぬれば、その風(ふう)を学(まな)ぶ力およびがたし。ちかごろ万人(ばんにん)のもてあそぶところは、推古天皇(すゐこてんわう)の御宇(ぎよう)に、聖徳太子(しやうとくたいし)、秦河勝(はたのかうかつ)におほせて、かつは天下安全(てんかあんぜん)のため、かつは諸人快楽(しょにんけらく)のため、六十六番(ろくじふろくばん)の遊宴(いうえん)をなして、申楽(さるがく)と号(ごう)せしよりこのかた、代々(よよ)の人(ひと)、風月(ふうげつ)の景(けい)を仮(か)って、この遊(あそ)びのなかだちとせり。 そののち、かの河勝(かうかつ)の遠孫(えんそん)、この芸(げい)を相続(あひつ)ぎて、春日(かすが)・日吉(ひよし)の神職(しんしよく)たり。よつて、和州(わしう)・江州(かうしう)のともがら、両社(りやうしや)の神事(しんじ)に従(したが)ふこと、いまに盛(さか)んなり。
されば、古(ふるき)を学(まな)び、新(あたら)しきを賞(しやう)するなかにも、全(また)く風流(ふうりう)をよこしまにすることなかれ。ただことばいやしからずして、すがた幽玄(いうげん)ならんを、うけたる達人(たつじん)とは申すべきか。まづこの道(みち)にいたらんと思(おも)はんものは、非道(ひだう)を行(ぎやう)ずべからず。ただし、歌道(かだう)は風月延年(ふうげつえんねん)の飾(かざ)りなれば、もつともこれを用(もち)ふべし。
およそ若年(じやくねん)よりこのかた、見聞(みき)きおよぶところの稽古(けいこ)の条々(でうでう)、大概(たいがい)注(しる)しおくところなり。
一、好色(かうしよく)・博奕(ばくえき)・大酒(たいしゆ)・三(みつ)の重戒(ぢゆうかい)、これ古人(こじん)のおきてなり。
一、稽古(けいこ)は強(つよ)かれ、情識(じやうしき)はなかれとなり。
現代語訳
そもそも、申楽という芸は、寿命を延ばす効果があると言われており、その起源を尋ねると、ある者はインドで起こったものだと言うし、別のある者は神代の時代から伝えられたものだと言い、判然としないが、時が過ぎ、時代が変わってくると、長い間に元の形は変化し、今はもうその原始的なやり方がわからなくなってしまっている。近頃、一般の人が楽しんでいる芸能の直接の起こりは、推古天皇の時代に、聖徳太子が、秦河勝(はたのかうかつ)に命じ、一面では天下安寧のため、又別の一面では人々の楽しみのためにと、六十六番の芸能を作って、これを申楽と名付けて以来、その後代々の人が、自然の風物を擬して、種々の申楽の芸を作って舞って見せたものである。
その後、河勝の子孫たちがこの芸をずっと継承し、大和の春日神社並びに近江の日吉神社での神事の際に奉仕をしていたのだ。そこで、今も盛んに大和申楽・近江申楽の諸座の連中が、両社の神事に合わせて舞っているのである。
それゆえ、申楽者たちが古い伝統を学び、新しい申楽を編み出していく中でも、決して風流かどうかということをないがしろにしてはいけない。とりわけ、謡の文句が上品で、舞台姿が美しいのを、世間で認められた達人と言うべきであろうか。そこでまず第一にこの道を極めようとする者は、専門外の事をあれこれ修行してはならない。ただし、和歌を作る才能は、申楽能を作る上に風情の美しさを添える効果があるから、もっともこれを用いるべきであろう。おおよそ自分が若いころから今まで父から見たり聞いたりした稽古のありようをほとんど全部次のように書き残すこととした。
一(ひとつ)、恋愛遊戯、博打、大酒(おおざけ)を三つの重大な戒めとする。これは父観阿弥の定めた掟である。
一(ひとつ)、稽古はうんと熱心に行い、自分勝手なやり方はいけない。
語句
■申楽延年-延年は中世に僧家の間で法会の際の遊宴として行われた芸能、延年の舞をいうが、ここでは申楽能が長寿延年の効果をもたらすものという考えから、申楽延年のことわざ(芸能)と称した。中世の趣を幾分伝えて、今の能[安宅]の中でシテ(主人公のこと。 また、主人公を演ずる者を)弁慶が延年の舞を舞う。■仏在所-「ほとけ、ますところ」とも読む。インド。■御宇-天皇が天下を治めている期間。■秦河勝-秦(はた)氏は漢民族の帰化人の子孫。古代に山城の国(京都府)太秦(うずまさ)地方に勢力を持っていた一族の首長が河勝で、聖徳太子の頃の人。広隆寺を建てたという。■かつは-一面には。■遊宴をなして-遊宴のための曲を作って。■風月(ふうげつ)の景(けい)を仮(か)って云々-自然の風物を借りてきて、申楽の曲を作る手助けとした。例えば、花に戯れる蝶の様を舞踊に表現して見せる類をいう。■春日(かすが)・日吉(ひよし)の神職(しんしよく)-春日神社や日枝(ひえい)神社の神職。申楽者は神職ではないが、神事祭りの申楽に奉仕するので神職という。■和州(わしう)・江州(かうしう)のともがら-大和(やまと)申楽・近江(おうみ)申楽の連中。大和国(和州)春日神社に奉仕する申楽の座がいくつもあり、また、近江国(江州)日吉(日枝)神社に奉仕する申楽の座も多数あって、鎌倉時代から両者がその芸を競っていた。■全(また)く風流(ふうりう)をよこしまにすることなかれ-けっして風流な芸能を邪道に陥れてはならぬ。■ことば-うたいの文句。■幽玄-上品な美しさがあること。■うけたる達人-世間で認められた達人。■非道-自分の専門でない道。申楽以外のこと。■行ず-修行する。■歌道(かだう)は云々-和歌を作る才能は、申楽能を作る上に文飾(文章・語句を飾りたてること)になるものだから。風月延年は申楽をいう。風月の景を借りた長寿延年の舞をいう意。■大概-おおむね。おおよそ。■博奕(ばくえき)-ばくち、さいころを振って行う。■古人-父の観阿弥を指す。■情識-自分勝手な考え。
備考・補足
<参考文献>
・風姿花伝・三道 現代語訳付き 世阿弥・竹本幹夫訳注
・花伝書(風姿花伝) 世阿弥編 川瀬一馬校注、現代語訳
・風姿花伝 世阿弥編 野上豊一郎・西尾実校訂
・現代語訳 風姿花伝 世阿弥著 水野聡訳
・風姿花伝 世阿弥 現代語訳:夏川賀央