平家物語 四十六 灯炉之沙汰(とうろのさた)

こんにちは。左大臣光永です。

近所のスーパーのレジに、見習いが何人か入りました。見習いとは思えないテキパキした働きで、おどろきました。今の若者の、優秀であることをあらためて実感しました。

本日は『平家物語』巻第三より「灯炉之沙汰(とうろのさた)」および「金渡(かねわたし)」です。

平重盛は人々の来世の救いのため四十八間の精舎を建て、毎月念仏を上げさせました。

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前回「無文(むもん)」からのつづきです。
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あらすじ

平重盛は来世での救いのために現世の悪行を絶とうという考えの深い人だった。

阿弥陀如来が人々を漏れなく救うために立てた四十八の請願(六八弘誓・ろくはつぐせい)になぞらえて、四十八間の精舎(寺院)を立て、各間に灯篭を点した。

毎月十四五日には、美しい女房たちを集め一間に六人ずつ、四十八間に二百八十八人を立たせ、時間を決めて声明を上げさせた。

十五日の日中にはみずから念仏の行列の中に入って、人々の救いのために祈った。

こうした行いに人々は感動し、重盛を「灯籠の大臣(とうろのだいじん)」と呼んだ。

原文

すべて此大臣(おとど)は、滅罪生善(めつざいしやうぜん)の御心ざしふかうおはしければ、当来(たうらい)の浮沈(ふちん)をなげいて、東山(ひがしやま)の麓(ふもと)に六八弘誓(ろくはつぐせい)の願(ぐわん)になぞらへて、四十八間(けん)の精舎(しやうじや)をたて、一間(けん)に一(ひと)つづつ、四十八間に四十八の灯籠(とうろ)をかけられたりければ、九品(くほん)の台(うてな)目の前にかかやき、光耀鸞鏡(くわうえうらんけい)をみがいて、浄土(じやうど)の砌(みぎり)にのぞめるがごとし。毎日十四日十五日を点じて、当家他家(たうけたけ)の人々の御方より、みめようわかうさかむなる女房達を多く請(しやう)じ集め、一間(いつけん)に六人づつ、四十八間に二百八十八人、時衆(じしゆ)にさだめ、彼両日(かのりやうにち)が間は、一心不乱の称名(しようみやう)声絶えず。誠に来迎引摂(らいかういんぜふ)の悲願も、この所に影向(やうがう)をたれ、摂取不捨(せつしゆふしや)の光(ひかり)も、此大臣(このおとど)を照(てら)し給ふらんとぞみえし。十五日の日中を結願(けつぐわん)として、大念仏ありしに、大臣みづから彼行道(ぎやうだう)の中にまじはツて、西方にむかひ、「南無安養教主弥陀逝(なむあんやうけうしゆみだぜんぜい)三界(がい)六道(だう)の衆生(しゆじやう)を、普(あまね)く済度(さいど)し給へ」と、廻向発願(ゑかうはつぐわん)せられければ、みる人慈悲(じひ)をおこし、きく者感涙(かんるい)をもよほしけり。かかりしかば、此大臣をば灯籠大臣(とうろうのだいじん)とぞ人申しける。

現代語訳

いったいこの大臣は、罪を滅して善を生ずる御心ざしが深くていらっしゃったので、未来の浮き沈みをなげいて、東山の麓に阿弥陀仏の四十八の願になぞらえて、四十八間の寺をたて、一間に一つずつ、四十八間に四十八の灯籠をおかけになったので、九品の台(極楽浄土にあるという、往生した者がすわる台)が目の前に輝き、光輝きが鸞鏡(らんけい)(鳳凰に似た空想上の鳥を裏に描いた鏡)をみがいて、浄土の地にのぞんでいるようである。

毎月十四日十五日を定めて、当家他家の人々の御方から、器量よく若く盛んな女房たちを多く招き集め、一間に六人ずつ、四十八間に二百八十八人を念仏の当番にして、その両日の間は一心不乱の称名の声がたえない。

まことに来迎引摂の悲願(阿弥陀仏が人の臨終の際に浄土に引き迎えようという悲願)も、この所にあらわれ、摂取不捨(阿弥陀仏が衆生を救い誰も捨てない)その光も、この大臣をお照らしになるだろうと見えた。

十五日の日中を最後として、大念仏を行ったところ、大臣みずからその行列の中にまじわって、西方に向かい、「南無安養教主弥陀善逝、三界六道の衆生を、あまねくお救いください」と、善根を注ぎ往生の願を立てられたので、みる人は慈悲をおこし、きく者は感激の涙をもよおした。

このようであったので、この大臣を灯籠の大臣と人は申した。

語句

■滅罪生善 罪障を滅し善根を生むこと。 ■当来 未来の浮き沈み。幸不幸。 ■東山の麓 東山麓小松谷に重盛の低宅があった。 ■六八弘誓 ろくはつぐぜい。四十八の弘誓。弘誓は衆生を救おうという誓い。『無量寿経』にある弥陀の四十八願をいう。 ■四十八間 柱と柱の間が四十八ある。 ■九品の台 極楽浄土にあるという、往生した者がすわる台。 ■光耀 光り輝くこと。 ■鸞鏡 鸞鳥(鳳凰に似た空想上の鳥)を裏面に彫刻した鏡。 ■砌 境・場所。 ■点じて 場所や日時を定めて。 ■時衆 じしゅ。昼夜を六つに分け、それぞれの時に勤めを行う輪番の僧(尼僧)。 ■来迎引摂 らいかういんぜふ。阿弥陀如来が人の臨終のときに迎えに来て、極楽浄土に引き導くこと。 ■影向 やうがう。神仏が衆生救済のため現れること。 ■摂取不捨 『観無量寿経』にある、あらゆる衆生を救って、捨てないという阿弥陀仏の誓い。 ■大念仏 融通念仏。大勢で唱える念仏。 ■安養教主弥陀善逝 安養は弥陀の浄土。弥陀善逝は阿弥陀仏。 ■三界六道 三界は欲・色・無色界。六道は天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄道。 ■廻向発願 善根を振り向けて、極楽往生の願をおこすこと。

ゆかりの地

正林寺(小松谷御坊)

智積院東にある浄土宗の寺院。平重盛の別邸、小松殿跡。平家滅亡後は関白九条兼実の山荘となった。九条兼実は円光大師(法然)に深く帰依していたため、自宅(月輪殿。現東福寺即宗院)に隣接するこの地に法然を招き、小松谷御坊と称した。

法然が弟子の住蓮・安楽とともに遠流となった「建永の法難」で、法然はここ正林寺から配流先へ出発したと伝わる。

浄教寺

承安年間(1171-75)平重盛が東山小松谷の邸内に建てた東山燈篭堂に始まる寺。東山燈篭堂は四方に12間の堂を建て、48間のそれぞれに仏を安置し燈篭を置き、48人の美少女に礼賛させたという。

寺は天正19年(1591)現在地に移転。境内に「内大臣平重盛公之碑」と記した石碑が立つ。四条寺町のすぐ南。

京都府京都市下京区貞安前之町620

平家物語 四十七 金渡(かねわたし)

平家物語巻第三より「金渡(かねわたし)」。平重盛は、平家一門の子々孫々までの繁栄のため、宋国に黄金を送りました。

あらすじ

平重盛は、平家一門の子々孫々までの繁栄のためには国内に良い行いをするだけでは足りないと考えた。

そこで鎮西(九州)から妙典という船頭を呼び寄せて三千両五百両を持たせ命じた。このうち五百両をお前に与える。三千両を宋朝にはこび、育王山(いおうざん)に行って僧ゆ千両を寄付し、二千両を宋国の帝にお渡し、田地を育王山に寄進して私の後世を弔わせよと。

妙典は重盛の言葉どおり宋国に渡り、仏照禅師徳光に会って取り次いでもらい、千両を育王山に、二千両を帝に渡した。

宋朝の帝はこのことを聞かれ、五百町の田代を育王山に寄付した。なので、日本国の大臣、平重盛公の後生を祈ることは今に続いているときいている。

原文

又おとど、「我朝(わがてう)にはいかなる大善根(だいぜんこん)をしおいたりとも、子孫あひついでとぶらはむ事有りがたし。他国にいかなる善根をもして、後世(ごせ)を訪(とぶら)はればや」とて、安元(あんげん)の比ほひ、鎮西(ちんぜい)より妙典(めうでん)といふ船頭(せんどう)を召しのぼせ、人を遥(はる)かにのけて、御対面(たいめん)あり。金(こがね)を三千五百両召し寄せて、「汝(なんぢ)は大正直(だいしやうぢき)の者であんなれば、五百両をば汝にたぶ。三千両を宋朝(そうてう)へ渡し、育王山(いわうさん)へ参らせて、千両を僧にひき、二千両をば御門(みかど)へ参らせ、田代(でんだい)を育王山へ申し寄せて、我後世とぶらはせよ」とぞ宣(のたま)ひける。妙典是(めうでんこれ)を給はツて、万里(ばんり)の煙浪(えんらう)を凌ぎつつ、大宋国(だいそうこく)へぞ渡りける。育王山の方丈(ほうじやう)、仏照禅師徳光(ぶつせうぜんじとくくわう)にあひ奉り、此由申したりければ、随喜感嘆(ずいきかんたん)して、千両を僧にひき、二千両をば御門へ参らせ、おとどの申されける旨(むね)を、具(つぶさ)に奏聞(そうもん)せられたりければ、御門大きに感じおぼしめして、五百町の田代(でんだい)を、育王山へぞ寄せられける。されば日本の大臣、平朝臣重盛公の、後生善処)ごしやうぜんしよ)と祈る事、いまに絶えずとぞ承る。

現代語訳

また大臣は、「わが国にはどれほど大きな善根を行い置いたとしても、子孫が末永く弔う事はない。他国にどんな善根をも行って、後世を弔われようぞ」

といって、安元の頃、鎮西から妙典という下級の僧を召しのぼらせ、人を遥かに遠ざけて、御対面あった。

金を三千五百両召し寄せて、

「お前はとても正直者であるので、五百両をお前に与える。三千両を宋朝に渡し、阿育王寺に届け、千両を僧に贈り、二千両を御門(皇帝)に届け、田地を阿育王寺へ寄進して、わが後世を弔わせよ」

とおっしゃった。

妙典はこれをいただいて、万里の波をしのぎながら、大宋国へ渡った。

阿育王寺の住職、仏照禅師徳光にお会いして、このことを申したところ、心から喜び感心して、千両を僧に贈り、二千両を御門へ献上して、大臣の申された次第を、細かく奏上されたところ、御門はたいそう感心されて、五百町の田代を阿育王寺へ寄進された。

であるので日本の大臣、平朝臣重盛公が、後生、極楽往生するように祈ることが、今まで絶えないときいている。

語句

■安元の比ほひ 1175-77年。 ■船頭 専当の当て字。雑役をする下級の僧。 ■三千五百両 額は諸本によって違いがある。 ■医王山 中国浙江省寧波の阿育王寺。鑑真和上ゆかりで有名。 ■田代 田一枚を代と数える。田の土地。 ■方丈 住職の居室。転じて住職のこと。 ■仏照禅師徳光 南宋の高僧。 ■ひく 贈る。 ■随喜 心から喜ぶこと。 ■後生善処 来世でよいところ(極楽浄土)に生まれること。

……

重盛は自分個人の来世のために金をつくして祈らせており世のため人のために祈っていないのは志の低いことだと思います。

そもそも大金を積むのは平家の財力があればこそできることでとくに重盛の立派さをしめすエピソードにはならないと感じます。

朗読・解説:左大臣光永