平家物語 五十八 競(きほふ)

原文

宮は高倉を北へ、近衛(こんゑ)を東へ、賀茂河(かもがは)をわたらせ給ひて、如意山(によいやま)へいらせおはします。昔清見原(きよみばら)の天皇の、いまだ東宮の御時、賊徒(ぞくと)におそはれさせ給ひて、吉野山へいらせ給ひけるにこそ、をとめのすがたをば、からせ給ひけるなれ。いま此君(このきみ)の御有様も、それにはたがはせ給はず。知らぬ山路を夜もすがらわけいらせ給ふに、いつならはしの御事なれば、御(おん)あしよりいづる血は、いさごをそめて紅(くれなゐ)の如し。夏草のしげみがなかの露けさも、さこそはところせうおぼしめされけめ。かくして暁方(あかつきがた)に三井寺へいらせおはします。「かひなき命の惜しさに、衆徒(しゆと)をたのんで、入御(にゆぎよ)あり」と仰せければ、大衆畏(おそ)れ悦(よろこ)んで、法輪院(ほふりんゐん)に御所をしつらひ、それにいれ奉(たてま)ツて、かたのごとくの供御(ぐご)したてて参らせけり。

あくれば十六日、高倉の宮の御謀反(むほん)おこさせ給ひて、うせさせ給ひぬと申すほどこそありけれ、京中の騒動(さうどう)なのめならず。法皇これをきこしめして、「鳥羽殿を御(おん)いであるは、御悦(おんよろこび)なり。ならびに御歎(おんなげき)と、泰親(やすちか)が勘状(かんじやう)を参らせたるは、これを申しけり」とぞ仰せける。

抑(そもそも)源三位入道、年ごろ日比(ひごろ)もあればこそありけめ、今年(ことし)いかなる心にて、謀反(むほん)をばおこしけるぞといふに、平家の次男、前右大将宗盛卿(さきのうだいしやうむねもりのきやう)、すまじき事をし給へり。されば人の世にあればとて、すぞろにすまじき事をもし、いふまじき事をもいふは、よくよく思慮あるべき物なり。

たとへば源三位入道の嫡子(ちやくし)、仲綱(なかつな)のもとに、九重(くぢゆう)にきこえたる名馬(めいば)あり。鹿毛(かげ)なる馬の、ならびなき逸物(いちもつ)、乗りはしり心むき、又あるべしとも覚えず。名をば木(こ)の下(した)とぞいはれける。前右大将(さきのうだいしやう)これをつたへきき、仲綱のもとへ使者たて、「きこえ候(さうらふ)名馬を、み候はばや」と宣ひつかはされたりければ、伊豆守(いづのかみ)の返事には、「さる馬はもツて候ひつれども、此ほどあまりに、乗り損じて候ひつるあひだ、しばらくいたはらせ候はんとて、田舎(でんじや)へつかはして候」。「さらんには力なし」とて、其後(そののち)沙汰もなかりしを、おほくなみゐたりける平家の侍共、「あツぱれ其馬は、をととひまでは候ひし物を」、「昨日(きのう)も候ひし」、「けさも庭乗(にはのり)し候ひつる」なンど申しければ、「さては惜しむござんなれ。にくし、こへ」とて、侍(さぶらひ)してはせさせ、ふみなンどしても、一日(いちにち)がうちに、五六度、七八度なンど、こはれければ、三位入道これを聞き、伊豆守よび寄せ、「たとひこがねをまろめたる馬なりとも、それほどに人のこはう物を、惜しむべき様(やう)やある。すみやかにその馬、六波羅(ろくはら)へつかはせ」とこそ宣ひけれ。伊豆守力およばで、一首の歌を書きそへて、六波羅へつかはす。

こひしくはきてもみよかし身にそへるかげをばいかがはなちやるべき

宗盛卿、歌の返事をばし給はで、「あツぱれ馬や。馬はまことによい馬でありけり。されども、あまりに主(ぬし)が惜しみつるがにくきに、やがて主が名のりを、金焼(かなやき)にせよ」とて、仲綱といふ金焼をして、むまやにたてられけり。客人来(まらうどきた)ツて、「きこえ候名馬を、み候はばや」と申しければ、「その仲綱めに、鞍(くら)をおいてひきだせ、仲綱め乗れ、仲綱めうて、はれ」なンど宣ひければ、伊豆守これをつたへきき、身にかへて思ふ馬なれども、権威について、とらるるだにもあるに、馬ゆゑ仲綱が、天下(てんか)のわらはれぐさとならんずるこそやすからねとて、大きにいきどほられければ、三位入道これを聞き、伊豆守に向かツて、「何事のあるべきと、思ひあなづツて、平家の人どもが、さやうのしれ事(ごと)をいふにこそあんなれ。其儀(そのぎ)ならば、いのちいきてもなにかせん。便宜(びんぎ)をうかがふでこそあらめ」とて、わたくしには思ひたたず、宮をすすめ申したりけるとぞ、後(のち)にはきこえし。

現代語訳

高倉宮は高倉小路を北へ、近衛通を東へ、賀茂川をお渡りになり、如意山にお入りになる。

昔清見原の天皇(天武天皇)が、いまだ東宮の御時、賊徒(近江朝廷方)に襲われなさって、吉野山へお入りになった時、乙女の姿に変装されたという。

いまこの君の御有様も、それとはお違いにならないだろう。

知らぬ山路を一晩中分け入りなさるのに、まったく慣れない御事であるので、御あしから出る血は、砂を染めて紅のようだ。

夏草のしげみの中に露が多いのも、さぞかしやっかいにお思いになっただろう。

こうして明け方に三井寺にお入りになる。

「生きる甲斐のない命の惜しさに、三井寺の衆徒をたのんで、寺に入るのである」

と仰せになると、三井寺の大衆は畏れよろこんで、(三井寺南院の)法輪院に御所をしつらえ、そこにお入れ申し上げて、形どおりのお食事を作って差し上げた。

明ければ十六日、高倉の宮がご謀反をおこしなさって、失踪されたと申すやいなや、京中大変な騒ぎとなった。

法皇はこれをお聞きになられて、

「鳥羽殿を出たのは、御よろこび事である。同時に御嘆き事があると泰親が勘状をよこしたのは、これを申したのだな」

と仰せになった。

そもそも源三位入道は、年ごろ日ごろ、目立った行いをしなかったからこそ命ながらえることができてきたのに、今年どんな心で謀反を起こしたかというと、平家の次男、前右大将(さきのうだいしょう)宗盛卿(むねもりのきょう)がしてはならない事をされたのだ。

だから人が権勢盛んであるからといって、むやみにしてはならない事をしたり、言ってはならない事を言うのは、よくよく考えるべきものである。

詳しく言うと、源三位入道の嫡子、仲綱のもとに、都で評判の名馬があった。鹿毛の馬で、ならびなき名馬、乗り具合走り具合、性格、他にあるとも思えない。

名を木(こ)の下と言われた。

前右大将がこれを伝え聞いて、仲綱のもとに使者を立て、

「評判の名馬を、みたいものです」

とおっしゃって使いなさったところ、伊豆守の返事には、

「そのような馬はもってございましたが、最近あまりに乗りすぎて疲れさせてしまっていますので、しばらく療養させようと、田舎へつかわしてございます」

「それでは仕方ない」

といって、その後は知らせもなかったのを、多く並み居る平家の侍たちが、

「ああなんと、その馬は、一昨日まではございましたのに」

「昨日もございました」

「けさも庭で乗ってございました」

などと申したので、

「それでは惜しむのだな。悪い。馬をよこせと言ってこい」

といって侍どもを馬で馳せさせ、手紙などでも、一日のうちに五六度、七八度など、要求したので、三位入道がこれを聞いて、伊豆守をよび寄せ、

「たとえ非常に高価な馬といっても、それほどに人がほしがる物を、惜しむということがあるか。すみやかにその馬を、六波羅へつかわせ」

とおっしゃった。

伊豆守は仕方なく、一首の歌を書き添えて、六波羅へつかわす。

こひしくは…

(私が恋しいなら戻ってこい。わが身により沿う影のように大切に思っている鹿毛のお前を、私が手放すとでも思うのか)

宗盛卿は、歌の返事をされないで、

「すばらしい馬だなあ。馬はほんとうによい馬であるよ。しかし、あまりに馬の主が惜しむのが憎いので、すぐに主の名乗りを、金焼にして焼き付けろ」

といって、仲綱という金焼をして、厩に置かれた。客人が来て、「評判でございます名馬を、見たいものです」と申したので、「その仲綱めに、鞍を置いて引き出せ、仲綱め乗れ、仲綱め打て、張れ」

などとおっしゃったので、伊豆守がこれを伝え聞いて、わが身にかえて大切に思う馬だが、権力づくでとられたことだけでも悔しいのに、馬のために仲綱が、天下の笑われ者となっていることが我慢できないといって、大いにお怒りになると、三位入道がこれを聞いて、伊豆守に向かって、

「何事があるだろうかと、侮って、平家の者どもが、そのようなふざけた事を言うのだな。そういうことなら、命生きても仕方がない。機会をうかがうことにしよう」

といって、私事としては平家討伐を思いつかないが、高倉宮にすすめ申し上げたのだと、後になってわかった。

語句

■如意山 如意ヶ嶽。東山三十六峰の北端。京都府と滋賀県の境。 ■清見原の天皇 天武天皇=大海人皇子。『日本書紀』には大海人皇子は兄である天智天皇の病の床で帝位を譲ろうと提案されたが、野心ありと見られることを警戒して辞退し、髪をそって吉野にこもった。その後、天智天皇が崩じて、壬申の乱が起こった。 ■いつならはしの御事なれば いつお習いになつたかわからない御事=まったく習いのない御事。 ■ところせう 所狭う。煩わしい。やっかいだ。 ■かひなき命 生きがいのない命。 ■法輪院 三井寺の南院にある寺。 ■申すほどこそありけれ 申すやいなや。 ■年ごろ日比もあればこそありけめ 源頼政は平治の乱の生き残りで、源氏の長老格。ここ20年間は平家政権の中、めだったふるまいをしなかったからこそ生き延びてこれたのに、の意。 ■すまじき事 してはならない事。 ■世にあればとて 権勢盛んであるからといって。 ■すぞろに わけもなく。むやみに。 ■たとへば 具体的に言うと。詳しく言えば。 ■九重 くぢゆう。内裏。宮中。転じて都のこと。 ■鹿毛なる馬 体が茶褐色である馬。 ■逸物 いちもつ。名馬。 ■心むき 気だて。性格。 ■乗り損じて 乗りすぎて馬を傷めて。 ■沙汰 命令。通知。 ■惜しむござんなれ 「惜しむにこそあるなれ」の転。惜しむのだな。 ■こへ 乞え。要求白。 ■こがねをまろめたる 金をまるめて作った=非常に高価な。 ■こはう物を 「こはんものを」の音便。 ■こいしくは… 「恋しくは来ても見よかしちはやぶる神のいさむる道ならなくに」(伊勢物語)にもとづく。 ■金焼 鉄を熱くして焼入れすること。 ■やすからね  心穏やかでいられない。 ■便宜 びんぎ。機会。 ■うかがふでこそあらめ 「うかがふにしてこそあらめ」の転。 

原文

これにつけても、天下の人、小松のおとどの御事をぞ、しのび申しける。或時(あるとき)小松殿、参内(さんだい)の次(ついで)に、中宮の御方へ参らせ給ひたりけるに、八尺ばかりありける蛇(くちなは)が、おとどの指貫(さしぬき)の左の輪(りん)をはひまはりけるを、重盛さわがば、女房達もさわぎ、中宮(ちゆうぐう)もおどろかせ給ひなんずととおぼしめし、左の手で、蛇(くちなは)の尾(を)をおさへ、右の手で、頭(かしら)をとり、直衣(なほし)の袖(そで)のうちにひきいれ、ちツともさわがず、つい立ツて、「六位や候、六位や候」と召されければ、伊豆守、其比(そのころ)はいまだ衛府蔵人(ゑふのくらんど)でおはしけるが、「仲綱(なかつな)」と名のツて、参られたるけるに、此(この)蛇(くちなは)をたぶ。給はツて弓場殿(ゆばどの)をへて、殿上(てんじやう)の小庭にいでつつ、御倉(みくら)の小舎人(こどねり)を召して、「これ給はれ」といはれければ、大きに頭(かしら)をふツてにげさりぬ。力およばで、わが郎等(らうだう)、競(きほふ)の滝口(たきぐち)を召して、これをたぶ。給はツてすててンげり。そのあした、小松殿よい馬に鞍(くら)おいて、伊豆守のもとへつかはすとて、「さても昨日(きのふ)のふるまひこそ、優(いう)に候ひしか。是(これ)は乗一(のりいち)の馬で候。夜陰(やいん)に及んで、陣外(ぢんげ)より傾城(けいせい)のもとへかよはれむ時、用ゐらるべし」とて、つかはさる。伊豆守、大臣(だいじん)の御返事(おんへんじ)なれば、「御馬かしこまツて給はり候ひぬ。昨日のふるまひは、還城楽(げんじやうらく)にこそ似て候ひしか」とぞ申されける。いかなれば、小松のおとどはかうこそゆゆしうおはせしに、宗盛卿は、さこそなからめ、あまツさへ人の惜しむ馬こひとツて、天下の大事に及びぬるこそうたてけれ。

同(おなじき)十六日の夜に入ツて、源三位入道頼政(げんざんみにふだうよりまさ)、嫡子伊豆守仲綱(ちやくしいづのかみなかつな)、次男源大夫判官兼綱(げんだいふのほうぐわんかねつな)、六条蔵人仲家(ろくじやうのくらんどなかいへ)、其子蔵人太郎仲光以下(そのこのくらんどたらうなかみついげ)、都合(つがふ)其勢三百余騎、館(たち)に火かけ、焼きあげて、三井寺へこそ参られけれ。

三位入道の侍(さぶらひ)に渡辺(わたなべ)の源三滝口競(げんざうたきぐちのきほふ)といふ者あり。はせおくれてとどまツたりけるを、前右大将(さきのうだいしやう)、競を召して、「いかになんぢは、三位入道のともをばせで、とどまツたるぞ」と宣ひければ、競畏(かしこま)つて申しけるは、「自然(しぜん)の事候はば、まツさきかけて、命を奉らんとこそ、日來(ひごろ)は存じて候ひつれども、何と思はれ候ひけるやらむ、かうともおほせられ候はず」。「抑朝敵頼政法師(そもそもてうてきよりまさぼうし)に同心せむとや思ふ。又これにも兼参(けんざん)の者ぞかし。先途後栄(せんどこうえい)を存じて、当家(たうけ)に奉公いたさんとや思ふ。ありのままに申せ」とこそ宣ひければ、競涙をはらはらとながいて、「相伝(さうでん)のよしみはさる事にて候へども、いかンが朝敵となれる人に同心をばし候べき。殿中(てんちゆう)に奉公仕らうずる候(ざうらふ)」と申しければ、「さらば奉公せよ。頼政法師がしけん恩(おん)には、ちツともおとるまじきぞ」とて入り給ひぬ。「侍(さぶらひ)に、競はあるか」、「候(ざうらふ)」、「候」とて、あしたよりゆふべに及ぶまで、祗候(しこう)す。やうやう日も暮れければ、大将いでられたり。競(きほふ)かしこまツて申しけるは、「三位入道殿、三井寺(みゐでら)にときこえ候。さだめて打手(うつて)むけられ候はんずらん。心にくうも候はず。三井寺法師(みゐでらほふし)、さては渡辺のしたしいやつ原(ばら)こそ候らめ。えりうちなンどもし候べきに、乗ツて事にあふべき馬お候ひつる、したしいやつめにぬすまれて候。御馬一疋くだしあづかるべうや候らん」と申しければ、大将、「もっともさるべし」とて、白葦毛(しろあしげ)なる馬の、煖延(なんれう)とて、秘蔵(ひさう)せられたりけるに、よい鞍(くら)おいてぞたうだりける。競屋形(やかた)にかへツて、「はや日の暮よかし。此(この)馬に打乗ツて、三井寺へはせ参り、三位入道殿のまツさきかけて、打死(うちじに)せん」とぞ申しける。日もやうやう暮れければ、妻子(さいし)どもかしこここへ立ちしのばせて、三井寺へ出で立ちける、心の中こそむざんなれ。ひやうもんの狩衣(かりぎぬ)の、菊とぢおほきらかにしたるに、重代(ぢゆうだい)の着背長(きせなが)の、緋威(ひをどし)の鎧(よろひ)に、星白(ほしじろ)の甲(かぶと)の緒をしめ、いか物づくりの大太刀(おほだち)はき、廿四(にじふし)さいたる大中黒(おほなかぐろ)の矢おひ、滝口の骨法(こつぽふ)忘れじとや、鷹(たか)の羽にてはいだりける、的矢一手(まとやひとて)ぞさしそへたる。滋藤(しげどう)の弓もツて、煖延(なんおう)にうち乗り、乗りがへ一騎うちぐし、舎人(とねり)男に持楯(もツだて)わきばさませ、屋形に火かけ、焼きあげて、三井寺へこそ馳(は)せたりけれ。

現代語訳

これにつけても、天下の人は、小松の大臣(重盛)の御事を、しのび申し上げた。

ある時小松殿が、参内のついでに、中宮(建礼門院)の御方へお参りになった時、三尺ほどもある蛇が、大臣の指貫の左の裾のへりを這い回ったのを、重盛がさわげば女房たちもさわぎ、中宮も驚かれると思われ、左の手で、蛇の尾をおさえ、右の手で、頭をとり、直衣の袖のうちにひきいれ、少しもさわがず、さっと立って、

「六位(蔵人)はいるか。六位はいるか」

とお召しになったところ、伊豆守、そのころはいまだ衛府蔵人(えふのくらんど)でいらしたが、

「仲綱」

と名乗って、参上されたので、この蛇を与えた。

頂戴して弓場殿を経て、殿上の小庭に出て、蔵人所の下級役人を召して、「これを頂戴せよ」とおっしゃると、役人は大いに頭をふって逃げ去った。

仕方ないので、わが郎党、競(きほふ)の滝口を召して、これを与えた。頂戴して捨ててしまった。

その翌朝、小松殿はよい馬に鞍おいて、伊豆守のもとへ遣わすということで、

「それにしても昨日のふるまいは、優雅でござったな。これは一番乗り心地の良い馬でございます。夜の闇の中、詰め所のあたりから女のもとに通われる時、お使いになるとよい」

といって遣わせた。

伊豆守は、大臣への御返事であるので、

「御馬かしこまって頂戴いたします。昨日の大臣のふるまいは、還城楽(げんじやうらく。舞楽の曲名)に似てございましたよ」と申された。

どうして小松の大臣はこのように立派でいらしたのに、宗盛卿は、そうでないのだろう。おまけに、人の惜しむ馬を奪って、天下の大事に及んだのは酷いことであった。

同月(五月)十六日の夜に入って、源三位入道頼政(げんざんみにゅうどうよりまさ)、嫡子伊豆守仲綱(なかつな)、次男源大夫判官(げんたいふのほうがん)兼綱(かねつな)、六条蔵人(ろくじょうのくらんど)仲家(なかいえ)、その子蔵人太郎(くらんどたろう)仲光(なかみつ)以下、総勢三百余騎、館に火をかけ、焼き尽くして、三井寺へ参られた。

三位入道の侍に渡辺の源三滝口(げんぞうたきぐちの)競(きおう)という者がある。馳せおくれて残っていたのを、前右大将(宗盛)が、競を召して、

「どうしてお前は、三位入道の供をしないで、残ったのか」

とおっしゃったところ、競が畏まって申し上げることは、

「万一の事がございましたら、まっさきに駆けて、命を差し上げ申し上げようと、日頃は思ってございましたが、何とお思いでございましたのでしょうか。ついてこいというようなことも仰せられませんでした」

「いったいお前は朝敵頼政法師に同心しようと思うのか。お前はかねて平家にも仕えていた者であるぞ。将来の繁栄を思って、当家に奉公しようと思うか。ありのままに申せ」

とおっしゃったところ、競うは涙をはらはらと流して、

「先祖代々のよしみは軽いことではございませんが、どうして朝敵となった人に同心をいたしましょう。この御殿に奉公申し上げようと思います」

と申したところ、

「ならば奉公せよ。頼政法師がした恩には少しも劣らない恩を与えようぞ」

といって中にお入りになった。

「侍所に、競はあるか」

「ございます」

「競はあるか」

「ございます」

といって、朝から夕方まで、つつしんでお仕えする。

だんだん日も暮れてくると、大将(宗盛)がお出ましになられた。

競がかしこまって申し上げたことは、

「三位入道殿は、三井寺に入ったとの噂でございます。三井寺法師に、きっと渡辺党の親しい奴らもございましょう。強い敵を選んで戦いなどもしようと思いますが、大事に当たって乗るべき馬がございましたのを、親しい奴めに盗まれてしまいました。御馬一疋くだし預からせていただけましょうか」

と申したところ、大将は、

「いかにもそうすべきだ」

といって、白葦毛である馬の、煖延(なんりょう)といって、ご秘蔵されていた馬に、立派な蔵をおいて競にお与えになった。

競は舘に帰って、

「はやく日が暮れてしまえ。この馬に乗って、三井寺に馳せ参り、三位入道のまっさきかけて、討ち死にせん」

と申した。

日もだんだん暮れてくると、妻子どもをそこかしこに隠れさせて、三井寺へ出発した、その心の中はつらかった。

表紋の狩衣の、菊綴ぢを大きくつけたのを、先祖代々緋縅の鎧に、銀の星のついたかぶとの緒をしめ、いかめしく作った大太刀をはいて、二十四本さした大中黒の矢を箙にさして、滝口武士の礼儀作法を忘れまいということか、鷹の羽ではいだ的矢(宮中で的を射るための儀礼用の矢)を一組添える。

滋籐の弓もって、煖延に乗って、乗替の馬一騎をつれて、舎人の男に携帯用の楯をわきばさませ、舘に火をかけ、焼き尽くして、三井寺へ馳せていった。

六波羅では、競の宿所から火が出たということで、騒ぎあった。大将(宗盛)がいそいで出てきて、

「競はあるか」

とお尋ねになると、

「ございません」

と申す。

「ああ何と!やつの処分を先延ばしにしたばかりに、騙されたのだな。追いかけて討て」

とおっしゃったが、競はそもそもすぐれたる強弓を引く者、矢のつらぬく力もすさまじく、矢を連射する腕巧み。大力の剛の者、

「二十四本さした矢で、まず二十四人は射殺されるだろう。音を立てるな」

といって、向かう者はなかった。

三井寺には、その時競の噂をしていた。

渡辺党は、

「競を召し連れてくるべきでございましたのに。六波羅に残りとどまって、どうな酷い目にあってございましょう」

と申したところ、三位入道は競の心を知って、

「よもやその者、理由もなく捉えられ絡め取られはしないだろう。入道に志深い者である。今に見よ。すぐに参るだろう」

とおっしゃるのも終わらないうちに、

競がさっと出てきた。

「来ると思った」

とおっしゃった。

競がかしこまって申したのは、

「伊豆守殿(いずのこうのとの)の木ノ下(このした)のかわりに、六波羅の煖延をとって参ってございます。さしあげましょう」

といって、伊豆守にさしあげた。

伊豆守はなみなみならず喜んで、すぐに煖延のたてがみを切って、焼き印をして、次の夜六波羅へつかわし、夜半ごろ門のうちに追い入れた。

馬やに入って、他の馬どもと食い合ったので、舎人がおどろきあって、

「煖延が参ってございます」

と申す。

大将(宗盛)が急いで出て御覧になると、「昔は煖延、今は平の宗盛入道」という、焼き印をしていた。

大将、「いまいましい競めを、処分を先延ばしにして、してやられた事の恨めしさよ。今度三井寺に攻め寄せた時は、何としても、まず競めを生け捕りにせよ。ノコギリで首を斬ってやる」

といって、躍り上がり躍り上がりお怒りになったが、煖延のたてがみも伸びず、焼印もまた消えなかった。

語句

■中宮 高倉天皇中宮、建礼門院徳子。重盛の妹。 ■輪 りん。覆輪の略。指貫の裾のへりの部分。 ■つい立ッて 「つき立ちて」の音便。さっと立って。 ■六位 六位蔵人。宮中警護する六位の役人。 ■衛府蔵人 六衛府の役人で蔵人を兼任する者。 ■弓場殿 宮中で天皇が弓術を御覧になる場所。 ■御倉の小舎人 みくらのこどねり。蔵人所の小舎人。官位のない役人。 ■力およばで 仕方ないので。 ■競 きおう。渡辺党の競。渡辺党は摂津渡辺に拠点を置く嵯峨源氏の一族。渡辺綱の子孫。滝口の武士は宮中警護の武士。清涼殿正面東北の御溝水(みかわみず)が落ち込む「滝口」に詰所があったため。 ■優 優雅。 ■陣外 ぢんげ。陣は衛府の役人の詰所。外はそのあたり。 ■傾城 美人。遊女。 ■還城楽 げんじやうらく。舞楽の曲名。木製の蛇を地面に置いて舞う。見蛇楽・還京楽とも。蛇を好んで食べる故国の風習を雅楽にしたてたものとされる。または玄宗皇帝が韋皇后を誅伐して夜半に城に帰って来るまでを雅楽にしたとも。 ■同十六日 『玉葉』『山槐記』等には五月二十ニ日夜。 ■六条蔵人仲家 源賢方の子。木曽義仲の兄。頼政の養子。 ■自然の事 万一の事。もしもの事。緊急事態。 ■兼参 兼ねて仕えている者。頼政に仕えると同時に、平家にも仕えていること。 ■先途後栄 将来の道と後の繁栄。 ■ながいて 「ながして」の音便。 ■いかンが 「いかにか」の転。 ■仕らうずる候 「仕らうずるに候」の転。 ■侍に 侍所にの略。侍所は侍の詰所。 ■祗候 つつしんでお仕えする。 ■心にくうも候はず 恐れるほどの相手ではございません。 ■えりうち 強い敵を選んで戦うこと。 ■乗って事にあふべき馬 大事の時に乗るような馬。 ■もっともさるべし いかにももっともだ。いかにもそれがよい。 ■白葦毛 芦毛は馬の毛色のひとつ。灰色っぽい色。白葦毛は芦毛の白成分が多いもの。 ■煖延 なんれう。南鐐の当て字?南鐐は良質な銀のことで、白葦毛の馬の毛色からつけたもの。 ■ひやうもん 表文。紋の内を三色でいろどったもの。 ■菊とぢ 菊綴ぢ。直垂(ひたたれ)・水干(すいかん)・素襖(すおう)などの綴じ目につける菊の花の形をした飾り。 ■おほきらかしたる 大きくつけた。 ■重代の 先祖代々の。 ■着背長 鎧の別称。 ■緋縅の鎧 緋の糸で縅を縫った鎧。 ■星白の甲 甲の星を銀で包んでいるもの。星は甲にうちいこんだ釘の頭。 ■いか物づくりの いかめしく見えるように作った。 ■大中黒 矢の羽の模様。上下が白く、中心部が黒いのが中黒。そのうち、黒の範囲が広いのが大中黒。 ■骨法 礼儀作法。 ■的矢一手 競技用に的を射るための矢。一手はニ本。 ■滋藤の弓 柄に藤のツルをまきつけて装飾した弓。 ■乗りがへ 乗り換え用の馬。 ■持楯 もツだて。携帯用の楯。 ■手のべ 処置をのばして。 ■強弓 張りの強い弓を引く者。 ■精兵 せいびやう。1 弓を引く力の強いこと。またその者。 ■矢つぎばや 矢をつづけて速射すること。 ■無台 理由なく。 ■尾髪 馬のたてがみ。 ■入道 馬のたてがみを切ったのを剃髪した入道とみて洒落た。 ■やすからぬ しゃくにさわる。 ■手のび 処置を長引かせること。「手のべ」に同じ。

朗読 平家物語

朗読・解説:左大臣光永