平家物語 六十三 橋合戦(はしがつせん)

原文

宮は宇治と寺とのあひだにて、六度まで御落馬(おんらくば)ありけり。これは去(さんぬ)る夜(よ)、御寝(ぎよしん)のならざりしゆゑなりとて、宇治橋三間ひきはづし、平等院(びやうどうゐん)にいれ奉(たてま)ツて、しばらく御休息(ごきうそく)ありけり。六波羅(ろくはら)には、「すはや宮こそ南都へおちさせ給ふなれ。おツかけてうち奉れ」とて、大将軍(たいしやうぐん)には、左兵衛督知盛(さひやうゑのかみとももり)、頭中将重衡(とうのちゆうじやうしげひら)、左馬頭行盛(さまのかみゆきもり)、薩摩守忠度(さつまのかみただのり)、侍大将(さぶらひだいしやう)には、上総守忠清(かづさのかみただきよ)、其子上総太郎判官忠綱(かづさのたろうはうぐわんただつな)、飛騨守景家(ひだのかみかげいへ)、其子飛騨太郎判官景高(ひだのたらうはうぐわんかげたか)、高橋判官長綱(たかはしのはうぐわんながつな)、河内判官秀国(かはちのはうぐわんひでくに)、武蔵三郎左衛門有国(むさしのさぶらうざゑもんありくに)、越中次郎兵衛尉盛継(ゑつちゆうのじらうびやうゑのじようもりつぎ)、上総五郎兵衛忠光(かづさのごらうびやうゑただみつ)、悪七兵衛景清(あくしちびやうゑかげきよ)を先(さき)として、都合其勢二万八千余騎(まんはつせんよき)、木幡山(こはたやま)うちこえて、宇治橋のつめにぞおし寄せたる。かたき平等院にとみてんげれば、時をつくる事三ケ度(さんがど)、宮の御方(おんかた)にも時の声をぞあはせたる。先陣が、「橋をひいたぞ、あやまちすな。橋をひいたぞ、あやまちすな」とどよみけれども、後陣(ごぢん)はこれをききつけず、われさきにとすすむほどに、先陣二百余騎、おしおとされ、水におぼれてながれけり。

橋の両方(りやうばう)のつめにうツたツて、矢合(やあはせ)す。宮御方(みやのおんかた)には、大矢(おほや)の俊長(しゆんちやう)、五智院(ごちゐん)の但馬(たじま)、渡辺の省(はぶく)、授(さづく)、続(つづく)の源太(げんだ)が射ける矢ぞ、鎧(よろひ)もかけず、楯(たて)もたまらずとほりける。源三位入道は、長絹(ちやうけん)の鎧直垂(よろひひたたれ)に、しながはをどしの鎧(よろひ)なり。其日(そのひ)を最後とや思はれけん、わざと甲(かぶと)は着(き)給はず。嫡子伊豆守仲綱は、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、黒糸脅(くろいとをどし)の鎧なり。弓をつようひかんとて、これも甲は着ざりけり。ここに五智院の但馬、大長刀の鞘(さや)をはづいて、只一騎橋の上にぞすすんだる。平家の方(かた)にはこれをみて、「あれ射とれや者共」とて、究竟(くツきやう)の弓の上手どもが、矢さきをそろへて、さしつめひきつめ、さんざんに射る。但馬すこしもさわがず、あがる矢をばついくぐり、さがる矢をばをどりこえ、むかツてくるをば、長刀できツておとす。かたきもみかたも見物す。それよりしてこそ矢切(やきり)の但馬とはいはれけれ。

堂衆(だうじゆ)のなかに、筒井(つつゐ)の浄妙明秀(じやうめうめいしう)は、かちの直垂に、黒革威の鎧着て、五枚甲(ごまいかぶと)の緒をしめ、黒漆(こくしつ)の太刀をはき、廿四さいたる黒ぼろの矢おひ、塗籠籐(ぬりごめどう)の弓に、このむ白柄(しらえ)の大長刀とりそへて、橋のうへにぞすすんだる。大音声(だいおんじやう)をあげて、名のりけるは、「日ごろはおとにもききつらむ、いまは目にもみ給へ。三井寺にはそのかくれなし。堂衆のなかに、筒井の浄妙明秀といふ、一人当千(いちにんたうぜん)の兵者(つはもの)ぞや。われと思はむ人々は、寄りあへや、見参(げンざん)せむ」とて、廿四さいたる矢を、さしつめひきつめさんざんに射る。やにはに十二人射ころして、十一人に手おほせたれば、箙(えびら)に一つぞのこツたる。弓をばからと投げすて、箙もといてすててンげり。つらぬきぬいではだしになり、橋のゆきげたを、さらさらさらとはしりわたる。人はおそれてわたらねども、浄妙房が心地(ここち)には、一条二条の大路(おほち)とこそふるまうたれ。長刀でむかふかたき、五人なぎふせ、六人にあたるかたきにあうて、長刀なかよりうち折ツて、すててンげり。その後(のち)太刀をぬいて、たたかふに、かたきは大勢(おほぜい)なり、くもで、かくなは、十文字、とンばうかへり、水車(みづくるま)、八方(はつぱう)すかさずきツたりけり。やにはに八人きりふせ、九人にあたるかたきが甲(かぶと)の鉢(はち)に、あまりにつよううちあてて、目貫(めぬき)のもとよりちやうど折れ、くツとぬけて、河(かは)へざぶと入りにけり。たのむところは腰刀(こしがたな)、ひとへに死なんとぞくるひける。

現代語訳

高倉宮は宇治と寺との間で、六度まで落馬された。これは昨夜、お眠りになれなかったためだといって、宇治橋三間ぶんの板を引き外して、平等院に入れ申し上げて、しばらくご休息された。

六波羅には、「さあ高倉宮は南都へお逃れになるぞ。追いかけて討ち申し上げよ」

といって、大将軍には、左兵衛督知盛(さひやうゑのかみとももり)、頭中将重衡(とうのちゆうじやうしげひら)、左馬頭行盛(さまのかみゆきもり)、薩摩守忠度(さつまのかみただのり)、侍大将には、上総守忠清(かづさのかみただきよ)、其子上総太郎判官忠綱(かづさのたろうはうぐわんただつな)、飛騨守景家(ひだのかみかげいへ)、其子飛騨太郎判官景高(ひだのたらうはうぐわんかげたか)、高橋判官長綱(たかはしのはうぐわんながつな)、河内判官秀国(かはちのはうぐわんひでくに)、武蔵三郎左衛門有国(むさしのさぶらうざゑもんありくに)、越中次郎兵衛尉盛継(ゑつちゆうのじらうびやうゑのじようもりつぎ)、上総五郎兵衛忠光(かづさのごらうびやうゑただみつ)、悪七兵衛景清(あくしちびやうゑかげきよ)を先として、総勢二万八千余騎で、木幡山うちこえて、宇治橋のたもとに押し寄せた。

敵は平等院にいると見たので、鬨の声を三度上げる。高倉宮の御方にも、鬨の声をあわせた。

先陣が、

「橋を引いたぞ。間違えるな。橋を引いたぞ。間違えるな」

と騒いだが、後陣はこれを聞きつけず、われ先にと進むうちに、先陣二百余騎が押し落とされて、水におぼれて死んでしまった。

橋の両方のたもとに立って、矢合わせをする。高倉宮の御方には、大矢(おほや)の俊長(しゆんちやう)、五智院(ごちゐん)の但馬(たじま)、渡辺の省(はぶく)、授(さづく)、続(つづく)の源太(げんだ)が射た矢が、鎧でも止まらず、楯でも支えきれず、貫通した。

源三位入道頼政は、長い絹の鎧直垂に、品革縅(しながわおどし)の鎧である。その日を最後と思われたのだろうか、わざと甲はおかぶりにならない。

嫡子伊豆守仲綱は、赤地の錦の直垂に、黒糸縅の鎧である。弓を強く引こうということで、これも甲は着ていなかった。

ここに五智院の但馬が、大長刀の鞘をはずして、ただ一騎、橋の上に進んだ。

平家の方にはこれを見て、

「あれを射とれや者ども」

といって、力の強い弓の巧みな使い手たちが、矢先をそろえて、次々と速射して、さんざんに射た。

但馬はすこしも騒がず、上がる矢をつっとくぐり、下がる矢をを躍り超え、向かってくるのを長刀できって落とす。敵も味方も見物する。それ以来、矢切(やきり)の但馬と言われのだった。

堂衆の中に、筒井の浄妙明秀は、褐(かち。濃紺)の直垂に、黒革縅の鎧着て、五枚甲の緒をしめ、黒漆の太刀をはき、二十四本さした黒ぼろの矢を背負い、塗籠藤の弓に、自分好みの白柄の大長刀を取り添えて、橋の上に進んだ。

大声を上げて、名乗ったのは、

「日頃は噂にも聞いているかもしれぬ。今は目にも御覧になれ。三井寺には広く知られている者だ。堂衆の中に、筒井の浄妙明秀という、一人当千の勇者であるぞ。われと思う人々は、寄って出会え。相手をしよう」

といって、二十四本さした矢を、次々と速射した。その場で十二人射殺して、十一人に傷を負わせたので、箙に一本残った。

弓をからと投げ捨てて、箙も解いて捨ててしまった。

沓を脱いではだしになり、橋の行桁の上を、さらさらと走り渡る。人は恐れて渡らないが、浄妙房の感覚では、一条二条の大通りのようにふるまった。

長刀で向かう敵五人薙ぎ伏せ、六人目の敵にあって、長刀を中からうち折って、捨ててしまった。

その後太刀を抜いて戦うに、敵は大勢である。蜘蛛手、角縄、十文字、とんぼ返り、水車、八方すきまなく斬りまくった。

その場で八人斬り伏せ、九人目の敵の甲の鉢に、あまりに強く打ち当てて、目貫のもとからちょうと折れ、くっと抜けて、河へざんぶと落ちてしまった。

たのむところは腰刀のみ。ひたすら死にもの狂いで戦った。

語句

■宇治橋 宇治川にかかる橋。大化ニ年(646)大化の改新の翌年造営された。瀬田の唐橋、山崎の橋とならび、日本三古橋の一つ。 ■三間 間は橋の柱と柱の間。 ■平等院 元源融の別荘。藤原道長の別荘となり、永承7年(1052)その子頼通が、父道長の別荘を寺院に改め平等院と名付けたのが始まり。翌天喜元年(1053)、阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、平安時代の名仏師・定朝によって丈六の阿弥陀如来坐像が安置された。 ■知盛 清盛の子。 ■行盛 清盛の孫。基盛の子。 ■侍大将 侍かつ統率者。 ■上総守忠清 正しくは上総介(上総国は親王領であり守はいない)。藤原忠清。子に忠綱・忠光・景清がいる。 ■木幡山 京都と宇治の間。藤原氏代々の墓がある。 ■つめ 橋詰。橋のたもと。 ■橋をひいたぞ 橋板をはずしているぞ。 ■どよみけれども 騒いだが。 ■矢合 合戦のはじめに両方から鏑矢を射て合戦のはじまりの合図とするもの。 ■鎧もかけず 鎧でもとまらず。防げず。 ■楯もたまらず 楯でも支えきれず。 ■長絹 ちやうけん。長い絹布。 ■鎧直垂 鎧の下に着る直垂。 ■しながはをどし 羊歯革縅。羊歯の葉の紋様のある縅をつかった鎧。縅とは小札板を革や糸などの緒で上下に結び合わせる様式。 ■赤地の錦の直垂 地の赤い錦の直垂。大将軍が着る。 ■黒糸縅 黒い糸で縅した鎧。 ■さしつめひきつめ 次々と矢を弦につがえては射ること。「さす」は弦に矢をつがえること。「ひく」は弓を引くこと。 ■ついくぐり 「つきくぐり」の音便。ついっとくぐり。 ■かちの直垂 褐の直垂。かちは藍を染めて黒みがかったもの。緑かがっているが紺よりも色がさらに濃い。 ■五枚甲 錣(しころ)が五枚ある甲。錣は左右と首後ろに垂れて首を保護する部品。 ■黒ぼろ 黒いほろ羽の。ほろ羽は鳥の両翼の下に生えている羽。 ■塗籠藤 弓の幹に藤をまいて漆を塗り込んだもの。 ■やにはに 矢庭に。射たその場所で。 ■手おほせたれば 傷を負わせたので。 ■箙 背中にしょって、矢を入れておく箱。 ■つらぬき 貫。毛皮でつくった狩猟用の沓。 ■橋のゆきげた 橋と並行に走る柱。 ■蜘蛛手 以下、太刀の使い方の名。蜘蛛手は蜘蛛の足のように中心から前後左右に太刀をふるうこと。角縄はねじれた揚げ菓子のことで、ぐるぐる回りながら斬ることか。十文字はそのまま。とんぼ返りはとんぼがクルッと方向を変えるように突如方向を変えて斬りかかること。水車は水車のようにぐるぐると大手を振り回しつつ斬ること。 ■八方すかさず 八方に隙間がないように。 ■目貫 刀の柄から刀身を貫いて通した金具。これで刀身を固定してある。 ■腰刀 鞘巻。鍔のない刀。 

原文

ここに乗円坊(じやうゑんばう)の阿闍梨慶秀(あじやりけいしう)が召しつかひける、一来法師(いちらひほふし)といふ、大力(だいぢから)のはやわざありけり。つづいてうしろにたたかふが、ゆきげたはせばし、そばとほるべきやうはなし。浄妙房が甲(かぶと)の手さきに手をおいて、「あしう候、浄妙房」とて、肩(かた)をづんどをどりこえてぞたたかひける。一来法師打死(うちじに)にしてんげり。浄妙房はふはふかへツて、平等院の門のまへなる芝(しば)のうへに物具(もののぐ)ぬぎすて、鎧にたツたる矢目(やめ)をかぞへたりければ、六十三、うらかく矢五所。されども大事(だいじ)の手ならねば、ところどころに灸治(きうぢ)して、頭(かしら)からげ浄衣(じやうえ)着て、弓うちきり杖(つゑ)につき、ひらあしだはき、阿弥陀仏申して、奈良の方(かた)へぞまかりける。浄妙房がわたるを手本(てほん)にして、三井寺の大衆、渡辺党(わたなべたう)、はしりつづきはしりつづき、われもわれもとゆきげたをこそわたりけれ。或(あるい)は分(ぶん)どりしてかへる者もあり、或はいた手(で)おうて腹かききり、河(かは)へ飛びいる者もあり。橋のうへのいくさ、火いづる程ぞたたかひける。これをみて平家の方の侍大将(さぶらひだいしやう)、上総守忠清、大将軍(たいしやうぐん)が御(おん)まへに参ツて、「あれ御覧候へ。橋のうへのいくさ、手いたう候。いまは河をわたすべきで候が、をりふし五月雨(さみだれ)のころで、水まさツて候。わたさば馬人おほくうせ候ひなんず。淀(よど)、一口(いもあらひ)へやむかひ候べき。河内路(かはちぢ)へやまはり候べき」と申すところに、下野国住人(しもつけのくにのぢゆうにん)、足利又太郎忠綱(あしかがのまたたらうただつな)、すすみいでて申しけるは、「淀(よど)、一口(いもあらひ)、河内路(かはちぢ)をば、天竺(てんぢく)、震旦(しんだん)の武士を召して、むけられ候(さうら)はんずるか。それも我等こそむかひ候はんずれ。目にかけたるかたきをうたずして、南都へいれ参らせ候ひなば、吉野、十津川(とつかは)の勢(せい)ども馳(は)せ集(あつま)つて、いよいよ御大事(おんだいじ)でこそ候はんずらめ。武蔵と上野(かうづけ)のさかひに、利根河(とねがは)と申し候大河(だいが)候。秩父(ちちぶ)、足利、なかをたがひ、常は合戦をし候ひしに、大手(おほて)は長井(ながゐ)のわたり、搦手(からめて)は故我(こが)、杉(すぎ)のわたりより寄せ候ひしに、上野国の住人、新田入道(につたのにふだう)、足利にかたらはれて、杉の渡(わたり)より寄せんとて、まうけたる舟どもを、秩父が方(かた)よりみなわられて、申し候ひしは、『ただいまここをわたさずは、ながき弓矢の疵(きず)なるべし。水におぼれて死なば死ね。いざわたさん』とて、馬筏(むまいかだ)をつくツて、わたせばこそわたしけめ。坂東武者(ばんどうむしや)の習(ならひ)として、かたきを目にかけ、河をへだつるいくさに、淵瀬(ふちせ)きらふ様(やう)やある。此河(このかは)のふかさはやさ、利根河にいくほどのおとりまさりはよもあらじ。つづけや殿原(とのばら)」とて、まツさきにこそうち入れたれ。つづく人共(ども)、大胡(おほご)、大室(おほむろ)、深須(ふかず)、山上(やまがみ)、那波太郎(なはのたらう)、佐貫広綱四郎大夫((さぬきのひろつなしらうだいふ)、小野寺禅師太郎(をのでらぜんじたらう)、辺屋子(へやこ)の四郎(しらう)、郎等(らうどう)には、宇夫方次郎(うぶかたのじらう)、切生(きりふ)の六郎(ろくらう)、田中(たなか)の宗太(そうだ)をはじめとして、三百余騎ぞつづきける。足利大音声(あしかがだいおんじやう)をあげて、「つよき馬をばうは手にたてよ。よわき馬をばした手(て)になせ。馬の足のおよばうほどは、手綱(たづな)をくれてあゆませよ。はづまばかいくツておよがせよ。さがらう者をば、弓のはずにとりつかせよ。手をとりくみ、肩をならべてわたすべし。鞍壺(くらつぼ)によく乗りさだまツて、鐙(あぶみ)をつようふめ。馬の頭(かしら)しづまば、ひきあげよ。いたうひいてひツかづくな。水しとまば、三頭(さんず)のうへに乗りかかれ。馬にはよわう、水にはつようあたるべし。河(かは)なかで弓ひくな。かたき射るともあひびきすな。常に錣(しころ)をかたぶけよ。いたうかたむけて、手へん射さすな。かねにわたいておしおとさるな。水にしなうてわたせやわたせ」とおきてて、三百余騎一騎もながさず、むかへの岸(きし)へざツとわたす。

現代語訳

ここに乗円坊の阿闍梨慶秀が召し使っている、一来法師という、大力の早業使いがいた。浄妙坊の後ろに続いて戦っていたが、行桁は狭い、そばを通る手段はない。浄妙坊の甲の吹き替えしの外側に手を置いて、

「失礼いたします。浄妙坊」

といって、肩をずんと躍り超えて戦った。一来法師は討ち死にしてしまった。

浄妙坊は這いながら返って、平等院の門の前にある芝の上に鎧を脱ぎ捨てて、鎧に立った矢の跡を数えれば六十三、鎧の裏まで貫通した矢が五か所。それでも重傷ではないので、ところどころに灸をすえて治療して、頭を布でぐるぐる巻きにして、白い僧衣を着て、弓うちきり杖として突いて、下駄をはいて、阿彌陀佛を称え申して、奈良の方へ撤退した。

浄妙坊がわたるのを手本として、三井寺の大衆、渡辺党、走り続き走り続き、われもわれもと行桁を渡った。あるいは敵の首をぶん取って返る者もあり、あるいは重傷を負って腹かっ切り、河へ飛び入る者もあり。橋の上の戦は、火が出る程激しい戦いになってきた。

これを見て平家の方の侍大将、上総守忠清が、大将軍(知盛)の御前に参って、「あれを御覧くだされ。橋の上の戦は、手ごわくてございます。今は河を渡すべきでございますが、ちょうど五月雨の季節で、水かさが増しております。渡せば馬も人も多く失いますでしょう。淀、一口(いもあらい)へ向かうべきでございましょうか。河内路へ迂回すべきでございましょうか」

と申すところに、下野国住人、足利又太郎忠綱が進み出して申し上げることは、

「淀、一口、河内路を、天竺・震旦の武士を召して向けられるのでございますか。それには我らがお向かいしましょう。目にかけた敵を討たずに、南都へ入れ申し上げましたなら、吉野、十津川の軍勢らが馳せ集まって、ますます御大事になりますでしょう。

武蔵と上野の境に、利根川と申します大河がございます。秩父子と足利氏が仲違いして、いつも合戦をしていました時に、大手は長井の渡、搦手は古河・杉の渡より足利方が攻め寄せましたところ、上野国の住人、新田入道が、足利と語らわれて、杉の渡より(迂回して)攻め寄せようということで、準備した舟どもを、秩父勢からみな壊されて、申しましたのは、

『今すぐここを渡らないでは、ながき弓矢の傷となるに違いない。水に溺れて死ぬなら死んでしまえ。いざわたそう』

といって、馬筏をつくって、渡したからこそ渡せたのでしょう。坂東武者の常として、敵を目にかけ、河をへだてる戦に、深い浅いとこだわっている場合ではありません。

この河の深さ速さは、利根川にどれほどの勝り劣りもまさかありますまい。つづけや方々」

といって、真っ先に討ち入った。

続く人共、大胡(おほご)、大室(おほむろ)、深須(ふかず)、山上(やまがみ)、那波太郎(なはのたらう)、佐貫広綱四郎大夫((さぬきのひろつなしらうだいふ)、小野寺禅師太郎(をのでらぜんじたらう)、辺屋子(へやこ)の四郎(しらう)、郎等には、宇夫方次郎(うぶかたのじらう)、切生(きりふ)の六郎(ろくらう)、田中(たなか)の宗太(そうだ)をはじめとして、三百余騎が続いた。

足利は大声を上げて、

「強い馬を上流に立てよ。弱い馬を下流にせよ。馬の足の及ばない深さでは、手綱をゆるませて馬にまかせて歩ませよ。馬が躍り上がれば手綱を引き締めて泳がせよ。下流に流されそうな者を、
弓のはしに取り付かせよ。手を取り組み、肩をならべて渡すがよい。鞍壺によく乗りさだまって、鐙を強く踏め。馬の頭がしずめば引き上げよ。引き上げすぎてひっかぶるな。

水が浸ってきたら、馬の尻の上に乗りかかれ。馬には弱く、水には強く当たるがよい。河なかで弓ひくな。敵が射てもいっしょになって射るな。常に錣を傾けよ。傾けすぎて甲の頂上を射させるな。流れと直角に渡って押し落とされるな。水の流れに従って、わたせやわたせ」

と命令して、三百余騎、一騎も流さず、向かいの岸へざっと渡す。

語句

■甲の手さき 甲の吹き返し(左右の反り返った部分)の外側のところ。 ■矢目 矢の当たったところ。 ■うらかく 裏側まで貫通した。 ■大事の手 重症。手は傷。 ■灸治して 灸をすえて治療して。 ■頭からげ 頭を布でぐるぐる巻きにする。 ■浄衣 白い僧衣。 ■ひらあしだ 歯の低い下駄。高足駄に対していう。 ■分とり 敵の首をとること。 ■大将軍 知盛。 ■手いたう候 とても手強くございます。 ■淀 京都市伏見区。賀茂川・桂川・宇治川・木津川が合流する。 ■一口 いもあらひ。伏見区淀の東。今も東一口(ひがしいもあらい)の地名が残る。桜並木が美しい。巨椋池跡が近い。 ■河内路 京都から淀を経て河内へ行く道。 ■十津川 奈良県南部。 ■長井のわたり 埼玉県大里郡妻沼町長井の辺。 ■故我、杉のわたり 古河の渡は茨城県古河の辺。杉の渡は茨城県と群馬県の境。 ■新田入道 新田入道義重?八幡太郎源義家の子義国が上野国新田郡を領有して以来、その子孫が新田氏を名乗った。 ■かたらはれて 語らはれて。相談なさって。 ■馬筏 馬を川を横切る角度に複数頭並べて、筏のようにして川をわたること。 ■淵瀬嫌う様やある 淵は水の深いところ。瀬は水の浅いところ。水の深い浅いを選り好みしている場合か。 ■大胡 群馬県勢多郡大胡町の住人。足利の一族。 ■大室 勢多郡荒砥村大室の住人。 ■深須 勢多郡粕川村深津の住人。 ■山上 勢多郡新里村山上の住人。 ■那波 那波は佐波郡の一部。 ■佐貫 邑楽郡明和村大佐貫の住人。 ■小野寺 下都賀郡岩舟町小野寺の住人。 ■辺屋子 下都賀郡藤岡町部屋(部屋子)の住人。 ■うは手 上流。 ■した手 下流。 ■くれて 手綱を馬にくれてやるの意で、手綱をゆるませること。 ■はづまば 馬が躍り上がったら。 ■かいくッて  「かきくりて」の音便。「繰る」は手綱を引き締めること。 ■さがらう者 下流に流される者。 ■弓のはず 弓の上下のはず。 ■鞍壺 鞍の中央。乗り手の尻が入る場所。 ■ひッかずく 馬の頭をひっかぶる。あるいは水をかぶる。 ■水しとまば 水が染みてきたら。 ■三頭 馬の尻。 ■あひびき 互いに弓を引き合うこと。 ■錣 甲の左右と後ろにかけて取り巻く、首を保護するための板。 ■手へん 甲の鉢の中央。 ■かねに 流れに対して直角に。 ■水にしなうて 水の流れに従って。「しなふ」は逆らわない。従う。 ■おきてて 命令する。「掟て」。 

前の章「平家物語 六十ニ 大衆揃(だいしゆぞろへ)」|次の章「平家物語 六十四 宮御最期(みやのごさいご)
平家物語|原文・現代語訳・解説・朗読

朗読・解説:左大臣光永