平家物語 七十六 勧進帳(くわんじんちやう)
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本日は平家物語巻第五より「勧進帳(かんじんちょう)」です。文覚上人は高雄の神護寺再興の大願を立て、勧進(寄付)をもとめて、院の御所・法住寺殿におしかけます。
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前回「文覚荒行(もんがくのあらぎょう)」からのつづきです。
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あらすじ
諸国修行の旅にまわっていた文覚だったが(「文覚荒行」)、後には 高雄の山奥に落ち着いた。
この高雄に神護寺(じんごし)という寺があった。和気の清丸が建てた由緒ある寺だが、文覚の時代には荒れ果てていた。
文覚は神護寺を再建しようという大願を起こす。勧進帳を掲げてほうぼうを触れ歩く。
ある時、院の御所法住寺殿へ寄進を願いにいった。しかし詩歌管弦の 遊びの真っ最中で目通りも許されない。
そこで文覚は容赦なく坪(庭)に乱入し、大声で勧進帳を読み上げた。
原文
後(のち)には高雄(たかを)といふ山の奥に、おこなひすましてぞゐたりける。彼(かの)高雄に神護寺(じんごじ)といふ山寺あり。昔称徳天皇(しようどくてんわう)の御時、和気(わけ)の清丸(きよまる)がたてたりし伽藍(がらん)なり。久しく修造(しゆぞう)なかりしかば、春は霞(かすみ)にたちこめられ、秋は霧(きり)にまじはり、扉(とびら)は風に倒(たふ)れて、落葉(らくえふ)のしたにくち、甍(いらか)は雨露(うろ)にをかされて、仏壇(ぶつだん)さらにあらはなり。住持(ぢゆうぢ)の僧もなければ、まれにさし入る物とては、月日の光ばかりなり。文覚是(もんがくこれ)をいかにもして、修造(しゆざう)せんといふ大願(たいぐわん)をおこし、勧進帳(くわんじんちやう)をささげて、十方壇那(じつぽうだんな)をすすめありきける程に、或時院御所法住寺殿(あるときいんのごしよほふぢゆうじどの)へぞ参りたりける。御奉加(ごほうが)あるべき由奏聞(そうもん)しけれども、御遊(ぎよいう)のをりふしできこしめしも入れられず。文覚は天性不適第一(てんぜいふてきだいいち)のあらひじりなり。御前(ごぜん)の骨(こつ)ない様(やう)をば知らず、ただ申し入れぬぞと心えて、是非なく御坪(おつぼ)のうちへやぶりいり、大音声(だいおんじやう)をあげて申しけるは、「大慈大悲(だいじだいひ)の君にておはします。などかきこしめし入れざるべき」とて、勧進帳をひきひろげ、たからかにこそようだりけれ。
沙弥文覚敬白(しやみもんがくうやまつてまう)す。殊(こと)に貴賤道俗助成(きせんだうぞくじよじやう)を蒙(かうむ)って、高雄山(たかをさん)の霊地(れいち)に、一院を建立(こんりふ)し、二世安楽(にせあんらく)の大利(たいり)を勤行(ごんぎやう)せんと乞ふ勧進状(くわんじんのじやう)。
夫以(それおもんみ)れば真如広大(しんによくわうだい)なり。生仏(しやうぶつ)の仮名(けみやう)をたつといへども、法性随妄(ほつしやうずいまう)の雲あつく覆(おほ)って、十二因縁(いんえん)の峰にたなびいしよりこのかた、本有心蓮(ほんうしんれん)の月の光かすかにして、いまだ三徳(どく)四曼(まん)の大虚(たいきよ)にあらはれず。悲しい哉仏(かなぶつ)日(にち)早く没して、生死流転(しやうじるてん)の衢冥々(ちまたみやうみやう)たり。只色(いろ)に耽(ふけ)り酒にふける。誰か狂像跳猿(きやうざうてうゑん)の迷(まよひ)を謝(しや)せん。いたづらに人を謗(ぼう)じ法(ほふ)を謗ず。あに閻羅獄卒(えんらごくそつ)の責(せめ)をまぬかれんや。爰(ここ)に文覚たまたま俗塵をうちはらツて法衣(ほふえ)をかざるといへども、悪行猶(あくぎょうなお)心にたくましうして、日夜(にちや)に造り、善苗(ぜんべう)又耳に逆(さか)つて朝暮(てうぼ)にすたる。痛ましい哉再度三途(さいどさんづ)の火坑(くわきやう)にかへツて、ながく四生苦輪(ししやうくりん)にめぐらん事を。此故(このゆゑ)に無二(むに)の顕章千万軸(けんしやうせんまんぢく)、軸々(ぢくぢく)に仏種(ぶつしゆ)の因(いん)をあかす。随縁至誠(ずいえんしじやう)の法、一つとして菩提(ぼだい)の彼岸(ひがん)にいたらずといふ事なし。かるがゆゑに文覚無常(むじやう)の勧門(くわんもん)に涙をおとし、上下(じやうげ)の真俗(しんぞく)をすすめて、上品蓮台(じやうぼんれんだい)にあゆみをはこび、等妙覚王(とうめうかくわう)の霊場をたてんとなり。抑高雄(そもそもたかを)は、山うづたかくして鷲峰山(じゆぶうぜん)の梢(こずゑ)を表(へう)し、谷閑(しづ)かにして、商山洞(しゃうざんとう)の苔(こけ)をしけり。巌泉咽(がんせんむせ)んで布(ぬの)をひき、嶺猿(れいゑん)叫んで枝にあそぶ。人里とほうして囂塵(けうぢん)なし。咫尺好(しせきことな)うして信心(しんじん)のみあり。地形すぐれたり。尤(もっと)も仏天(ぶつてん)をあがむべし。奉加(ほうか)すこしきなり。誰か助成(じよじやう)せざらん。風聞(ほのかにきく)、聚沙為仏塔(じゆしやゐぶつたふ)、功徳忽(くどくたちま)ちに仏因(ぶついん)を感ず。況哉(いはんや)一紙半銭(いつしはんせん)の宝財(ほうざい)においてをや。願はくは建立成就(こんりふじやうじゆ)して、金闕鳳暦御願円満(きんけつほうれきごぐわんゑんまん)、乃至都鄙遠近(ないしとひゑんきん)、隣民親疎(りんみんしんそ)、堯舜無為(げうしゆんぶゐ)の化(くわ)をうたひ、椿葉再会(ちんえふさいくわい)の咲(ゑみ)をひらかん。殊(こと)には聖霊幽儀(しやうりやういうぎ)、先後大小(ぜんごだいせう)、すみやかに一仏真門(ぶつしんもん)の台(うてな)にいたり、必(かなら)ず三身万徳(じんまんどく)の月をもてあそばん。仍(よつ)て勧進修行(くわんじんしゆぎやう)の趣蓋以如斯(おもむきけだしもつてかくのごとし。
治承(じしよう)三年三月日(さんぐわつのひ) 文覚(もんがく)
とこそよみあげたれ。
現代語訳
後には高雄という山の奥に、修行に集中してすごしていた。その高雄に神護寺という山寺がある。昔称徳天皇の御時、和気清麻呂がたてた伽藍である。久しく修理していなかったので、春は霞に立ち込められ、秋は霧に交わり、扉は風に倒れて、落ち葉の下に朽ち、甍は雨露におかされて、仏壇はまったくむき出しである。
住寺の僧もいないので、まれにさし入る物としては、月日の光だけである。文覚はこれを何とでもして修理しようという大願をおこし、勧進帳(寄付をつのる趣旨と寄付者の名簿を書いたもの)をささげて、あちこちの施主に寄付をすすめまわっているうちに、ある時、院の御所、法住寺殿へ参った。
寄進なさるようと奏上したが、御遊をされている時であり、お聞き入れにもならない。文覚は生まれつき大胆不敵であることは第一の荒ひじりである。
御前の無作法なことを知らず、ただ取次が申さないのだと思い込んで、是非もなく御坪(中庭)の内に押し入り、大声をあげて申したのは、
「(法皇さまは)広大無辺に慈悲深い君にていらっしゃいます。どうしてお聞き入れにならないことがありましょう」
といって、勧進帳をひきひろげ、たからかに読むのだった。
沙弥文覚、つつしんで申し上げます。ことに尊賤僧俗あらゆる人々の助けを受けて、高尾山の霊地に、一院を建立し、現世後世を安楽にすごす大きな利益を得るためにおつとめしようと願う勧進の書状。
そもそも思えば永久不変の真理は広大である。衆生と仏を区別して仮の名を立てるといっても、宇宙の本体が妄念の雲であつく覆われ、十二因縁の峰までたなびいてからというもの、衆生が本来有する仏性は雲に隠される月のように光がかすかになり、いまだ真実の仏の世界の大空にあらわれない。
悲しいかな太陽というべき仏陀が早く没して、生死流転をしてさまよう世界は真っ暗である。ただ色にふけり酒にふける。
誰が狂った象・跳ねる猿のような迷いの境地から脱しえよう。いたずらに人を非難し、法を非難するばかりだ。どうして閻魔庁の獄卒の責めをまねかれようか。
ここに文覚はたまたま俗世の塵をはらって法衣で着飾ってはいるが、悪行は今も心に強く、日夜にふくらみ、(わずかな)善行の苗は耳に逆らって朝夕にすたれる。
痛ましいかな、再度三途の火坑(火の燃えている穴)にかえって、ながく苦しみの輪廻をくりかえすことは。
だから、唯一の釈迦の教え千万巻、巻巻に成仏する因縁を説き明かしている。随縁至誠の法(意味不明。解釈不可能)は、一つとして悟りの彼岸に到達できないということはない。
だから文覚は無常の道理を悟って涙をおとし、上下の僧にも俗人にもすすめて、極楽の最上位に行くようにて、仏の霊場をたてようというのだ。
そもそも高雄は、山高く、霊鷲山の梢そのままであり、谷閑かにして商山洞の苔をしいている。
岩間の泉はほとばしって白布を引いたように見え、猿が叫んで枝にあそぶ。
人里遠く俗な喧騒がない。このあたりは平穏で、信心のみに集中するのに向いている。
地形がいい。ひたすら仏を崇めることができる。寄付は少ないものだ。誰が助けないことがあるか。
伝え聞くところでは、子供が遊びで仏塔を造っても往生に因としてはたらくという。まして一枚の紙、銭半分の宝財を寄進すれば、どれほどの功徳であろう。
願はくは建立の願いが成就して、皇居と天皇の御代が安泰であれとの御願がすっかりかない、そしてまた都も田舎も遠くも近くも、隣の民衆も、親しい人も疎遠な人も、堯舜が意識せず自然によい政治を行ったような、そんなすばらしい治世を謳歌し、椿春再改というほどの長い時間の安泰を喜ぼう。
特に死者の霊が、早死する者も遅死にする者も、身分の高いも低いも、すみやかに法華経の説く唯一真実の浄土にいたり、必ず三身万徳となるだろう。
よって勧進修行の趣は、まさしく以上の通りである。
治承三年三月日 文覚
と読み上げた。
語句
■神護寺 延暦年間、和気清麻呂の創建。はじめ河内にあり、天長元年(824)高雄に移った。その後廃れていたが文覚が再興した。 ■称徳天皇 正しくは桓武天皇。 ■和気の清丸 和気清麻呂。称徳天皇の時、僧道鏡が帝位簒奪をこころみたため、宇佐八幡宮の信託という形で道鏡の野望をはばんだ。そのため道鏡により大隅に流されるが、道鏡失脚後、復帰し、光仁・桓武天皇に仕えた。平安京遷都にも働きが大きかったという。 ■勧進帳 勧進は仏事の修理、土木事業などのために寄付を求めること。寄付を求める趣旨と寄付者の姓名をしるしたもの。 ■十方 四方・四維・上下。あらゆる方面に。 ■檀那 施主。 ■或時… 『玉葉』承安三年(1173)四月二十九日条にみえる。 ■御奉加 財物を寄進すること。 ■御遊 管弦の遊び。 ■骨ない ぶしつけであること。 ■大慈大悲の 非常に慈悲深い。 ■沙弥 剃髪出家しているが俗人と同じ暮らしをしている者。 ■助成を蒙つて 助力を得て。 ■ニ世安楽 現世・来世にわたっての安楽。 ■大利 大きな利益(りやく)。 ■勤行 読経・回向などのおつとめ。 ■以れば 思うに。 ■真如 永久不変の真理。 ■生仏の仮名をたつ 俗人と仏を区別して仮の名を立てる。 ■法性 すべての存在や現象の真の本性。万有の本体。 ■随妄 迷いの心のままに行動すること。 ■十二因縁 過去・現在・未来にわたって輪廻する因果。無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死の十二。 ■本有心蓮 衆生が本来有する仏性。 ■三徳四曼 三徳は法身徳・般若徳・解脱徳。四曼は大曼荼羅・三昧耶曼荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅。仏の世界のこと。 ■大虚 大空。 ■仏日 太陽ともいうべき仏陀。 ■生死流転 生死を繰り返して流転すること。 ■冥冥 真っ暗であること。 ■狂象跳猿の迷 人のおさえがたい迷いを狂った象、跳ねる象にたとえる。 ■閻羅獄卒 閻魔庁の獄卒。 ■日夜に造り 悪行を日夜増やし。 ■善苗 善根となる言を苗にたとえる。 ■三途 火途(かず。地獄道)・刀途(とうず・餓鬼道)・血途(けつず・畜生道)の三悪道。 ■火坑 かきょう。火の燃えている穴。煩悩の恐ろしさをたとえる。 ■四生苦輪 四生(卵生・胎生・湿生・化生)の中を輪廻すること。四生は仏教において生物の生まれ方を4つに分類したもの。卵生は卵が生まれるもの(鳥・魚など)。胎生は母親の胎内から生まれるもの(人間など)。湿生は湿ったじめじめしたところから生まれるもの(虫など)。化生は業により何もないところから突然、生まれるもの(天人など)。 ■無二の顕章 またとない釈迦の教え。 ■仏種の因 成仏する因。 ■随縁至誠の法 意味不明。随縁は縁に従うこと。至誠は真実。釈迦の説かれた縁に従う法も、真実の法も? ■無常の観門 無常の道理を観じ悟ること。 ■真俗 僧と俗人。 ■上品蓮台 極楽の最高位。 ■等妙覚王 仏を敬っていう。 ■鷲峰山 じゅぶうぜん。霊鷲山。釈迦の説法した山。 ■商山洞 しょうざんとう。商山は中国長安の南。有徳の老人四人が秦の戦乱を避けて隠棲した場所。 ■巌泉咽んで… 「暁、長松ノ洞ニ入レバ、巌泉咽ンデ嶺猿吟ズ」(和漢朗詠集)。 ■囂塵 喧騒と塵埃。 ■咫尺好 咫は八寸、尺は十寸。咫尺は距離が身近いこと。ここでは近く、付近の意。好は平穏であること。周囲は平穏であること。 ■仏天 仏。 ■奉加 寄付。 ■風聞 ほのかにきく。伝え聞くところでは。 ■聚沙為仏塔 『法華経』にある言葉。子供が仏塔を建てて遊ぶ、そんなわずかな善根でも、成仏の因となるの意。 ■仏因を感ず 成仏の因となってはたらく。 ■建立成就 この寺の建立を成し遂げて。 ■金闕 皇居。天皇。 ■鳳暦 天皇の御代。 ■乃至 それにまた。 ■隣民親疎 隣の民衆も親しい者も親しくない者も。 ■堯舜無為の化 堯舜が自然におさめたような平和な治世。堯舜は古代中国の伝説的な名君。 ■椿葉再会 正しくは椿葉再改。「上古大椿有リ、八千歳ヲ以テ春ト為ス」(荘子・逍遥遊)。八千年を一春とする椿が改まるほどの、とても長い時間。 ■精霊幽儀 死者の霊魂。 ■先後大小 死の早い遅いや身分の上下。 ■一仏真門の台 法華経の説く、唯一絶対の浄土。 ■三身万徳の月 三身は仏の3種類の身のあり方(法身・報身・応身)。法身(ほっしん)は、宇宙の真理、真如そのもの。報身(ほうじん)は仏性のもつ属性、はたらき。応身(おうじん)はこの世に釈迦としてあらわれた姿。三身が具現していることを、三身即一、三身円満などという。ここでは月にたとえている。
……
仏教者とはここまで難解な言葉遣いをしなければならないのか。暗号のような、宇宙言語ともいうべき、誰にもわからない、すべての受け手を拒絶する、複雑怪奇な言葉づかいに、びっくりします。
ぜったいに話の内容を相手に伝えないぞという強い信念さえ感じます。注釈をつくるだけで大変でした。
しかし考えてみると、仏教の教えはサンスクリット語の経典が中国語に訳され、それが漢文として日本に輸入されたわけですから、
仏教の教理をわかりやすい日本語で表現すること自体が、できないんですね。もともと日本に存在しない概念ばかりなので。
仏教の教理を、正確に、厳密に表現しようとすると、どうしてもこのように日本語からかけ離れた、難解で意味不明な、宇宙言語になります。
こうした仏教の「わかりくさ」への反省から、後には法然上人の専修念仏や蓮如上人の「和讃」が生まれてくるわけです。
それしても文覚の勧進帳のすごいところは、これだけ難解でさっぱり意味がわからないのに、「なんかすごいこと言ってる」という勢いだけは伝わることです。これこそが文覚の人間力かと思います。
次の章「七十七 文覚被流(もんがくながされ)」