平家物語 八十四 紅葉(こうえふ)

『平家物語』巻第六より「紅葉」。

高倉天皇は風雅を愛される帝王だった。ある時、御所に風が吹いて紅葉が散り敷いた。それを召使いが掃き捨てて、のこった紅葉を酒を温める火種にした。

これが発覚してさわぎになるが、その時天皇がおっしゃった御言葉は…

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前回「新院崩御(しんいんほうぎょ)」からのつづきです。
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あらすじ

高倉上皇は人徳に優れた賢王で幼少の頃から柔和であられた。

十歳の頃、紅葉を大変愛され、庭に紅葉を植え、一日中眺め暮らしておられた。

ある時、風が激しく吹いて紅葉を吹き散らした。 庭掃除の召使どもが、その紅葉を集めて、酒を温める火種にした。

気づいた係の役人は、真っ青になって高倉天皇に報告する。しかし高倉天皇は「『林間に酒を煖(あたた)めて紅葉を焚く』という詩の心を、誰がお前たちに教えたのか」と感心され、何のお咎めもなさらなかった。

またある夜、遠くから悲鳴が聞こえるので使いの者をやると、女童が泣いていた。わけを訊くと「主人の使いで衣を運んでいたが、暴漢に襲われ、奪われてしまった」という。

高倉天皇は、そんな不届き者が出るのは、自分の人徳が至らないせいだとお嘆きになり、中宮の元に使いをやり、もっと上等の衣を取り寄せ、女童にお渡しになられた。

これほど人徳に優れ、国民に愛された高倉院だったが、21歳の若さで御崩御されたのは悲しいことだった。

原文

優(いう)にやさしう、人の思ひつき参らするかたも、おそらくは延喜(えんぎ)、天暦(てんりやく)の御門(みかど)と申すとも、争(いか)でか是(これ)にまさるべきとぞ人申しける。大(おほ)かたは賢王の名をあげ、仁徳(じんとく)の行(かう)をほどこさせまします事も、君御成人(ごせいじん)の後(のち)、清濁(せいだく)をわかたせ給ひてのうへの事にてこそあるに、此君(このきみ)は無下(むげ)に幼主(えうしゆ)の時より、性(せい)を柔和(にうわ)に受けさせ給へり。

去(さんぬ)る承安(しようあん)の比(ころ)ほひ、御在位(ございゐ)のはじめつかた、御年十歳ばかりにもならせ給ひけん、あまりに紅葉(こうえふ)をあいさせ給ひて、北の陣に小山をつかせ、はじ、かへでのいろうつくしうもみぢたるを植ゑさせて、紅葉(もみぢ)の山となづけて、終日(ひめもそ)に叡覧(えいらん)あるになほあきだらせ給はず。しかるをある夜野分(のわき)はしたなうふいて、紅葉(こうえふ)みな吹きちらし、落葉(らくえふ)頗(すこぶ)る狼藉(ろうぜき)なり。殿守(とのもり)のとものみやづこ朝ぎよめすとて是をことごとくはきすててンげり。のこれる枝散れる木葉(このは)をかきあつめて、風すさまじかりけるあしたなれば、縫殿(ぬひどの)の陣(ぢん)にて、酒あたためてたべける薪(たきぎ)にこそしてんげれ。奉行(ぶぎやう)の蔵人(くらんど)、行幸(ぎやうがう)より先にといそぎゆいてみるに跡かたなし。「いかに」と問へばしかしかといふ。蔵人大きにおどろき、「あなあさまし。君のさしも執(しつ)しおぼしめされつる紅葉(こうえふ)を、かやうにしけるあさましさよ。知らず、なんぢ等只今禁獄(きんごく)流罪(るざい)にも及び、わが身もいかなる逆鱗(げきりん)にかあづからんずらん」となげくところに、主上いとどしくよるのおとどを出でさせ給ひもあへず、かしこへ行幸なッて紅葉(もみぢ)を叡覧なるに、なかりければ、「いかに」と御(おん)たづねあるに、蔵人奏(そう)すべき方(かた)はなし。ありのままに奏聞(そうもん)す。天気(てんき)ことに心よげにうちゑませ給ひて、「『林間煖酒焼紅葉(りんかんにさけをあたためてこうようをたく)』といふ詩の心をば、それらにはたがをしへけるぞや。やさしうも仕りける物かな」とて、かへッて叡(えい)感(かん)に預(あづか)ッしうへは、あへて勅勘(ちよくかん)なかりけり。

又安元のころほひ、御方違(おかたたがへ)の行幸ありしに、さらでだに鶏人(けいじん)暁(あかつき)唱(とな)ふ声(こゑ)、明王(めいわう)の眠(ねぶり)をおどろかす程にもなりしかば、いつも御(おん)ねざめがちにて、つやつや御寝(ぎよしん)もならざりけり。況(いはん)やさゆる霜夜のはげしきに、延喜の聖代(せいたい)、国土の民ども、いかにさむからんとて、夜(よる)のおとどにして、御衣(ぎよい)をぬがせ給ひける事なンどまでも、おぼしめし出(いだ)して、わが帝徳(ていとく)のいたらぬ事をぞ御歎(おんなげき)ありける。やや深更(しんかう)に及ンで、程(ほど)とほく人のさけぶ声しけり。供奉(ぐぶ)の人々はききつけられざりけれども、主上(しゆしやう)きこしめして、「今さけぶ者は何者ぞ。きッとみて参れ」と仰(おほ)せければ、上臥(うへぶし)したる殿上人、上日(じやうにち)の者に仰す。はしり散ッて尋ぬれば、ある辻に、あやし女(め)の童(わらは)の、長持(ながもち)の蓋(ふた)さげて泣くにてぞありける。「いかに」と問へば、「主(しゆう)の女房の院の御所にさぶらはせ給ふが、此程(ほど)やうやうにしてしたてられたる御装束(おしやうぞく)もッて参るほどに、只今男の二三人まうできて、うばひとッてまかりぬるぞや。今は御装束があらばこそ、御所にもさぶらはせ給はめ。又はかばかしうたち宿らせ給ふべきしたしい御方もましまさず。此事思ひつづくるに泣くなり」とぞ申しける。さてかの女(め)の童(わらは)をぐして参り、此よし奏聞(そうもん)しければ、主上きこしめして、「あなむざん、いかなる者のしわざにてかあるらん。堯(げう)の代(よ)の民(たみ)は、堯の心のすなほなるをもッて心とするがゆゑにみなすなほなり。今の代の民は、朕(ちん)が心をもッて心とするがゆゑにかだましき者朝(てう)にあッて、罪(つみ)ををかす。是(これ)わが恥(はぢ)にあらずや」とぞ仰せける。「さてとられつらん衣(きぬ)は何色(なにいろ)ぞ」と御(おん)たづねあれば、しかしかの色と奏す。建礼門院(けんれいもんゐん)のいまだ中宮にてましましける時なり。その御方へ、「さやうの色したる御衣(ぎよい)や候」と仰せければ、さきのよりはるかにうつくしきが参りたりけるを、くだんの女(め)の童(わらは)にぞたまはせける。「いまだ夜ふかし。又さるめにもやあふ」とて、上日(じやうにち)の者をつけて、主(しゆう)の女房の局(つぼね)までおくらせましましけるぞかたじけなき。さればあやしのしづのをしづのめにいたるまで、ただ此君(このきみ)、千秋万歳(せんしうばんざい)の宝算(ほうさん)をとぞ祈り奉る。

現代語訳

すぐれて優雅であり、人が信頼を寄せ申し上げる点においても、おそらくは延喜・天暦の醍醐天皇・村上天皇と申すといっても、どうしてこの天皇にまさるだろうと人は申した。

だいたいは賢王としての名声をあげ、仁徳ある行いをほどこしなさる事も、天皇がご成人の後、物の良し悪しをおわかりになって後のことであるのに、この天皇はまったく幼主の時から、柔和な性格でいらした。

去る承安の頃、御在位のはじめのころ、御年十歳くらいにもなられた頃だろうか、あまりに紅葉をお愛しになられて、北の陣に小山をつくらせ、ハゼ、カエデの色うつくしく紅葉しているのを植えさせて、紅葉の山となづけて、一日中ごらんになってもなお飽き足らずいらっしゃる。

それをある夜、野分(台風)がはげしく吹いて、紅葉をみな吹きちらし、落ち葉がたいそう散り乱れた。主殿寮(とのもりょう)の下役人が朝の掃除をするといってこれをすべて掃き捨ててしまった。

残っている枝散った木の葉をかきあつめて、酒をあたためて飲む薪にしてしまった。

当番の蔵人が、行幸より先にといそいで行ってみると、跡かたもない。

「どうした」と問えば、こうこうですと訳をいう。蔵人は大いにおどろいて、

「ああ大変だ。わが君があれほどご執心されている紅葉を、このようにした呆れたことよ。知らないぞ。お前たちは、すぐにも禁獄流罪にまでされ、私の身もどのようなお咎めにあずかるだろう」

と嘆くところに、天皇はいつもよりいっそう早く夜のおとどをお出でになられるやすぐに、そこへ行幸されて紅葉を御覧になると、なかったので、「どうした」とお尋ねになると、蔵人は申し上げようもない。ありまままに奏上する。

すると天皇はたいそうご機嫌なごようすでお笑いになり、

「『林間に酒を煖(あたた)めて紅葉(こうよう)を焼(た)く」という詩の心を、そなたたちに誰が教えたのか。優雅にもいたしたものだな」

といって、かえってお褒めに預かった上は、特に天皇からのお咎めはなかった。

また安元のころ、御方違(おかたたがへ)の行幸があった時、ただでさえ夜間の時を知らせる役人の声が天皇の眠りをさまさせる頃にもなったので、いつもお寝覚めがちで、少しもお休みになられなかった。

まして激しく冷えこむ霜夜には、延喜の昔、醍醐天皇が国土の民はどんなにか寒いだろうと、御寝所で御衣をお脱ぎになった故事などまでも思い出されて、ご自分の天皇としての徳のいたらない事をお嘆きになった。

いよいよ夜ふけになって、遠くのほうから人のさけぶ声がした。お供の人々には聞きつけられなかったが、天皇はお聞きになって、

「今さけぶ者は何者であるか。すぐに見て参れ」

と仰せになると、宿直の殿上人が、当番の者に(見てこいと)仰せられた。

はしり散って尋ねると、ある辻に、身分の低い少女が、長持の蓋をさげて泣いているのだった。

「どうした」

ときくと、

「主人の女房が、院の御所にお仕えされているのですが、このほど、やっとのことで仕立てられた御装束をもって参るうちに、ただ今男が二三人参り来て、うばいとって去っていったのですよ。今はご装束があるからこそ、御所にもお仕えになれますが、(装束がなくなったのでお仕えできなくなります)。またしっかりした宿に住まわせてくださるような親しい御方もいらっしゃいません。この事を思いつづけて泣くのです」と申した。

さてその女の童をつれて参り、このこと奏上したところ、主上はお聞きになり、

「ああひどい、どんな者のしわざであろうか。堯の代の民は、堯の心がまっすぐなのをもって心とするから、みなまっすぐである。今の代の民は、朕の心をもって心とするから、心のねじけた者が国にあって、罪をおかす。これはわが恥でないだろうか」

と仰せになった。

「さて、とられてしまった衣は何色ぞ」

と御たずねあれば、これこれの色と奏上する。

建礼門院のいまだ中宮でいらっしゃった時である。その御方へ、「そのような色をした御衣はございますか」と仰せになると、前のよりはるかに美しいのが参ったのを、例の女の童にお与えになった。

「いまだ夜はふかい。またそのような目にもあうかもしれぬ」

と、当番の者をつけて、主人の女房の局までお送りになられたのはありがたいことであった。

このようであったので、身分の低い男、女にいたるまで、ただこの君のご寿命が、千年万年もつづくようにと祈り申し上げた。

語句

■延喜・天暦の御門 醍醐天皇・村上天皇。徳の高い政治を行った天皇の代表のようにいわれる。「世の中のかしこきみかどの御ためしに、もろこしには堯舜のみかどと申し、この国には延喜天暦とこそは申すめれ」(大鏡・ニ)。 ■無下に まったく。 ■承安 1171-75年。高倉天皇11-15歳。 ■北の陣 内裏の北中央の朔平門のところに、警護する近衛の陣があった。すぐ北に縫殿寮があるため、縫殿の陣ともいう。 ■はじ はぜ。はぜのき。櫨。ウルシ科の落葉喬木。舟形の葉が真っ赤に紅葉する。 ■野分 秋のはじめに吹く台風。 ■はしたなう はげしく。ひどく。 ■狼藉 入り乱れたさま。 ■殿守のとものみやづこ 主殿寮の下部。宮中の清掃などにあたる。「とのもりのとものみやつこ心あらばこの春ばかり朝ぎよめすな」(拾遺・雑春・源公忠)。 ■朝ぎよめ 朝の掃除。 ■すさまじ 寒い。 ■縫殿の陣 =北の陣。 ■奉行の蔵人 当番の六位の蔵人。 ■執しおぼしめされつる ご執心であられた。 ■逆鱗にあづかる 天子のお怒りを受けること。『韓非子』の故事により天子を竜にたとえていう。 ■いとどしく ふだんよりも早く。 ■よるのおとど 清涼殿中の、天皇の御寝所。朝餉(あさがれい)の間の東隣。よるのおまし。よんのおとど。 ■出でさせ給ひもあへず お出でになるやいなや。 ■天気 天皇のご機嫌。 ■林間煖酒焼紅葉 白楽天の詩句。『和漢朗詠集』上に収録。林の間で酒を温めて紅葉を焼くの意。 ■勅勘 天皇のお咎め。 ■安元 1175-1177年。 ■御方違 おかたたがえ。目的地の方角が悪い時、まず違う方角へ行ってそこで一泊して方角を変えて、あらためて目的地に向かうこと。 ■さらでだに ただでさえ。 ■鶏人 宮中で夜間に時刻をしらせる役人。「鶏人暁ニ唱フ、声明王之眠ヲ驚カス」(和漢朗詠集・下・禁中)。 ■明王 王。明は美称。 ■つやつや 少しも。 ■延喜の聖代… 醍醐天皇の故事。「大小寒のころほひ、いみじう雪ふりさえたる夜は、諸国民いかに寒からんとて御衣をこそ夜御殿よりなげいだしおはしましければ」(大鏡・六・昔物語)。「延喜御門も、さむくさゆる夜は、御衣をぬぎて、夜御殿よりなげいだし給けるといひつたへたり」(続古事談・一)。 ■やや深更に及ンで いよいよ夜が更けて。 ■きっと すぐに。さっそく。 ■上臥したる 宿直している。 ■上日の者 当番で勤務している者。 ■長持 衣類などを運ぶための、長方形の大きな箱。 ■やうやうにして やっとのことで。 ■まうで来て やって参って。主語が身分の低い男たちなので謙譲語を使う。 ■はかばかしう しっかりと。 ■堯 「堯舜ノ人、皆堯舜ノ心ヲ以テ心トナス。今寡人(私=禹)君トナルヤ百姓各自其心ヲ以テ心トナス。是ヲ以テ之ヲ痛ム也」。禹は夏王朝の創始者とされる古代中国の伝説的な皇帝。 ■すなほ まっすぐ。正直。 ■かだましき者 心がねじけた者。 ■朝 国。 ■建礼門院 承安ニ年(1172)中宮。養和元年(1181)院号。 ■千秋万歳の宝算 先年万年ものご寿命。宝は天皇の年齢。

……

「林間に酒を煖めて紅葉を焼く 石上に詩を題して緑苔を掃ふ」。

白楽天の「王十八の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す」より。

友達が故郷へ帰っていくのを見送る詩です。

林の中で紅葉を焼いて熱燗をしたり、石の上に緑の苔をはらって詩を書いたり、 楽しい青年時代を送った、懐かしい故郷。

その故郷に友は帰っていく。見送る私。
自分もいつ帰れるかなあ…みたいな内容です。

王十八の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す送王十八帰山寄題仙遊寺 白楽天

曾於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊無復到
菊花時節羨君廻

王十八(おうじゅうはち)の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す 白楽天

曾て太白峰前(たいはくほうぜん)に住み
数(しば)しば仙遊寺裏(せんゆうじり)に到りて来る
黒水(こくすい)澄む時 潭底(たんてい)出で
白雲 破るる処 洞門開く
林間に酒を煖めて紅葉(こうよう)を焼き
石上(せきじょう)に詩を題して緑苔(りょくたい)を掃う
惆悵(ちゅうちょう)す 旧遊(きゅうゆう) 復た到ることなき
菊花の時節 君が廻(かえ)るを羨(うらや)む

詩のくわしい解説はこちらです
https://kanshi.roudokus.com/Hakurakuten16.html

次回「葵前(あふひのまえ)」は、12/18(土)配信です。

朗読・解説:左大臣光永

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