平家物語 八十五 葵前(あふひのまえ)

『平家物語』巻第六より「葵前(あふひのまへ)」。

高倉天皇は葵の前という少女を寵愛されたが、世のそしりをはばかって、宮中に迎えることなどはなさらなかった。そして葵の前への御想いを歌に託される。

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前回「紅葉(こうえふ)」からのつづきです。
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あらすじ

建礼門院(中宮徳子)に仕えている女房の女童が、高倉天皇から寵愛されたことがあった。名を葵の前といった。

人々は、「この人は今に后に立つに違いない」と噂し、「葵女御(あおいのにょうご)」と呼んた。

高倉天皇は、人の口をはばかり、その後はお召しにならなかった。

関白藤原基房は、葵の前の身分の卑しいことが問題なら自分の猶子(養子)にしましょうと提案するが、高倉天皇はそれを退け、ご自分のお気持ちを古歌に託し、葵の前に贈られた。

忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと人の問うまで

冷泉少将隆房が取り次いでこの紙を葵の前に渡すと、葵の前は里へ帰り、つもる思いの激しさか、ついに死んでしまった。

「君が一日の恩のために、妾が百年の身をあやまつ(主君の一時の寵愛を受けたため、女性が身を誤った)」とは、まさにこのことだった。

昔、唐の太宗がある娘を後宮に入れようとしたところ、名臣の魏徴に諌められて思いとどまったことを思わせる話だった。

原文

中にもあはれなりし御事は、中宮の御方(おかた)に候(さうら)はせ給ふ女房の召し使ひける上童(しやうとう)、思はざる外(ほか)竜顔(りようがん)に咫尺(しせき)する事ありけり。ただよのつねのあからさまにてもなくして、主上(しゆしやう)常は召されけり。まめやかに御心ざしふかかりければ、主(しゆう)の女房も召し使はず、かへッて主の如くにぞいつきもてなしける。「そのかみ謡詠(えうえい)にいへる事あり。女(ぢよ)を生んでも悲酸(ひいさん)する事なかれ。男(なん)をうんでも喜歓(きくわん)する事なかれ男(なん)は候(こう)にだにも封(ほう)ぜられず。女(ぢよ)は妃(ひ)たり」とて后(きさき)にたつといへり。

「この人女御后(にようごきさき)とももてなされ、国母仙院(こくもせんゐん)ともあふがれなんず。めでたかりけるさいはひかな」とて其名(そのな)を葵前(あふひのまへ)といひければ、内々(ないない)は葵女御(あふひにようご)なンどぞささやきける。主上是(これ)をきこしめして、其後(そののち)は召されざりけり。御心(おんこころ)ざしのつきぬるにはあらず、ただ世のそしりをはばからせ給ふによッてなり。されば御(おん)ながめがちにて、よるのおとどにのみぞいらせ給ふ。其時の関白松殿(まつどの)、「御心苦しき事にこそあむなれ。申しなぐさめ参らせん」とて、いそぎ御参内(ごさんだい)あッて、「さやうに叡慮(えいりよ)にかからせましまさん事、何条事(なんでうこと)か候べき。件(くだん)の女房とくとく召さるべしと覚え候。しなたづねらるるに及ばず、基房(もとふさ)やがて猶子(いうし)に仕り候はん」と奏(そう)せさせ給へば、主上、「いさとよ。そこに申す事はさる事なれども、位を退いて後は、ままさるためしもあんなり。まさしう在位の時、さやうの事は、後代(こうたい)のそしりなるべし」とて、きこしめしもいれざりけり。関白殿力およばせ給はず、御涙(おんなみだ)をおさへて御退出(ごたいしゆつ)あり。其後(そののち)主上緑(みどん)の薄様(うすやう)のことに匂(にほひ)ふかかりけるに、古き事なれども、おぼしめしいでてあそばされける。

しのぶれどいろに出(い)でにけりわがこひはものや思ふと人のとふまで

此御手習(このおんてならひ)を、冷泉少将隆房(れんぜいのせうしやうたかふさ)給はりついで、件(くだん)の葵前(あふひのまへ)に給はせたれば、かほうちあかめ、「例(れい)ならぬ心地(ここち)いできたり」とて、里へ帰り、うちふす事五六日して、つひにはかなくなりにけり。「君が一日(いちじつ)の恩(おん)のために、妾(せふ)が百年(はくねん)の身をあやまつ」とも、かやうの事をや申すべき。昔唐(たう)の太(たい)宗(そう)の、鄭仁基(ていじんき)が娘(むすめ)を、元観殿(げんくわでん)にいれんとし給ひしを、魏徴(ぎちやう)、かの娘已(すで)に陸氏(りくし)に約せりといさめ申ししかば、殿(てん)にいるる事をやめられけるには、すこしもたがはせ給はぬ御心ばせなり。

現代語訳

中にもあわれ深かった御事は、中宮の御方にお仕えなさっている女房の召し使っていた少女が、思わぬことに天皇のおそば近くお参る機会があった。

ただ世間にありがちな、かりそめのことでもなく、天皇は常にお召しになった。

真実に御心ざしがふかかったので、主人の女房も(その少女を)召し使わず、かえって主人のように大切に扱った。

「昔、謳いはやされた言葉がある。女をうんでも悲しむな。男をうんでも喜ぶな。男は諸侯にさえ封ぜられない。女は妃になれる」

というのだ。

「この人は女御妃とも扱われ、天皇の母、女院とも仰がれるだろう。すばらしい幸いであるな」

といってその名を葵前(あふひのまへ)といったところ、内々は葵女御(あふひのにょうご)などとささやいた。

天皇はこれをお聞きになり、その後はお召しにならなかった。御気持が尽きたのではない。ただ世間のそしりをはばかりなさったためだ。

そのため物思いに沈まれがちで御寝所にばかり引きこもっておられた。その時の関白松殿(藤原基房)が、

「お心ぐるしき事であろう。なぐさめ参らせよう」

といって、いそいで御参内あって、

「そのようにお気持ちにかかっておられる事でしたら、なんのさしさわりがございましょう。その女房をはやくはやく召されるのがよいと存じます。家柄を尋ねられるにはおよびません。基房がすぐに猶子になしましょう」

と奏上なさると、天皇は、

「さてな、お前が申す事はそれはそうだが、位を退いて後は、時にはそのような例もあるときく。現に在位の時、そのような事は、後代のそしりとなるにちがいない」

と、お聞き入れにもなられない。関白殿は力およびなさらず、御涙をおさえて御退出された。

その後天皇は緑の薄い和紙のことに色あいが深いのに、古い歌であるが、思い出されてお遣わしになった。

しのぶれど…

(しのんでもしのびきれず、表に出てしまいましたよ私の恋は。なにか物思いに沈んでいるのですかと、人がきいてくるほどまでに)

この御手習いの歌を、冷泉少将隆房がとりつぎ申し上げて、問題の葵前にお与えになると、顔を赤らめて、

「気分が悪くなりました」

といって、里へ帰り、横になること五六日して、ついに亡くなってしまった。

「君の一日の恩のために、女が百年の身を損なった」とも、このような事を言うべきだろうか。

昔唐の太宗の、鄭仁基(てじんき)の娘を、元観殿(げんかでん)にいれようとなさったのを、魏徴が、その娘はすでに陸氏に婚約していますといさめ申したので、宮殿に入れる事をやめられたのには、すこしも違いにならない御心立てである。

語句

■上童 院・宮に召し使われている少年、少女。 ■思はざる外 思いの外と同じ。 ■咫尺 貴人のそばに接近すること。 ■あからさま かりそめの、いい加減な関係をさす。 ■まめやかに 誠実に。ま心から。 ■いつきもてなしける 大切に扱った。 ■女をうんでも悲酸する事なかれ… 『長恨歌伝』より。 ■国母仙院 国母は天皇の母。仙院は女院。 ■御ながめがちにて 物思いにふけりがちで。 ■松殿 藤原基房。忠通の次男。摂政関白。 ■何条事か候べき 何のさしさわりがございましょう。何もさしさわりはございません。 ■しな 家柄。 ■猶子 養子につぐ者。ほぼ養子と同じ意味。 ■いさとよ いやなに。さてね。 ■まま 間々。時に。 ■まさしう 現に。 ■緑(みどん)の薄様 「みどん」は「みどり」の音便。薄様は薄い鳥の子紙。 ■匂(にほひ)ふかかりけるに 色の深いのに。匂は色合い。 ■古き事 古い歌。 ■しのぶれど… 『拾遺集』恋、平兼盛。「天徳内裏歌合」で詠まれた歌で小倉百人一首四十番。 ■冷泉少将隆房 藤原隆季の子。高倉天皇の近臣。妻は平清盛の四女。 ■例ならぬ心地 病気。 ■君が一日の… 「君ガ一日ノ恩ノ為ニ、妾ガ百年ノ身ヲ悞(あやま)ツ」(白氏文集・四・井底引銀瓶)。わずなの間の恩寵をうけたたばっかりに女が身をそこねたの意。 ■鄭仁基 『貞観政要』に唐の太宗が鄭仁基の娘をまねいて充華(女官の名称)とした記事。そこから誤ったと思われる。 ■元観殿 宮殿の名らしい。 ■魏徴 唐の太宗の重臣。

過去配信ぶんから

01 祇園精舎
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12 鹿谷
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27 徳大寺厳島詣
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82 奈良炎上
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朗読・解説:左大臣光永

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