平家物語 百十一 経正都落

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『平家物語』巻第七より「経正都落(つねまさのみやこおち)」。平家一門都落ちに際し、平経正は、仁和寺の御室に琵琶の名器「青山(せいざん)」を預けおく。

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前回「忠度都落(ただのりのみやこおち)」からのつづきです。
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あらすじ

平経正は、平家一門都落ちに際し、幼少の頃お世話になった、仁和寺の御室を訪ねる。

御室の御前に招かれた経正は、郎党の藤兵衛有教(とうびょうえ・ありのり)から琵琶・青山を取り次ぎ、御室へ渡す。

このような名物を、戦の紛れの中に失うのはしのびない。もし運命が開けて都に帰ることがあれば、その時こそ下し預かりましょうと、涙ながらに託すのだった。

御室と経正は泣く泣く歌の贈答をして別れた。

経正が仁和寺を出ると、仁和寺の人々が涙ながらに見送る。中にも経正が幼少の時、小師(こじ。歳若い僧)であった大納言法印行慶(だいなごんほういん・ぎょうけい)は、桂川のはたまで経正を送り、歌を交わして別れた。

原文

修理大夫経盛(しゆりのだいぶつねもり)の子息、皇后宮亮経正(くわうごくうのすけつねまさ)、幼少にては仁和寺(にんわじ)の御室(おむろ)の御所(ごしよ)に、童形(どうぎやう)にて候(さうら)はれしかば、かかる忩劇(そうげき)の中(なか)にも 其御名残(おんなごり)きッと思ひ出でて、侍五六騎召し具して、仁和寺殿へ馳せ参り、門前にて馬よりおり、申し入れられけるは、「一門(いちもん)運尽きて、今日(けふ)既に帝都を罷出(まかりい)で候(さうらふ)。うき世に思ひのこす事とては、ただ君の御名残(なごり)ばかりなり。八歳の時参りはじめ候ひて、十三で元服(げんぷく)仕りしまでは、あひいたはる事の候はぬ外(ほか)は、あからさまにも御前(ごぜん)を立ちさる事も候はざりしに、今日(けふ)より後、西海千里の浪(なみ)におもむいて、又いづれの日いづれの時、帰り参るべしともおぼえぬこそ口惜しくこそ候へ。今一度御前(ごぜん)へ参ッて君を見参らせたう候へども、既に甲冑(かつちう)をよろひ弓箭(きゆうせん)を帯(たい)し、あらぬ様(さま)なるよそほひに罷(まか)りなッて候へば憚(はばか)り存じ候」とぞ申されける。御室(おむろ)哀れにおぼしめし、「ただ其(その)すがたを改めずして参れ」とこそ仰せけれ。

経正其日は紫地(むらさきぢ)の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、萌黄(もよぎ)の匂(にほひ)の鎧(よろい)着て、長覆輪(ながぶくりん)の太刀(たち)をはき、切斑(きりふ)の矢(や)負ひ、滋藤(しげどう)の弓わきにはさみ、甲(かぶと)をばぬぎ高紐(たかひも)にかけ、御前(おまへ)の御坪(おつぼ)に畏(かしこま)る。

御室やがて御出(ぎよしゆつ)あッて、御廉(みす)たかくあげさせ、「是(これ)へこれへ」と召されければ、大床(おほゆか)へこそ参られけれ。供に具せられたる藤兵衛有教(とうびやうゑありのり)を召す。赤地の錦の袋に入れたる御琵琶(おんびは)もッて参りたり。経正是をとりついで、御前にさしおき、申されけるは、「先年下しあづかッて候ひし青山(せいざん)もたせ参ッて候。あまりに名残(なごり)は惜しう候へども、さしもの名物(めいぶつ)を田舎(でんじや)の塵(ちり)になさん事、口惜しう候。若(も)し不思議に運命ひらけて、又都へ立ち帰る事候はば、其時こそ猶(なほ)下しあづかり候はめ」と泣く泣く申されければ、御室哀れにおぼしめし、一首の御詠(ぎよえい)をあそばいてくだされけり。

あかずしてわかるる君が名残をばのちのかたみにつつみてぞおく

経正御硯(おんすずり)くだされて、

くれ竹のかけひの水はかはれどもなほすみあかぬみやの中(うち)かな

さて暇(いとま)申して出でられけるに、数輩(すはい)の童形(どうぎやう)、出世者(しゆつせしや)、坊官(ばうくわん)、侍僧(さぶらひそう)に至るまで、経正の袂(たもと)にすがり、袖(そで)をひかへて、名残を惜しみ、涙をながさぬはなかりけり。其中(そのなか)にも、経正の幼少の時、小師(こじ)でおはせし大納言法印行慶(だいなごんのほふいんぎやうけい)と申ししは、葉室大納言光頼卿(はむろのだいなごんくわうらいのきやう)の御子(おんこ)なり。あまりに名残を惜しみて桂川(かつらがは)のはたまでうちおくり、さてもあるべきならねば、それより暇(いとま)こうて泣く泣くわかれ給ふに、法印かうぞ思ひつづけ給ふ。

あはれなり老木若木(おいきわかき)も山ざくらおくれさきだち花はのこらじ

経正の返事には、

旅ごろも夜な夜な袖をかたしきて思へばわれはとほくゆきなん

さてまいてもたせられたる赤旗、ざッとさしあげたり。あそこここにひかへて待ち奉る侍共、「あはや」とて馳(は)せあつまり、その勢(せい)百騎ばかり、鞭(むち)をあげ駒(こま)をはやめて、程なく行幸におッつき奉る。

現代語訳

修理大夫経盛(つねもり)の子息、皇后宮亮経正(こうごうのすけつねまさ)は、幼少の頃は仁和寺(にんなじ)の御室(おもろ)の御所で、稚児(ちご)姿で仕えておられたので、こんな騒がしい出来事の中でも、法親王(ほっしんのう)にお別れを申そうと思い出して、侍を五六騎召し連れて、仁和寺へ駆けつけ、門前で馬から下りて、申し入れられたのは、「平家一門の運が尽きて、今日はもう都を出て参ります。この世に思い残す事は、ただ君の御名残ばかりでございます。八歳で初めてこちらに参り、十三で元服いたしましたまでは、病気にかかりました外は、少しの間も御前を立ちさる事はありませんでしたが、今日から後は西海千里の海に赴いて、又いつ、帰れるとも思われぬのが悔しうございます。もう一度御前へ参って君を見参らせたいと思いますが、もう甲冑を着け、弓箭を持ち、失礼な姿をしておりますのでご遠慮申し上げます」と申された。御室は哀れにお思いになって、「ただその姿そのままで参れ」とおっしゃった。

経正、その日は紫地の錦(にしき)の直垂(ひたたれ)に、萌黄匂(もえぎにおい)いの鎧(よろい)を着て、長覆輪(ながぷくりん)の太刀を差し、切斑(きりふ)の矢を負い、滋藤(しげどう)の弓を脇に挟み、脱いだ甲を高紐にかけ、御前の中庭に畏(かしこ)まった。御室はすぐに御簾近くまでお出になって、御簾を高く上げさせ、「是へ、これえ」と召されたので、経正は大床の位置まで進まれた。供に連れて来られていた藤兵衛有教(とうびょうえありのり)をお呼びになる。有教は赤地の錦の袋に入れた御琵琶を持って来た。経正はこれを取り次いで、御前に据え置き、申されたのは、「先年下され預かっておりました青山(せいざん)を持たせて参りました。手離すのはあまりにも名残惜しうございますが、これだけの名品を田舎の塵にすることは、悔しうございます。若し幸いにも運が開けて、又都へ立ち帰る事がありましたなら、その時は、又、下されたものをお預りしましょう」と泣く泣く申されたところ、御室は哀れに思われて、一首の御詠を作ってお与えになった。

あかずしてわかるる君が名残をばのちの形見につつみてぞおく
(名残惜しく別れる貴方の形見として、これを大切に包んでおきます。)

経正は法親王の下された硯をいただいて、

くれ竹のかけひの水はかはれどもなほすみあかぬみやの(うち)中かな
(御所にある呉竹の筧を流れる水のように世の中は変ってしまいましたが猶も住み飽きしない宮の中であることよ)

そうしてお別れを告げて出られたが、数人の稚児、出世者、坊官、侍僧にいたるまでが経正の袂にすがり、袖を引いて、名残を惜しみ、涙を流さない者はいなかった。その中でも、経正が幼少の頃、小師でおられた大納言法印行慶(ぎょうけい)と申す僧は葉室大納言光頼卿(こうらいきょう)の御子であるが、余りにも名残を惜しんで桂川の辺迄送られたが、いつまでもそうしているわけにはいかず、そこでお暇(いとま)を願い、泣く泣くお別れになったが、法印は次ぎのように思いをお続けになられた。

あはれなり老木若木も山ざくらおくれさきだち花はのこらじ
(山桜は老木も若木も哀れである。早い遅いの違いはあっても花はみな散っていくのだ。哀れなことだ)

経正の返事には、

旅ごろも夜な夜な袖をかたしきて思へばわれはとほくゆきなん
(毎夜、旅装のままのひとり寝を続けて、私は遠くへ行くのであろう)

そうして巻いて持たせておられた赤旗をざっと差し上げた。あちこちで控えて待ち申していた侍共が、「それ」と言って、駆け集り、その勢力百騎程が、馬に鞭をあて
、足を速めて、まもなく行幸に追っつき申した。

語句

■仁和寺 京都市右京区の真言宗の寺院。延喜4年(904)宇多天皇がご出家後、法皇となられて、仁和寺に御室(おむろ)=僧坊を設けたことから「御室(おむろ)御所」とも呼ばれた。以後、仁和寺は幕末の慶応3年(1867)まで皇室出身の法親王が住職をつとめる門跡寺院として続いた。 ■童形 元服前の童姿。当時は貴族の子弟が子供の頃寺で生活して学ぶことが多かった。 ■忩劇 あわただしい騒ぎ。木曾義仲軍の都入りのこと。 ■御名残きッと思ひ出でて 法親王に別れを告げようとふと思い出したこと。 ■あひいたはる 「いたはる」は病気する。「あひ」は接頭語。 ■あらぬ様なるよそほひ 異様な姿。 ■憚り存じ候 お目にかかるのは恐縮に存じます。遠慮しておきます。 ■萌黄の匂 萌黄匂。下を濃く上にいくにつれて萌黄色をうすく匂わせた(ぼかした)もの。萌黄色は春先に萌え出る若葉のような黄緑色。 ■長覆輪の太刀 太刀の柄から石突きまで(先端から根本まで)、覆輪(金属の覆い。刀の保護と装飾を兼ねる)をかけ通したもの。 ■切斑の矢 黒白のはっきりした鷲の羽で矧いだ矢。 ■滋籐の弓 藤弦を巻きつけた矢。 ■高紐 鎧の前胴の肩口についている紐。ここに甲をかける。 ■大床 母屋の周囲を囲んでいる板敷の庇の間。 ■藤兵衛有教 経正の従者。「巻七 竹生島詣」にも登場。 ■青山 琵琶の名器。次章にその由来が語られる。 ■あかずして… 「飽かずして別るる袖の白玉を君が形見とつつみてぞゆく」(古今・離別 読人しらず)を引く。「名残」は名残の品。青山のこと。 ■くれ竹の… 「呉竹」清涼殿東庭の向かって右に配される。都の象徴。「かけひ」は木や竹の樋。庭に水を通す。「すみ」に「住み」と「澄み」をかける。 ■出世者 御室の近習の僧。 ■坊官 門跡家の事務を行う妻帯の僧。 ■侍僧 門跡家に仕える侍。 ■小師 授戒してからまだ十夏(夏冬の90日間の勤行を10年ぶん)を経ていない者。 ■大納言法印行慶 葉室大納言光頼の子としては系図に見えない。 ■葉室大納言光頼卿 藤原光頼。承安三年(1173)没。 ■桂川のはたまで 仁和寺から西へ進むとやがて桂川へ行き当たる。桂川は大井川の下流。 ■思ひつづけ給ふ 述懐の和歌を詠まれた。 ■あはれなり… 「老木若木」は平家一門の老いた者も若い者も。「おくれさきだち」は、遅かれ早かれ。滅びゆく平家一門を散りゆく山桜にたとえた。 ■旅ごろも… 「袖をかたしきて」は袖の片方をしいてそれを枕に寝ること。独り寝の寂しさを象徴。

朗読・解説:左大臣光永

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