平家物語 百十ニ 青山之沙汰(せいざんのさた)

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本日は『平家物語』巻第七より「青山之沙汰(せいざんのさた)」です。琵琶「青山」の来歴が語られます。

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前回「経正都落(つねまさのみやこおち)」からのつづきです。
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あらすじ

経正が十七歳の時、宇佐八幡宮(現大分県)への奉幣の勅旨となって下り、御殿に向かってこの「青山」を奏でたことがあったが、普段音楽など聞き馴れない宮人も、その見事な演奏に涙を流した。

「青山」は仁明天皇の御代、藤原貞敏が渡唐した時、唐国の琵琶の博士、廉承武(れんしょうふ)から秘曲とともに授けられたものである。

青山と共に「玄象」「師子丸」という琵琶も伝えられたが、嵐にあい、「獅子丸」だけは海底に沈んでしまった。

時代くだって村上天皇が深夜「玄乗」を奏でていると、廉承武の霊があらわれ、「秘曲のうち一曲を伝えそこねたので、魔道に落ちてしまった」と語る。そして傍らの青山を手にとり、残る秘曲を天皇に伝授したという。

その後「青山」は仁和寺に保管されていたが、経正の幼少の時、御室はたいそう経正を愛され、青山をお与えになった、ということらしい。

原文

此経正(このつねまさ)十七の年、宇佐の勅使を承ってくだられけるに、其(その)時(とき)青山を給はって、宇佐へ参り、御殿(ごてん)にむかひ奉り、秘曲をひき給ひしかば、いつ聞きなれたる事はなけれども、ともの宮人(みやうど)おしなべて、緑衣(りよくい)の袖をぞしぼりける。聞き知らぬやつこまでも村雨(むらさめ)とはまがはじな。目出たかりし事共なり。

彼(かの)青山と申す御琵琶(おんびは)は、昔仁明天皇(にんみやうてんわう)の御宇(ぎよう)、嘉祥(かしやう)三年の春、 掃部頭貞敏(かもんのかみていびん)渡唐の時、大唐(たいたう)の琵琶(びは)の博士(はかせ)廉承武(れんしようふ)にあひ、三曲 を伝へて帰朝せしに、玄象(けんじやう)、師子(しし)丸(まる)、青山、三面の琵琶を相伝(さうでん)してわたりけるが、竜神(りゆうじん)や惜しみ給ひけむ、浪風(なみかぜ)あらく立ちければ、師子丸をば海底に沈め、いま二面の琵琶をわたして、吾朝(わがてう)の御門(みかど)の御宝(おんたから)とす。村上の聖代応和(せいたいおうわ)のころほひ、三五夜中新月(さんごやちゆうのしんげつ)白くさえ、涼風颯々(りやうふうさつさつ)たりし夜(よ)なか半(ば)に、御門清涼殿(みかどせいりやうでん)にして玄象をぞあそばされける。時に影のごとくなるもの御前(ごぜん)に参じて、優(いう)にけだかき声にて唱歌(しやうが)をめでたう仕(つかまつ)る。

御門(みかど)御琵琶(おんびわ)をさしおかせ給ひて、「抑(そもそも) 汝(なんぢ)はいかなるものぞ。いづくより来(きた)れるぞ」と御尋ねあれば、「是(これ)は昔貞敏(ていびん)に三曲をつたへ候(さうら)ひし大唐(たいたう)の琵琶の博士(はかせ)廉承武(れんしようふ)と申す者で候が、三曲のうち秘曲を一曲のこせるによって魔道(まだう)へ沈淪(ちんりん)仕りて候。
今御琵琶の御撥音妙(おんばちおとたへ)にきこえ侍る間、参入仕るところなり。ねがはくは此曲を君にさづけ奉り、仏果菩提(ぶつくわぼだい)を証(しよう)ずべき」由申して、御前(ごぜん)に立てられたる青山をとり、転手(てんじゆ)をねぢて秘曲を君にさづけ奉る。三曲のうちに上玄石上(しやうげんせきしやう)是なり。其後(そののち)は君も臣もおそれさせ給ひて、此御琵琶をあそばしひく事もせさせ給はず。御室(おむろ)へ参らせられたりけるを、経正の幼少の時、御最愛(ごさいあい)の童形(とうぎやう)たるによって、下しあづかりたりけるとかや。甲(かふ)は紫藤(しとう)の甲、夏山の峰のみどりの木(こ)の間(ま)より、有明(ありあけ)の月のいづるを、撥面(ばちめん)に書かれたりけるゆゑにこそ、青山とは付けられたれ。にもあひおとらぬ希代(きたい)の名物なりけり。

現代語訳

この経正が十七の年、宇佐八幡宮の勅使を命じられて下られたが、その時青山をいただいて、宇佐へ参り、御転移向かい奉り、秘曲を弾かれたところあまり聞き慣れてはいなかったが、供の宇佐に仕える宮人がその曲全般にわたって緑衣の袖を絞ってお泣きになった。聞いた事がない奴までもが村雨の曲と間違える事はあるまいよ。目出度い事どもである。

この青山(せいざん)という御琵琶は、昔任明(にんみょう)天皇の御代、嘉祥(かしょう)三年の春、掃部頭貞敏(かもんのかみさだとし)が唐に渡った時、大唐の琵琶の博士廉承武(れんしょうふ)に会い、三曲を伝受されて帰国したが、その時、玄象(げんしょう)、師子丸(ししまる)、青山、三面の琵琶を相伝して帰ってきたが、竜神が惜しまれたのであろうか、波風が荒く立ったので、獅子丸を海底に沈めて竜神に供え、残り二面の琵琶を持ち帰り、我朝廷の御門の御宝としたのである。村上天皇の御代、応和の頃、十五夜に上ったばかりの月が白く輝き、涼風がさわやかに吹いた夜半に、御門が清涼殿で玄象をつま弾かれた。その時影のような物が御前に参って、優しい気高い声で唱歌を上手に歌った。

御門は御琵琶を置かれて、「そもそも汝は何者か。何処から参ったか」と御尋ねられると「私は昔貞敏に三曲を伝え申した大唐の琵琶の博士廉承武と申す者でございますが、三曲のうちに秘曲を一曲伝え残しましたので魔道へ沈んでおります。今御琵琶の御撥の音(ばちおと)がとてもすばらしく聞えましたので、参入いたしたところでございます。願わくばこの曲を君に授け申して成仏の望みをとげたいのでございます」と申して、御前に立てられていた青山を取って、転手(てんじゅ)を捩じって秘曲を君に授け申す。

三曲の中の上玄石上(じょうげんせきしょう)という曲がこれである。その後は、君も臣も恐れおののかれて、この琵琶を弾くこともなさらない。

御室へ差し上げなさってあったものを、経正が幼少のとき、御最愛の稚児だったので、下し預けられたということである。

甲(こう)は紫藤(しとう)の甲で、夏山の峰の緑の木の間から、有明の月が出る情景を、撥(ばち)の面に描かれていたので、青山とつけられたのである。玄象(げんじょう)に少しも劣らぬ名器であった。

語句

■宇佐の勅使 大分県宇佐市の宇佐八幡宮に幣帛を奉る勅使。宇佐八幡宮は全国に4万社あまりある八幡社の総本宮。 ■秘曲 延慶本には三秘曲のうち流泉(りゅうせん)を弾いたとある。 ■緑衣 六位の官人が着る緑色の袍衣。 ■仁明天皇 在位天長十~嘉祥三年(833-850)。平安京遷都後、五代目の天皇。 ■嘉祥三年の春 正しくは承和三年。 ■貞敏 藤原貞敏。承和ニ年(835)十月渡唐、同六年八月帰朝。 ■廉承武 底本「廉妾夫」。『十訓抄』には「劉二郎廉承武」と。 ■三曲 「石上流泉・啄木・楊真操」とする説(絲竹口伝等)のほか、「上玄石上・流泉白子・楊真操」説(十訓抄)、「流泉・啄木・楊真操」説(源平盛衰記)など。 ■玄象、師子丸、青山 玄象は玄上とも。師子丸は獅子丸とも。 ■聖代 徳の高い君主の下、よく天下が治まった時代。村上天皇は名君として名高い。 ■応和 961-964年。 ■三五夜中新月 「三五夜」は十五夜のこと。「三五夜中《さんごやちゅう》 新月の色 二千里外《にせんりがい》 故人《こじん》の心」(八月十五日夜禁中独直対月憶元九 白居易)。 ■御門清涼殿にして ほぼ同じ話が『古事談』六、『十訓抄』十にある。 ■唱歌 雅楽の旋律を口ずさむこと。 ■仏果菩提を証ず 仏道修行の結果として、悟りの境地に至りたい。「証ず」は悟りを開くこと。 ■転手 琵琶の頭部の弦を巻きつけておく部位。 ■上玄石上 琵琶の秘曲の一。詳細不明。「上玄」「石上」という一続きの二曲という説も。 ■甲 琵琶の背面。 ■紫藤 藤の慣用漢名。琵琶の用材。 ■撥面 琵琶の撥が当たる部分。正面。

朗読・解説:左大臣光永

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