平家物語 百四十七 八島院宣(やしまいんぜん)

原文

さる程に平三左衛門重国(へいざうざゑもんしげくに)、御坪(おつぼ)の召次(めしつぎ)、八島に参ッて院宣を奉る。大臣殿以下(おほいとのいげ)一門の月卿雲客(げつけいうんかく)寄りあひ給ひて、院宣をひらかれけり。
一人聖体(ひちぢんせいたい)、北闕(ほくけつ)の宮禁(きゆうきん)を出でて、諸州(しよしう)に幸(かう)し、三種(さんじゆ)の神器(じんぎ)、 南海四国にうづもれて数年(すねん)ををふ 。尤(もつと)も朝家(てうか)の歎(なげき)、亡国(ぼうこく)の基(もとゐ)なり。すべからく頼朝朝臣(よりとものあつそん)申し請(う)くる旨にまかせて、死罪におこなはるべしといへども、独り親族(しんぞく)にわかれて既に生捕(いけどり)となる。籠鳥(らうてう)雲を恋ふる思(おもひ)、遥(はる)かに千里の南海にうかび、帰雁(きがん)友を失ふ心、定めて、九重(きうちよう)の中途に通(とう)ぜんか。しかれば即ち三種の神器を返しいれ奉らんにおいては、彼(かの)卿を寛宥(かんいう)せらるべきなり。者(ていれば)院宣かくのごとし。仍(よつ)て執達如件(しつたつくだんのごとし)。
寿永三年二月十四日(じふしにち)                    大膳大夫業忠(だいぜんのたいぶなりただ)が承り、進上平大納言殿(へいだいなごんどの)へ
とぞ書かれたる。

現代語訳

さて平三左衛門重国(へいぞうさえもんしげくに)、御坪(おつぼ)の召次(めしつぎ)は八島に着いて院宣を差し上げる。大臣殿(宗盛)以下平家一門の公卿・殿上人が寄り集まって、院宣を開かれた。

天皇御一人が宮城を出て、諸国に行幸し、三種の神器、南海の四国に埋もれて数年が経つ。これが最も朝家(てうか)の歎きとするものであり、国の亡びる基である。そもそもかの重衡卿は東大寺を焼失させた謀叛の臣である。頼朝朝臣が請願した趣旨に沿って、当然死罪に処されるべきではあるが、一人親族に別れて既に生捕りとなる。籠の鳥が雲を恋い慕うような重衡の思いは、はるか遠く離れた四国(南海)の海に行っているだろうし、故郷に帰る雁が友をなくしてひとりぽっちのさびしい気持ちは、きっと遠く離れた八島の地へ通っている事であろう。それゆえ三種の神器を朝廷へ返納するならば重衡卿を放免することになろう。それゆえ院宣をこのように下すのである。よって伝えるのは以上である。
寿永三年二月十四日 大膳大夫業忠(だいぜんのだいふなりただ)が承り、平大納言殿(へいだいなごんどの)へ

と書かれていた。

朗読・解説:左大臣光永

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