平家物語 百六十三 那須与一(なすのよいち)

平家物語巻第十一より「那須与一(なすのよいち)」。那須与一、扇の的を射る。屋島の合戦中の華やかな一幕。

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前回「嗣信最期」からのつづきです。
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あらすじ

阿波・讃岐の豪族たちは次々に平家を背き、源氏に従う。義経軍はいつしか三百余騎に膨れ上がっていた。

夕暮れ時、沖に停泊している平家軍の船団から一艘の小舟が源氏の陣に近づいてくる。舟には歳十八九ばかりの女房が乗っており、船板に竿を立てた先に扇を挟んで、手招きしている。

義経が後藤兵衛実基を呼びたずねると、「射ぬいてみよ、という意味でしょう」というので、義経が誰に射させるべきか尋ねると、後藤兵衛は那須与一宗高を推薦する。

義経はすぐに与一を召し出す。与一は一度は辞退するが、義経の強い剣幕に、これ以上の辞退はまずいことになろうと、扇の的を射抜く決意をし、水際へ乗り出した。

原文

さる程に、阿波(あは)、讃岐(さぬき)に平家をそむいて源氏を待ちける者ども、あそこの嶺、ここの洞(ほら)より十四五騎、廿騎(にじつき)、うちつれうちつれ参りければ、判官(はうぐわん)ほどなく三百余騎にぞなりにける。 「今日(けふ)は日暮れぬ。勝負を決すべからず」とて引退(ひきしりぞ)く処(ところ)に、おきの方より尋常にかざッたる少舟(せうしう)一艘(さう)、みぎはへむいてこぎ寄せけり。磯へ七八段(たん)ばかりになりしかば、舟を横様(よこさま)になす。「あれはいかに」と見る程に、舟のうちよりよはひ十八九ばかりなる女房の、まことに優(いう)にうつくしきが、柳の五衣(いつつぎぬ)に紅(くれなゐ)の袴(はかま)着て、みな紅(ぐれなゐ)の扇(あふぎ)の日いだしたるを、舟のせがいにはさみたてて、陸(くが)へむいてぞまねいたる。判官、後藤兵衛実基(ごとうびやうゑさねもと)を召して、「あれは、 いかに」と宣(のたま)へば、「射よとにこそ候(さうらふ)めれ。ただし大将軍(たいしやうぐん) 、矢おもてにすすんで傾城(けいせい)を御覧ぜば、手たれにねらうて射おとせとのはかり事(こと)とおぼえ候。さも候へ、扇をば射させらるべうや候らん」と申す。「射つべき仁(じん)はみかたに誰(たれ)かある」と宣へば、「上手(じやうず)どもいくらも候なかに、下野国(しもつけのくに)の住人、那須太郎資高(なすのたらうすけだか)が子に与一宗高(よいちむねたか)こそ小兵(こひやう)で候へども手ききで候へ」。「証拠(しようこ)はいかに」と宣へば、「かけ鳥(とり)なンどをあらがうて、三(み)つに二(ふた)つは必ず射おとす者で候」。「さらば召せ」とて召されたり。

与一其比(そのころ)は廿(にじふ)ばかりの男子(をのこ)なり。かちに、赤地(あかぢ)の錦(にしき)をもッておほくび、はた袖(そで)いろへたる直垂(ひたたれ)に、萌黄威(もよぎをどし)の鎧着て、足白(あしじろ)の太刀をはき、切斑(きりふ)の矢の、其日のいくさに射て少々のこッたりけるを、頭高(かしらだか)に負ひなし、うす切斑(ぎりふ)に鷹(たか)の羽(は)はぎまぜたるぬた目の鏑(かぶら)をぞさしそへたる。滋籐(しげどう)の弓脇にはさみ、甲(かぶと)をばぬぎ高紐(たかひも)にかけ、判官の前に畏(かしこま)る。「いかに宗高、あの扇のまンなか射て、平家に見物せさせよかし」。与一畏ッて 申しけるは、「射おほせ候(さうら)はむ事、不定(ふぢやう)に候。射損じ候ひなば、ながきみかたの御(おん)きずにて候べし。一定仕(いちぢやうつかまつ)らんずる仁(じん)に仰せ付けらるべうや候らん」と申す。判官大きにいかッて 、「鎌倉をたッて西国(さいこく)へおもむかん殿原(とのばら)は、義経(よしつね)が命(めい)をそむくべからず。すこしも子細を存ぜん人は、とうとう是(これ)よりかへらるべし」とぞ宣(のたま)ひける。与一かさねて辞せばあしかりなんとや思ひけん、「はづれんは知り候はず、御定(ごぢやう)で候へば、仕(つかま)ッてこそ見候はめ」とて、御(おん)まへを罷立(まかりた)ち、黒き馬のふとうたくましいに、小(こ)ぶさの鞦(しりがい)かけ、まろぼやすッたる鞍(くら)おいてぞ乗ッたりける。弓とりなほし、手綱(たづな)かいくり、みぎはへむいてあゆませければ、みかたの兵(つはもの)共うしろをはるかに見おくッて、「この若者一定(わかものいちぢやう)仕り候ひぬと覚え候」と申しければ、判官もたのもしげにぞ見給ひける。

現代語訳

さて、阿波、讃岐で平家を背いて源氏を待っていた者どもが、あそこの峰、ここの洞窟から十四五騎、二十騎と次々と連れ立って参ったので、判官の軍勢は間もなく三百余騎になってしまった。

「今日は日が暮れた。勝負を決することはできぬ」といって引き退くところへ、沖の方から立派に飾った小舟が一艘、水際へ向けて漕ぎ寄せて来た。磯へ七八段ばかりの距離になると、舟を横向きにした。「あれはどういうことか」と見ていると、舟の中から年齢十八九ばかりの女房で、いかにも優雅で美しい女性が、柳の五つ衣に紅の袴を着て、紅で全体を塗り、真ん中に金色の日の丸をあしらった扇を舟棚(ふなだな)に挟んで立て、陸に向って手招きをした。判官は、後藤兵衛実基を呼んで、「あれはどういうことか」と言われると、「射よということでございましょう。ただし、大将軍が矢面に立って美人を見たら、弓の上手に狙って射落せとの計略だと思われます。そうでありましても、扇を射させられるべきかと存じます」と申す。「味方の中に誰か射る者がいるか」と言われると、「弓の上手はいくらでもおりますが、中でも下野国の住人、那須太郎資高(すけたか)の子で与一宗高(むねたか)こそ小柄ではございますが手練れでございます」。「証拠はどうだ」。と言われると、「飛んでいる鳥を射落すのを競っても三羽のうち二羽は射落す者でございます」。「それなら呼べ」といって呼ばれた。

与一そのころは二十ばかりの男であった。濃い紺地に赤地の錦をもって前襟、端袖(はたそで)を彩った直垂に、萌黄威の鎧を着て、足金を銀色で染めた太刀を差し、切斑の矢の、その日の戦で射て少々残ったものを、頭より上に高く負い、薄切斑に鷹の羽を剥ぎ混ぜ、鹿の角製の波の模様の入った鏑を挿し加えていた。滋籐の弓を脇に挟み、甲を脱ぎ高紐にかけ、判官の前に畏まる。「どうだ宗高、あの扇の真ん中を射て、平家に見物させてみよ」。与一が畏まって申したことには、「射れるかどうかはわかりません。射損じましたならば、長く源氏の恥になります。確実に射れる人に申しつけられべきだと存じます」と申す。判官はたいそう怒って、「釜倉を発って西国へ赴いた連中は、義経の命に背いてはならぬ。少しでも文句を言う者は、さっさとここから帰られるべきだ」と、言われた。与一は再度断るのは良くないだろうと思ったのか、「外れるか外れないかはわかりません。お言葉でございますので、いたしてみましょう」と言って御前を退き、太くて逞しい黒い馬に、小房(こぶさ)の鞦(しりがい)をかけ、まろぼやの模様を刷り込んだ鞍を置いて乗ったのだった。弓を持ち直し、手綱を操って、水際へ向って歩かせたので、味方の兵共は後姿を遥かに見送って、「この若者は必ずやりとげると存じます」と申したので、判官も頼もしそうに御覧になられた。

語句

■尋常に 尋常でなくと同意。立派に。 ■段 一段は六間(約11メートル)。 ■柳の五衣 柳は柳襲。表白、裏青。五衣は表衣の下に同じ衣を五枚重ね着すること。 ■みな紅の扇の日いだしたる 全面を紅に塗りつぶし、中に金色の日の丸を描いたもの。 ■せがい 船棚。船の両舷に板を渡したもの。 ■傾城 美女。 ■手たれ 腕の立つ射手。 ■さも候へ そうでありましても。 ■小兵 小柄。 ■かけ鳥 空を翔ける鳥。またそれを射ること。 ■かち 濃い紺色。 ■おほくび 衽(おくみ)。前えり。 ■はた袖 袖の先にさらにつけた袖。 ■いろへたる 「いろふ」は彩るの意。 ■足白 足金(あしがね)を銀でつくったもの。足金は太刀の鞘につけて緒を通す金具。 ■頭高 頭から高く突き出していること。 ■うす切斑 切斑の黒がうすいもの。 ■ぬた目の鏑 鹿の角で作った鏑。「ぬた目」は鹿の角の表面の波のような模様。 ■滋藤の弓 藤の弦でびっしり巻いた弓。 ■みかたの御きず 源氏方の不名誉。 ■一定 必ず。 ■子細を存ぜん あれこれ言うこと。 ■はづれんは知り候はず はずれる、はずれないはわかりませんが。 ■御定 貴人の仰せ。 ■小ぶさの鞦 鞦に房形の飾りのついたもの。鞦は馬の尻から鞍にかける組み緒。 ■まろぼやすッたる鞍 ほやを図案化した青貝を鞍の前輪・後輪に漆のはめこんであるもの。「ほや」は海産動物。 

原文

矢ごろすこしとほかりければ、海へ一段(たん)ばかりうちいれたれども、猶(なほ)扇のあはひ七段ばかりはあるらむとこそ見えたりけれ。ころは二月十八日の酉剋(とりのこく)ばかりの事なるに、をりふし北風はげしくて磯うつ浪(なみ)もたかかりけり。舟はゆりあげゆりすゑただよへば、扇も串(くし)にさだまらずひらめいたり。おきには平家舟(ふね)を一面にならべて見物す。陸(くが)には源氏くつばみをならべて是を見る。いづれもいづれも晴(はれ)ならずといふ事ぞなき。与一目をふさいで 「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)、我国の神明(しんめい)、日光権現(につくわうのごんげん)、宇都宮(うつのみや)、那須(なす)のゆぜん大明神(だいみやうじん)、願はくはあの扇のまンなか射させてたばせ給へ。これを射損ずる物ならば、弓きり折り自害して、人に二(ふた)たび面(おもて)をむかふべからず。いま一度本国(いちどほんごく)へむかへんとおぼしめさば、この矢はづさせ給ふな」と、心のうちに祈念して、目を見ひらいたれば、風もすこし吹きよわり、扇も射よげにぞなッたりける。与一鏑(かぶら)をとッてつがひ、よッぴいてひやうどはなつ。小兵(こひやう)といふぢやう十二束三伏(そくみつぶせ)、弓は強し、浦ひびく程長鳴(ながなり)して、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひィふつとぞ射きッたる。鏑(かぶら)は海へ入りければ、扇は空へぞあがりける。しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、春風に一(ひと)もみ二(ふた)もみもまれて、海へさッとぞ散ッたりける。夕日(ゆふひ)のかかやいたるに、みな紅(ぐれなゐ)の扇の日いだしたるが、白浪(しらなみ)のうへにただよひ、うきぬ沈みぬゆられければ、興(おき)には、平家ふなばたをたたいて感じたり。陸(くが)には、源氏箙(えびら)をたたいてどよめきけり。

現代語訳

矢を射るには少し遠かったので、海へ一段程入って進んだが、猶も扇迄の距離は七段程はあるだろうと見えた。時は二月十八日の午後六時ごろの事であるが、ちょうどその時北風が激しく吹き、磯に打ち寄せる波も高かった。舟は高波に揺られて上昇下降を繰り返し漂ったので、扇もそれを挟んだ棹に固定できず閃いていた。沖の方では平家一門が舟を一面に並べて見物している。陸の方では源氏の者共がくつばみを並べて是を見ている。どちらもどちらも華やかではないという事は無い。与一は目を閉じて、「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光権現(にっこうのごんげん)、宇都宮、那須の温泉(ゆぜん)大明神願わくばあの扇の真ん中を射させてくださいませ。これを射損じるものならば、弓を切り、折り、自害して、人前で再び顔を見せませぬ。もう一度本国へ迎えてやろうとお思いならば、この矢を外させないでください」と、心の中で祈念して、目を開いて見ると、風も少し弱まり、扇も射易くなっていた。与一は鏑を取って弓につがえ、十分に引き絞ってひょうと放つ。小柄と言う通り十二束三伏の長さの矢だが、弓は強く、鏑矢は浦に響くほど長く響いて、間違いなく扇の要際一寸ほどおいて、ひぃふっと射切ったのだった。鏑矢は海に落ちたが、扇は空へ舞いあがった。しばらく大空に閃いていたが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさっと散ったのだった。夕日が輝いている中に、みな紅の下地に金色の日の丸を描いた扇は、白波の上に漂い、浮いたり沈んだりして揺られていたので、沖の方では平家が船端を叩いて感激した。陸の方では源氏が、箙(えびら)を叩いてどよめいた。

語句

■矢ごろ 矢を射るのにちょうどいい距離。 ■酉の刻 午後六時頃。 ■串 扇をはさんである竿。 ■くつばみ 轡。手綱をつけるため馬に噛ませる馬具。 ■我国 与一の故郷、下野国(栃木県)。 ■日光権現 栃木県日光市の二荒山(ふたらさん)神社。 ■宇都宮 宇都宮市の二荒山神社。日光二荒山神社の別宮。 ■ゆぜん大明神 栃木県那須郡那須町湯本の那須温泉(ゆぜん)神社。殺生石で有名。 ■小兵といふぢやう 小兵というとおり。 ■十二束三伏 一束は親指をのぞく四本の指の幅。伏は指一本の幅。 ■興 沖に同じ。

朗読・解説:左大臣光永

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