平家物語 百六十七 遠矢(とほや)

原文

源氏の方にも和田小太郎義盛(わだのこたらうよしもり)、舟には乗らず、馬にうち乗ッてなぎさにひかへ、甲(かぶと)をばぬいで人にもたせ、鐙(あぶみ)のはなふみそらし、よッぴいて射ければ、三町(さんぢやう)が内外(うちと)の物ははづさず強う射けり。そのなかにことにとほう射たるとおぼしきを、「その矢給はらん」とぞまねいたる。新中納言(しんぢゆうなごん)これを召し寄せて見給へば、白箆(しらの)に鶴(つる)の本白(もとじろ)、鴻(こう)の羽をわりあはせてはいだる矢の、十三束二伏(ぞくふたつぶせ)あるに、沓巻(くつまき)より一束(いつそく)ばかりおいて、「和田小太郎平義盛(わだのこたらうたひらのよしもり)」とうるしにてぞ書きつけたる。平家の方に勢兵(せいびやう)おほしといへども、さすが遠矢(とほや)射る者はすくなかりけるやらん、良(やや)久しうあッて、伊予国(いよのくに)の住人新居(ぢゆうにんにゐ)の紀四郎親清(きしらうちかきよ)召しいだされ、この矢を給はって射かへす。これも奥(おき)よりなぎさへ三町余(さんぢやうよ)をつッと射わたして、和田小太郎がうしろ一段(たん)あまりにひかへたる三浦(みうら)の石左近(いしざこん)の太郎が弓手(ゆんで)の肘(かひな)にしたたかにこそたッたりけれ。三浦の人共これを見て、「和田小太郎がわれに過ぎて遠矢射る者なしと思ひて、恥かいたるにくさよ。あれを見よ」とぞわらひける。和田小太郎これを聞き、「やすからぬ事なり」とて、少舟(こぶね)に乗ッてこぎいださせ、平家の勢(せい)のなかを、さしつめひきつめさむざむに射ければ、おほくの者ども射ころされ、手負ひにけり。又判官の乗り給へる舟に、奥(おき)より白箆(しらの)の大矢(おほや)を一(ひと)つ射たてて、和田がやうに、「こなたへ給はらん」とぞまねいたる。判官これをぬかせて見給へば、白箆(しらの)に山鳥(やまどり)の尾をもッてはいだりける矢の、十四束三伏(そくみつぶせ)あるに、「伊予国住人新居紀四郎親清(いよのくにのぢゆうにんにゐのきしらうちかきよ)」とぞ書きつけたる。判官、後藤兵衛実基(ごとうびやうゑさねもと)を召して、「この矢射つベき者、みかたに誰(たれ)かある」と宣へば、「甲斐源氏(かひげんじ)に阿佐里与一殿(あさりのよいちどの)こそ勢兵にてましまし候へ」。「さらばよべ」とてよばれければ、阿佐里(あさり)の与一(よいち)出できたり。判官宣ひけるは、「おきよりこの矢を射て候が、射かへせとまねき候。御(ご)へんあそばし候ひなんや」。「給はッて見候はん」とて、つまよッて、 「これは箆(の)がすこしよわう候。矢束(やづか)もちッとみじかう候。同じうは義成(よしなり)が具足(ぐそく)にて仕り候はん」とて、塗籠籐(ぬりごめどう)の弓の九尺(くしやく)ばかりあるに、塗箆(ぬりの)に黒ばろはいだる矢の、わが大手(おほで)におしにぎッて、十五束(そく)ありけるをうちくはせ、よッぴいてひやうどはなつ。四町余(しちやうよ)をつッと射わたして、大舟(おほぶね)の舳(へ)にたッたる 新居(にゐ)の紀四郎親清(きしらうちかきよ)がまッただなかをひやうふつと射て、舟底(ふなぞこ)へさかさまに射倒(いたふ)す。死生(ししやう)をば知らず。阿佐里の与一はもとより勢兵(せいびやう)の手ききなり。二町にはしる鹿(しか)をばはづさず射けるとぞきこえし。其後(そののち)源平たがひに命を惜しまず、をめきさけんでせめたたかふ。いづれおとれりとも見えず。されども平家の方には、十喜帝王(じふぜんていわう)、三種(さんじゆ)の神器(じんぎ)を帯してわたらせ給へば、 源氏いかがあらんずらんとあぶなう思ひけるに、しばしは白雲(はくうん)かとおぼしくて、虚空(こくう)にただよひけるが、雲にてはなかりけり、主(ぬし)もなき白幡一流(しらはたひとながれ)舞ひさがッて、源氏の舟の舳(へ)に、棹付(さをづけ)の緒のさはる程にぞ見えたりける。

現代語訳

原文

判官、「是(これ)は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の現じ給へるにこそ」とよろこンで、手水(てうづ)うがひをして、これを拝し奉る。兵共(つはものども)みなかくのごとし。又源氏のかたよりいるかといふ魚一二千はうで、平家の方(かた)へむかひける。大臣殿(おほいとの)これを御覧じて、小博士晴信(こはかせはるのぶ)を召して、「いるかは常におほけれども、いまだかやうの事なし。いかがあるべきとかんがへ申せ」と仰せられければ、「このいるか、はみかへり候はば、源氏ほろび候べし。はうでとほり候はば、みかたの御(おん)いくさあやふう候」と申しもはてねば、 平家の舟の下(した)をすぐにはうでとほりけり。「世の中はいまはかう」とぞ申したる。

阿波民部重能(あはのみんぶしげよし)は、この三が年(ねん)があひだ、平家によくよく忠をつくし、度々(どど)の合戦に命を惜しまずふせぎたたかひけるが、子息田内左衛門(でんないざゑもん)をいけどりにせられて、いかにもかなはじとや思ひけん、たちまちに心がはりして、源氏に同心してんげり。平家の方にははかりことに、よき人をば兵船(ひやうせん)に乗せ、雑人(ざふにん)どもをば唐(たう)船(せん)に乗せて、源氏心にくさに唐船をせめば、なかにとりこめてうたんと支度(したく)せられたりけれども、阿波民部が返忠(かへりちゆう)のうへは、唐船には目もかけず、大将軍のやつし乗り給へる兵船をぞせめたりける。
新中納言(しんぢゆうなごん)、「やすからぬ。重能めをきッてすつべかりつる物を」と、千(ち)たび後悔せられけれどもかなはず。

さる程に、四国、鎮西(ちんぜい)の兵者(つはもの)共、みな平家をそむいて源氏につく。いままでしたがひついたりし者共も、君にむかッて弓をひき、主(しゆう)に対して太刀をぬく。かの岸につかんとすれば、 浪(なみ)たかくしてかなひがたし。このみぎはに寄らんとすれば、 敵(かたき)矢さきをそろへてまちかけたり。源平(げんぺい)の国あらそひ、けふをかぎりとぞ見えたりける。

現代語訳

朗読・解説:左大臣光永