平家物語 百六十七 遠矢(とほや)

平家物語巻第十一より「遠野(とをや)」。壇ノ浦の合戦の最中、源氏方の弓の名手、阿佐里与一(あさりのよいち)の腕が活かされる。

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前回「鶏合壇浦合戰」からのつづきです。
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あらすじ

源氏方の和田小太郎義盛(わだのこたろう よしもり)は、平家方へ遠矢を射る。

平家方の仁伊の紀四郎親清(にいのきしろう ちかきよ)は義盛の放った矢を射返す。

源氏方では、「義盛が自分ほど遠矢射る者はいないと思い上がり、恥をかいたぞ」と笑った。

義盛は怒り狂い、平家方に散々に矢を射る。

また仁伊の紀四郎親清は義経の舟に矢を一本射たて、「射返してみよ」と挑発する。

義経は後藤兵衛実基(ごとうびょうえ さねもと)の進言で阿佐里与一(あさりのよいち)を召しだす。

阿佐里与一は遠矢を射て、仁伊の紀四郎親清を船底に射落とした。

その後は源平入り乱れて乱戦となる。平家方は三種の神器と安徳天皇を擁しており源氏方は帝王に背く形になり武運に見放される不安があった。

その時天から白旗が一流れ源氏の舟の上に舞い降りてきた(白旗は源氏をあらわす)。義経は「八幡大菩薩が示現されたのだ」と一同と共に喜び拝した。

また、源氏方より平家方へ「いるか」の群れが口を出して息をしながら泳いでいった。

宗盛が小博士晴信に占わせると、「いるかが反対側に泳いでいけば源氏は滅びます、このまままっすぐ通るなら味方の危機です」と、言い終わらないうちに、いるかの群れは平家の舟の下をまっすぐ通っていった。

阿波民部重能(あわのみんぶしげよし)は、子息田内左衛門(でんないざえもん)を生捕りに取られ、やむなく源氏方に内通した。

平家方は貴人を軍船に乗せ雑人を唐船に乗せ源氏方が唐船をめがけて攻めてきたところを包囲して討とうという作戦を立てていたが、阿波民部重能によってこの策は源氏方に筒抜けになっていた。

源氏方は唐船は無視し軍船ばかり狙い撃ちにした。

原文

源氏の方にも、和田小太郎義盛(わだのこたらうよしもり)、舟には乗らず、馬にうち乗ッてなぎさにひかへ、甲(かぶと)をばぬいで人にもたせ、鐙(あぶみ)のはなふみそらし、よッぴいて射ければ、三町(さんぢやう)が内外(うちと)の物ははづさず強う射けり。そのなかにことにとほう射たるとおぼしきを、「その矢給はらん」とぞまねいたる。新中納言(しんぢゆうなごん)これを召し寄せて見給へば、白箆(しらの)に鶴(つる)の本白(もとじろ)、鴻(こう)の羽をわりあはせてはいだる矢の、十三束二伏(ぞくふたつぶせ)あるに、沓巻(くつまき)より一束(いつそく)ばかりおいて、「和田小太郎平義盛(わだのこたらうたひらのよしもり)」とうるしにてぞ書きつけたる。平家の方に勢兵(せいびやう)おほしといへども、さすが遠矢(とほや)射る者はすくなかりけるやらん、良(やや)久しうあッて、伊予国(いよのくに)の住人新居(ぢゆうにんにゐ)の紀四郎親清(きしらうちかきよ)召しいだされ、この矢を給はッて射かへす。これも奥(おき)よりなぎさへ三町余(さんぢやうよ)をつッと射わたして、和田小太郎がうしろ一段(たん)あまりにひかへたる三浦(みうら)の石左近(いしざこん)の太郎(たらう)が弓手(ゆんで)の肘(かひな)にしたたかにこそたッたりけれ。三浦の人共これを見て、「和田小太郎がわれに過ぎて遠矢射る者なしと思ひて、恥かいたるにくさよ。あれを見よ」とぞわらひける。和田小太郎これを聞き、「やすからぬ事なり」とて、少舟(こぶね)に乗ッてこぎいださせ、平家の勢(せい)のなかを、さしつめひきつめさむざむに射ければ、おほくの者ども射ころされ、手負ひにけり。又判官の乗り給へる舟に、奥(おき)より白箆(しらの)の大矢(おほや)を一(ひと)つ射たてて、和田がやうに、「こなたへ給はらん」とぞまねいたる。判官これをぬかせて見給へば、白箆(しらの)に山鳥(やまどり)の尾をもッてはいだりける矢の、十四束三伏(そくみつぶせ)あるに、「伊予国住人新居紀四郎親清(いよのくにのぢゆうにんにゐのきしらうちかきよ)」とぞ書きつけたる。判官、後藤兵衛実基(ごとうびやうゑさねもと)を召して、「この矢射つベき者、みかたに誰(たれ)かある」と宣へば、「甲斐源氏(かひげんじ)に阿佐里与一殿(あさりのよいちどの)こそ勢兵にてましまし候へ」。「さらばよべ」とてよばれければ、阿佐里(あさり)の与一(よいち)出できたり。判官宣ひけるは、「おきよりこの矢を射て候が、射かへせとまねき候。御(ご)へんあそばし候ひなんや」。「給はッて見候はん」とて、つまよッて、 「これは箆(の)がすこしよわう候。矢束(やづか)もちッとみじかう候。同じうは義成(よしなり)が具足(ぐそく)にて仕り候はん」とて、塗籠籐(ぬりごめどう)の弓の九尺(くしやく)ばかりあるに、塗箆(ぬりの)に黒ぼろはいだる矢の、わが大手(おほで)におしにぎッて、十五束(そく)ありけるをうちくはせ、よッぴいてひやうどはなつ。四町余(しちやうよ)をつッと射わたして、大舟(おほぶね)の舳(へ)にたッたる 新居(にゐ)の紀四郎親清(きしらうちかきよ)がまッただなかをひやうふつと射て、舟底(ふなぞこ)へさかさまに射倒(いたふ)す。死生(ししやう)をば知らず。阿佐里の与一はもとより勢兵(せいびやう)の手ききなり。二町にはしる鹿(しか)をばはづさず射けるとぞきこえし。其後(そののち)源平たがひに命を惜しまず、をめきさけんでせめたたかふ。いづれおとれりとも見えず。されども平家の方には、十喜帝王(じふぜんていわう)、三種(さんじゆ)の神器(じんぎ)を帯(たい)してわたらせ給へば、 源氏いかがあらんずらんとあぶなう思ひけるに、しばしは白雲(はくうん)かとおぼしくて、虚空(こくう)にただよひけるが、雲にてはなかりけり、主(ぬし)もなき白幡一流(しらはたひとながれ)舞ひさがッて、源氏の舟の舳(へ)に、棹付(さをづけ)の緒のさはる程にぞ見えたりける。

現代語訳

源氏の方でも、和田小太郎義盛は舟には乗らず、馬に乗って渚に控えていた。甲を脱いで人に持たせ、鐙の端が上に反り返る程強く踏み締め、弓を十分引き絞って射たので、三町内外の物ははずさず強く射た。そのなかでも特に遠くへ射たと思われる矢を、「その矢を返していただこう」と手招きした。新中納言がこの矢を召し寄せて御覧になると、塗っていない矢竹に鶴の本白(もとじろ)、鴻(こう)の羽を混ぜ合わせて矧いだ矢で、十三束二伏(ぞくふたつぶせ)あるものに、沓巻(くつまき)から一束ばかり離れて、「和田小太郎平義盛」と漆で書きつけてある。平家の方にも精兵は多かったが、さすがに遠矢を射れる者は少なかったのだろうか、やや時をおいて、伊予国の住人新居の紀四郎親清が召し出され、この矢を頂いて射返した。この矢も沖から渚へ三町余をつっと射渡して、和田小太郎の後ろ一段余りの所に控えていた三浦の石左近の太郎の左の二の腕に強く突き立った。三浦の人共はこれを見て、「和田小太郎が自分以上に遠矢を射る者はないと思って、恥を掻いたとは憎らしい事だ。あれを見ろ」と笑った。和田小太郎はこれを聞いて、「しゃくにさわる」と言って、小舟に乗って漕ぎ出させ、平家の軍勢の中をめがけて、矢をつがえては引き、つがえては引き散々に射たので、多くの者共が射殺され、傷を負った。又判官の乗っておられた舟に、沖から塗っていない矢竹の大矢を一本射て、和田がしたように、「こちらへ返していただこう」と手招きした。判官がこれを抜かせて御覧になると、塗っていない矢竹に山鳥の尾を使って矧いだ矢の十四束三伏はあるものに、「伊予国住人新居紀四郎親清」と書きつけてあった。判官は、後藤兵衛実基を召して、「この矢を射る者は、味方に誰かあるか」と言われると、「甲斐源氏の阿佐里(あさり)与一殿こそ強弓の精兵でおられます」。「では呼べ」と言って呼ばれたところ、阿佐里の与一が出て来た。判官が言われるには、「沖からこの矢を射て来ましたが、射返せと招いております。貴殿が射返してくださるだろうか」。「頂戴してみて見てみましょう」と言って、矢を左手の指先に乗せ、右手の指先でそれを捻りながら矢の曲がり具合や、硬軟を試すと、「これは矢竹が少し弱うございます。矢の長さも少し短いようです。どうせ射返すなら義成の弓矢でいたしてみましょう」と言って、塗籠藤(ぬいごめどう)の九尺ほどある弓に、漆塗りの矢竹に黒ぼろの羽で矧いだ矢で、自分の大きな手で握って十五束はあるものを、つがえて、十分に引き絞ってひゅうっと射放す。海上四町ほどをつっと射渡して、大船の舳先に乗っていた新居の紀四郎親清の真っただ中をひょうふっと射て、舟底へ逆さまに射倒す。生死はわからない。阿佐里の与一はもともと強弓の精兵である。二町先を走る鹿をはずさず射たという。其後も源平は互いに命も惜しまず、喚き叫んで攻め戦う。どちらが劣っているとも見えない。けれでも平家の方には、十善帝王(安徳天皇)が三種の神器を持ってお渡りになっていたので、源氏が、どうだろうかと危険に思っていたが、しばらくの間白雲かと思われるものが、大空に漂っていたが、それは雲では無かった。持主もいない白旗が一流(ひとながれ)舞い降りて来て、源氏の船の舳先(へさき)に、旗竿に結ぶ緒が触るぐらい近づいて見えた。

語句

■鐙のはなふみそらし 鐙の端を上に反り返るほど強く踏みしめること。 ■三町 一町は六十間(約109メートル)。 ■その矢給はらん その矢を射返していただきたい。挑発。 ■白箆 色などを塗らない矢竹。 ■鶴の本白 鶴の羽で作った本白の矢。本白は矢の先端が黒く、根本(手元)が白いもの。 ■鴻の羽をわりあはせて… 鴻の鳥の羽をまぜあわせて作った矢。 ■沓巻 矢竹の、鏃(先端部分)を差し込んだところ。糸や藤で巻く。 ■一束 親指以外の四本の指の幅。 ■新居の紀四郎親清 愛媛県新居浜市の人。 ■一段 一段(反)は六間(約11メートル)。 ■三浦の石左近の太郎 神奈川県三浦半島辺の豪族。 ■肘 二の腕。 ■阿佐里与一 甲斐源氏。新羅三郎義光の子孫。山梨県中央市浅利の人。 ■つまよッて 矢を手に取って具合を確かめる動作。 ■矢束 矢の長さ。 ■同じうは どうせ射返すなら。 ■具足 ここでは矢のこと。 ■塗籠藤 矢の幹を藤で巻いて漆を塗ったもの。 ■九尺ばかり 一尺は約30センチ。普通の矢は七尺五寸(約2.3メートル)。 ■塗箆 矢の幹を漆で褐色に塗ったもの。 ■黒ぼろはいだる矢 黒のほろ羽(鳥の両翼の下面の羽)で作った矢。 ■うちくはせ 矢を弓につがえて。 ■十善帝王 前世で十善戒を保った功徳によって帝王に生まれたもの。天皇。 ■棹付の緒 旗棹に結びつけた緒。

原文

判官、「是(これ)は八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の現じ給へるにこそ」とよろこンで、手水(てうづ)うがひをして、これを拝し奉る。兵共(つはものども)みなかくのごとし。又源氏のかたよりいるかといふ魚一二千はうで、平家の方(かた)へむかひける。大臣殿(おほいとの)これを御覧じて、小博士晴信(こはかせはれのぶ)を召して、「いるかは常におほけれども、いまだかやうの事なし。いかがあるべきとかんがへ申せ」と仰せられければ、「このいるか、はみかへり候はば、源氏ほろび候べし。はうでとほり候はば、みかたの御(おん)いくさあやふう候」と申しもはてねば、 平家の舟の下(した)をすぐにはうでとほりけり。「世の中はいまはかう」とぞ申したる。

阿波民部重能(あはのみんぶしげよし)は、この三が年(ねん)があひだ、平家によくよく忠をつくし、度々(どど)の合戦に命を惜しまずふせぎたたかひけるが、子息田内左衛門(でんないざゑもん)をいけどりにせられて、いかにもかなはじとや思ひけん、たちまちに心がはりして、源氏に同心してんげり。平家の方にははかりことに、よき人をば兵船(ひやうせん)に乗せ、雑人(ざふにん)どもをば唐船(たうせん)に乗せて、源氏心にくさに唐船をせめば、なかにとりこめてうたんと支度(したく)せられたりけれども、阿波民部が返忠(かへりちゆう)のうへは、唐船には目もかけず、大将軍のやつし乗り給へる兵船をぞせめたりける。新中納言(しんぢゆうなごん)、「やすからぬ。重能めをきッてすつべかりつる物を」と、千(ち)たび後悔せられけれどもかなはず。

さる程に、四国、鎮西(ちんぜい)の兵者(つはもの)共、みな平家をそむいて源氏につく。いままでしたがひついたりし者共も、君にむかッて弓をひき、主(しゆう)に対して太刀をぬく。かの岸につかんとすれば、 浪(なみ)たかくしてかなひがたし。このみぎはに寄らんとすれば、 敵(かたき)矢さきをそろへてまちかけたり。源平(げんぺい)の国あらそひ、けふをかぎりとぞ見えたりける。

現代語訳

判官は、「これは八幡大菩薩が姿を現されたのだ」と喜んで、手水の水でうがいをして、これを拝み申し上げる。兵共も皆同じようにする。又源氏の方から海豚いるか)が一、二千ぱくぱく口を開けて息をしながら平家の方へ向って泳いで来た。大臣殿はこれを御覧になって、小博士晴信を召して、「海豚はいつもたくさんいるが、いまだこのような事は無い。どういうことだろうか。易占いをして考えを申せ」とおっしゃると、「この海豚、このまま息をしながら源氏の方へ戻って行きましたら、源氏は滅びましょう。逆に息をしながら通って行きましたら、味方の軍勢は危のうございます」と言い終わりもしないうちに平家の舟の下をぱくぱく息をしながら通って行った。「世の中はもうこれまでです」と晴信は言った。

阿波民部重能は、この三年の間、平家によくよく忠義を尽くし、たびたびの合戦で命を惜しまず戦ったが、子息の田内左衛門を生け捕りにされて、どうにも敵わないと思われたのか、まもなく心変りして、源氏に投降した。平家の方では謀(はかりごと)をめぐらせ、身分の良い人を兵船に乗せ、下賤の者共を唐船に乗せて、源氏が大将軍などが唐船に乗っているのではないかと心を引かれ、この船を攻めれば、中に取り籠めて討とうと準備されていたが、阿波民部が裏切っていたので、源氏は唐船には目もくれず、大将軍がみすぼらしく姿をやつしてて乗っておられた船を攻めたのだった。新中納言は、「心外だ。重能めを切り捨てておけばよかった」と何度も後悔なさったがしかたないことだった。

そのうちに、四国や九州の者共が、みな平家に背いて源氏に付いた。いままで従っていた者共も、君に向って弓を引き、主人に対して太刀を抜いた。あちらの岸に寄り付こうとすると、波が高くて寄り付けない。こちらの汀に寄ろうとすると、敵は矢先を揃えて待ち構えた。源氏と平家の天下取りの争いは、今日が最後と見えた。

語句

■はうて 「食みて」の音便。「はむ」は魚が水面に口を出して呼吸すること。 ■小博士 陰陽道の博士のことらしい。 ■晴信 安倍晴明の子孫だろう。 ■かんがへ申せ 占って吉凶を判断せよ。 ■はみかへり候はば はみながら戻っていきましたら。 ■いまはかう 今は最後。 ■よき人 身分の高い人。 ■雑人 身分の低い人。 ■唐船 中国風の立派な船。 ■心にくさに 興味をひかれて。注意をひきつけられて。 ■返り忠 裏切り。

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朗読・解説:左大臣光永