平家物語 百六十八 先帝身投(せんていみなげ)

原文

源氏の兵者共(つはものども)、すでに平家の舟に乗りうつりければ、水手梶取(しぃしゆかんどり)ども、射ころされ、きりころされて、舟をなほすに及ばず、舟(ふな)そこにたはれふしにけり。新中納言知盛卿(しんぢゆうなごんとももりのきやう)、少舟(こぶね)に 乗ッて御所(ごしよ)の御舟(おんふね)に参り、「世のなかは今はかうと見えて候(さうらふ)。見苦しからん物共、みな海へいれさせ給へ」とて、艫舳(ともへ)にはしりまはり、 掃いたりのごうたり、塵拾(ちりひろ)ひ、手づから 掃除(さうぢ)せられけり。女房達、「中納言殿、いくさはいかにゃいかに」と口々に問ひ給へば、「めづらしきあづま男(をとこ)をこそ御覧ぜられ候はんずらめ」とて、からからとわらひ給へば、「なんでうのただいまのたはぶれぞや」とて、声々にをめきさけび給ひけり。

二位殿(にゐどの)はこの有様を御覧じて、日ごろおぼしめしまうけたる事なれば、にぶ色の二衣(ふたつぎぬ)うちかづき、練袴(ねりばかま)のそばたかくはさみ、神璽(しんし)をわきにはさみ、宝剣(ほうけん)を腰にさし、主上(しゆしやう)をいだき奉(たてま)ッて、「わが身は女なりとも、かたきの手にはかかるまじ。君の御供(おんとも)に参るなり。御心(おんこころ)ざし思ひ参らせ給はん人々は、いそぎつづき給へ」とて、ふなばたへあゆみ出でられけり。主上今年(ことし)は八歳(はつさい)にならせ給へども、御(おん)としの程よりはるかにねびさせ給ひて、御(おん)かたちうつくしく、あたりもてりかかやくばかりなり。御(おん)ぐし黒うゆらゆらとして、御(おn)せなか過ぎさせ給へり。あきれたる御様(おんさま)にて、「尼(あま)ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ」と仰せければ、いとけなき君にむかひ奉り、涙をおさへて申されけるは、「君はいまだしろしめされさぶらはずや。先世(ぜんぜ)の十善戒行(じふぜんかいぎやう)の御力(おんちから)によッて、いま万乗(ばんじよう)の主(あるじ)と生(むま)れさせ給へども、悪縁にひかれて、御運すでにつきさせ給ひぬ。まづ東(ひんがし)にむかはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇(おんいとま)申させ給ひ、其後西方浄土(そののちさいはうじやうど)の来迎(らいかう)にあづからむとおぼしめし、 西にむかはせ給ひて御念仏(おんねんぶつ)さぶらふべし。この国は栗散辺地(そくさんへんぢ)とて心憂(こころう)きさかひにてさぶらへば、極楽浄土(ごくらくじやうど)とてめでたき処(ところ)ヘ具し参らせさぶらふぞ」と泣く泣く申させ給ひければ、山鳩色(やまばといろ)の御衣(ぎよい)にびんづら結(ゆ)はせ給ひて、御涙(おんなみだ)におぼれ、ちいさくうつくしき御手(おんて)をあはせ、まづ東をふしをがみ、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、其後西にむかはせ給ひて、御念仏あり しかば、二位殿やがていだき奉り、「浪(なみ)の下(した)にも都のさぶらふぞ」となぐさめ奉(たてま)ッて、千尋(ちひろ)の底へぞ入り給ふ。

悲しき哉(かな)、無常の春の風、忽(たちま)ちに花の御(おん)すがたをちらし、なさけなきかな、分段(ぶんだん)のあらき浪、玉体(ぎよくたい)を沈め奉る。殿(てん)をば長生(ちやうせい)と名づけてながきすみかとさだめ、門をば不老(ふらう)と号(かう)して老(おい)せぬとざしとかきたれども、いまだ十歳(じつさい)のうちにして、底の水屑(みくづ)とならせ給ふ。十善帝位(じふぜんていゐ)の御果報(おんくわほう)申すもなかなかおろかなり。雲上(うんしやう)の竜(りよう)くだッて海底の魚(うを)となり給ふ。大梵高台(だいぼんかうだい)の閣(かく)の上(うへ)、釈提喜見(しやくだいきけん)の宮の内(うち)、いにしへは塊門棘路(くわいもんきよくろ)の間(あひだ)に九族(きうぞく)をなびかし、今は舟のうち浪の下(した)に、御命(おんいのち)を一時(いつし)にほろぼし給ふこそ悲しけれ。

現代語訳

源氏の兵共は、もはや平家の舟に次々と乗り移っていたので、船頭や水夫どもは射殺されたり、切り殺されたりして、舟を正しい方向になおす事はできず、舟底に倒れ伏していた。新中納言知盛卿は、小舟に乗って御所の御船へ参り、「世の中は今はこれまでと見えます。見苦しいような物はみな海へ棄てて下さい」と言って、船の前後に走り回り、刷(は)いたり拭(ぬぐ)ったり、塵を拾って、自分から掃除をなさった。女房達は、「中納言殿、戦の具合はどうですか、どうですか」と口々に問われたところ、「珍しい東男(あづまおとこ)を御覧になることでしょう」と言って、からからとお笑いになると、「今となってなんという冗談ですか」と言って、声々に喚き叫ばれた。

仁位殿はこの有様を御覧になって、日頃覚悟なさっていた事なので、濃い鼠色の衵(あこめ)を二枚重ねたものを引っ被り、練袴の腿立ちを高く挟んで、神璽(しんし)を脇に挟み、宝剣を腰に差し、主上(安徳天皇)を抱き申して、「我身は女ではあるが、敵の手にはかかるまい。君の御共をします。主上に御志を寄せ参らせる人々は急いで続いて下され」と言って、船端へ歩み出られた。主上は今年は八歳におなりになられていたが、御年の頃よりも大人びておられ、御形も可愛らしく美しく、辺りも照り輝くばかりである。御髪は黒くゆらゆらして、御背中を過ぎて伸びておられた。思いがけない事に驚き、とまどっておられるご様子で、「尼御前(あまぜ)、私を何処へ連れて行こうというのか」と仰せられたので、仁位の尼はかわいらしい君にお向いになり、涙を抑えて申されるには、「君はまだごぞんじではないのですか。前世で十善の戎を守り行った御力によって、今万乗の主(天子)としてお生れになりましたが、悪縁に引かれて、ご運はももはや尽きてしまわれました。まず東に向われて、伊勢大神宮にお暇(いとま)を申し上げ、その後で西方浄土の仏菩薩方のお迎えをいただこうとお考えになり、西にお向いになって御念仏をお唱えくださいませ。この国は粟粒を散らしたような小国で悲しいいやな所でございますから、極楽浄土というめでたい所へお連れ申しますぞ」と泣く泣く申されると、幼帝は山鳩色の御衣に角髪(みずら)をお結になられて、御涙をひどく流されながら、小さな美しい御手を合わせて、まず東を伏し拝み、伊勢大神宮にお暇(いとま)申しあげ、その後西に向って、御念仏を唱えられると、二位殿はすぐさまお抱き申し上げ、「波の下にも都がございますよ」と慰め申し上げて、千尋もある深い深い海の底へお入りになる。

悲しい事に、無常の春の風がたちまち花のような帝の御姿を散し、情けない事であった。六道をめぐる人間の生死の荒い波がたちまち押し寄せ、海の荒波が天子のお身体をお沈め申しあげる。御殿を長生と名付けて長い住み家と定めて住み、門を不老と号して老いせぬ門と書いたが、まだ十歳にも満たないうちに、海底の水屑(みずく)におなりになった。十善の帝位にあるお方のご運のつたなさは何と申しようもないほどである。雲の上の竜が下って海底の魚にお成りになる。大梵天王の住む高い宮殿の上、帝釈天の喜見城のような内裏の内に住まわれて、昔は大臣・公卿に取り巻かれて平家一門の人々をなびかせ従えておられたが、今は舟の内で過ごし、身投げして御命をたちまちに失くされた事は悲しい事であった。

朗読・解説:左大臣光永