平家物語 六十六 通乗之沙汰(とうじようのさた)

原文

又奈良にも一所(いつしよ)ましましけり。御(おん)めのと讃岐守重秀(さぬきのかみしげひで)が、御出家せさせ奉り、具(ぐ)し参らせて北国へ落ちくだりたりしを、木曽義仲上洛(こそよしなかしやうらく)の時、主(しゆう)に参らせんとて具(ぐ)し奉ツて都へのぼり、御元服(げんぷく)せさせ参らせたりしかば、木曽が宮とも申しけり。又還俗(げんぞく)の宮とも申しけり。後(のち)には嵯峨(さが)のへん、野依(のより)にわたらせ給ひしかば、野依の宮とも申しけり。

昔通乗(とうじよう)という相人(さうにん)あり。宇治殿、二条殿をば、「君(きみ)三代(だい)の関白、共に御年(おんとし)八十」と申したりしもたがはず、帥(そつ)のうちのおとどをば、「流罪(るざい)の相(さう)まします」と申したりしもたがはず。聖徳太子の宗峻天皇(そうじゆんてんわう)を、「横死(わうし)の相まします」と申させ給ひたりしが、馬子(むまこ)の大臣(だいじん)にころされ給ひにき。さもしかるべき人々は、必ず相人(さうにん)としもにあらねども、かうこそめでたかりしか、これは相少納言(さうせうなごん)が不覚にはあらずや。中比兼明親王(なかごろげんめいしんわう)、具平親王(ぐへいしんわう)と申ししは、前中書王(ぜんちゆうしよわう)、後中書王(ごちゆうしよわう)とて、共に賢王聖主(けんわうせいしゆ)の皇子にてわたらせ給ひしかども、位にもつかせ給はず。

されどもいつしかは謀叛(むほん)をおこさせ給ひし。又後三条院(ごさんでうゐん)の第三の皇子、輔仁(すけひと)の親王(しんわう)も、御才学(おんさいがく)すぐれてましましければ、白河院(しらかはのゐん)いまだ東宮にてましまいし時、「御位(おんくらゐ)の後(のち)はこの宮を位につけ参らツさせ給へ」と、後三条院御遺詔(ごゆいぜう)ありしかども、白河院いかがおぼしめされけん、つひに位にもつけ参らツさせ給はず。せめてもの御事(おんこと)には、輔仁親王(すけひとのしんわう)の御子(おんこ)に、源氏の姓(しやう)をさづけ参らツさせ給ひて、無位(むゐ)より一度に三位(さんみ)に叙して、やがて中将になし参らツさせ給ひけり。一世(いつせ)の源氏、無位より三位にする事、嵯峨(さが)の皇帝の御子(おんこ)、陽院(やうゐん)の大納言定卿(だいなごんさだむのきやう)の外(ほか)は、これはじめとぞ承(うけたまは)る。花園左大臣有仁公(はなぞののさだいじんありひとこう)の御事なり。

高倉の宮御謀叛(ごむほん)の間、調伏(てうふく)の法(ほふ)承ツて修(しゆ)せられける高僧達(かうそうたち)に勧賞(けんじやう)おこなはる。前右大将宗盛卿の子息、侍従清宗(じじゆうきよむね)三位して三位侍従(さんみのじじゆう)とぞ申しける。今年纔(ことしわづ)かに十二歳、父の卿もこのよはひでは、兵衛佐(ひやうゑのすけ)にてこそおはせしか。忽(たちま)ちに上達部(かんだちめ)にあがり給ふ事、一(いち)の人(ひと)の公達(きんだち)の外(ほか)は、いまに承り及ばず。

「源以仁(みなもとのもちひと)、頼政法師父子追討(ふしついたう)の賞(しやう)」とぞ除書(さきがき)にはありける。源以仁とは高倉宮(たかくらのみや)を申しけり。まさしい太上法皇(だいじやうほふわう)の皇子(わうじ)をうち奉るだにあるに、凡人(ぼんにん)にさへなし奉るぞあさましき。

現代語訳

語句

■重秀 『尊卑分脈』には重季。藤原道綱の子孫。 ■野依 嵯峨の北。未詳。 ■通乗 未詳。 ■宇治殿 藤原頼通。父道長の別荘を寺院にして平等院を建立した。宇治関白とよばれた。 ■ニ条殿 頼通の弟、教通。大二条関白。 ■頼通は後一条、後朱雀・後冷泉三代の関白。教通は後冷泉、後三条、白河三代の関白。 ■帥のうちのおとど 藤原道隆の子、伊周(これちか)。中関白家。花山法皇の袖を射た咎で、一時大宰府に左遷されていた。伴別当という人が伊周の流罪のことを占ったことが『古事談』に見える。 ■聖徳太子の崇峻天皇を… 『聖徳太子伝暦』に聖徳太子が崇峻天皇に「傷害の相」があると占った記事。 ■崇峻天皇 大臣の蘇我馬子と意見があわず、殺害された。臣下に殺害された天皇のはじめの例。 ■馬子 大臣蘇我馬子。稲目の子。『日本書紀』崇峻天皇五年条に天皇を殺害した記事がある。 ■さもしかるべき人々 そうとうすぐれた人々。 ■相少納言 少納言伊長。以仁王の将来を相した記事が「源氏揃」にある。 ■兼明親王 げんめいしんのう。醍醐天皇の皇子。ニ品中務卿。中務卿の唐名を中書令とよぶため中書王とよばれた。 ■具平親王 村上天皇皇子。二品中務卿。 ■ましまいし ましまししの音便。 ■御遺詔 ごゆいじょう。天皇の遺言。 ■輔仁親王の御子 輔仁親王第二皇子・源有仁。仁和寺の花園に隠居したため花園左大臣と称した。詩歌にすぐれ『金葉集』以下の勅撰集に21首入集。音楽の才能もあり、特に琵琶と笙に長じていた。 ■一世の源氏 皇族が臣籍降下して一代目の源氏。 ■陽院の大納言定 『公卿補任』には天長五年(828)源姓を賜り、同九年(832)無位から従三位に叙せられた。 ■清宗 清宗が従三位に叙せられたことは『玉葉』治承四年五月三十日条にある。 ■父の卿 宗盛。永暦元年(1160)右兵衛佐。 ■上達部 公卿。三位および四位の参議。 ■一の人 摂政・関白のこと。 ■源以仁 正しくは源以光。皇族からはずして源氏にしたもの。 ■除書 ききがき。除目の理由を書いた文書。 ■まさしい 偽りのない。 ■凡人 臣下。皇族に対していう。

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平家物語|原文・現代語訳・解説・朗読

朗読・解説:左大臣光永