平家物語 百五 返諜(へんてふ)
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『平家物語』巻第七より「返諜(へんてふ)」。
源平どちらに味方するのか、問い詰めた義仲の書状に、比叡山は返牒(返事)を送る。
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前回「木曾山門牒状(きそさんもんちょうじょう)」からの続きです。
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あらすじ
木曽義仲は上洛にあたり、比叡山が源平いずれにつくつもりか、書状を送りその真意をただした(「木曽山門牒状」)。
比叡山では衆徒の間で議論となるが、老僧たちの源氏支持の声が通り、その旨を書状にしたため、義仲へ返牒(返事)する。
書状の中で平家の悪行を訴え、義仲の武略をたたえ、必ず支持すると語った。
原文
案のごとく、山門の大衆此状(だいしゆこのじやう)を披見して、僉議(せんぎ)まちまちなり。或(あるい)は源氏につかんといふ衆徒(しゆと)もあり、或は又平家に同心せんといふ大衆もあり。思ひ思ひ異儀まちまちなり。老僧共の僉議しけるは、「詮(せん)ずる所、我等もッぱら金輪聖主天長地久(きんりんせいしゆてんちやうちきう)と祈り奉る。平家は当代の御外戚(ごぐわいせき)、山門において帰敬(ききやう)をいたさる。されば今に至るまで彼繁昌(かのはんじやう)を祈誓す。しかりといヘども、悪行(あくぎやう)法に過ぎて万人(ばんにん)是(これ)を背(そむ)く。討手(うつて)を国々へつかはすといへども、かヘッて異賊のためにほろぼさる。源氏は近年よりこのかた、度々(どど)のいくさに討ち勝ッて運命ひらけんとす。なんぞ当山ひとり宿運つきぬる平家に同心して、運命ひらくる源 氏をそむかんや。すべからく平家値遇(ちぐ)の儀を翻(ひるがへ)して、源氏合力(かふえいよく)の心に住(ぢゆう)すべき」よし、一味同心に僉議して、返牒をおくる。木曾殿又家子郎等(いへのこらうどう)召しあつめて、覚明に此返牒をひらかせらる。
六月十日(とほかのひ)の諜状(てふじやう)、同(おなじき)十六日到来、披閲(ひえつ)のところに、数日(すじつ)の鬱念一時(うつねんいつし)に解散(げさん)す。凡(およ)そ平家の悪逆累年(あくぎやくるいねん)に及ンで、朝廷の騒動やむ事なし。事人口(じんこう)にあり、委悉(いしつ)するにあたはず。夫叡岳(それえいがく)にいたッては、帝都東北(とうぼく)の仁祠(じんし)として国家静謐(せいひつ)の精祈(せいき)をいたす。しかるを一天久しく彼夭逆(かのえうげき)にをかされて、四海鎮(とこしなへ)に其(その)安全(あんぜん)をえず。顕(けん)密(みつ)の法輪なきがごとく、擁護(おうご)の神威(しんゐ)しばしばすたる。爰(ここ)に貴下適累代(きかたまたまるいだい)武備の家に生れて、幸(さいはひ)に当時精撰(せいせん)の仁(じん)たり。予(あらかじ)め奇謀をめぐらして忽(たちま)ちに義兵をおこす。万死(ばんし)の命(めい)を忘れて一戦の功をたつ。其労いまだ両年を過ぎざるに其名既に四海にながる。我山(わがやま)の衆徒(しゆと)、かつがつ以て承悦(しようえつ)す。国家のため、累家(るいか)のため、武功を感じ、武略を感ず。かくのごとくならば則ち山上(さんじやう)の精祈むなしからざる事を悦(よろこ)び、海内(かいだい)の恵護(ゑご)おこたりなき事を知んぬ。自寺他寺、常住の仏法、本社末社(ほんじやまつしや)、祭奠(さいてん)の神明(しんめい)、定めて教法(けうぼふ)の二たびさかへん事を悦び、崇敬(そうきやう)のふるきに復(ふく)せん事を随喜し給ふらむ。衆徒等が心中(しんぢゆう)、只(ただ)賢察をたれよ。然(しか)れば則ち冥(みやう)には十二神将(じふにじんじやう)、忝(かたじけな)く医王善逝(いわうぜんぜい)の使者として凶賊追討の勇士(ようし)にあひくははり、顕(けん)には三千の衆徒しばらく修学讃仰(しゆがくさんぎやう)の勤節(きんせつ)を止(や)めて悪侶治罰(あくりよぢばつ)の官軍をたすけしめん。止観十乗(しくわんじふじやう)の梵風(ぼんぷう)は奸侶(かんりよ)を和朝(わてう)の外(ほか)に払ひ、瑜伽三蜜(ゆがさんみつ)の法雨(ほふう)は時俗(しぞく)を堯年(げうねん)の昔にかへさん。 衆儀(しゆぎ)かくの如し。倩(つらつら)是(これ)を察せよ。
寿永二年七月二日(ふつかのひ) 大衆等(だいしゆら)
とぞ書いたりける。
現代語訳
予想どうり、山門の大衆はこの諜状を開いてみて、僉議はまちまちである。或は源氏につこうという衆徒もあり、或は平家に味方しようという大衆もある。思い思いばらばらの意見が出る。老僧共が相談したのは、「考えてみると、我々はもっぱら天子の長寿をお祈り申し上げている者である。平家は現天皇の御外戚であり、比叡山においては特に仏を信仰し、尊敬なさっている。それで現在に至るまで我々はその繁栄を祈ってきた。しかしながら、平家の悪行は法の定めるところを越えており万人がこれに背いている。討手を国々に遣わされているが、かえって異賊の為に滅ぼされている。一方で源氏はたびたびの戦に打ち勝ってその運命が開かれようとしている。どうして比叡山だけが現世での運が尽きた平家に味方して、運命が開いた源氏に背いているのであろう。当然との親しい間柄を解消して、源氏に味方することに心を合せるべきであろう」ということに、意見を統一して、返事の諜状を送る。木曾殿は又家子郎等を呼び集めて、覚明にこの返諜を開かせる。
六月十日の諜状、同月十六日に到着した。開いて読んだところ、数日間の不満の念が一時に消え失せた。およそ平家の悪逆は数年に及んでおり、朝廷においても騒動が止む事はない。その事は人の口の端にのぼり、詳しく述べ尽す事はできない。そもそも比叡山は、帝都の鬼門にあたる東北を守る寺として国家が静かで安らかにあることを願って心を込めて祈りを捧げてきた。それなのに世の中全体が長らく平氏の悪逆に冒されて、国内はいつまでも安全な状態にならない。顕教密教の教えは無いに等しく、これを守護する神の威信もたいてい何の力も持たなかった。ここに、貴殿はたまたま先祖代々の武士の家に生れて、幸いに今の時代に選ばれた人物である。前々から思いもつかない謀(はかりごと)をめぐらせて突然に義兵を起した。非常な命の危険をものともせずひとたび戦って功をあげた。その苦労がまだ二年にもならないのにその名は全国に知れ渡っている。我山の衆徒は早くも喜んでいる。国家の為、代々続武家である源家の為、武家の功績・武略に感心している。このように功績・武略が発揮されるならば、それで山上での心を込めた祈りがむなしくはなかったことを喜び、国内守護の実のあがったことがわかるのだ。わが寺、他の寺に常住の仏も、日吉の本社末社に祀られている神も、きっとその教法が再び栄えることを喜び、神仏尊敬の心が昔に返るであろうことを喜ばれるでしょう。衆徒等の心中をただご賢察されよ。そこで冥界にあっては十二神将が、畏れ多くも薬師如来の使いとして凶賊追討の勇士に加わり、現実の世界では三千の衆徒がしばらく修学勤行を中止して悪侶治罰の官軍をお助けしよう。。止観十乗(しかんじゅうじょう)の仏法の風は悪者を日本の外に追い払い、瑜伽三蜜(ゆがさんみつ)の教えの雨は、現状を尭帝(ぎょうてい)の治めた安泰な昔の世に返すであろう。衆徒の決議は以上のとおりである。よくよくこれを察せよ。
大衆等
寿永二年七月二日
と書いてあった。
語句
■金輪聖主 金輪王・金輪聖王は仏教で須弥四天下をおさめる王。ここでは天皇のこと。 ■天長地久 天が長く地が久しく栄えよの意。『老子』七より。 ■当代 今上帝。安徳天皇のこと。 ■山門において 山門に対して。平家と比叡山のむすびつきは強い。 ■帰敬 帰依し敬うこと。 ■値遇 親しくすること。 ■儀 事柄。…の件。 ■合力 力をあわせて助けること。 ■数日の鬱念一時に解散す 巻四「南都牒状」にも同文がある。 ■委悉 委(くわ)しく述べ尽くす。 ■仁祠 寺。 ■精祈 心をこめた祈り。 ■彼夭逆 平氏による災害。夭はわざわい。逆もわざわい。 ■顕密 顕教と密教。密教は大日如来を本尊とする言葉で伝えられない教え。 ■法輪 仏法を車輪にたとえたもの。 ■精撰 えらびぬかれた。よりぬきの。 ■いまだ両年を過ぎざるに 義仲の挙兵は治承四年(1180)九月。現時点は寿永二年(1183)七月。 ■かつがつ以て 早くも。 ■知んぬ 「知りぬ」の音便。 ■本社末社 延暦寺鎮守である日吉社の本社、末社。 ■祭奠の神明 祭られている神。「奠」はまつる。 ■随喜 他人の善行を見て喜ぶこと。 ■冥 あの世。冥界。次の「顕」(この世)と対。 ■十二神将 延暦寺根本中堂の本尊薬師如来をとりまく十二の神将。薬師如来に従う。 ■医王善逝 薬師如来。善逝は仏の十段階の最上位。如来。 ■讃仰 仏の徳を讃え仰ぐこと。 ■悪侶治罰 悪人を討伐する。 ■止観十乗 『摩訶止観』にとかれた真理を得るための十の方法=十乗。観不思議境・真正発菩提心・善巧安心止観・破法遍・識通塞・道品調適・対治助開・知次位・能安忍・無法愛)。 ■梵風 仏法の風。 ■奸侶 悪人。 ■瑜伽三蜜 「瑜伽」はyogaの音訳。原義は「結びつけること」、呼吸を整えるなどの修行で本尊と一体化すること。「三密」は身口意の三業。手で印を結び、口に真言を唱え、心に本尊を念ずること。 ■法雨 仏法を雨にたとえたもの。 ■時俗 現在の世情。 ■堯年の昔 古代中国堯帝のおさめた理想的な時代。 ■衆儀 「衆徒の詮議」の意。