平家物語 百五十六 維盛入水(これもりのじゆすい)

原文

三(み)つの山の参詣事(こと)ゆゑなくとげ給ひしかば、浜の宮と申す王子(わうじ)の御(おん)まへより、一葉(いちえふ)の船に棹(さを)さして、万里(ばんり)の蒼海(さうかい)にうかび給ふ。はるかの興(おき)に山なりの島といふ所あり。それに舟をこぎ寄せさせ、岸にあがり、大きなる松の木をけづッて、中将銘跡(めいせき)を書きつけらる。「祖父太政大臣平朝臣清盛公(そぶだいじやうだいじんたいらのあつそんきよもりこう)、法名浄海(ほふみやうじやうかい)。親父内大臣左大将重盛公(しんぶないだいじんのさだいしやうしげもりこう)、法名浄蓮(じやうれん)。三位中将維盛(さんみのちゆうじやうこれもり)、法名浄円(じやうゑん)、生年(しやうねん)廿七歳、寿永三年三月廿八日、那智 の興(おき)にて入水(じゆすい)す」と書きつけて、又興(おき)へぞこぎ出で給ふ。思ひきりたる道なれども、今はの時になりぬれば、心ぼそうかなしからずといふ事なし。

比(ころ)は三月廿八日の事なれば、海路遥(かいろはる)かに霞(かす)みわたり、哀れをもよほすたぐひなり。ただ大方(おほかた)の春だにも、暮れ行く空は物うきに、況(いはん)や今日(けふ)をかぎりの事なれば、さこそは心ぼそかりけめ。興(おき)の釣舟(つりぶね)の浪に消え入るやうにおぼゆるが、さすが沈みもはてぬを見給ふにも、我身のうへとやおぼしけむ。おのが一行(ひとつら)ひきつれて、今はとかへる雁(かり)がねの、越路(こしぢ)をさして鳴きゆくも、ふるさとへことづけせまほしく、蘇武(そぶ)が胡国のうらみまで、思ひのこせるくまもなし。「さればこは何事ぞ。猶妄執(なほまうじふ)のつきぬにこそ」と思食(おぼしめ)しかへして、西にむかひ手をあはせ、念仏し給ふ心のうちにも、「すでに只今をかぎりとは、都にはいかでか知るべきなれば、風のたよりのことつても、いまやいまやとこそまたんずらめ。遂(つひ)にはかくれあるまじければ、此世になきものと聞いて、いかばかりかなげかんずらん」なンど思ひつづけ給へば、念仏をとどめ合掌(がつしやう)を乱(みだ)り、 聖(ひじり)にむかって宣(のたま)ひけるは、「あはれ人の身に、妻子(さいし)といふ物をばもつまじかりけるものかな。此世にて物を思はするのみならず、後世菩提(ごせぼだい)のさまたげとなりける口惜(くちを)しさよ。只今も思ひ出づるぞや。か様(やう)の事を心中(しんぢゆう)にのこせば、罪ふかからむなる間、懺悔(ざんげ)するなり」とぞ宣ひける。

現代語訳

熊野三山での参詣を何事もなく終えられたので、浜野宮という王子社の御前から、一艘の舟に乗って、遥かに広がる碧い海へ漕ぎ出される。はるか沖に山成の島という所がある。そこへ舟を漕ぎ寄せさせ、岸にあがり、大きな松の木を削って、中将の名跡を書きつけられる。「祖父太政大臣平朝臣清盛公、法名浄海。親父内大臣左大将重盛公、法名浄蓮(じょうれん)、三位中将維盛、法名浄円(じょうえん)、生年二十七歳、寿永三年三月二十八日、那智の沖にて入水す」と書きつけて、又沖へ漕ぎ出でなさる。入水することはかねて覚悟していた事ではあるが、いよいよ最後の時になってしまうと、心細くて悲しくないという事はない。

時は三月二十八日の事なので、海路には遥か遠くまで霞がかかり、哀れを感じさせるのに匹敵する眺めである。とりたててどうということもない普通の春であっても、暮れ行く空は物悲しいのに、ましてや今日が最後の事なので、さぞかし心細い事であったろう。沖に浮かぶ釣り船が波に揺られて消え入るように思われるが、それでいてなお沈みきらずに漂っているのを御覧になるにも、自分の身の上の様だと思われた事であろう。自分の仲間の一列の雁を引き連れて、今は北国へ帰る雁が、鳴きながら帰って行くの見ても、あの雁に手紙を託して故郷への伝言をしたいと願い、胡国に捕らわれた蘇武が故郷の漢土を恋い慕う執念を持っていたような思いまで何一つ思い残す事なく。思いめぐらすのであった。「これはいったいどうしたことだろうか。猶も家族への執着にとらわれた迷いの心は尽きないのか」と思い返されて、西に向い手を合せ、念仏を唱えられる心の内にも、「自分がもう今が最後だとは都では知るはずがないのだから、何かの機会に届けられる思いがけない消息も、今か今かと待っている事だろう。最後には知られる事だろうから、この世にはいないものと聞いて、どんなに嘆く事だろう」などと思い続けられると、念仏は途切れ、合唱の声は乱れ、聖に向っておっしゃるには、「ああ、人の身に妻子というものを持つべきではなかったよ。この世で物を思わせるだけでなく、後世菩提の妨げとなるのは残念です。今も崔氏の事が思い出されるのですよ。この様な思いを心の中に残す事は罪深い事だと聞いているので、懺悔するのです」とおっしゃった。

原文

聖も哀れに覚えけれども、我さへ心よわくてはかなはじと思ひ、涙おしのごひ、さらぬ体(てい)にもてないて申しけるは、「まことにさこそはおぼしめされ候(さふらふ)らめ。たかきも賤(いや)しきも、恩愛(おんあい)の道は力およばぬ事なり。中にも夫妻は一夜(いちや)の枕(まくら)をならぶるも、五百生(ごひやくしやう)の宿縁(しゆくえん)と申し候へば、先世(ぜんぜ)の契(ちぎり)浅からず。生者必滅(しやうじやひつめつ)、会者定離(ゑしやぢやうり)は浮世(うきよ)の習(ならひ)にて候なり。すゑの露もとのしづくのためしあれば、たとひ遅速(ちそく)の不同はありとも、おくれ先だつ御別(おんわかれ)、遂(つひ)になくてしもや候べき。彼驪山宮(かのりさんきゆう)の秋の夕(ゆふべ)の契(ちぎり)も遂には心を摧(くだ)くはしとなり、甘泉殿(かんせんでん)の生前(しやうぜん)の恩も終(をはり)なき にしもあらず。松子(しようし)、梅生(ばいせい)、生涯(しやうがい)の恨(うらみ)あり。等覚(とうがく)、十地(じふぢ)、猶生死(なほしやうじ)の掟(おきて)にしたがふ。たとひ君長生(ちやうせい)のたのしみにほこり給ふとも、此御歎(おんなげき)はのがれさせ給ふべからず。たとひ又百年の齢(よはひ)をたもち給ふとも、此御恨(おんうらみ)はただ同じ事と思食(おぼしめ)さるべし。第六天の魔王(まわう)といふ外道(げだう)は、欲界(よくかい)の六天を我物(わがもの)と領(りやう)じて、中にも此界の衆生(しゆじやう)の生死をはなるる事を惜しみ、或(あるい)は妻(め)となり、或は夫(をつと)となッて、是をさまたぐるに、三世(さんぜ)の諸仏(しよぶつ)は一切衆生(いつさいしゆじやう)を一子(いつし)の如くに思食(おぼしめ)して、極楽浄土の不退(ふたい)の土(ど)にすすめいれんとし給ふに、妻子といふもの無始曠劫(むしくわうごふ)より以来(このかた)、生死に流転(るてん)するきづななるがゆゑに、仏は重ういましめ給ふなり。さればとて御心よわうおぼしめすべからず。源氏の先祖伊予入道頼義(せんぞいよのにふだうらいぎ)は、勅命によッて奥州(あうしう)のえびす貞任(さだたふ)、宗任(むねたふ)をせめんとて、十二年が間に人の頸(くび)をきる事一万六千人、山野(さんや)の獣江河(けだものがうが)の鱗其命(うろくづそのいのち)をたつ事幾(いく)千万といふ数を知らず。されども終焉(しゆうえん)の時、一念(いちねん)の菩提心(ぼだいしん)をおこししによッて、往生の素懐(そくわい)をとげたりとこそ承れ。就中(なかんづく)に、出家の功徳莫太(くどくばくたい)なれば、先世(ぜんせ)の罪障(ざいしやう)みなほろび給ひぬらむ。たとひ人あッて七宝(しつぽう)の塔(たふ)をたてん事たかさ三十三天にいたるとも、一日(いちにち)の出家の功徳には及ぶべからず。たとひ又百千歳(ひやくせんざい)の間、百羅漢(ひやくらかん)を供養したらん功徳も、一日の出家の功徳には及ぶべからずととかれたり。罪ふかかりし頼義(らいぎ)、心のたけきゆゑに往生をとぐ。させる御罪業(ございごふ)ましまさざらんに、などか浄土へ参り給はざるべき。其上当山権現(そのうへたうざんごんげん)は本地阿弥陀如来(ほんぢあみだによらい)にてまします。はじめ無三悪趣(むさんあくしゆ)の願(ぐわん)よりをはり得三法忍(とくさんぽふにん)の願(ぐわん)にいたるまで、一々の誓願(せいぐわん)、衆生化度(しゆじやうけど)の願ならずといふ事なし。中にも第十八の願には、『設我得仏(せつがとくふつ)、十方衆生(じつぽうしゆじやう)、至心信楽(ししんしんげう)、欲生我国(よくしやうがこく)、乃至十念(ないしじふねん)、若不生者(じやくふしやうじや)、不取正覚(ふしゆしやうがく)』ととかれたれば、一念十念のたのみあり。只 ふかく信じて努々疑(ゆめゆめうたがひ)をなし給ふべからず。無二(むに)の懇念(こんねん)をいたして、若(も)しは一返(いつぺん)、若しは十反(じつぺん)も唱(とな)へ給ふ物ならば、弥陀如来、六十万億那由多恒河沙(まんおくなゆたごうがしや)の御身(おんみ)をつづめ、丈六(ぢやうろく)八尺の御形(おんかたち)にて、観音(くわんおん)、勢至(せいし)、無数(むしゆ)の聖衆(しやうじゆ)、化仏菩薩(けぶつぼさつ)、百重千重(ひゃくぢゆうせんぢゆう)に囲繞(ゐねう)し、伎楽歌詠(ぎがくかやう)じて、唯今極楽(ごくらく)の東門を出でて来迎(らいかう)し給はむずれば、御身(おんみ)こそ蒼海(さうかい)の底に沈むと思召(おぼしめ)さるとも、紫雲のうへにのぼり給ふべし。成仏得脱(じやうぶつとくだつ)してさとりをひらき給ひなば、娑婆(しやば)の故郷(こきやう)にたちかヘッて、妻子を道(みち)びき給はむ事、還来穢国度人天(げんらいゑこくどにんでん)、すこしも疑(うたがひ)あるべからず」とて、鐘うちならしてすすめ奉る。中将しかるべき善知識(ぜんちしき)かなと思食(おぼしめ)し、忽(たちま)ちに妄念(まうねん)をひるがへして、西に向ひ手を合せ、高声(こうしやう)に念仏百返計(ひやつぺんばかり)となへつつ、「南無(なむ)」と唱ふる声共(とも)に、海へぞ入り給ひける。兵衛入道(ひやうゑにふだう)も石童丸(いしどうまる)も同じく御名(みな)を唱へつつ、つづいて海へぞ入りにける。

現代語訳

聖も哀れに思われたが、自分まで気弱くなってはならんと思い、涙を拭い、何気ない風を装って申すには、「ほんとうにそのように思われるでしょう。身分の高い者も卑しい者も、恩愛の道はどうにもならないものです。なかでも夫妻となれば、一夜夫婦としての契りを結ぶのも五百回も生まれ変る遠い前世から宿縁よるものと申しますから、生者必滅、会者定離は俗世の習いでございます。草木の葉末にたまる露や、その根元から落ちる雫のように浮世のはかなさを譬(たと)えた言葉もありますので、例え遅い早いの違いはありましょうとも、遅れ、先立つ御別れが、ついにはないわけにはまいりません。あの離散宮(りさんきゅう)で唐の玄宗皇帝が楊貴妃と七夕の夜に夫婦の愛を誓い会った約束も、最後には心を悩ますきっかけとなり、漢の武帝が甘泉殿(かんせんでん)で先立たれた李夫人の生前の姿を描かせて追慕したという愛も終りが無いという事はございません。赤松子と梅福という漢代の仙人も共に不老長寿として知られておりましたが、それでも最後には死の悲しみから逃れる事はできませんでした。等覚や十地の悟りに達した仏菩薩も、尚生死の掟には従わなければなりません。たとえ貴方がどれほど長生きして楽しみを誇られようとも、この死から免れることはできないという悲嘆から逃れることはできません。たとえ百年の命を保たれようとも、死への御恨みはただ同じ事とお思いくださるべきです。第六天の魔王という外道は、欲界の六天を我物として支配し、中でもこの欲界の衆生が生死を離れて、仏の救いを得ようとすることを惜しんで、或いは妻となり、或いは夫となって是を妨げようとしております、過去・現在・未来三世の諸仏は、すべての衆生をひとりっ子のように思われて、そこに往生した者は再び現世に退転することが無いという極楽浄土に導き入れようとなさるが、その際妻子という者は、遥か永遠の昔以来、生死を繰り返す迷いの世界に人をさまよわせ、縛りつける絆のようなものなので、仏は重く妻子への愛情を戒めておられるのです。だからといって御心を弱く思われてはなりません。源氏の先祖、伊予入道頼義(いよのにゅうどうらいぎ)は、勅命によって奥州の夷(えびす)、安倍貞任(あべのさだとう)、宗任(むねとう)を攻めようとして、十二年の間に人の首を斬る事一万六千人、山や野の獣、河川の魚などその命を絶つ事幾千万という数もわからないほどです。それでも終焉の時には、ひたすら仏を信じる心を起したことによって、往生の本懐を遂げたと聞いております。とりわけ、出家の功徳は莫大なので、貴方の前世からの罪はすべて無くなってしまったことでしょう。例え、人が七宝の搭を建てる事、その高さが三十三天にに至ったとしても、一日の出家をした功徳には及びません。例え又百歳、千歳になるまでの間、百羅漢を供養した功徳も、一日の出家の功徳には及びもしないと経典に説かれています。罪深かった頼義も求道の心が強かったので往生を遂げました。貴方はたいした罪業もおありにならないのに、どうして浄土へ参れないということがありましょうか。そのうえ当山の権現は本地阿弥陀如来であらせられます。阿弥陀仏四十八願中の初めの地獄・餓鬼・畜生の三悪をなくす願から終りの諸菩薩に三種の法印を得させる願に至るまでひとつひとつの誓願が、衆生を苦しみから救い悟りを開かせないという事はありません。中でも第十八の願には、『設我得仏(せつがとくふつ)、十方衆生(じゅっぽうしゅじょう)、至心信楽(ししんしんがく)、欲生我国(よくしょうがこく)、乃至十念(ないしじゅうねん)、若不生者(じゃくふしょうじゃ)、不取正覚(ふしゅしょうがく』と説かれておりますので、一度の念仏でも十度の念仏でも、極楽往生できる望みがございます。ひたすら深く信じて決して疑ってはなりません。またとない懇切な願いを込めて。もしくは一篇もしくは十篇も念仏をお唱えになるのであれば、弥陀如来は、極めて高く無限大である御身を縮めて、丈六八尺の御姿になって、観音、勢至以下、無数の仏菩薩、姿を変えて現れた仏菩薩らが百重・千重と幾重もなく弥陀を取り囲み、音楽を奏し、詠歌をして、ちょうど今極楽の門を出られてこの娑婆へ御迎に来られようとされているので、御身は碧い海の底に沈むのだと思われても、紫雲の上にお上りになられるでしょう。仏となり煩悩・生死などの苦悩から解放され、悟りをお開きになれば、娑婆の故郷へ帰って、妻子をお導きなさる事は、、還来穢国度人天(げんらいえこくどにんてん)とあるように、少しも疑ってはなりません」といって、鐘を打ち鳴らして念仏をお勧め申し上げる。中将は適切な仏道へ導いてくれる聖であることよと思われて、すぐさま邪念を翻して、西に向い手を合せ、声高に念仏を百編ばかり唱えながら、「南無(なむ)」と唱える声と共に、海へお入りになられた。兵衛入道(ひょうえにゅうどう)も石童丸(いしどうまる)も同じく阿弥陀の御名を唱えながら、続いて海へ入った。

朗読・解説:左大臣光永

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