初編 川崎より加奈川へ

原文

万年屋(まんねんや)にて支度(したく)せんと、腰(こし)をかける

万年やの女「おはようございやす

弥次郎兵衛「二ぜんたのみます

きた八「コウ弥二さん見なせへ、今の女の尻(けつ)は去年(きよねん)までは、柳(やなぎ)で居たつけが、もふ臼(うす)になつたア。どふでも杵(きね)にこづかれると見へる。そしてめんよふ、道中(だうちう)の茶屋(ちやや)では、床(とこ)のまに、ひからびたはなをいけておくの。あのかけものをみねへ。なんだ

弥二「アリヤア鯉(こい)のたきのぼりよ

北「おらア又、鮒(ふな)がそうめんをくふのかとおもつた

弥二「コウむだをいはずとはやく喰(く)はつし。汁(しる)がさめらア

北「ヲヤいつの間(ま)にもつてきたドレドレ

と、ならちやをあり切さらさらとしてやり

弥二「もふおはちが零落(れいらく)した

北「又さきへいつて、うめへものをしてやろふ

と、それよりふたりはぜにをはらひ、ここをたちいでて行に、むかふよりお大名のぎやうれつ、さきばらひの男、一人は六十ぐらひのおやぢ、一人は十四五のやつこ、いづれも宿の人足なり

先払「したアにしたアに。かぶりものをとりませふぞ

北「かけおちものは、下座をしねへでもいいと見える

現代語訳

川崎より加奈川へ

万年屋にて食事をとろうと、腰を掛ける。

万年屋の女

「おはようございやす」

弥次郎兵衛

「二膳頼みます」

北八「ちょいと、弥次さん見ろよ。今の女の尻は去年までは柳で生娘(きむすめ)でいたっけが、そいつが、もうもう臼(うす)だあ。なんのかのと杵(きね)に小突かれると見える。それに不思議じゃないか、道中の茶屋では、床の間に枯れ花を活けておくね。あの掛軸を見ねぇ。なんだろう」

弥次「ありゃあ鯉(こい)の滝登(たきのぼ)りよ」

北八「俺は又、鮒(ふな)が素麺(そうめん)を食うのかと思った」

弥次「これ無駄を言わずと早く食いねえ。汁が冷(さ)めらあ」

北八「おや、いつの間に持って来た。どれ、どれ」

と奈良茶飯を全部さらさらとかっこんで

弥次「もう飯が全部無くなった」

北八「又先へ行ってうまい物を食べようよ」

とそれから二人は金を払い、此処をあとにする。と、向こうからお大名の行列、先払いの男一人は、六十ぐらいの親爺、一人は十四五の子ども奴(やっこ)、何れも宿の人足稼業なのが、

先払「下あにぃ下あにぃ。冠(かぶ)り物を取りましょうぞぅ」

北八「駆け落ち者は、土下座をしねえでいいと見えるねえ」

語句

■万年屋-川崎の棒端で、大師河原道が分れる所に会った有名な奈良茶飯屋。■支度-食事をすること。■柳-柳腰。ほっそりして処女の体。■臼-「立てば石臼」という太い腰。■杵(きね)にこづかれる-男根でつかれるのたとえ。早くから「陰陽和合のうすきねにこねまはされて命いけるぼんぷ」(傾城千尋の底・序)などとたとえる。■めによふ-不思議だ。『柳多留』初「なげ入の干からびて居る間イの宿」による。■鯉のたきのぼり-中国の竜門の故事(鯉が竜門を登って竜になる)による画題。■そうめんを~-上から流れ落ちる水をそうめんに見立てた滑稽。咄本に先例がある。■ならちゃ-早くは炒豆や焼栗などを混ぜた茶汁で煮た、即ち茶飯であったが、後は茶飯に、簡単な副食物をつけた一膳飯のこと(『嬉遊笑覧』『本朝食鑑』など)。■あり切-全部。■おはちが零落した-食器の飯が全部なくなった。■してやろふ-食べよう。■ぎやうれつ-参勤交代の道中行列。■さきばらひ-大名行列の前に進んで、通行人車馬を制する者。ここは宿次で雇った人足である。■やつこ-奴風頭つき(中剃りを広くして、髷を小さくした)者。■人足-人馬継立てで問屋や人足部屋で世話して、荷を運ぶなどの役を担当する労務者。■かぶりもの-笠・手拭など。■かけおちもの-逐電者。「かぶりもの」は「毛氈(もうせん)をかぶっ)た」者、即ち主家をしくじった者。その結果逐電することになる。■下座-土下座。

原文

弥二「なぜ

北「ハテかぶりものは通(とう)りませふぞといふは

さきばらひ「馬士(まご)、馬(むま)の口を取(とり)ませふぞ

北「馬の口(くち)もとりはづしができるのかのハハハハ

先ばらひ「あとの人せいがたかいぞ

弥二「おいらがことか。高(たか)いはづだ。愛宕(あたご)の坂(さか)で、九文龍(くもんりやう)とかたをならべたおとこだ

北「しやれなさんな。とんだめにあはふぜ

弥二「アレ見やれどれもいい奴(やつこ)だ。まきばしよりで、ごふせいに尻(けつ)がならんだは。何(なん)のことはねへ、葭町(よしてう)じんみちの土用(どよう)ぼしといふもんだ

北「ヲヤヲヤ弓(ゆみ)をかついでいる人の笠(かさ)を見ねへ。あたまと延引(ゑんいん)していらア

弥二「そしてアノ羽折(はをり)のながさは、暖簾(のれん)から金玉がのぞひている

北「とのさまはいい男(おとこ)だ。さぞ女中衆(ぢよちうしゆ)がこすりつけるだろふ

弥二「べらぼうめ、いろいろなことにせはをやくは。あなたがただとつて、やたらそんなことをして、つまるものかへ

北「ナゼそれだとつて、アレお道具(だうぐ)を見ねへ。アノとふりにたちづめだは。ハハハハハハサアお駕(かご)がとをつたからいかふ

トたつて行過ると、しゆくはづれに

馬かた「おや方かへり馬だが、乗(の)つてくんなさい

現代語訳

弥次「何故」

北八「はて冠(かぶ)り物は通りましょうと言ってらあね」

先払「馬士(まご)、馬の口を取りましょうぞ」

北八「馬の口も取り外しが出来るのかい。はははは」

先払「後の人、背が高いぞ」

弥次「おいらのことですかい。高いはずよ。愛宕(あたご)の坂で、相撲取りの九文龍(くもんりゅう)と肩を並べた男だ」

北八「洒落なさんな。ひどい目にあわされるぜ」

弥次「ちょっと見やれ、どれもいい奴(やっこ)だ。裾もきりりとはしょって 、豪勢に尻(けつ)が並んでらぁ。何のことはねえ、葭町新道(よしちょうしんみち)、男娼(おかま)の土用干しというもんだ」

北八「おや、おや、弓を担いでいる人の笠を見ねえ。頭と離れていらぁ」

弥次「それにあの羽織は長過ぎるよ、まるで暖簾から金玉が覗いている、って格好か」

北八「殿様はいい男だ。さぞやお女中衆、何かで何かをこすりつけてくるだろう」

弥次「べらぼうめ、色々な事に世話を焼くは。殿さまだとって、やたらそんな事をしたって、面白いものか」

北八「何故、それだとって、あのお道具を見ねぇ。あの通りに槍(やり)はぴいんと立ちっぱなし。はははは。さあ、お駕(かご)が通ったから出かけよう」

と立って行過ぎると、宿外れに

馬方「旦那方、帰り馬だが、乗ってくんなせい」

語句

■馬のくちを取る-馬が離れぬように轡を持つ事。■権現を祀る愛宕山(東京都港区)の男坂は八十六段、女坂は百九段あって高かった。■九文龍-相撲取の九文龍清吉。丈は六尺二寸五分(寛政八年番付)。■奴-撥鬢(はつびん)頭で看板を着、裾を捲し上げた姿で武家の供をする僕。大名行列では槍や挟箱を持って先行する。■まきばしより-裾をまくって前で交互にかかえ上げたさま。■葭町(よしてう)じんみち-堀江六軒町の別称(中央区日本橋)にあった新道。男色を売る陰間茶屋のあった所。■土用ぼし-夏の土用に衣類など干し並べることであるが、ここは陰間茶屋の商品、尻を並べることに比したもの。■あたまと延引(ゑんいん)-笠の台が高く、頭と離れているをいう。享和元年(1801)刊『開帳延喜繁花』でも同じ文句がある。■羽折~-羽織は短くて、ぶっさき羽織とて、背面中央を開いてある。したがって股のところが、そこから見えるをいう。■こすりつける-女のほうからもって参るだろう。■あなたがた-貴人をさして言う語。■道具-武家では槍のこと(秋草)。行列では槍を立てて行くを、男の一物が立つと洒落た。■馬かた-馬方。街道で、人や荷を馬で運ぶ人足。その荷の重さや距離による人や荷の賃金は、その時々で幕府の定めるところがあって、高札場に示され、『道中記』などにも記されている。しかし交渉によって酒手と共に賃金の増減することが多かった。■おや方-馬方などが男客に呼びかける言葉。■かへり馬-自分の宿駅への帰り道の馬。

原文

弥二「安くばのるべい

馬かた「さか手でいかふ。じばでのつてくんなさい

ト馬のねだんもそうだんができて、弥二郎もきた八もここより馬にのると、二ひきならべてひきいだす、鈴のおとしやんしやんしやん、馬ヒインヒイン

トむかふよりくる

馬かた「ヘエちくしようめはやいな

こちらの馬かた「くそをくらへ

さきの馬かた「うぬけつでもしやぶれ

トこれがこのてやいの行ちがひのあいさつ、たがひにあくたいをいつて、ぎりをのべわかれる。

や治郎兵をのせたる馬かた

「コレ伊賀(いが)よ、きのふ手めへとのんでいたやろうは、アリヤア上(かみ)の宿(しゆく)の房州(ぼうしう)だな

このてやいつねに名をいはず、みなくにところのなを呼ぶ。きた八をのせたる馬かた大道にひよぐりながら

「せんどのばんげにな、アノ房州(ぼうしう)めがかかあがな、うらが親方の背戸(せど)ぐちに、ばりをこいていたと思(おも)へ。あにがシヤアシヤアといふおとをきくと、うらも気がわるくなつたもんだんで、こいつなアかまうこたアねへ、ぶつちめてやろふと思つて、打くらつた元気で、いきなりにうぢよヲねぢやアげて、そこへぶつたをしたとおもへ。そふすると、かかあめがきもをつぶしやアがつて、コリヤアあにヲするとぬかしやアがつたから、エエあによヲするも犬(いん)のくそもいるもんかへ。ぶつてしめるのだ。だまつてけつかれといふと、あにがアノづうたへだから、ひどへちからのある女よ。コノ野郎みやアと、おりよヲつつこかしやアがつたんで、エエどふしやアがると、よこつつらアひとつぶんなぐつて、厩(むまや)の壁(かべ)へおつたをして、のつかつたとおもへ。まだこごとをぬかしやアがるから、うらが親方(おやかた)の子に、やろふとおもつて、もちよヲ買(か)つて来がけだから、そのもちよヲ二ツ三ツ、かかあめがくちへねぢこんだら、むしやむしやとくらやアがるから、其内(そのうち)にぶつちめた。そふすると、最(も)つとくれろと、いやアがつたんで、うらもそこらア探廻(さぐりまは)して、馬(むま)の糞(くそ)たアしらずに、あいつが口へおしこんだら、むによヲわるがつて、はらアたちやアがるまいか。うらもあんまり、可愛(かあい)そふだんで、とふとふ焼杉(やきすぎ)の下駄(げた)アひとつ、おつたをれたはないまいましい

此はなしに、二人りも大きに興をもよほし、はやかな川のぼうばなへつく

夫よりふたりとも、馬(むま)をおりてたどり行(ゆく)ほどに、金川(かながは)の台(だい)に来(きた)る。

現代語訳

弥次「安けりゃ乗るべい」

馬方「酒代(さかて)で決めよう。二百でどうでがす」

と馬の値段も折り合いがつき、弥次郎も北八もここより馬に乗ると、二匹並んで、鈴の音もシャンシャンシャン。馬はヒインヒインといななく。と向こうより来る。

馬方「へぇぇ畜生め早いな」

こちらの馬方「糞食らえ」

先の馬方「うぬぅ、尻(けつ)でもしゃぶれ」

とこんな会話が、街道馬方の日常の行き違いの挨拶で、互に悪態を言って、すれ違う。

弥次郎兵衛を乗せた馬方

「おい伊賀よ、昨日てめえと飲んでた野郎は、ありゃあ上の宿の房州だな」

この連中は常にあたりまえの名を言わず、皆、国所の名を呼名がわりにする。北八を乗せた馬方は道端に立小便をしながら、

「先頃の晩にな、あの房州めのかかあがよ、俺の親方の裏口で小便をしていたと思いねえ。俺がしゃあしゃあという音を聞くと、変な気になったもんで、かまうこたぁねえ、手籠めにしてやろうと思って、一杯ひっかけた勢いで、いきなり腕を捩じ上げて、その場に押し倒したと思いな。すると、嚊(かか)めがびっくりたまげやがって、こりゃあ何をするっとぬかしやぁがったから、ええぃ何をするも犬の糞もあるものかぇ。ぶっちめてやるだ。おとなしくしろと言うと、なにせ、あの大きい図体だ。怪力のある女子よ。この助平野郎見やあがれと、この俺を突っ転がしたんで、こいつ、ふてえ女郎(あま)だ。横面(よこっつら)をひとつひっぱたいて、厩の壁へ、ぐいと押しつけて乗っかったと思いねえ。まあだぶつくさ文句を言いやがるから、おらが親方の子にやろうと思って、餅を買って持っていたのを二つ三つ、かかあめの口に捻じ込んだら、むしゃむしゃと食いやがる始末だから、そのうちにおらもやっとぶっちめた。すると今度は餅をもっとくれろと言いやがったんで、俺もそこらじゅう探り回して、馬の糞たぁ知らずに、あいつの口に押し込んだ。胸が悪くって、えらく腹をたてたことか。俺もあんまり可哀想だで、とうとう嚊が踏み割った焼杉の下駄を一足、自腹切ってやったさ。いまいましいよ」

この話に二人もおおいに興味を覚え、早くも加奈川の宿はずれに着く。それで馬を下りて歩くうち金川台にさしかかった。

語句

■さか手-馬方・駕籠屋などへ、賃金以外に出す心づけ。■じば-馬方の符牒で、「二」。ここは二百文。馬方の符牒は、一(そく)、二(じば・ぶり)、三(きり)、四(だり)、五(げんこ・がれん)、六(ろんじ)、七(さいなん)、八(ばんどう)、九(きわ)(『兎園小説』など)。■てやい-手合い。連衆。■あくたい-悪口。■ぎり-義理。挨拶。■上の宿-宿駅で、西(上方)にある部分をいうか。■くにところ-国所。生国。ここでは伊賀(三重県)・房州(安房。千葉県)のごとくである。■ひよぐりながら-小便を垂らしながら。関東の卑語。■せんど-先頃の。■ばんげ-晩。■親方-ここは、馬方を統御して働かせる監督。■背戸-家の裏の出入口。■ばりをこいていた-「小便」の方言として使用してある。小便をしていた。■あに-何。■気がわるくなつた-変な気になった。発情した。■ぶつちめてやろふ-女を手ごめにしてやろう。■打くらつたげんきで-酒の入った勢いで。■うじよ-「腕を」の訛り。■ねじやアげて-捩じ上げて。■犬(いん)のくそもいるものか-「犬のくそ」は、その上にくる語句の内容を、問題にも何にもならないの意で強めるために付けるもの。■ぶつてしめるのだ-前出の「ぶつちめる」と同じ。女を自由にするのだ。■けつかれ-上に来る動詞を強め、かつ相手を卑しめる意を持つ命令形の卑語。

※この場のごとく、下品野卑にして滑稽な趣を出すのが、一九の滑稽本の一特色である。ここの馬方の言葉は、関東の田舎言葉として使用してある。

■づうてへ-図体。大きな体。■もちよ-餅。■来がけ-来た途中。■むによヲわるがつて-胸の辺りが気持ちが悪いと言って。■はらアたちやアがるまいか-大変に腹を立てた。■焼杉(やきすぎ)の下駄(げた)-表を焦がした杉を、駒下駄風にくりぬいた製の下駄。粗品。■おつたをれたはな-物入りとなった。損をした。■かな川-川崎より二里半の宿駅(今は横浜市神奈川区)。■ぼうばな-宿駅のはづれで、その宿名の榜示杭が立っている所。■金川の台-棒端から小一里の所、台町という高地。『金川砂子』に「海岸は茶屋町にして、神奈川に名高き絶景也。夫此台にて遠望すれば、山水清(せいき)を含み、百里に目を極む。先東南の間には安房上総の峯々遥かに眺(み)わたし・・・西の方には富士の高根を山越に見わたし、・・・東に海面遥かに晴て帆かけ舟は浪を走り・・・」と。旅人の休息飲食する所であった。■茶店(ちやや)-ここでは、桜屋・大江戸屋などが有名で、酒肴を出し芸娼妓(げいしょうぎ)も呼んだ(『栗毛後俊足二編など)』。

次の章「初編 加奈川より程ケ屋へ

朗読・解説:左大臣光永