八編下巻 大阪見物 三

原文

膝栗毛八編 上・下・下

道中膝栗毛八編下巻

かくてみたりは、新町(しんまち)のあそびにおもひもよらず、面目(めんぼく)をうしなひしも、道すがらわらひのたねとなりて、うち興(けう)じつつ、曲輪(くるわ)を出たりしは、最早子の刻過けるゆへ、順慶町の夜みせもひけて、往来(わうらい)さびしければ、おのおのあしをはやめて、長まちに立かへり、翌日(あす)こそは、かの百両をおあたたまり、今宵(こよひ)の恥辱(ちじよく)をすすがんと、胸工(むねだく)みして、河内屋のおくざしきに臥(ふし)たりけるが、なにとなく心さえてね入もやらず、漸(やうや)く一ばん鶏(どり)のうたふころ、とろとろとまどろみたるが、はやくも夜明て、ここに泊(とま)り合せし旅人(たびびと)の追々起(おき)出て、はなし声(ごゑ)するに、弥次郎兵衛きた八も、目さめて床(とこ)を出れば、左平次、目をこすりながら出きたり、はやとくとくとすすめたつるにぞ、ふたりは食事(しよくじ)もそこそこに支度調(したくととの)へ、昨夜(さくや)の損料(そんりやう)着物(ぎもの)引ツぱり、立出ていそぎはせゆくままに、頓(やが)てかの坐摩(ざま)の宮なる、富会所(とみぐわいしよ)にぞいたりける

北八「急ぎ候ほどに、もふこれだこれだ。サア弥次さんはいらねへか

弥次「手めへ、さきへはいれ

北八「へへどふやらはづかしいやうだ。ハハハハハ。モシちとおたのん申やす。わつちらア昨日(きのふ)の一の富にあたりやした。金子をおわたし下さりませ

トいひ入れると、せわやき講中と見へたるが、壱人はをりはかまにて、さつそく立出

「コレハようこそ、サアサアこつちやへおとをりなされ

トげんくわんへあげて、しばらくまたせ、やがて又出きたり

「きんすおわたし申ましよ。マアこつちやのほうへ、御案内(あんない)いたしましよ

ト打つれて、ぐつとおくの廿畳ばかりのざしきへとをす。三人ここにすわりて、見まはすにりうきうおもてを、け ぬきあはせにしきつめ、とこの間、ちがひだなのかかりきらびやかに、ちりひとつなきざしきのけつかう、いふばかりなし。此内十三四才ばかりの、うつくしきわかしゆが、くろつむぎに、もへぎちやうのはかまにて、茶たばこぼんをはこび、つぎに、すひもの、すずりぶた、てうしさかづきをもち出ると、こう中ひとり

「ただ今金子、おわたし申ましよ。先御酒一献、めしあがりませ

弥次「コレハコレハ御ていねいなハハハアハハ、ハハハハハ」

北八「ナニそれがおかしいことか。お辞儀(じぎ)なしにはじめませへ

こうぢう「まことにはや、此おほくの札数(ふだかず)のうちにて、一の富におあたりなさるといふは、御運(うん)のひらける瑞相(ずいさう)、わたくしなども、あなたがたに、あやかるやうに、お盃(さかづき)いただきましよかいな

現代語訳

大阪見物 三

こうして弥次郎兵衛・北八・左平次の三人は新町での遊興に思いもよらず面目を失ったが、帰り道の笑いの種となって楽しみながら廓を出たのは、もはや午前零時を廻る頃だったので、順慶町の夜店も終了し、行き交う人もなく物寂しく、各々足を速めて、長町に帰り、明日こそは、あの百両を受け取って懐を温め、今宵の恥辱を濯がんと、心に誓い、河内屋の奥座敷に横になったが、何となく頭が冴えて寝ることもできず、漸く一番鶏が鳴く頃、とろとろとまどろみ始めたが、早くも夜が明けて、ここに泊り合せた旅人が追々起き出して、話し声がするので、弥次郎兵衛北八も、目が覚めて床を出ると、左平次も目をこすりながら起きて来た。早くも熱心に勧めるので、二人は食事もそこそこに支度を整え、昨夜の賃貸の着物を引っ張り出して着るや、宿を出て急いで行くと、やがてあの坐摩の宮の富会所に到着した。

北八「急いで来たので、もう此処だ、此処だ。弥次さん、入らねえか」

弥次「手前、先へ入れ」

北八「へへ、どうやら恥ずかしいようだ。ははははは、もし、ちとお頼み申しやす。わっちらあ昨日の一の富に当りやした。金子をお渡し下さりませ」

と申し入れると、世話焼き講中と見える者が一人、羽織袴姿でさっそく出て来る。

講中「これは、ようこそ。さあさあ、こっちゃへお通りなされ」

と玄関に上げて、しばらく待たせ、やがて又出て来た。

講中「金子をお渡し申しましょう。まあ、こっちゃのほうへ、ご案内いたしましょ」

と連れだって、ずっと奥の二十畳ばかりの座敷へ通す。三人がここに座って見回すと琉球表の筵を毛抜き袷に敷き詰め、床の間、それに続く違い棚の作りつけもきらびやかで、塵一つない座敷の作りは、文句のつけようもない。

そうしているうちに十三四才ばかりの美しい若衆が、黒紬に萌黄色の袴の装いで、茶と煙草盆を運び、次に、吸い物、硯蓋、銚子・盃を持って来ると、講中の一人が、

「ただ今、金子をお渡し申しましょ。先ず、御酒を一献召し上がりませ」

弥次「これはこれは御丁寧な、はははあはは、ははははは」

北八「なに、それが可笑しい事か。お辞儀無しに始めなせえ」

講中「まことにはや、このたくさんの札数の中で、一の富にお当りなさるというのは、御運の開ける前触れ、私なども、貴方がたに、あやかるように、お盃をいただきましょかいな」

語句

■みたり-弥次郎兵衛・北八・左平次の三人。■子の刻-夜の十二時頃。■ひけて-終了して。■あたたまり-入手して、懐加減を豊かにし。■心さえて-頭が冴えて。■一ばん鶏-夜明け前に最初に鳴く鶏の声。■富会所-富くじを扱う事務所。■急ぎ候ほどに-謡曲の文句取り。北八の心が勇んでいるしるし。■一の富-富の第一番。■せわやき講中-世話方の人々。■りうきうおもて-琉球産の藺(い)で織った筵。七島藺で織ったものも合せて称する。■けぬきあはせ-毛抜きの頭を合せたように、隙なくぴったりと合せること。ここは筵を敷き詰めてある。■とこの間-床の間。それに続く違い棚の作りつけも立派に作ってある。■もへぎちやう-萌黄色の茶宇縞の織物。茶宇は印度の西岸チャウル産の意。もと輸入品であったが、和製も作られた。『万金産業袋』に「茶宇島・・・もやういろいろ、こまかき立じまのみ多し、小がうし島もあり、地にほし入安き物なり。折々ほどきて風を入るべし」。袴などに多く製する。■すずりぶた-酒の肴や菓子などをのせて客席に出す浅い長方形の盆(山東京伝『骨董集』中)。

原文

弥次「左様ならはばかりながら

こうぢう「イヤまづあなたへ

北八「コレハ御ちそうでござりやすヲトトトトト

トしたぢはすきなりぎよゐはよし、むしやうにさいつおさへつ、のんでいるうち、さかないろいろ出、せわやきこう中、かはりがはりあいさつにきたり、ついせうたらたらそやしたてて、さけのあいてとなり、大かたに生酔となりたる頃

「御時分(じぶん)でござりましよ。麁松(そまつ)の出来合(できあい)さし上ましよかいな

トさけをひきて本ぜんをすへる

北八「コレハいろいろ御念(ねん)の入たことだ

弥次「もふお構(かまひ)なさいやすな。ハハハハハイヤモおもしろくてこたへられねへ

ト三人ともおもふさまに、くひしまうと、やがてぜんもひけたるに、当社の神しよくと見へたるがさきにたち、こう中二三人、つきそひ、南りやうにて百両さんぼうにつみあげたるを、ふたわけにして、目八分にもち出、三人のまへにおく。弥次郎北八これを見るより、ぞくぞくして、うてうてんとなり、にこにこものにて、ひかへてゐると神主

「さておのおのがたには、はじめて御意(ぎよゐ)ゑます。拙者神職(せつしやしんしよく)の名代でござります。先ずはお悦(よろこ)び申入ましよ。おめでたいことでござります

弥次「ハイハイ

こうぢう「金子おわたし申ましよ

北八「ハイハイハイ

こう中「ときにお願(ねが)ひがござります。当社御覧(とうしやごらん)のとをり、大破(たいは)につきまして、再建(さいこん)のため興行(こうぎよう)いたした富(とみ)にござりますれば、おあたりなされたお方へは、どなたへもお願ひ申て、百両の内十両、寄進(きしん)におつき申て、お貰(もら)ひ申ますさかい、あなた方もさやうなされて下さりませ

弥次「ハイハイハイ

こう中「まだ外に、お願ひがござりますわいな。是もすべて、さやうにいたします。金子五両、せわやきどもへ、御祝儀(しうぎ)といたして、おもらひ申たうござります

現代語訳

弥次「それなら、恐れながら」

講中「いや、先ず貴方へ」

北八「これは、御馳走でござりやす。おっとっとととと」

とまことに好都合、望むところとやたらと差しつ差されつ飲んでいるうち、いろいろな肴も出され、世話焼き講中が代わる代わる挨拶に来て、追従たらたらおだて上げて、酒の相手になり、大方生酔い加減になる頃、

「そろそろ食事時でござりましょ。粗末な出来合いの料理を差し上げましょかいな」

と酒を引いて、本膳を据える。

北八「これは、色々御念のいったことだ」

弥次「もうお構いなさいますな。はははは、いや、面白くて堪えられねえ」

と三人共、思う存分、食い終わると、やがて膳も引けてしまったので、当社の神職と見える人が先に立ち、講中二三人が付き添い、南稜で作った百両を三方に積み上げたものを二つに分け、視線よりやや低めに捧げて、うやうやしく持ち出し、三人の前に置く。弥次郎北八はこれを見ると、有頂天になって、にこにこして、控えている。

神主「さて、貴方がたには、初めてお目にかかります。私は神職の代理でござります。先ずはお悦び申しましょ。おめでたいことでござります」

弥次「はいはい」

講中「金子お渡し申しましょ」

北八「はいはいはい」

講中「ところでお願いがござります。当社は御覧のとおり、たいそう痛んでおりまして、再建のため、興行いたした富にござりますれば、お当りなされたお方へは、何方へもお願い申して、百両のうち十両を寄付としてお貰い申しますさかい、貴方がたもそうなされて下さりませ」

弥次「はいはいはい」

講中「まだ外に、お願いがございますわいな。是もすべて、そういたします。金子五両を世話焼き共へ御祝儀としてお貰い申しとうござります」

語句

■したぢはすきなりぎよゐはよし-諺「下地は好きなり御意はよし」。まことに好都合、望むところの意。■ついせうたらたら-しきりに追従の言葉をつらね。■そやしたて-はやし立てる。おだて上げる。■御時分で-食事時。■麁松の出来合-あり合せで粗末なもの。もちろん挨拶の言葉。■本ぜん-足つきの膳に。式正どおりの肴を並べたもの。更には二の膳・三の膳などつくこともある。■南りやう-南鐐。安永元年(1772)んい鋳造した二朱の銀貨幣(文政二年にも鋳たので、安永二朱銀・文政二朱銀という)。表に「以南鐐八片換小判一両」と打出してあるゆえの名で、良質のもので、相場では百両で百二十五両に相当したという。■さんぽう-三方。祝儀神事に供物・食物などをのせる台。方形の筒で三方にのみ飾りの穴をあけてあり、その上に角切りの折敷をのせる。■ふたわけにして-二つに分けて。■目八分-視線よりやや低めの所までささげて、うやうやしく物を運ぶさま。■名代-代理。■当社御覧のとをり-文化五年(1808)に坐摩の宮の正遷宮が行われている(『摂陽奇観』など)ので、それより前に富くじのあったのは事実である。

■寄進-社寺への寄付。幸田成友「富札」(『幸田成友著作集』第一巻所収「日本経済史研究」)に、天保四年(1833)仁和寺の富のくじの例があがっていて、一両以上当りのものから、当り金額一割の奉納金を取っている。■五両-当り金額の五分を、世話係への心づけとして出すのも、事実であったろう。

原文  

北八「ハイハイハイ

こう中「まだひとつござりますわいな。金五両、あと札をおかいなされて下さりませ

弥次「ハイハイハイ

こう中「さよなら百両の内、廿両引きまして、おわたし申ますさかい、それでよござりますかいな

弥次「ハイハイどふなりとも、宜(よろし)くなされてくださりませ

こう中「さよなら、その札(ふだ)をこれへお出しなされ、引かへに金子おわたし申ましよ

北八「ハイハイ是にござりやす

トくだんの札くわいちうより、出してわたせば、こう中手にとり見て、びつくりし

「モシ札は是ばかりかいな

北八「ハイそればつかりさ

こう中「コリヤちがふたわいな

北八「ナニちがつたとはへ。アノ一の富(とみ)は八十八番(ばん)じやござりやせんか

こう中「さよじや、八十八番じやわいな

北八「そんなら何が違ひやした

こう中「この十二支(ゑと)がちがふたわいな。当社(とうしや)の札(ふだ)には、みな番付(ばんづけ)のうへに、コレ見やんせ。十二支(ゑと)がついてあるわいな。一の富は子(ね)の八拾八ばん、こなさんがたの、もてごんしたのは、亥(ゐ)の八十八ばんじやわいな。

トいふは、この所のふだは、すべて十二支をかしらにつけてあるゆへおなじばんかずの札、十二まいづつあるゆへなり。北八これをしらず、うつかりとして、そこに心つかざれば、このまちがひ出来たるなり。両人これをきくより、はつとおもひ、ぐんにやりとなげくびして

北八「エエそんなら、三文にもなりやせんか。弥次さん、コリヤどふしたものだろう

弥次「アアアアどふといつたら、ねつからさつぱり、ちからがおちて、おいらアもふどふも

北八「エエなんだ。おめへ泣(なく)か、業(ごう)さらしな

現代語訳

北八「はいはいはい」

講中「まだ一つござりますわいな。金五両で、次の年の札をお買いなされて下さりませ」

弥次「はいはいはい」

講中「それなら百両の内、二十両引きまして、お渡し申しますさかい、それでよござりますかいな」

弥次「はいはい、どうなりとも、宜しくなされて下さりませ」

講中「それなら、その札をこれへお出しなされ。引き換えに金子をお渡し申しましょ」

北八「はいはい、ここにござりやす」

とくだんの札を懐中から出して渡すと、講中は手に取って見て、びっくりし、

「もし、札はこればかりかいな」

北八「はい、そればっかりさ」

講中「こりゃ、違うたわいな」

北八「なに、違ったとは。あの一の富は八十八番じゃござりやせんか」

講中「そうじゃ、八十八番じゃわいな」

北八「そんなら何が違いやした」

講中「この干支が違うわいな。当社の札には、皆番付の上に、これ、見やんせ。干支が付いておるわいな」

この富は子の八十八番、貴方方が持って来られたのは、亥の八十八番じゃわいな」

と言うのは、この社の札は、すべて十二支を頭につけてあるので、同じ番号の札が、十二枚づつあるので、北八はこれを知らず、うっかりして、そこに気づかず、この間違いが起きたのである。両人はこれを聞くなり、はっと思い、力が抜けてうなだれる。

北八「ええ、そんなら三文にもなりやせんか。弥次さん、こりゃどうしたもんだろう」

弥次「ああ、ああ、どうと言ったら、全く力が抜けて、おいらあ、もう、どうも」

北八「ええ、何だ。おめえ泣くか、情けない」

語句

■あと札-次回の富くじの札。■十二支(ゑと)-兄弟の意で、十干(甲乙丙丁戌己庚辛壬癸)のこと。甲をキノエ(兄)、乙をキノト(弟)など五行の兄弟に配したからであるが、十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)のことをも、またそれを合せた六十種の干支、それらの一つ一つをも「ゑと」と呼ぶ。■番付-番号を付けること、またその番号。■もてごんした-持って来なさった。■ぐんにやりと-身体に力の抜けたさま。■なげくびして-しょげかえって、うなだれる体。■三文にもなりやせんか-少しの金にもならないか。もともと拾ったもの、そこが人間のあさましさ。期待が大きかっただけに滑稽。■業(ごう)さらしな-ぶざまなことをたしなめる語。罵言。

原文

こう中「コリヤこなさんたちは、よふ札を、あらためてごんしたがゑいわいの。ゑらいあほうな衆(しゆ)じやわいの

神主「いこやくたいじや。とつとと出て、いなしやれ

こう中「サアサアいんだいんだ

弥次「ハイハイコリヤ思ひがけもない、御馳走になりやした。なんなら十二支(ゑと)ぐらゐは、まちがつてもよふござりやすから、どふぞ今の金子を

こう中「あほうなことぬかしやアがれ。ここなならずめが

北八「イヤものの間違(まちがひ)といふことはありうちだ。そんなに、やすく、いやアがるこたアねへぞ

こう中「たはこといふとどづき倒すぞ

左平「コレイナもふゑいわいの、こちがわるい。ハテこないにちそうにあふてきのどくじゃさかい、しよことがない。サアサアこち来なされ。是はしたり、弥次さん、どしたもんじやぞい。サアたちなされたちなされ

弥次「アアコレコレ北八、おれがうしろをかかへてくれ

左平「なんじやいな、おまい腰がぬけたかいの

弥次「はつとおもつたせいかして、どふもこしがのされぬ。アイタタタタタ

北八「エエいくぢのねへこつた。サア立ねへな

弥次「コレサそのやうにひつぱるな あいたあいた

ト立あがりしが、ひよろひよろしてあるかれず。せんかたなくて、四ツばいにげんくわんまで、やうやうとはひ出れば、そろひのかんばんきたる、ぼうつきの男ども、くちぐちに

「ゑらいあんだらじやな。敵等はおほかた、あないなこといふて、酒のみにがなうせおつたもんじやあろぞい。昼盗賊(ひるがんどう)めが、やばなことさらすな

北八「なんだ、いめへましいやつらだ。よこつつらはりとばすぞ

ぼうつき「アアいしこやの、どやいてこませやい                                        

トみなみな立かかるを、左平次なかにいり、おしなだめて

「サアゑいわいの、こちごんせこちごんせ

現代語訳

講中「こりゃ、こなさんたちは、よう札を改めて来られたがいいわいの。えらい阿保な衆じゃわい」

神主「ひどくめちゃくちゃじゃ。とっとと出ていきなしゃれ」

講中「さあさあ、行った行った」

弥次「はいはいこりゃあ思いがけもない。御馳走になりやした。なんなら干支ぐらいは、間違ってもようござりやすから、どうぞ今の金子を」

講中「阿保なことをぬかしやあがれ。このならず者めが」

北八「いや、ものの間違いという事はままあることだ。そんなに馬鹿にして言いやあがるこたあねえぞ」

講中「戯言言うとど突き倒すぞ」

左平「これいな、もういいわいの、こちが悪い。はて、こないに御馳走にあって気の毒じゃさかい、仕方がない。さあさあこち来なされ。これはしたり、弥次さん、どしたもんじゃぞい。サア立なされ、立なされ」

弥次「ああ、これこれ、北八、俺の後ろを抱えてくれ」

左平「何じゃいな。おまい腰が抜けたかいの」

弥次「はっと思ったせいか、どうにも腰がのばされぬ。あいたたたたた」

北八「ええ、意気地のねえこった。 さあ、立ねえな」

弥次「これさ、そのように引っ張るな、あいた、あいた」

と立ち上がったが、ひょろひょろして歩かれず、仕方なく、四つん這いで玄関まで、ようやく這い出ると、揃いの看板を着た棒突の男たちが口々に、

「えらい愚か者じゃな。彼らはおおかた、あないなこと言うて酒飲みにがなうせおったもんじゃあろぞい。昼盗賊めが、やばい事しなさんな」

北八「なんだ、いまいましい奴等だ。横っ面張り飛ばすぞ」

棒突「ああ、生意気な。ひどく打ってしまえ」

と皆々立ちかかるのを、左平次中に入り、押し宥(なだ)めて、

「さあ、えいわいの、こち来なさい、こち来なさい」                   

語句

■いこやくたいじや-ひどくめちゃくちゃじゃ。■とっとと-早々と。■ならず-ならず者。末には人を罵る語。『新撰大阪詞大全』に「ならずとは、わるい人のこと」。■ありうちだ-ままあるものだ。北八、例のむかっぱら立てる体。■どづき倒す-「打ち倒す」の上方訛。■こしがのされぬ-腰がのばされぬ。■かんばん-看板。短い、法被ようの着衣。武家、その他で、下僕や出入りの者に、その紋所を染めて、仕着せとして出すもの。■棒突-棒を突いて、警備に当る男。■あんだら-『物類呼称』に「おろかにあさましきを、京大阪にて、あんた、又あんだらと共云ふ」。■昼盗賊-浄瑠璃などによく使用の語。日中に働く強盗。騙(たか)りなどしたことを罵る語。一九も浄瑠璃から得た語であろう。■やばなことさらすな-法に触れるような、危険な橋を渡らぬようにせよ。■いしこやの-生意気な。無礼な。■どやいてこませやい-ひどく打ってしまえ。「どやす」とは、人をたたくこと。

原文

トむりに北八が手を引ぱりさきへやり、弥次郎がよいよいめきたる、あるきぶりをかいほうしながら、やうやうとけいだいを出たけれど、ふたりとも元気おちて、きぬけのしたるごとく、ぐにやりとなりて

北八「ホンニ勘平(かんぺい)じやアねへが、することなすこといすかのはしだ。今おもへば、ゆふべの占者めが、きついことをぬかしやアがつた

百両の的(まと)ははづれてあたらねどよくあたりたるさきのうらなひ

弥次「エエ歌どころか。コリヤもふ、つまらねへものになつた

左平「サイノおきのどくなこつちやわいの

北八「コリヤ全体(ぜんてへ)左平さん、おめへがわりい。わつちらア他国(たこく)もので、この土地(とち)の勝手(かつて)はしらず、アノ札の十二支(ゑと)の理屈(りくつ)も、いつてきかして、くんなさると、何もこんなに、ばんくるわせはなかつたものを、いまへましい。いつそのくされに、是からどこぞ、遊びにつれてあよびなせへ

左平「ホンニわしもねから、気がつかなんだわいの。まあなんじやあろと、ひとかへりもどりなされ。其着物(きりもん)のこともあるさかい

ト一のとみのもくさんちがひ、左平次もおのれが、うけ合しそんるやうのこともきにかかり、又弥次郎がうかうかと、きぬけのしたるていに、もしやはしのうへから、どんぶりとやりはせまいかと、こころのうちにゆだんせず、さまざまにいひくろめて、まづやうやうと、長まちのかわちやにつれかへりければ、ばんとうは、かの富のこともせうちなれば、さだめし百両せしめてかへりつらんと、出向ひて

「コレハおはやうございます。ソレ女子(おなご)ども、お茶あげんかい、マアおくへおくへ。ときにお客(きやく)さまがたは、何じややら、おめでたいことがあると、夜前ちらと聞きましたが、どふでござりましたな

弥次「イヤいつかうやくたいやくたい。しかし命(いのち)には別条(べつじやう)なく帰りやした

トひょろひょろしてふたりともおくへゆく。左平次ばんとうにささやきて

「イヤモゑらいばんくであつたわいな

ばんとう「おほかた十二支(ゑと)ちがひじやあろぞいハハハハハ

左平「サイノウそじやさかい、アノひとりの年のいたおかたが、どふじややら、気のふれたやうに見へるさかい、気をつけさんしたがよいわいの、もし雪陣(せつちん)へいてなら、油断(ゆだん)さんすな、首(くび)なとくくりおろもしれんわいの

ばんとう「ソリヤきみたのわるい。どふぞはやうほり出してこましたいものじや

現代語訳

と無理に北八の手を引っ張って先に行かせ、弥次郎が中風にかかったように身体を振るわせて歩くのを介抱しながら、ようやく境内を出たけれど、二人とも元気をなくし、気抜けしたように、ぐにゃっとなって、

北八「ほんに、勘平じゃあねえが、する事なる事イスカの嘴だ。今思えば、昨夜の易者めが、見事に的中したことを抜かしやがった

百両の的(まと)ははづれてあたらねどよくあたりたるさきのうらなひ

弥次「ええ、歌どころか。こりゃもう、つまらねえものになった」

左平「さいの、お気の毒なこっちゃわい」

北八「こりゃ、大体左平さん、おめえが悪い。わっちらは他国者で、この土地の勝手がわからず、あの札の十二支(えと)の理屈も、言って聞かせてくんなさると、何もこんなに番狂わせは無かったものを、いまいましい。いっその事、是からどこぞへ遊びに連れて行きなせえ」

左平「ほんに、わしも全く気がつかなんだわいの。まあ、何じゃあろと、もう一度戻りなされ。その着物のこともあるさかい」

と一の富を棒に振り、左平次も、自分が請け負った賃貸のことも気にかかり、又弥次郎のうかうかとした気抜けした様子に、もしや橋の上からどんぶりとやりはしないかと、心配して、油断せず、さまざま言いくるめて、先ずはようやく長町の河内屋へ連れ帰ると、番頭は、かの富のことも承知していたので、さだめし百両手に入れて帰って来たのだろうと、出迎えて、

「これは、お早うございます。それ、女子ども、お茶あげんかい。まあ、奥へ奥へ。ところでお客様方は、何じゃやら、お目出度いことがあると夜前にちらと聞きましたが、どうでござりましたな」

弥次「いや、まったくつまらん、つまらん。しかし命には変ったこともなく帰りやした」

とひょろひょろして二人は奥へ行く。左平次は番頭に囁いて、

「いや、えらい番狂わせであったわいな」

番頭「おおかた、十二支(えと)違いじゃあろぞい、ははははは」

左平「さいのう、そじゃさかい、あの一人の年のいったお方が、どうじゃやら、気が狂ったように見えるさかい、気をつけさんしたがよいわいの。もし、雪隠へ行ってなら、油断さんすな。首なと括りおるかも知れんわいの」

番頭「そりゃ、気味の悪い。どうか早くこの宿から放り出してしまいたいものじゃ」

語句

■よいよい-中風の俗称。■勘平-仮名手本忠臣蔵六段目、早野寛平腹切りの言葉「かほど迄する事なす事いすかの嘴(はし)ほど違うといふも、武運に尽きたる勘平が・・・」。いすかの嘴は食い違っていることから、諸事うまくいかない例えとする。■いすか-交喙(いすか)とは、アトリ科の鳥。全長18センチくらい。全体に雄は暗紅色、雌は黄緑色。くちばしは曲がって上下が食い違い、松やモミの実を食べる。ユーラシアと北アメリカに分布。日本には冬に渡来する。■きぬけのした-正気がなくなること。■きついこと-きっしり的中したこと。■百両の的ははづれて~-百両入手の見当は全く外れたが、ト者のほうが正当を射ていたの意。■ばんくるわせ-予期に反した結果が出ること。■いつそのくされ-「いっその事」を強めた語。■あよび-「行く」ことの通言。■ひとかへり-もう一度。一旦。■うけ合し-引受けた。■どんぶりと-入水するさま。身を投げはしまいかと。■いひくろめて-上手に言いなして。■せしめて-うまうまと入手して。■やくたい-弥次が、真似して上方語を使っているのがおかしい。■別条なく-変わったこともなく。つつがなく。■ばんく-「番狂わせ」の略。■きみた-「気味」の意の上方語。■ほり出してこましたい-この宿屋から、外へ出してしまいたい。

原文

ト引わかれて左平次おくざしきに来り

「モシ早速(さつそく)ながら、損料屋(そんりやうや)が勝手(かつて)へ来てでござります。もふお脱(ぬぎ)なされて、お戻(もど)しなさるがよござりましよ

北八「アイけへしてくんなせへ。サア弥次さんおめへも脱(ぬぎ)な

トふたりながら、ふせうぶせうにぬぎて、もとのふるぬのこをきる。左平次これをそでだたみとなして

「ハイ損料銭の書付でござります

トさし出すを、北八とりあげ

「なんだ、〆て一〆八百文。こいつたけへたけへ。ちつとまけてもらつてくんなせへ

トやつつかへしついふうち、かつてより女来りて

「ただ今新町(なか)の九軒から、御勘定(かんぢやう)いただきにさんじたわいな

トかきつけをさしおく。弥次郎とりあげ

「なんだ拾五匁座敷代、三匁硯(すずり)ぶた、壱匁五分すひもの、拾匁三分さかないろいろ、弐匁五分御くわし、六匁八分六厘が酒(さけ)、壱匁弐分四厘がらうそく、〆て四拾壱匁四分。ヒヤア目が出る目が出る

北八「コウ左平さん、他国(たこく)ものだとおもつて、あんまり人をばかにした。夕部喰(くつ)たものが、何こんなにかかるものか。惣体(そうてへ)上方ものはあたじけねへ。気のしれた、べらぼうものだ

左平「イヤおまいがたがあたじやわいな。何じやあろと、くたものははらうて下んせにや、わしがすまんわいな

北八「イヤおいらを、あたじけねへとはなんのこつた。ばかなつらな

左平「銭出してから、何となといわんせ。あたけたいな

弥次「コウ、左平さん、おめへいくらりきんでも、此新町の書出しはちがつてある

左平「ちがふたとは、何がちがふたぞいな

弥次「ハテわつちらが借(かり)て来たは子(ね)の四拾壱匁四分、此書出しは、亥(ゐ)の四拾壱匁四分とある

左平「エエおきくされ、てんごういわずとかね出せやい

現代語訳

と別れて、左平次は奥座敷に来た。

「もし、早速乍ら、賃貸屋が調理場に来てでござります。もう脱ぎなされて、お戻しなさるがよござりましょ」

北八「あい、返してくんなせえ。さあ、弥次さんお前も脱ぎな」

と二人ともに不満足げに脱いで、元の古布子を着る。左平次はこれを袖だたみにして、

「はい、損料銭の請求書でござります」

と差し出すのを、北八は取り上げ、

「何だ、締めて一締め八百文。こいつは高い高い。ちっと負けてもらってくんなせえ」

と八つ返しながら言ううちに調理場から女が出て来て、

「ただいま新町の九軒から、御勘定をいただきに来られたわいな」

と請求書をさし置く。弥次郎はそれを取り上げ、

「なんだ、十五匁が座敷代、三匁が硯蓋、一匁五分が吸い物、十匁三分が肴いろいろ、二匁五分がお菓子。六匁八分六厘が酒、一匁二分四厘が蝋燭、締めて四十一匁四分。ひゃあ目ん玉が飛び出る。飛び出る」

北八「これ、左平さん、俺たちをよそ者だと思って、あんまり人を馬鹿にした話だ。昨夜(ゆうべ)食ったものが、何でこんなにかかるもんか。だいたい、上方者は勘定高い。見えすいたひどい奴等だ」

左平「いや、おまいがたが勘定高いわいな。何じゃあろと、食ったものの代金は払うて下んせにゃ、わしが困りますわいな」

北八「いや、おいらを、勘定高いとは何のこった。馬鹿な面しとるわい」

左平「銭出してから何なと言わんせ、このけちんぼうが」

弥次「これ、左平さん、お前がいくら力んでもこの新町の請求書は違っとる」

左平「違うたとは、何が違うたぞいな」

弥次「はて、わっちらが借りて来たのは、子(ね)の四十一匁四分じゃが、この請求書は亥の四十一匁四分とある」

左平「ええ、そんな冗談、こんな時に止めてくれ。冗談言わずに金出せやい」

語句

■ふせうぶせう-不満足げに。■そでだたみ-袖だたみ。衣類を背の所で二つに折り、両袖を合せてたたむ略式なたたみ方。■書付-請求書。■新町(なか)-廓をさしていう称。ここでは大阪の新町。■座敷代-宴会をした座敷(廓では、宴会の場を、特に座敷と称する)の使用料。■硯ぶた-硯蓋に入れた肴代。以下大変細かい勘定にしてあるのも、大阪の商人魂をちょっとからかった滑稽な表現。■六匁八分六厘-分(「ぶ」または「ふん」は匁の十分の一、厘は分の十分の一。重さでいう銀貨幣の勘定の単位。■目が出る-物の値段の高いのに驚く時にいう語。■あたじけねえ-けちんぼ。勘定高い。■気のしれた-見えすいた。■べらぼうどもだ-ひどいやつらだ。■あた-「あたじけない」の略。■くたものは-食ったものの代金は。■わしがすまん-私が困る。■あたけたいな-ひどく腹の立つことだ。■書出し-請求書。■おきくされ-そんな冗談、こんな時にやめてくれ。『浪花聞書』に「てんごう、江戸でいふじやうだん也」。

原文

北八「イヤこのやろうめはふてへやつだ

ト立かかれば、左平次もひとずじではいかぬやつ、たがいにまけずすでにつかみ合いもならんかとおもふ所へ、このかわちやのていしゆ四郎兵へかけ出、左平次をしかりちらし、北八をなだめて、いさいのことをきくに、此ていしゆのやうす、たのもしげに見へ、ことにこの家のあるじと見てとり、ふたありもおくそこなく、いさいをかたり、身のうへのすかんぴんなることも、打あけてたのみければ、ていしゆ四郎兵へ、わけよきおとこにて、ぐつとのみこみ

「よござります。ハテ万両分限(まんりやうぶげん)でも旅(たび)では、かねにつまることもあるもんじやげにござります。此商売(しやうばい)いたせば、たとへどないなおかたでも、お客(きやく)はお客、飯料(はたご)がないてて、そんなら、出ていなしやれとは申ませぬさかい、何日(いつか)なと逗留(とうりう)しておかへりなされ

弥次「それは有がたふございやす。わつちらもゆるりと、所々見物がしたふござりやすが、もふそんなに、長逗留してもつまりやせんから、あすは出立(しゆつたつ)いたしやせう

ていしゆ「ハテせつかくお出でたもんじや、ゆるりと御見物なされ。ホンニ住吉へはまだじやあろ。さいわいけふわしも住吉へゆくさかい、お出でんかいな。しかしわしは、はかまや新田のかたへ用事が有さかい、舟でいこが、おまいがたは、生玉(いくだま)天王寺かけて、歩行(かち)でお出でなされ。新家(しんけ)の三もんじ屋といふ茶屋に、お待(まち)申ましよかい、ノウ左平次どの、こなさんも中直りにお供さんせ。もふ四ツ過たじやあろ。のつきにお出るがよござります

トいふに、ふたりともさいわいのことなりと、そのそうだんにきはまり、左平次ともたがひにあいさつして、心とけ、やがてしたくととのへ、ていしゆは舟にてゆくとのことなれば、こなたは、いく玉てんわう寺をまはりてゆかんと、又左平次のあんないにて、ここを立出、高津しん地にかかりゆくほどに、はやくもいく玉のやしろにまいりて

御普請もあらたに見へて金(かな)もののひかり益すなりいく玉のみや

当社は、生魂命(いくだまのみこと)、化現(けげん)の霊玉(れいぎよく)を鎮(しずめ)たてまつると云。常(つね)に参詣(さんけい)の人おほく、境内(けいだい)に田楽(でんがく)茶屋たてつづき、見せもの、はみがきうり、女祭文東(さいもんあづま)清七がうき世ものまね、其外さまざまあるが中にも、粟餅(あはもち)の曲舂(きよくづき)は、此ところを元(ぐはんそ)とす

むかふはちまきに、手ぎね、しやにかまへたる、おとこ

「サアサアひやうばんでひやうばんで。元祖名代(なだい)はあはもちのきよくづきは、生玉やが家の看板(かんばん)、ソレつくぞ、ヤレつくぞ。アリヤヤコリヤヤつくつくつくつく何をつく、粟(あは)つく麦(むぎ)つく米(こめ)をつく。旦那はんがたには伴(とも)がつく。わかい後家にやむしがつく。隠居(いんきよ)さんはちよちんで餅(もち)をつく。げい子にや、又してもあしがつく。コリヤ居去(ゐざり)の金たまへ砂(すな)がつく。ヨイヨイサツサヨイヨイサツサひやうばんひやうばん

弥次「おいらは、年中うそをつくがきいてあきれらア

現代語訳

北八「いや、この野郎はふてえ奴だ」

と立ちかかると、左平次も一筋縄ではいかぬ奴、互いに負けずすでにつかみ合いになろうかと思う所へ、この河内屋の亭主四郎兵衛が駆けだしてきて、左平次を叱り飛ばし、北八を宥めて、詳しいことを聞く、この亭主の様子が頼もしく見え、殊にこの家の主と見て取り、二人も腹蔵なく、委細を話し、身の上がすかんぴんであることも、打ち明けて頼むと、亭主四郎兵衛、物わかりのいい男で、委細承知して、

「よござります。はて、万両持った大金持ちでも旅では、金に困ることがあるもんじゃげにござります。この商売をしておりますと、たとえ、どんなお方でも、お客はお客、泊賃が無いからといって、出て行きなしゃれとは申しませぬさかい、何日なと逗留してお帰りなされ」

弥次「それはありがとうございやす。わっちらもゆるりと、所々見物がしとうござりやすが、もうそんなに、長逗留してもつまりやせんから、明日は出立したしやしょう」

亭主「はて、せっかくお出でたもんじゃ、ゆるりと御見物なされ。ほんに、住吉へはまだじゃあろ。さいわい今日わしも住吉へ行くさかい、一緒にお出でんかいな。しかしわしは、はかまや新田の方へ用事があるさかい、舟で行きますが、おまいがたは、生玉天王寺に向けて、歩いてお出でなされ。新家の三文字屋という茶屋にお待ちましょかい。のう、左平次どの、こなさんも仲直りにお供さんせ。もう十時は過ぎた頃じゃあろ。すぐにお出でるがよござります」

と言うので、二人とも幸なことだと、その相談がまとまり、左平次とも詫びの応答あって和解し、打ち解け合い、やがて食事も済ませ、亭主は舟で行くとのことなので、こちらは、生玉天王寺を回って行こうと、又左平次の案内で、ここを出立し、高津新地に向けて歩いて行くと、早くも生玉の社に着いて、

御普請もあらたに見へて金(かな)もののひかり益すなりいく玉のみや

当社は、生魂命(いくだまのみこと)、化現(けげん)の霊玉(れいぎよく)を鎮(しずめ)たてまつるという。いつも参詣の人が多く、境内には田楽茶屋が連続して並び建ち、見世物、歯磨き売り、女祭文東清七の浮世物真似、其の外さまざまな物があるが、中でも、粟餅の曲舂は、ここが元祖である。

向う鉢巻をして、手杵を斜めに持った男、

「さあさあ評判、評判。元祖名代の粟餅の曲舂は、生玉屋の家の看板。それ突くぞ、やれ突くぞ、ありゃらこりゃら突く突く突く突く何を突く、粟突く麦突く米を突く。旦那さんがたには伴が付く。若い後家には虫が付く。隠居さんは提灯で餅を突く。おやまはお客のゑりにつく。芸子にゃ又しても色がつく。こりゃ躄(いざり)の金玉へ砂がつく。よいよいさっさ、よいよいさっさ評判、評判」

弥次「おいらは、年中嘘をつくが聞いてあきれらあ」 、

語句

■ひとすじではいかぬ-一筋縄ではいかぬ。尋常の手段では片付かない、したたか者。■四郎兵へ-この分銅河内屋の主人。『南水漫遊拾遺』二の「浄瑠璃作者略伝」に「川四郎、長町分銅河内屋と云ふ宿屋四郎兵衛」。『虚実柳巷方言』の「名物浄るり作」条に「河四郎」と見える。浄瑠璃作で、一九と旧知の人物であったと思われる。■おくそこなく-隠す所もなく、内情を全部打ち明けて。■すかんぴん-『俚言集覧』に「スカンピンは素寒貧にて、赤貧のことを云ふなるべし」。文なし。■わけよきおとこ-物わかりのよい男。■ぐつとのみこみ-委細承知して。■万両分限-万両持った大金持ち。■飯料(はたご)-旅籠代。宿泊費。■住吉-住吉神社。■はかま-木津川口に東岸に沿う津守の埋立地(今の西成区津守)。■生玉天王寺-大阪東部の大社。■新家-住吉新とも。大阪を出て、住吉街道の天下茶屋の手前の地名(今の西成区)。■三もんじ屋-有名な料理屋。■四ツ過ぎ-午前十時ごろ。■のつきに-はじめに。すぐに。いきなり。■あいさつして-詫びの応答あって、和解し。■高津しんち-一名堀留と称し、東横堀が、道頓堀に屈折する所にあった私娼街(『摂陽奇観』六など)。■いく玉のやしろ-『摂津名所図会』に「難波座にいます生国国魂神社、高津の南にあり、祭神生魂(いきみたま)ノ命、大国玉命也、・・・大坂上町市中の生土神(うぶずなじん)とす」(今は天王寺区)。■御普請もあらたに~-新しい御普請と見えて、飾りの金具も一段と光り輝く生玉神社であるの意。『摂陽奇観』に生玉本社の正遷宮は天明五年(1785)とある。らだし、『摂津名所図会』の記事によるか。■化現(けげん)の霊玉(れいぎよく)を鎮(しずめ)たてまつる-『摂津名所図会』に「神宝霊玉、宝輿に鎮み奉る。社僧の説に曰く、これ生魂命(いくたまのみこと)化現(神仏が人々を救うために姿を変えてこの世に現れること)の霊玉にて、即ち出現の地を玉造といふとぞ、然れどもいまだ神伝聞へず、宝輿は宮家より賜ふ」。■祭文-祭文は歌祭文。山伏の祭文から起る。錫杖を振りながら神仏の霊験を語ったもおのであるが、江戸時代になると、三味線入りで流行の歌謡を歌い、単に祭文の調子を取り入れた大道芸となった。祭文語りは大抵は男であって、女は珍しかった。■東清七-『皇都午睡』初上に「寛政文化中に、吾妻清七と云ふ者、身振物まねに妙を得て、野郎帽子を当て、芳沢いろは(俳名巴江)、帽子を脱ぎて浅尾為十郎(俳名奥山)などをまねるに、其者爰に顕れ出しかと怪しむばかり、よく似たり、昔唐土函谷関にて孟嘗君の客鶏の声をつかひ関の戸を開きしといへば、今浮世物まねとて牛馬鶏犬諸鳥のまねをする事、和漢共に古き事と思はる」。■曲舂(きょくづき)-三味線を伴奏にし、歌曲や面白い文句を誦(とな)えながら粟餅をつき、販売するもの。■手ねぎ-一本の太い棒状で、中央の手で持つところがくびれ、上下いづれの先でもつくことのできる杵。■しやにかまあへる-斜めに持つ。■むし-内密の情夫。■ちよちん-老人男子が房事中、一物の力ないさまを形容して、提灯で餅つくという。■ゑり-富貴権力にへつらう。■あしがつく-芸娼妓などに情夫ができる。■居去(いざり)の~-足が不自由で立たないことからいう。■きいてあきれらア-ここは自嘲の言葉。

原文

商売(しやうばい)のうまみを見せて銭金(ぜにかね)をぬれ手でつかむ粟餅(あはもち)の茶屋

かくて境内を打過、馬場さきどをりに出たるに、ここはすこしの遊所(ゆうしよ)ありて、おやまげい子のなまめき、行かふさま花やかなり。

ここにもも引はきて、ちよいとかたつま、はしよりたるおとこ、ちや屋めきたるかどかどにたちて、いふをきけば

「イヤア新吉(しんきち)に舟場辺(せんばへん)お医者(ゐしや)の娘出(むすめで) ぽつとりとした中年増(ちうどしま)、おねまのところは愚都愚都(ぐつぐつ)と、煎(せん)じやう常(つね)のごとしとは申せども、そこにはちくと匕加減(さぢかげん)お用(もち)ひなされて御らうじませ。天王寺屋(てんわうじや)に是はまた、去(さる)所の飴(あめ)屋のむすめ出、につちやりくつちやり、沢山(たくさん)な水飴(みずあめ)もどきの上しろものが出ます。いづれもおたのみ申ます

トふれてゆく。

北八「左平さん、アリヤアなんだね

左平「あれかいな、ここのおきや(女郎屋)に新造(しんぞう)が出ると、あないにいふて、呼屋をふれて、あるきおるのじやわいな

弥次「コリヤめづらしいハハハハハ

左平「ときにわしは、ちよと此裏に用事があるさかい、おまいがたは、此とをりをまつすぐに、さきへお出でなされ。ツイこのさきが、天王寺じや。いつきにわしおひつくさかい

弥次「よしよし、おさきへめへりやせう

トここにて左平次と別れ、ふたりははなしにつれてたどりゆくに、つきあたりて少しまがる所、いづれへゆきたるがよきやしれざるゆへ、さきへゆくこへとりのおやぢをよびかけ

弥次「モシモシてん王寺へはどふめへりやすね

こへとり「わしがあとへついてごんせ

北八「エエついてこいはあやまる。くさいくさい

トあとへさがろふとするとこへとりふりかへりて

「コレイノわしや天王寺のツイねきじやさかい、つれまふていこわいの。サアサアごんせごんせ。おまいがたはどこじやいな

弥次「わつちらアゑどでござりやす

現代語訳

商売(しやうばい)のうまみを見せて銭金(ぜにかね)をぬれ手でつかむ粟餅(あはもち)の茶屋

このようにして、境内を通り過ぎ、馬場先通りに出たが、このは少しばかり遊所のある所で、おやま芸子が艶めかしく装い、行き交う様は華やかなものである。

ここに股引を穿いて、ちょいと着物の裾の片端をはしょった男がおり、茶屋のように見える家々の角の立って、言うのを聞けば、

「いやあ、新吉に、船場辺りのお医者の娘が女郎に出るようで、ぽっちゃりした中年増、お寝間のところは愚図愚図してはっきりしないが 、あしらいは普通だ。そこにはちくと匕加減をお用いなされてごらんなさい。天王寺屋に是はまた、さる所の飴屋の娘が女郎に出ており、にちゃりくちゃりと沢山な水飴に似た上等の女郎がおりますぞ。どちらもよしなにお頼み申しやす」

と触れ歩いて行く。

北八「左平さん、ありゃ何だね」

左平「あれかいな。ここの置屋に新造が出ると、あないに言うて、呼屋を触れて歩きおるのじゃわいな」

弥次「こりゃ珍しい、はははははは」

左平「ところでわしは、ちょっとこの裏に用事があるさかい、おまいがたは、この通りをまっすぐに先へお出でなされ。すぐこの先が天王寺じゃ。すぐにわしも追いつくさかい」

弥次「よしよし、お先にめえりやしょう」

と此処で左平次と別れ、二人は話しながら 辿って行くと、突き当たって少し曲がった所で、どちらへ行ったがいいのかわからないので、先に行く肥取(こえとり)の親仁に呼びかけ、

弥次「もしもし、天王寺へはどう行きやすね」

肥取「わしの後について来なされ」

北八「ええ、ついて来いは御免蒙る。臭い、臭い」

と後へ下がろうとすると、肥取は振り返って、

「これいの、わしゃあ天王寺のすぐ側(そば)じゃさかい、連れだって行こわいの。さあさあ、来なされ、来なされ。おまいがたは何処じゃいな」

弥次「「わっちらあ、江戸でござりやす」

語句

■商売(しやうばい)の~-やすやすと利益を得る意の諺「濡手で粟」を入れ込んだ趣向。一首は、商売上手の曲づきで、銭金を、濡手で粟と、もうける粟餅屋だの意。「うまみ」と「餅」も縁語。■馬場さきどをり-生玉社の東方の鳥居前の地で、馬場先、塩町と称する私娼街。『浪華なまり』(享和二年)に「馬場先、色八卦の時代とは大に事かはり、あつぱれ繁花の色里となりて、堀江南地にはり合ひて、おやま芸子の勢ひつよし」と。■かたつま、はしよりたる-着物の裾の片端を、前に折って、帯にとめたさま。■新吉-新吉・天王寺屋ともに「置屋」即ち女郎屋の名前。■舟場辺-大阪市街のほぼ中央、東西の横堀、北の土佐堀、南の長堀の間(今は中央区)。■娘出-娘であったものが女郎として出るの意。■ぽつとりとした-ぽっちゃりとした。太りじしで、愛嬌のあるさま。■中年増-二十代後半の年頃。ただしこの語年代によって若干相違がある。■愚都愚都(ぐつぐつ)と-愚図愚図と。はきはきしない。■煎じやう~-医者が煎薬を出すときに、注意して書く常文句。ここは医者の娘と称するのでその縁でいう。意味は、寝間のあしらいは普通だの意。■匕加減-これも「医者」の縁。薬を出すに匙(さじ)の調子で、多い、少ないのあること。ここは客が対応に一工夫してみると面白いかもしれぬの意。■につちやりくつちやり-「飴」の縁。房事中に水のたくさん出ることの形容。それを「水沢山」というので下に続く。■水飴(みずあめ)もどきの上しろもの-水飴に似た上等の女郎。■おきや-置屋。女郎屋。■新造-ここは、新しく女郎に出る女。■呼屋-女郎を呼んで遊ぶ所。揚屋のない私娼街はもちろん、新町にもあるが、揚屋のごとく格式のあるものではない。■とをり-行玉の東、天王寺町と称する通りへ出たつもりである。まっすぐに南下して、つき当り少し西行更に南下すれば、天王寺正面前に出る。■いつきに-すぐに。■こへとり-下肥を集めて回る人。ここは普通の百姓がしているごとくである。■ねき-側。■つれまふ-「つれなふ」の誤りか。連れだって行く。

原文

こへとり「ハアおゑどはゑいとこじやげな。アノおゑどは、屑(こへ)が一荷(いつか)何ぼ程(ほど)するぞいな

弥次「わつちらアそんなことはしりやせん

北八「コウ弥次さん、もつとあとへさがつてゆこふ

ト弥次郎がそでを引て、こへとりのおやぢをさきへやらんと、わざと小べんをする。此内しばらくして、かのおやぢをさきへやり

弥次「いめへましいおやぢめだ。おいらに糞(こへ)の値段をきいたとて、何わかるもんだ、気のきかねへ

トいひつつもはや、よほどへだたりしならんと、さつさつとゆくむかふに、また今のこへとりのおやぢ、待ちうけてゐるていに

北八「エエ情(なさけ)ねへあそこにまた、まつてゐやアがる

こへとり「サアサアごんせごんせ。おまいがた、又爰(ここ)で道がしれにくかろ。サアサアごんせごんせ。今見ればおまいがた、あこでしょんべん(小便)してじやあつたが、おゑどじや、あないにみな、こきばなしにしてじやそふな。もつたいないこといの。マアおまいがたは、一日にいくたびほどヅツ、しょんべんしてじやぞいな

弥次「ソリヤア三度する日も有、四たび五たびする時もあり、定まつたこたアござりやせん

こへとり「ふとう出るか、ほそう出るかいの

弥次「エエ、おめへもいろいろなことをきくもんだ。わつちなどは、そんなでもねへが、此男のは何のことはねへ、シヤアシヤアと滝(たき)のおちるやうに出やす

こへとり「アアそりやよふきくじやあろに、おしいことしてじや

弥次「ちと急いでいかふじやアねへか。北八ヲヤ手めへ何をする

トとがめられて弥次郎のそでをひき小ごへに

北八「アレ見ねへ。糞坦(こへたご)の内に、銀(ぎん)のかんざしのあたまが見へる

ト弥次郎はかのおやぢとはなしながらゆく。うしろのかたにて、北八は、あたりにありあふ、竹ぎれをひろひ、はしとなして、かのこへたごのかんざしをはさみとらんとしたるとき、こへとりのおやぢ、やつとこさと、かたをかへんとするひやうし、北八のもちたるはしを、はねとばされて、そこらあたりへとばしりかかれば、弥次も北八も

「エエこれは、とんだことをした

はながみを出してふく。此うちおやぢは、まへのほうになりたる、たごのうちに、かんざしを見つけ

「コリヤ何じやいな

現代語訳

肥取「はあ、お江戸は良いとこじゃげな。あのお江戸では、一荷の肥は何ぼ程するぞいな」

弥次「わっちらあ、そんなことは知りやせん」

北八「これ、弥次さん、もっと後ろへ下がって行こう」

と弥次郎の袖を引いて、肥取の親仁を先に行かせようと、わざと小便をする。そのうち、しばらくして、かの親仁を先に行かせ、

弥次「いまいましい親仁めだ。おいらに肥(こえ)の値段を聞いたとて、何がわかるものか。気の利かねえ。」

と言いながら、最早、相当離れたであろうと、さっさと行く向うに、また今の肥取の親仁が待ち受けている様子に、

北八「ええ、情けねえ。あそこに又待っていやあがる」

肥取「さあさあ、来なさい来なさい。おまいがた、又ここで道がわかりにくかろうから、さあさあ来なさい来なさい。今見ればおまいがた、あそこで小便してじゃあったが、お江戸じゃ、あないに皆何処ででも大小便をしてじゃそうな。勿体ないこといの。まあ、おまいがたは、一日に何回ほどづつ、小便してじゃぞいな」

弥次「そりゃあ、三度する日もあり、四度、五度とする時もあり、定まったこたあござりやせん」

肥取「太う出るか、細う出るかいの」

弥次「ええ、おめえも色々な事を聞くもんだ。わっちなどは、そんなでもねぇが、この男のは何のことはねえ、しゃあしゃあと滝の落ちるように出やす」

肥取「ああ、そりゃよう聞くじゃあろに、惜しいことをしてじゃ」

弥次「ちと急いで行こうじゃあねえか。北八、おや、手前何をする」

と咎められて弥次郎の袖を引き、小声になって、

北八「あれ、見ねえ。糞坦(こへたご)の中に、銀の簪(かんざし)の頭が見える」

と弥次郎はかの親仁と話しながら行く。後ろの方で、北八は、付近のあり合せの竹切れを拾い、箸として、かの糞坦(こへたご)の簪を挟み取ろうとした時、肥取の親仁は、やっとこさと肩を入れ替えようとした拍子に、北八の持っていた箸を、跳ね飛ばされて、そこらあたりへ飛走りかかると、弥次も北八も、

「ええ、これは、とんだことをした」

鼻紙を出して拭く。そのうちに親仁は、前の方になった、坦(たご)の中に簪を見つけ、

「こりゃ、何じゃいな」

語句

■屑(こへ)-下肥。■しれぬくかろ-わかりにくかろう。■こきばなし-便所でもない所へ、大小便をしてしまうこと。■きく-肥しとして効果がある。■糞坦(こへたご)-肥しを入れる桶。■はし-箸。■かたをかへんとする-かついだ棒を、別の肩に替えること。

原文

トあたまをつまみて、ちよいと引上げて見れば、よほど、めかたの見ゆる、かんざしなれば

こへとり「コリヤゑいのじや。大かた雪陣(せつちん)の中へ、おちてあつたのじやあろそい。孫娘(まごむすめ)に、ゑいみやげじや、ドレおさきへいこわい。ゆるりと跡(あと)からごんせごんせ

トいさいかまわず、さつさつとゆく

北八「エエごうはらなことをした

弥次「アア手めへろくなことはしねへ。なんだかからだ中がくさくて、やつぱり今の親仁(おやぢ)めと、つれだつていくやうだ

トこごといひながら ゆくともなしに、はやくもてんわうじの西門にいたりければここにて、左平次あとより来り

左平「ヤレヤレ辛度(しんど)やの、やうやうのことでおひついた。コレ見なされ。此鳥居(とりゐ)の額(がく)は、小野(をの)の道風(とうふう)のかいたのじやといな

弥次「なるほど、はなしにきいてゐやしたが、コリヤア何だかねつからわからねへ

唐(から)めきて見ゆる文字(もんじ)にしられけりをののとうふのお筆(ふで)なりとは

抑(そもそも)この四天王寺は、上宮太子(じやうぐうたいし)の御草創(さうさう)にて、由来は太子伝記にくはしく見ゆ。まことに日の本最(さい)上の霊場(れいじやう)にして、堂塔(どうたう)の荘厳(しやうごん)、いふもさらなり

何となくこころはうちやう天王寺われをわするるありがたさには

御境内(けいだい)の広大(くはうだい)なる、記(しる)し尽すべからず。おほかたに順拝(じゆんぱい)し

ここにもいろいろあれどもりやくす

それより安部街道にで、ゆく道すがら、畑(はた)うつ男のうたふをきけば、

「坊様(ぼんさま)よヲ、大ぼんよヲ、ちよつちよと、めさるまいかいの。コノ大ぼんよヲ

弥次「とつさん、精(せい)が出やすの。もふ何時だへ」

男「アイきんのふの今時分じやあろぞいな

弥次「おきやアがれ、お定まりのしやれをいふは。ときに北八、たばこの火でもひとつうたつせへな

北八「むかふに乞食(こじき)が呑(のん)でゐるから、すひつけなせへ。しかも女の乞食だ

現代語訳

と頭を摘まんで、ちょいと引き上げて見ると、よほど、重さのある銀を多く含んでいると見える、簪なので、

肥取「こりゃ、良い物じゃ。おおかた雪陣の中に、落ちていたのじゃあろぞい。孫娘に良い土産じゃ。どれ、お先へ行こわい。ゆるりと後から来やんせ、来やんせ」

と事情がどうあろうとも、さっさと行ってしまう。

北八「ええ、癪に障(さわ)ることをした」

弥次「ああ、手前ろくなことはしねえ。何だか身体中が臭くて、やっぱり今の親仁めと、連れだって行くようだ」

と小言を言いながら、行くともなしに、早くも天王寺の西門に到着したので、ここで、左平次、後から来て、

左平「やれやれ、辛度やの、やっとのことで追いついた。これを見なされ。この鳥居の額は、小野の道風の書いたのじゃそうな」

弥次「なるほど、話には聞いていやしたが、こりゃ、何だか全くわからねえ」

唐(から)めきて見ゆる文字(もんじ)にしられけりをののとうふのお筆(ふで)なりとは

抑々(そもそも)この四天王寺は、上宮太子の御草創で、由来は太子伝記に詳しく書いてある。本当に日本の最上の霊場であり、堂塔の荘厳さは言うまでもない。

何となくこころはうちやう天王寺われをわするるありがたさには

御境内の広大さについては、表現し尽くすことができない。おおむね順拝し、ここでもいろいろあったが略す。

そこから安部街道に出て行く道すがら、畑をうつ男の歌うのを聞くと、

「坊様(ぼんさま)よヲ、大ぼんよヲ、ちょっちょと、めさるまいかいの。コノ大ぼんよヲ」

弥次「とっさん、精が出やすの。もう何時だえ」

男「あい、昨日の今時分じゃあろぞいな」

弥次「おきやあがれ、ありきたりの洒落を言うわ。時に北八、煙草の火でも一つ打たっせえな」

北八「向うに乞食が飲んでいるから、吸い付けなせえ。しかも女の乞食だ」

語句

■めかたの見ゆる-重さのある、銀を含んだ量の多いこと。■ごうはらな-腹の立つ。しゃくにさわる。■てんわうじの西門-天王寺の西門(さいもん)。『摂津名所図会』に「西門(さいもん)西表に阿弥陀・善導大師等の画像、東の方に釈尊並に十大弟子の画影を安ず、詣人香を薫じ水印を転(まわ)す」。聖徳太子や弘法大師の日想観を修すなど有名な門。一九は以下天王寺が『摂津名所図会』のごとくあるものとして描くが、享和元年(1801)十二月四日天王寺諸堂三十七棟は、落雷により焼失、享和二年来阪の馬琴も「去年の火災に礎のみ残れり」(奇旅漫録)と記した。改築完成は文化九年である(『摂陽奇観』など)。文化六年(1809)には、実に見えなかったのである。■鳥居の額-西門の外にある石の鳥居。『摂津名所図会』に「衛門(とりゐ)表題に曰く、釈迦如来転法輪所当極楽土東門中心の十六文字は寺説に云ふ、皇太子の真蹟と云ふ、或曰く小野道風の筆也、又云ふ弘法大師也とも云ふ」。■小野の道風-平安朝の筆道の達人で、三筆(藤原佐理・同行成と)の一人(894~966)。■唐めきて~-おからと豆腐にからませた趣向。小野道風の筆だというのは、道風(豆腐)に縁ある唐様(おから)らしく見えるので本当とわかる。■四天王寺-『摂津名所図会』に「荒陵山四天王寺敬田院、東生郡にあり、宗旨八宗兼学、今時天台宗、・・・夫当山は上宮大使の御草創なり、由来は太子伝にありて、世に知るところなれば、委く記するに逮(およ)ばず」(今は天王寺区)。■上宮太子-聖徳太子(574~622)、用明天皇の皇子。推古天皇の皇太子にして摂政、内治外交にめざましい功績があり、仏教興隆につとめた。■太子伝記-『聖徳太子伝暦』(藤原兼輔)、『聖徳太子絵伝』の類をいうのであろう。■何となく~-何となく心が有頂天(天王寺にかける)になり、我を忘れてありがたさをしみじみと思う天王寺であるの意。■安部街道-阿倍野道のつもりであろう。天王寺から住吉に至る間にあり、安部野へゆく道。天王寺の西門前を通り天王寺の南側をやや東行して、南行する。むかしの紀州道である(摂津名所図会)。■大ぼん-大坊さんの意。■めさる-「する」意の丁寧語。■きんのふの今時分-今もある古風な洒落。■お定まりの-ありきたりの。■うたつせ-打たっせ。燧(ひうち)を打金で打って、火を出す。

原文

弥次「ナニきたねへ

北八「とんだことをいふ。こつちのきせるで吸付(すひつけ)るものを。ドレドレ、おいらがかりてやろう。コレ火をひとつかさつし

廿一二斗の女のひにん「ハイいんまツイ消(けし)ましたさかい、ちよとうつてあげましよかいな

北八「イヤうつくらゐなら、こつちにある

女「そしたらおまいさん、ひとつうつておかしなされ

北八「いいことをいふ。しかしきさまのこつたものを、うつてかしやせう。ノウ弥次さん、見なせへ乞食(こじき)にしておくは、おしい器量(きりやう)だ

弥次「ホンニ仇(あだ)しろものだ。コレ手めへ、男(をとこ)があるか

女「ハイ亭主(ていしゆ)には去年(きよねん)わかれましたわいな

弥次「そんなら又、あたらしく片付(かたづけ)ばいいに

女「さよじやわいな。此間も、せはやいてじやおかたがあつてな、さきのおとこもよい男じや、年中はだかでこそ居(お)れ、てんてんまのおてこが、ねからゑらい上手(じやうず)じやてて、一生貰(いつせうもら)ふて、くわせかねんおとこじやさかい、あこへいかんかてて、いふてじやあつたが、肝心(かんじん)のうちがないてて、よふさんじませんわいな

弥次「おれがいい所へせはをしてやろう。此男はどふだ

女「ヲホホホホあのおかたのとこへなら、わしやどふぞいきたいわいな

北八「おれもうちがねへがいいか。しかし、今普請(ふしん)さいちうだ。出来(でき)あがつたなら呼(よび)やせう

女「ソリヤどこにふしんしてじやへ

北八「イヤ所は何といふ所かしらねへが、爰へくるみちに、橋(はし)普請していた所があつたが、あれが出来たら、そのはしの下で祝言(しうげん)しよふ

女「そしたら わたしもあたらしい筵(むしろ)など貰(もら)ふて、きりもんのしたくせうわいな

北八「ドレ結納(ゆいのう)に壱文やろふか。ハハハハハおれが乞食(こじき)だと、手めへを女房(にようぼう)にするものを。残念(ざんねん)残念

女「ハアおまいさんは、アノわたしらが、なかまの衆(しゆ)じやないかへ

現代語訳

弥次「なに、汚ねえ」

北八「とんだことを言う。こっちの煙管で吸付けるものを、どれどれ、おいらが借りてやろう。これ、火をひとつ借さっし」

二十一、二位の女の乞食「はい、今つい消しましたさかい、ちょと打ってあげましょかいな」

北八「いや、打つくらいなら、こっちにある」

女「そしたらおまいさん、一つ打ってお貸しなされ」

北八「いいことを言う。しかし、貴様、残ったものを打って貸しやしょう。のう弥次さん、見なせえ乞食にしておくは、惜しい器量だ」

弥次「ほんに仇者だ。これ、手前、夫はいるか」

女「はい、亭主とは去年別れましたわいな」

弥次「そんなら又、新しく嫁入ればいいのに」

女「さよじゃわいな。この間も、世話やいてじゃお方があってな、前の男も良い男じゃ、年中裸でこそ居れ、テンテン天満のはだか神子の演技が元からえらい上手じゃてて、一生、嫁を貰うて食わせかねん男じゃさかい、あこへ行かんかてて、言うてじゃあったが、肝心の家が無いてて、よう行きませんわいな」

弥次「俺がいい所へ世話してやろう。この男はどうだ」

女「おほほほほほ、あのお方のとこへなら、わしゃぜひにも行きたいわな」

北八「俺も家が無いがいいか。しかし、今普請の最中だ。出来上がったなら呼びやしょう」

女「そりゃ、何処に普請してじゃえ」

北八「いや、所は何という所か知らねえが、ここへ来る道筋に、橋の普請をしていた所があったが、あれが出来たら、その橋の下で祝言しよう」

女「そしたら私も新しい筵など貰(もろ)うて、着物の支度しょうわいな」

北八「どれ結納に一文やろうか。ははははは、俺が乞食だと、手前を女房にするものを、残念、残念」

女「はあ、おまいさんは、あの、私らが仲間の衆じゃないかえ」

語句

■ひにん-非人。■仇しろもの-仇者。■男-夫。■片付ばいいに-縁づいて夫を持てばよいのに。■てんてんてんまのおてこ-『皇都午睡』に「物貰ひにて、浪華に裸身に茜木綿の前垂をして、女のぼて髷を着、テンテン天満のお神楽堂からお巫女が参りましたとて、物貰ひのありしも丗年此方見へずになりぬ」。この裸形の者は右手に巫女の鈴、左手に破扇子を持ち悪身の所作をし、「テンテン天満のはだか神子」という。また一人の尻からげ頬かぶりの男が太鼓を持って囃し従った。■貰(いつせうもら)ふて、くわせかねん-物乞によって、生活させる能力のある男。■きりもん-「着物」の上方語。筵で寒さや露をふせぐこの女は、嫁入りに新衣を準備するのを、新筵とした洒落。■結納-縁婚の相談のできた時、男の方から契約のしるしと、結納金(嫁入荷物用に当てる)を送ることに、なぞらえた。■アノわたしらが、なかまの衆(しゆ)じやないかへ-北八はなぶるつもりが、すっかり見下されていたのである。

原文

北八「しれたことよ。おいらア、しらきてうめんのお町人さまだ

女「わしやまた、そないにあかじみた、しゆんだなりしてじやさかい、仲ケ間の衆かとおもふたわいな

北八「エエいめへましいことをいふ

左平「ハハハハハお見たてゑらいもんじや。サアサアお出でんかいなお出でんかいな

トそれよりすみよしかいだうに出たるに、貴賤老若打まじりて、此御神にあゆみをはこぶ、道すがらのにぎはひ引もきらず、ここに大じんふうのおとこまつしやあまたつれたるが、さわぎたちて、だんごやのかどに立どまり、おのおのかのだんごひとくしづつもとめて、よこぐわへのしやれと出かける。この大じんの名はかは太郎

「コレばさまや、わしや団子(だんご)より、外にかふていにたいもんがあるが売(うら)んせんか

ばば「ハイハイ何なとかふておくれなされ

河太郎「そしたら此かどにたててある、障子(しやうじ)一まい売(うつ)て下んせ、是やろわいの

トまへさげのどうらんより、金一歩出してやると、ばばはきもをつぶし、あきれかほしてゐるうち、河太郎みづからそのしやうじを、はづしにかかれば末社共おどろき

「コレハ旦那(だんな)、こないな破(やぶ)れしやうじ、百疋とは、ゑらたかの数珠(じゆず)じやわいな。しかし是には、何ぞきよとい、御しゆかうがござりましよいな

河太郎「わしやひなたあるくと、のぼせてわるいさかい、コレ久助、コノ障子(しやうじ)もてこんかい。コリヤそちにも壱分やるは。そのかはり住吉(すみよし)までコウたてにして、もてあるけ。ヲヲそふじやそふじや

トしやうじ一まいをたてにもたせて、そのかげをゆくといふしやれなり。この河太郎といふは、浪花名だいのくわつぶつにて、かかるしやれをしてたのしみとし、その名のこりたり。弥次郎きた八これを見てぎよつとし

弥次「イヤこいつはなかなかおもしろい

北八「上がたもばかにやアされねへ。とんだしやれものがある。きめうきめう

トだんだん此人々のあとにつきてゆけば、およそ六七てうもゆきたるとおもふころ、かのさきへゆく大じん河太郎

「イヤしやうじもすこしうつとしうなつたわいな

久助「ちとあけましよかいな。お庭(には)はいこひろい。泉水(せんすい)は御前崎(おまへざき)、淡路(あはぢ)しまがつき山とは、ゑらいもんでござりますわいな

河太郎「久助もふ其障子ほつてしまへ

現代語訳

北八「知れたことよ。おいらあ、全くまがいなしのお町人様だ」

女「わしゃ又、そないに垢じみた、みすぼらしい恰好をしてじゃさかい、仲間の衆かと思うたわいな」

北八「ええ、いまいましいことを言う」

左平「ははははは、お見立て、たいしたもんじゃ。さあさあお出でんかいな、お出でんかいな」

とそれから住吉街道に出たが、貴賤老若混じり合って、この御神に歩みを運ぶ、道すがらの賑わいは引きも切らず、ここに大尽風の男が太鼓持ちをたくさん連れて、騒ぎ立て団子屋の角に立止り、それぞれがそこの団子を一串づつ買って、横咥えした洒落た格好で出かける。この金持ちの名は河太郎と言う。

河太郎「これ、婆さまや、わしゃ団子より外に買って行きたいものがあるが売らんせんか」

婆「はいはい、何なと買っておくれなされ」

河太郎「そしたらこの角に立ててある、障子一枚売って下んせ。これ、やろわいの」

と前下げの胴乱から、金一歩出してやる。婆は驚いて、あきれ顔しているうちに、河太郎自らその障子を外しにかかると太鼓持ち共が驚いて、

「これは旦那、こないな破れ障子、百疋とは、いらたかの数珠じゃわいな。しかし是には、何ぞ大変面白い御趣向がござりましょいな」

河太郎「わしゃ日向(ひなた)歩くとのぼせて悪いさかい、これ久助、この障子持て来んかい。こりゃ、そちにも一分やるわ。その代り住吉迄こう縦にして、持て歩け。おお、そうじゃそうじゃ」

と障子一枚を縦に持たせて、その陰を行くという洒落である。この河太郎というのは、浪花では有名闊達な人物で、このような洒落事をして楽しみとし、その名が残ったのである。弥次郎北八はこれを見てぎょっとし、

弥次「いやあ、こいつはなかなか面白い」

北八「上方も馬鹿にやあ出来ねえ。とんだ洒落者がいる。奇妙、奇妙」

と段々とこの人達の後に付いて行くと、およそ六七丁も歩いたかと思う頃、あの先を行く大尽河太郎、

「いや、障子も少しうっとうしゅうなったわいな」

久助「ちと開けましょかいな。お庭は相当広い。泉水は御前崎、淡路島が築山とは、えらいもんでござりますわいな」

河太郎「久助、もうその障子は捨ててしまえ」

語句

■しらきてうめん白几帳面。全くまがいなしの。■しゆんだなり-地味な。みすぼらしい。■お見たて-判別する。選別するの意。ここは、相応の相手を見つけたの意であろう。■すみよしかいだう-住吉街道。日本橋から長町を通り、今宮、天下茶屋から住吉神社前に至る、新しい紀州街道である。阿倍野道から本街道に入った。■大じんふう-大尽風。遊里で豪遊する客の風体。■まつしゃ-末社。大尽に対していう。太鼓持。■だんごや-団子屋。■よこぐわへ-横に団子の串を引いて食すること。下卑たことだが、旅や遊山に出た時の気楽なたのしみの一つで、洒落て言った。■かは太郎-河内屋太郎兵衛。北久太郎町の両替屋。晩年今村村に宅を持った。遊戯ずきで侠気のある奇人として有名。天明八年(1788)七月十七日没。この人を材とした小説に『戯道大丈夫』(寛政六年)、『川童一代噺』(寛政六年)、『通者茶話太郎』(寛政八年)などがある。■かど-戸外。■どうらん-胴乱。革製の袋で、薬や金銭を入れて腰に下げる。■壱歩-一歩の金貨幣。■百疋-一疋は銭十文。百疋即ち一貫文は、普通は四貫文を一両替とする(相場によって相違がある)。よって一両の四分の一の歩を百疋といった。■ゑらたかの数珠-えらく高価の意を、「いらたかの数珠」(修験者などの用いる、玉の大きく角ばった数珠)に地口していう。■こよとい、御しうかう-大変面白い趣向。■久助-太鼓持の名前。■たて-縦。ここは日の光をさえぎるため。■そふじや-そのとおりでよい。■名だいのくわつぶつ-有名な活物。闊達な人。■ぎよつとし-肝をつぶして。大に驚いて。■御前崎-未詳。住吉神社の前面をお前の海といい、潮崎・盾が崎などの地名もある。その一か。■淡路しま-大阪湾を池と見て、池中の築山のごとく淡路島が浮ぶ、住吉の景をいう。きまり文句の一。

原文

久助「もふよござりますかいな

河太郎「おけおけ

トいふにかのしやうじ道のかたはらへほうり出してゆく あとより北八

「ナント弥次さん、此しやうじをひろひはどうだ

弥次「イヤイヤ京で梯子(はしご)にこりてゐる

北八「ハテふたりでかはりがはり持(もつ)て、おいらも障子(せうじ)のかげをゆかふじやアねへか。おもしろいしやれだぜ

弥次「なるほど、けふはごうてきにあつたかで、ひなたはのぼせる。北八もつてきさつし

北八「かはりがはりもつのだがいいか

弥次「しやうちしやうち。コリヤきめうだ

ト北八にせうじをもたせて、弥次郎そのかげをゆくに、やがて天下ちや屋むらなる、わちうさん是斎の見せさきにいたりけるに

麗(うららか)な天下茶屋(てんかちやや)から四方(よち)に名の羽(は)をのす鳶(とび)のわちう散(さん)みせ

此内むかふのかたより、下向の大ぜいづれ

「てうさやてうさや、まんざいらくじやまんざいらくじや。ハハハハハアリヤ何じやい。日がさのかはりじやな。アノもていきおるやつのつら見いやい。壇尻(だんじり)の印もちと、しやうじもていくやつに、賢(かしこ)いつらはないもんじやわい。ハハハハハ

北八「コノさる松めらは、何ぬかしやアがる

さきのあいて「何じやい、おどれ病(やま)ひづかしくさるな。声あげさせてこませやい

北八「コリヤゑどつ子だは、かたつぱしから、はりとばすぞ

トもちたるせうじをふりまはせば、さきの大ぜいの中に、今みやしんけの、権七といふ、あからがほのでつくりしたるおやぢ、きた八をとらへて

「コリヤこの障子(せうじ)は、どしておどれ、ここへもてうせたぞい。おれがうちのしやうじじやわい

現代語訳

久助「もうよござりますかいな」

河太郎「止めろ止めろ」

と言うので、かの障子を道の側へ放り出して行く。後から北八、

「なんと、弥次さん、この障子を拾うという思い付きはどうだ」

弥次「いやいや、京で梯子に懲りている」

北八「はて、ふたりで代わり代わりに持って、おいらも障子の陰を行こうじゃあねえか。面白い洒落だぜ」

弥次「なるほど、今日はたいそう暖かで、日向はのぼせる。北八持って来さっし」

北八「代わり代わり持つのだがいいか」

弥次「承知、承知。こりゃ奇妙だ」

と北八に障子を持たせて、弥次郎がその陰を行くと、やがて天下茶屋村という和中散是斎の店先に着いたので、ここで一首。

麗(うららか)な天下茶屋(てんかちやや)から四方(よち)に名の羽(は)をのす鳶(とび)のわちう散(さん)みせ

そうしていると、向うから下向してくる大勢の人たちがいる。

「ちょうさや、ちょうさや。万歳楽じゃ、万歳楽じゃ。ははははは、ありゃ何じゃい。日傘の代りじゃな。あの持て行きおる奴の面(つら)見いやい。壇尻(だんじり)の印持と、障子持て行く奴に、賢い面は無いもんじゃわい。ははははは」

北八「この、猴松(さるまつ)め等は、何ぬかしやあがる」

先の相手「何じゃい、おどれ脅かしくさるな。降参させてやれ」

北八「こりゃ、江戸っ子だわ。片っ端から、張り飛ばすぞ」

と持っていた障子を振り回すと、先の大勢の中にいた、今宮新家の権七という赤ら顔のでっぷりした親仁が北八を捕えて、

「こりゃ、この障子をどうして、おどれ、ここまで持って逃げて来たぞい。こりゃあ、俺が家の障子じゃわい」

語句

■おけ-「やめる」の上方語。■ひろひ-拾うという思い付き。■天下ちや屋むら-『摂津名所図絵大成』に「住吉街道にあり、原(もと)此里は勝間(こつま)村の出在家なれども、世に天下茶屋村といひならわせり、伝て云ふ、往昔豊臣秀吉公、堺政所に御往来の時、此地の茶店に於て、御休息ありて、御茶を召上げられ、風景を賞し給ふよりして、終に、地名を天下茶屋と言ならわせしとぞ」(今は西成区)。■わちうさん-和中散。霍乱・眩暈などの暑気あたりや産前産後に効くという散薬。日本での薬法という。■是斎-津田氏、六世の祖宗本に始まり、その次男総左衛門是斎(これとき)が、近江の梅木村に別家したという。共に「ぜさい」と称した。『摂津名所図会』に「薬店は数十軒を開きて、床椅(しやうぎ)数脚をならべ、往来の人を憩はし、薬を湯に立て施す事、四時間断なし」。■麗(うららか)な天下茶屋(てんかちやや)から~-「麗な天」(晴天)に「天下茶屋」を、晴天に鳶が輪を描いて飛ぶその「輪」に「和中散」をかけた趣向。一首は、天下茶屋和中散見世の名は、羽をのばしsて舞う鳶のごとくに、四方にひろがっているの意。■てうさやてうさや-ちょうさやちょうさや-山車などを引く時の掛け声。■まんざいらくじやまんざいらくじや-万歳楽じゃ万歳楽じゃ。ここでは、これも囃し詞。住吉詣で道中では、俄(にわか)をしたり、はやしつれたりして、戯れつつ行く習慣があった。障子の日覆もその一趣向である。■壇尻(だんじり)-祭礼の時、車の上に壇々の屋根を作り、その内に 太鼓を打ったり、飾り物をしたりして、引回るもの。■印もち-祭神名やそれを作った町名、または飾り物の名など書いて、長い柄をつけ、壇尻(山車)の前に持ってゆく者。■しやうじ-障子。■さる松-猴松。『俚言集覧』に「猴松 狡童を云ふ」。転じて人を罵る語。■病(やま)ひづかしくさるな-苦しい目を見せる意であるが、転じて、おどかす。■声あげさせてこませやい-悲鳴を上げさせてやれ。または降参させてやれ。『浪花聞書』に「声掲げる、さしつまり困りたる処にてかくいふ、江戸でいふげつくりした杯也」。『新撰大阪詞大全』に「こゑあげるとは、あやまるといふこと」。■今みやしんけ-住吉街道は今宮を通るが、その辺りの地名(今は西成区)。■権七-さいかちやの権七。この人も実在であろう。■おどれ-ここは、二人称卑称の代名詞ながら、「けしからぬ」の意もある上方語。                 

原文

北八「ばかアぬかせ。ナニおのれがところのもんか

おやぢ「イヤこないに、おつきにかいてあるのが、おどれのまなこにやはいらんかいの。コレ見い。善哉餅(ぜんざいもち)三五団子(だんご)今宮新家(いまみやしんけ)、さいかちやと、しかもわしがかいたのじや。けふこの衆と、住吉講(すみよしこう)の月参にいたるすに、ばばひとりおいて出たが、コリヤおどれら、ぬすみくさつて、もてうせたのじやな

北八「ナニどろぼうしたとは、うぬふてへやつだ。コリヤア道でひろつたのだ

おやぢ「あほなことぬかせやい。しやうじすててゆくもんがあろかい。あんだらつくしあがれ

左平「コレコレおつ(伯父)さん、コリヤこうじやわいな。誰(だれ)やらおまいのとこで、此しやうじ買(か)うてもて来てじやが、道へすてたさかい、このおかたがひろふて、来てじやあつたわいな

おやぢ「エエこなんも、あほうつくさんせ、こないに書(かい)てあるは、コリヤわしがとこの看板(かんばん)じや。売(うり)もんじやないわいの

北八「それでも壱分出して買(かつ)たをおいらア見てゐたは。くそたれめが

おやぢ「おきくされ。こないな古障子(ふるしやうじ)、たれが百にもかふものかい。大かたおどれら、団子(だんご)くらひおるてて、はづしくさつたのじやあろぞい。なんじやあろと此しやうじ、おれが内までもてこい。サアあとへ戻(もど)りやあとへ戻りや

左平「コレりやうけんさんせ。ハテおまいのしやうじなら、ここからもていんでくだんせいの

トしやうじをつきつくればつきもどし  かれこれとせりあふところへ馬かた一人、馬をひいて、ここへ来かかり

「何じやい何じやい。往来あけて下んせ

トひいてとをるはなのさき、しやうじをあつちこちへひつぱり合、ほうり出せば、この馬にあたり

馬「ヒインヒインヒイン

トおどろきてはねあがるひやうしに、馬かたはねつけられ、一二けんむかふへのた打まはり

「あいたあいたあいた

左平「コリヤどしたぞいな

馬士「イヤどした所か。あいたあいたあいた。コレ金玉がなふなつた。そこらにやおちてないか、見て下んせ

現代語訳

北八「馬鹿あ抜かせ。なに、おのれが所のもんか」

親仁「いや、こないに、大きく書いてあるのが、おどれの眼にゃ入らんのかいの。これ見い。善哉餅三五団子今宮新家さいかちやと、しかもわしが書いたのじゃ。今日この衆と、住吉講の月参りをするのに、婆(ばば)一人置いて出たが、こりゃ、おどれら、盗みくさって、持ち逃げしたのじゃな」

北八「なに、泥棒したとは、うぬ太い奴だ。こりゃあ道で拾ったのだ」

親仁「阿保なこと抜かせやい。障子を捨てて行く者があろかい。馬鹿なこと言いなさんな」

左平「これこれ、おっさん、こりゃこうじゃわいな。誰やらがお前の所で、この障子を買って持って来たんじゃが、道へ捨てたさかい、このお方が拾って来てじゃあったわいな」

親仁「ええ、お前さんも、阿保なこと言いなさんな。こないに書いてあるわ。こりゃわしがとこの看板じゃ。売物じゃないわいの」

北八「ええ、それでも一分出して買ったのをおいらは見ていたわ。糞垂れめが」

親仁「止めてくれ。こないな古障子、誰が百のも買うものかい。おおかたおどれ等、団子食うといいながら、外しくさったのじゃあろぞい。何じゃあろとこの障子、俺の家まで持って来い。さあ、後へ戻りゃ、後へ戻りゃ」

左平「これ、堪忍しなさい。はて、おまいの障子なら、ここから持帰ってくだんせいの」

と障子を突き付ければ突き戻し、あれこれと競合っているところへ馬方が一人、馬を曳いて通りかかり、

「何じゃい、何じゃい。道を開けてくだんせ」

と曳いて通る鼻の先、障子をあっちこっちと引っ張り合い、放り出すと、この馬に当り、

馬「ヒィンヒィンヒィン」

と驚いて跳ね上がる拍子に、馬方が跳ね飛ばされ、一二間向うでのたうち回り、

「あいた、あいた、あいた」

左平「こりゃ、どしたぞいな」

馬方「いや、どしたどころか。あいたあいたあいた。これ、金玉がのうなった。そこらに落ちてないか、見て下んせ」 

語句

■おつきに-大きな文字で。■善哉餅(ぜんざいもち)-『守貞漫稿』に「京坂にては、専ら赤小豆の皮を去らず、黒糖を加へ、丸餅を煮る、号けて善哉と云ふ」。■三五団子-串に刺した団子の一種であるが未詳。■住吉講-住吉信仰のための講(金を出し合って、その費用とする団体)。■月参-講員が交代で、月々にその費用で参詣すること。■あんだら-馬鹿な事。■こなん-「こなさん」の略。二人称対称の代名詞。■あほう-つくさんせ-ばかげたことをいうのも、よい加減にせよ。■くそたれめが-人を罵る語。■おきくされ-やめてくれ。■りやうけんさんせ-許しなさい。堪忍しなさい。

原文

おやぢ「ナニきんたまが、ここらにや見へんわいな

馬かた「それでもどこへか

左平「たもとにやないか、見やんせ

馬かた「ドレドレ、ないはづじや。広袖(ひろそで)じや

左平「コリヤこなさん、もて来やしよまい。うちへおいて来やせんかや

馬かた「あはいわんせ。しかもわしや疝気(せんき)もちで、大金じやさかい、こないに、ふくろにいれて、首(くび)にかけてゐるわいの

おやぢ「そしたら、そのふくろ、ふるうて見やんせ

馬かた「ドレドレイヤあるわいの。今のびつくりで、上のほうへ、つるしあがつたのじやそふな。もみ出してこまそ。イヤ出てきおつた出てきおつた

北八「ハハハハハハなるほど大金だ

弥次「せがきのふくろとおなじことで、ふせうぶせうに一ツぱいあるハハハハ

馬かた「イヤきんたまはゑいが、ひざのさらすりむいた。コリヤおまいがたは、何ンでこのしやうじを、わしが馬へ打つけさんした

左平「わしやしらんわいの

馬かた「しらんてて、コリヤ誰がしやうじじやい

おやぢ「わしがとこのじや

馬かた「見やんせ。こないに疵(きず)がついてはすまんわいな。しやうじに今宮新家、さいかちやとかいてあるさかい、これがせうこじや。サアごんせごんせ。何じやあろと、ここへいて、めきしやきと、せりふせにやおかんわいの

トしやうじをひつたくり、馬につけ、ほそ引にてからみ、いさいかまわず、しやんしやんとひいてゆく

おやぢ「コリヤそのしやうじ、どこへもて行おるぞい、まてやいまてやい

トおふてゆく みなみなあとより

「てうさやようさ、万ざいらくじや万ざいらくじや

トかけてゆく

現代語訳

親仁「なに、金玉が。ここらにゃ見えんわいな」

馬方「それでも何処へか」

左平「袂にゃ無いか、見やんせ」

馬方「どれどれ、無い筈じゃ。広袖じゃ」

左平「こりゃこなさん、持て来やしょまい。家へ置いて来やせんかや」

馬方「馬鹿言わんせ。しかもわしゃ疝気持ちで、大金じゃさかい、こないに、袋に入れて、首に架けているわいの」

親仁「そしたら、その袋、振るうて見やんせ」

馬方「どれどれ、いや、あるわいの。今のびっくりで、上の方へ、吊るし上ったようじゃ。揉み出してやろう。いや、出て来おった、出て来おった」

北八「はははははは、なるほど大金だ」

弥次「施餓鬼の袋と同じことで、不承不承にいっぱい有る。はははは」

馬方「いや、金玉はいいが、膝の皿を擦りむいた。こりゃ、おまいがたは、何でこの障子をわしの馬に打付けさんした」

左平「わしゃ知らんわいの」

馬方「知らんてて、こりゃ、誰の障子じゃい」

親仁「わしの所のじゃ」

馬方「見やんせ。こないに傷が付いてはすまんわいな。障子に今宮新家、さいかちやと書いてあるさかい、これが証拠じゃ。さあ、来なさい、来なさい。何じゃあろとここに行って手厳しく談判せにゃおかんわいの」

と障子をひったくり、馬に付け、細引きで絡み、委細かまわず、シャンシャンと曳いて行く。

親仁「こりゃ、その障子、何処へ持て行きおるぞい。待てやい待てやい」

と追って行く。皆々後から

「ちょうさやようさ、万歳楽じゃ万歳楽じゃ」

と駆けて行く。

語句

■広袖-袂を作ってなく、袖口の開いたままにしてあるもの。■疝気(せんき)もち-疝気によって睾丸が異常に大きくなり、またそれに紐をつけて首につるなどのことは、戸塚駅の大陰嚢の物乞について伝えられる。『理斎随筆』に「同じ駅にまた大なる陰嚢の乞食ありて、旅人通行せる路傍に出て、陰嚢の上にたたき鉦を置きて、念仏申して銭をもらひ世を渡るいとなみとせる者あり、日暮て家にかへるには、彼きんい紐をからげて結びあげ、肩に掛けて戻ると、むかしの二代目なれと申したる有り」。■せがき-施餓鬼。日本では盆の供養の一で、餓鬼道に堕ちた無縁の亡者を供養する法要で、七月十五日諸寺で行う。その時檀家に紙袋を送って、供米を求める。檀家では、無縁の事ゆえ不承不承で袋の中へ、程々に入れる。そのさまを、袋の中の金玉に見立てた。■ひざのさら-上脚と下脚の関節にある。皿状の骨のところ。■めきしやきと-手きびしく。■せりふする-談判する。詰めひらきする。『浪花聞書』に「せりふする、一理屈いふことなり」。■ほそ引-麻で細く編んだ、強い縄。■しやんしやんと-馬を急がせるさま。

原文

弥次「ハハハハ馬かためがおつをやつたハハハハハハ

美濃紙(みのがみ)の破(やぶ)れかぶれと喧嘩(けんくわ)せしあとのしまつの障子(しやうじ)せんばん

かくてそれより三たりは、ほどなくすみよししん家にいたりけるに、げにも此御神のはんじやうましますことは、両側の茶屋にあらはれ、いづれも家作美麗にして、赤(あか)まへだれの女、かどに立ならび

「お休なお休な、おしたくなさらんかいな。蛤(はまぐり)のおすいものもござります。鯛(たい)もひらめもござります。おはいりなおはいりな

北八「アアどれもいい茶屋が見へる。御てへそふな

ぴちぴちと客(きやく)のはねこむ賑(にぎは)ひはりやうるさかなも新家町なれ

此ところの名物は、金魚酢蛤(きんぎよすはまぐり)、ごろごろ煎餅(せんべい)、唐がらし、昆布(こんぶ)、竹馬、糸ざいくなど、あきなふ家あまたある中に、りやうり茶屋は、三文字屋いたみ屋、こぶ屋、丸屋、なんどいへるが、わきて客のたへまなく、はんじやうことにいふばかりなし

左平「モシモシ爰が三もんじや。チトおまちなされ

トげんくわんよりのぞきて見れば、おくに長町の河内屋、はやここに来りあわせ

「コリヤ左平次どの、はよごんしたの

弥次「わつちらアやうやう、たつた今めへりやした。先参詣(まづさんけい)いたしてめへりやせう

ト是より打つれて御やしろにいたる

抑(そもそも)此大神(おほかみ)は、ちはやぶる神代の御時、日向(ひうが)の国、小戸(をと)の橘(たちばな)の檍原(あはぎがはら)よりあらはれ給ひて、当社の御鎮座(ちんざ)は神功皇后紀(じんぐうくわうぐうとし)十一年辛卯四月廿三日とかや、四社は底筒男命(そこつつをのみこと)、中筒男命(なかつつをのみこと)、表筒男命(うわつつをのみこと)、神功皇后(じんぐうくわうごう)これなり。摂社(せつしや)末社すべて三十余前(よぜん)、巍々(ぎぎ)としてつらなれり。まづ御本社にぬかづきたてまつりて

海上(かいしやう)をまもりたまへる神がきやいとおだやかに見ゆる並松(なみまつ)

現代語訳

弥次「はははは、馬方めが洒落たことをしでかした。ははははは」

美濃紙(みのがみ)の破(やぶ)れかぶれと喧嘩(けんくわ)せしあとのしまつの障子(しやうじ)せんばん

このようにして、それから三人は、間もなく住吉新家に着いたが、誠にこの御神がますます繁昌なされていることは、両側の茶屋に顕れ、どの家も美しく飾り立てられ、赤前垂れの女が門に立ち、

「お休みな、お休みな、お食事なさらんかいな。蛤のお吸い物もござります。鯛も鮃もござります。お入りな、お入りな」

北八「ああ、どれもいい茶屋が見える。大きな構えであることよ」

ぴちぴちと客(きやく)のはねこむ賑(にぎは)ひはりやうるさかなも新家町なれ

ここの名物は、金魚酢蛤、ごろごろ煎餅、唐辛子、昆布、竹馬、糸細工などで、商売する家が数多くある中で、料理茶屋は、三文字屋、伊丹屋、昆布屋、丸屋、などがあるが、わけても客の絶えることは無く、とりわけその繁盛ぶりは素晴らしいものである。

左平「もしもし、ここが三文じゃ。ちと、お待ちなされ」

と玄関から覗いてみると、奥に長町の河内屋が、早くもここに来合せており、

「こりゃ、左平次殿、早ござんしたの」

弥次「わっちらあ、やっとのことで、たった今参(めえ)りやした。先ず、参詣いたして参(めえ)りやしょう」

とこれから連れだって、御社に着く。

そもそも、この大神は、ちはやぶる神代の御時、日向の国の小戸の橘の檍原より現れなされて、当社への御鎮座は神功皇后紀十一年辛卯四月廿三日であるといわれていて、四社殿には底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后が祀られている。摂社、末社はすべて三十余前の神が威厳を示して連なっている。先ず、御本社に額ずき奉りて、

海上(かいしやう)をまもりたまへる神がきやいとおだやかに見ゆる並松(なみまつ)

語句

■おつをやつた-ここは、洒落たことをしでかしたの意。■美濃紙~-「美濃紙」は「障子」の縁で、「破れ」の枕詞的用法。「障子せんばん」に「笑止千万」をかける。「破れ」また「障子」の縁語。一首はどうでもなれと、やけっぱちで喧嘩をしたが、その後始末がおかしなことになったの意。■すみよししん家-住吉新家。407行参照。『摂津名所図会』に「新家町、此地西成郡也。然れども連綿たれば、ここに出す。此所の名物は金魚(きんぎよ)酢(す)蛤(はまぐり)、ごろごろ煎餅、蕃椒昆布、竹馬、糸細工、麦藁細工等也、両側に貸食(りやうりや)の家列(つら)なり、三文字屋、伊丹屋、昆布屋、丸屋など荘(ざしき)を風流に営み、鱗魚の鮮をもつて饗応し、女奴(かよひをんな)は粧粉を施し、蔽膝(まへだれ)の赤きにビロードの襟、松金油に雲鬢を薫らせ、酒を勧めて声おかしく拍子どり、来客は千里の波涛も、一帆の順風に利潤を得て、まづ墨江の大神に慶びの祝詩を捧げて、此酒旗に来り、其の勇威を顕しけるもみな神徳の余光なるべし」(今は西成区)。以下の文章は専らこれによる。■御神-住吉明神。■御てへそふな-大きな構えである。■ぴちぴちと~-「ぴちぴち」「はねこむ」「るやうる」(料理する)「さかな」「新家」(「あたらし」と解して)と縁語続きの趣向。一首は勢いよく繁昌に客の入る新家町の料理屋では、料理する魚も新しく、ぴちぴちとはねて生きがよいの意。■酢蛤-蛤のむき身を酢に漬したもの。■ごろごろ煎餅-渡唐屋で売る(摂津名所図会大成)軽焼のごとく、粳米(うるちまい)と糠(ぬか)で製した煎餅。店に雷(赤色であったか)の看板があり、古風な石刷の袋に入れて売った。『綾繰戯』(文化三年序)に「ごろごろやせんべいの店先へきて、モシ此袋何程、ごろごろや、ハイ十五せんで、ヲイヲイ下袋」とある。看板の画は『膝摺木』(文化三年序)などに見えている。同書には昆布や竹の筒に入った唐がらしの土産も見える(『上方』二十一号所収、梅原忠次郎「狂歌に現われた住吉の名物」など参照)。■竹馬-竹の先に馬の首をつけた玩具(『古今俄選』一に図がある)。春駒。『綾繰戯』に「アノ竹馬のおほきなやつはなんぼ。弐百でござり升。百五十でよかろ」。■三文字屋-大阪から来て右側に三文字や、左側に伊丹や、昆布や、丸やがあった(『住吉名所図会』。伊丹屋の図は『摂津名所図会』に載る)。■此大神は~-『摂津名所図会』に「夫此大神は千早振神代の御時、日向国小戸の橘の檍原(あはぎがはら)より現れ玉ひて、当社の御鎮座は、神功皇后紀十一年(とし)辛卯四月廿三日とかや(帝王編年集成)」(今は住吉区)。住吉神社も『噺の苗』や『摂陽奇観』によると、享和二年(1802)十月二十七日、大工小屋から火が出て焼失。その正遷宮は文化七年(1810)四月五日からとのことであった。■四社-『摂津名所図会』は一神殿から四神殿までに配して記してある。■三十余前-『摂津名所図会』に「摂社末社三十余前(神を数える数詞)巍然とて連なり、神人三百余家軒を双べて整々たり」。■海上を~-「海上」は澄んで読む。住??は海上安全の神で、神域や街道にも松の並んでいるのが多いさまを詠じたもの。

原文

和(やわ)らかに歌(うた)と出かけて楽天(らくてん)の顔(かほ)をよごせしすみよしの神

かくて御社内をめぐるに際限(さいげん)なければ、あらましにして、出見(いでみ)の浜(はま)の高燈篭(たかどうろう)も、ゆびさし見たる迄にて、いそぎ、かの三もんじやにもどりたるに、女どもばらばらと立出

「おはやうござりました。サアあつちやへお出でなされ

左平「アノ河四郎さんはどこじやいな

トいひつつ打つれておくへとをると

かはちや「ゑらいおはやいこつちやの

北八「ごうてきにはらがへつた

かはちや「マアひとつあがりなされ

トさかづきをさす

北八「弥次さんおさきへ

弥次「手めへのんでさしやれ

北八「もふくちをかけるの

左平「おさかなは何がよかろ

北八「なんぞはらにたまりそふなものをくんなせへ

弥次「エエきたねへことをいふおとこだ

北八「ヘヘ人のこたアいひながら、ソレまだ、盃(さかづき)もいかねへうちに、おめへさかなをしてやるじやアねへか

左平「コリヤゑらい、しゆみになつてじやわい

弥次「イヤもふ、かわちやのおかたのおかげなりやこそ、こんなうめへものも、くうやうなものの、なるほど銭(ぜに)のねへ旅(たび)は、うゐものつらいもんだ

トさすがの弥次郎、はじめてよわいねをいだし、しよげかへりていふゆへ、左平おかしさをかくして

「ナントおまいがたは、大阪(おさか)ものにならんせんかい

北八「イヤわつちらも、何ぞおぼへた職(しよく)でもあるといいけれど、是でくをふといふことが、ひとつもねへから、どこへいつてもつまらねへものさ

現代語訳

和(やわ)らかに歌(うた)と出かけて楽天(らくてん)の顔(かほ)をよごせしすみよしの神

このように御社内を回るのは切りがないので、だいたいにして、出見の浜の高灯籠を、指さして見たところまでにして、急いで、あの三文字屋に戻ったが、女どもが、ばらばらと迎えに出て、

「お早うござりました。さあ、あっちゃへお出でなされ」

左平「あの河四郎さんは何処じゃいな」

と言いつつ、連れられて奥へ通ると、

河内屋「えらいお早いこっちゃの」

北八「すこぶる腹が減った」

河内屋「まあ、ひとつお上がりなされ」

と盃を注す。

北八「弥次さん、お先に」

弥次「手前飲んで差しやれ」

北八「もう盃を催促するのかい」

左平「お肴は何が良かろ」

北八「なんぞ腹にたまりそうな物をくんなせえ」

弥次「ええ、きたねえことを言う男だ」

北八「へへ、人のこたあ言いながら、それまだ、盃も行かねえうちに、おめえ肴をしてやるじゃあねえか」

左平「こりゃえらい、けちな話になってじゃわい」

弥次「いやもう、河内屋のお方のおかげなりゃこそ、こんな旨いものも、食うようなものの、なるほど銭の無い旅は、知人もなく、とかく心配や辛いことが多いもんだ」

さすがの弥次郎が、初めて弱音を吐いて、しょげ返って言うので、左平は可笑しさを隠して、

「なんと、おまい方は、大阪人として住んで永住しないか」

北八「いや、わっちらも、何か覚えた職でもあるといいが、これで食おうというものが、一つも無いから何処へ行ってもつまらねえものさ」

語句

■和らかに~-住??はまた和歌の神で、謡曲の「白楽天」では、白楽天が日本の知恵をはかりに来たのに、筑紫の海に漁夫となって出現されたこの神が、和歌で楽天を屈服させたという話を下にふくむ。顔をよごすは面目なくさせる。「よごす」と「墨」の縁で、「住吉」にかけた。■出見の浜の高燈篭-住吉の浜の常灯籠。『摂津名所図会』に「出見の浜、社説云ふ、住吉松原の直路を出て海を見る意なれば、今の松原の浜をいふなるべし、一名長峡(ながき)の浜浦といふ」「高燈篭、出見浜にあり、夜走の船の極(めあて)とす、闇夜に方角失ふ時、住吉大神を祈れば、此燈篭の灯殊に煌々と光鮮也とぞ(図あり)」。■ごうてきに-すこぶる。■くちをかける-盃を催促する意。■しゆみ-けちな話。■うゐものつらいもんだ-諺に「旅は憂いものつらいもの」。旅先では知人もなく、とかく心配やつらいことが多いものだ。■大阪(おさか)ものにならんせんかい-大阪人として永住しないか。

原文

かはちや「ホンニゑいことがあるわいな。どふじやふたりのうち、ひとりは売付(うりつけ)るくちがあるのになア

弥次「どのやうなことでござりやすね

かはちや「おとこめかけのくちがあるが、どふじやいな

弥次「ソリヤほんにかへ。おもしろへおもしろへ

トあつかましくもにはかにはなをひこつかせうれしがれば、きた八もずつとまへのほうへ出かけ

「モシわつちがやうなもんでもよくば、おせわなすつて下さりませ

弥次「ハハハハハ手めへじやア手がねへ。しかし、御昨今(ごさつこん)のおやかたのまへで、こんなことをいふは、おかしなもんだが、わつちなら、さきの気にいるにやア、ちげへのねへことがござりやすから、どふぞそれがほんとうのことならば、わつちをナもし、ヘヘヘヘヘヘ、ハハハハハハ

かはちや「コリヤせいもんほんまのこつちや。しかもさきのしろものは、ゑらいうつくしうて、年は三十四五にもなろか、船場辺で、ぐめん(工面)のゑいとこの後家(ごけ)どのじやわいの。わしやそこのばんとうが心安うて、いんまのさき、ここへ見へて、そのはなししてじやつたが、どふも役者(やくしや)かふて、かねつかふてならんさかい、やつかいのない男めかけ、かかへたいといふこつちやさかい、モシいことおもふてじやなら、わし世話(せわ)してあぎよわいな。マアなんじやあろと、その後家(ごけ)どの、見なさらんかいな

北八「ナアニ見ずともよふござりやす。せうせうはめつかちでも、はなつかけでも、そこにやア頓着(とんちやく)はござりやせん

かはちや「じやてて、そのばんとうが供して、あつちやの坐敷(ざしき)へ来てじやさかい。ドレわしがマアちよといて、よふ聞糺(ききただ)してこうかいな

弥次「ハイ宜(よろし)くおたのみ申やす

ト一ぱいきげんにむしやうにのりが来て、たのむゆへかはちやはたつて、おくのかたへゆくとあとにて

弥次「コウきた八、おれがゆくのだぜ

北八「気のつよいことをいふ。おめへ男めかけといふつらか。ついぞ鏡(かがみ)を見たことはねえそふだ

弥次「ばかをいふな。男がわるくても手がある。手めへにやアましだは

北八「ナニましなものか。ノウ左平次さん、おめへが女なら、弥次さんにほれるか、わつちにほれるかどふだ

左平「わしや、どつちやへも気はないわいの。ハハハハハハしかし人は惚(ほれ)いでも、おまいがたはめんめんが、己惚(うぬぼれ)てじやさかい、ゑいじやないかい

現代語訳

河内屋「ほんに良い事があるわいな。どうじゃ二人の内、一人は売りつける口があるのになあ」

弥次「どのようなことでござりやすね」

河内屋「男妾の口があるが、どうじゃいな」

弥次「そりゃほんにかえ。おもしれえ、おもしれえ」

と厚かましくも急に鼻をひくつかせ嬉しがるので、北八もずっと前の方へ出かけ、

北八「もし、わっちらのような者でも良ければ、お世話なすって下さりませ」

弥次「はははは、手前じゃあ相手を上手にあしらう術がねえ。しかし、最近、知り合いになったばかりの親方の前で、こんな事を言うのは、可笑しなもんだが、わっちなら、先の気に入るにゃあ、違いの無いことでござりやすから、どうぞそれが本当の事ならば、わっちをなあもし、へへへへへへ、はははははは」

河内屋「こりゃあ、誓文を書いても良いほんまのこっちゃ。しかも相手の女性は、えらい美人で、年は三十四五にもなろか、船場辺りで金回りの良いとこの後家殿じゃわいの。わしゃそこの番頭と気安くしていて、今さっき、此処へ見えて、その話をしてじゃったが、どうも役者買いで金遣うてならんさかい、やっかいの無い男妾を抱えたいというこっちゃさかい、もし行こと思うてじゃなら、わし世話してあぎょわいな。まあ、何じゃあろと、その後家殿見なさらんかいな」

北八「なあに見なくてもようござりやす。少々はめっかちでも、鼻欠けでも、そこにゃあ、こだわりはござりやせん」

河内屋「そう言っても、その番頭が供をして、あっちゃの座敷へ来てじゃさかい、どれ、わしがまあちょと行って、詳しく聞き糺して来ようかいな」

弥次「はい、宜しくお頼み申しやす」

と一杯機嫌でむやみに乗気になって頼むので、河内屋が立って、奥の方へ行くと、後から、

弥次「こう、北八、俺が行くのだぜ」

北八「気の強いことを言う。おめえ、男妾という面(つら)か。今まで一度も鏡を見た事は無いのか」

弥次「馬鹿を言うな。男ぶりが悪くても手はある。おめえが女なら、弥次さんに惚れるか、わっちに惚れるか、どうだ」

左平「わしゃ、どっちゃへも気は無いわいの。はははははは、しかし人は惚れいでも、おまい方はめんめんが、己惚れてじゃさかい、えいじゃないかい」

語句

■おとこめかけ-男妾。女性にやしなわれる者をいう。■はなをひこつかせ-得意そうなさま。■手-手管。相手を上手にあしらう術。■御昨今の-近付きになって、まだ日のいくらも経ていないこと。■さきの気にいるにやあ-房事が好きで、巧みなりという意。■せいもん-誓文。誓文を書いても良い真実だの意。■しろもの-ここは女性。■船場-大阪の冨家の多い所。■ぐめんのゑい-財産の豊かな。金回りの良い。■役者(やくしや)かふて-役者を相手に呼んで遊んで。■やつかいのない-係累のない。

原文

北八「そんなら男ぶりは、五分五分にしたがいい。年のわけへだけおれがゆく

弥次「イヤおとしやくにおれだ

左平「こうさんせ。わし鬮(くじ)を出すさかい、長いのをとらんしたのが、おめかけさまじや

北八「コリヤよかろふ。南夢住吉大明神さま、わたくしへながいのを、おさづけ下さりませ

左平「サアとりなされ。ゑいかいな、ソレすいすいのすう~

弥次「コリヤながいのじや。しめたしめた

トうてうてんになつてよろこぶ内、かはちや四郎兵へかへり来り

「サアでけたわいな、でけたわいな。ばんとうに掛合(かけあふ)て来たが、なんじややら、うまいはなしじや。給金(きうきん)は望次第(のぞみしだい)で、別(べつ)にまた牛房(ごぼう)と玉子代がなんぼやら、しきせは後家御(ごけご)から、年中やわらかもの、何ぼなとこしらへしだい、三臓円(さんぞうえん)と巨勝子円(こしやうしえん)は、通(かよ)ひでとて、のませるといふこつちやわいの

弥次「ゑどにも、山東京伝(さんとうきやうでん)の見世に、読書丸(どくしよぐわん)といふくすりがござりやすが、コリヤアしやれでなし、ほんとうに、気根(きこん)をつよくすること、奇妙(きめう)といふくすりだから、ハテ気根がつよくなれば、なにもかも、つよくなるといふもんだによつて、是をもとりよせて用(もち)ひやせう

かはちや「さよじやわいの。ときに今その後家(ごけ)どのが、ここへ見へるはづじやわいの

弥次「ナニ今ここへかへ。ソリヤ大変だ。アアこのなりではつまらねへ。モシ左平さん、ここらに髪結床(かみゆひどこ)はござりやせんかね

北八「エエおきなせへ。むくろじは三年みがひても、しろくはならねへ。性(しやう)のものを性で、おめにかけるがいい。たとへにも、見ぬあきなひは出来ぬといふが、是(これ)ばつかりは、見たらじきにあつちから、お断(ことはり)にあひそふなことだぜハハハハハハ

左平「ときにむこ(向)の座敷(ざしき)から、ゑいとしまが来おるわいの

かはちや「あれじやあれじや。大かたここへくるのじやあろ

弥次「コリヤたまらぬたまらぬ

トむしやうにゑりかきあはせ、にはかにまじめなかほしてゐると、かの後家といふは、すつかりとした上しろもの、はへさがりふつさりとして  いろはゆきのごとく白く、ふたかは目にあいきやうは、ぽたりぽたりとこぼれおつるばかり、しまちりめんのむく、三ツばかりかさねて くろびろうどのおびまへにむすび、ももいろのちりめんに、ぬいのある長じゆばん すそからちらちらと出しかけ、すこしほろゑひきげんに ばんとう引つれてくると かわちやのていしゆ出向ひて

現代語訳

北八「そんなら男ぶりは五分五分にしたがいい。年が若いだけ俺が行く」

弥次「いや、年配の者の権利で、俺だ」

左平「こうさんせ。わしが鬮(くじ)を出すさかい、長いのを取らんしたのが、お妾様じや」

北八「こりゃよかろう。南夢住吉大明神さま、私へ、長いのを、お授け下さりませ」

左平「さあ、取りなされ。えいかいな、それ、すいすいのす~」

弥次「こりゃ長いのじゃ。しめたしめた」

と有頂天になりなって喜ぶうちに、河内屋四郎兵衛が帰って来て、

「さあ、でけたわいな。でけたわいな。番頭に掛け合ってきたが、何じゃやら、うまい話じゃ。給金は望み次第で、別にまた牛房と玉子代がなんぼやら、仕着せは後で後家から、絹物をなんぼなと拵(こしら)え次第、三臓園と巨勝子園は、通いでとのことで、飲ませるというこっちゃわいの」

弥次「江戸にも、山東京伝の店に、読書丸という薬がござりやすが、こりゃあ洒落ではなく、本当に気根を強くすること、不思議という薬だから、はて、気根が強くなれば、何もかも、強くなるというもんだによって、これを取り寄せて用いやしょう」

河内屋「さよじゃわいの。ところで今、その後家殿がここへ見えるはずじゃわいの」

弥次「なに、今此処へかえ。そりゃ大変だ。ああ、この恰好ではつまらねえ。もし、左平さん、ここらに髪結床はござりやせんかね」

北八「ええぃ、おきなせえ。むくろじは三年磨いても白くはならねえ。生れつきそのままで、お目にかけるがいい。例えにも、見ない商いは出来ぬというが、こればっかりは、見たらすぐにあっちからお断りに合いそうな事だぜ。はははははは」

左平「ところで、向うの座敷から、いい年増が来おるわいの」

河内屋「あれじゃ、あれじゃ。大方此処へ来るのじゃあろ」

弥次「こりゃ、たまらぬ、たまらぬ」

と無性に襟を掻き合せ、急に真面目な顔をしていると、その後家というのは、あかぬけしたいい女、襟足や揉み上げの髪はふさふさとして、色は雪のように白く、二重まぶたの愛嬌はぽたりぽたりとこぼれ落ちるばかり、縞縮緬の無垢を三枚ほど重ね、黒びろうどの帯を前結びにして、桃色の縮緬に、刺繍を施した長襦袢を裾からちらちらと出しかけ、少しほろ酔い加減で、番頭が連れて来ると、河内屋の亭主が出迎えて、

語句

■おとしやく-年役。年配の者の権利で。■でけたわいな-話が成立した。■牛房と玉子-共に精力をつける食物とされる。■しきせ-仕着せ。召使に主人が四季折々におくる衣服。全く妾と同じ風な話である。■やわらかもの-絹。■三臓円-気根を強くする薬。練薬である。大阪鰻谷三休橋西へ入、法橋吉野五運調製。江戸本町でも売っていた。■巨勝子円(こしやうしえん)-肝臓を強くする薬。大阪淡路町御堂筋西へ入、法橋沢宗貞調整。■山東京伝-江戸の戯作者。家は銀座の袋物・売薬舗。■読書丸-京伝が売り始めた丸薬。気根を強くし、記憶を能くする薬。■むくろじ-無患子。ムクロジ科の落葉喬木。実は突き羽根の羽根の玉にする黒いもの。■性(しやう)のものを性で-生まれつきそのままで。■見ぬあきなひはできぬ-品物を見ないでは取引ができない意の諺。■すつかりとした-あかぬけのしたさま。洗練されたさま。■はへさがり-襟足やもみ上げの髪。■ふつさりとして-豊かなさま。情の濃い証とされた。■ふたかわ目-二重まぶた。愛嬌のある体。■しまちりめん-縞模様の縮緬。■むく-表裏同じ生地で製した衣類。■くろびろうど-黒色のびろうど。後家の体。■まへにむすび-前結び。これも後家の体。■ぬい-刺繍。表面は地味にしているが、内は派手に作っていて、色気十分である。

原文

「コレハよふこそ  ササあつちやへお出なされ

ごけ「おゆるしなされやヲホホホホ

ばんとう「どなたも御免(めん)下さりませ あつちやはおなごばかりで、ねからはから御酒のあいてがないさかいさいわいと、河四郎さまのお出で、こなたの後室(こうしつ)のお悦(よろこ)び、ついてはわたしも、おあいなといたそとぞんじて、まいりました

かはちや「サアサアもちつとねきへよりなされ 早速(さつそく)ながら持合(もちあはせ)たさかづき、まづあなたへ

トごけのところへさせばにつこりとしてとり上

「わたしもいこ、ささが過たさかい、もふそないには、よふたべませんわいな

トいひつつ少しうけてのみ

このおさかづき、御返杯(へんぱい)いたしましよかいな

かはちや「イヤわたしも先刻(せんこく)から、ゑらふすぎました。マアどつちやへなと、おさしなされ

ごけ「さよなら、あなた近頃(ちかごろ)はばかりさまながら

ト弥次郎へさす。弥次郎はしじゅむちうとなり、この後家のかほばかり、しりめにかけて、じろりじろりと見つめてゐたりしが、さかづきをさされて、ぞつとするほどうれしく、うろたへ出し

「ハイハイハイいただきやせう

左平「コレコレソリヤさかづきじやない。たばこ入れじや

弥次「ホイ是は、とりちがへて麁相(そそう)千万サア北八、ついでくりや

北八「おらアしらねへ。勝手についでのみなせへ

弥次「エエしよにんなおとこだ

ト仲ゐにつがせのみほし、ばんとうへさすと、おしもどして ばんとう

「ゑらいお手際(てぎは)じやな。最(も)ひとつおかさねなされ

弥次「イヤもふわつちは、いつも酒をのむと、だんだん色(いろ)が白くなつて、後(のち)にはとんと、白はぶたへのやうになりやすが 、けふはなぜか、こんなに真赤(まつか)になつて、たべられやせん

現代語訳

河内屋「これはようこそ、さあさあ、あっちゃへお出でなされ」

後家「お許しなされや。おほほほほほほ」

番頭「どなたも御免下さりませ。あっちゃは女子ばかりで、全く御酒の相手が無いさかい面白い事はありませぬ。幸と、河四郎さまのお出で、私の方の後家後も大喜びで、ついては私も、おあいなといたそと思うて参りました」

河内屋「さあさあ、もちっと側に寄りなされ。早速ながら持ち合わせた盃を先ずあなたへ」

と後家の所へ注すと、にっこりとほほ笑んで取り上げ、

後家「私もたいそうささが過ぎたさかい、もうそないには、よう飲めませんわ」

と言いつつ、少し受けて飲み、

後家「このお盃、御返杯いたしましょかいな」

河内屋「いや、私も先ほどから、えろう飲み過ぎました。まあ、どっちゃへなと、お注しなされ」

後家「左様(さよ)なら、貴方、近頃になく、ひどく失礼ですが」、

と弥次郎へ注す。弥次郎は始終夢中になり、この後家の顔ばかり、しり目にかけて、じろじろと見つめていたが、盃を注されて、ぞっとするほど嬉しく、狼狽(うろた)えだし、

弥次「はいはいはい。いただきやしょう」

左平「これこれ、そりゃ、盃じゃない。煙草入れじゃ」

弥次「ほい、これは、取違えて粗相千万、さあ、北八、注いでくれや」

北八「おらあ、知らねえ、勝手に注いで飲みなせえ」

弥次「ええ、付合いの悪い男だ」

と仲居に注がせて飲み干し、番頭へ注すと、それを押し戻して、

番頭「えらいお手際じゃな。もひとつお重ねなされ」

弥次「いやもう、わっちは、いつも酒を飲むと、だんだん色が白くなって、後には全く白羽二重のようになりやすが、今日は何故か、こんなに真っ赤になって、これ以上は飲めませぬ」

語句

■ねからはから-全く。■こなたの後室-私の方の後家御。うやまって言う語。■おあい-酒杯のうありとりの時、断った人の代りにその盃を飲むこと。■近頃(ちかごろ)はばかりさまながら-近頃になく、ひどく失礼ですが。■しよにん-付合いの悪い。■手際-物事を処理するさま。

原文

ごけ「おあいなといたしましよかいな

弥次「ハハイハイノウ北八、あなたへ、おあいをおたのみ申そふかの

北八「かつてにしなせへ

弥次「ハハハハハハさやうなら、はばかりじやけれど

ごけ「なんのまあ

トさかづきをうける

かはちや「コリヤおふたりして、あつちやいこつちやい とんと婚(こん)礼のさかづきのやうじや

ごけ「ヲヲおかしヲホホホホホホ

弥次「コリヤこてへられぬハハハハハ

北八「しづかにわらひなせへ。さかなの中へ、おめへのつばきがはいらア

弥次「はいつてもいい。だまつてゐろへ。モシとかく此男めは、わつちがすることに、けちをつけてなりやせん。わつちは是でも、唄(うた)もうたひやす、三味(しやみ)もかぢりやすから、女中がたを、ころころとおもしろがらせることが、ゑてものでござりやす。そんな時には、とかくきやつめが、やきもちをやいて、こまりきりやす

ごけ「ホンニおまいさんは、どふやらおもしろそふな、おかたじやわいな

トおもひの外うけのよさに、弥次郎は心のうちに、もふしめたとよろこびゐるうち、後家がめしつかひのおんな、きたりて

「モシただ今、あら吉が見へまして、さつきにから、あつちやのざしきで、あなたのお出でなさるを、お見うけ申ましたが、御遠慮(ゑんりよ)いたしておりましたけれど、ちよつとなと、お伺(うかが)ひ申ていのてて、あつちやのざしきに、待(まつ)てでござりますわいな

ごけ「アノあら吉が来てかいな。コレハ河四郎さん、有がたふござります。みなさんこれにへ。ハイさよなら

トにはかにそはそはとして、あいさつもそこそこ、ばんとう引つれてたつてゆく。弥次郎は、あつけにとられたかほつきして

「コリヤ何のことだ。モシあら吉たア何のことでござりやすね

かはちや「ソリヤあらし吉三郎といふて、今でのたてもの、としはわかし、おとこぶりはよし、おさか一ばんの役者(やくしや)じやわいな

弥次「ハアそんなら後家(ごけ)どのが、にはかに狼狽(うろたへ)て、立てゐつたは、その役者めに、ほれてゐると見へるわへ

現代語訳

後家「おあいなと致しましょかいな」

弥次「はいはいはい、のう北八、貴方へ、おあいをお頼み申そうかの」

北八「勝手にしなせえ」

弥次「はははははは、それなら、ひどく失礼じゃけど」

後家「なんのまあ」

と盃を受ける。

河内屋「こりゃ、お二人して、さしつさされつ、まるっきり婚礼の盃のようじゃ」

後家「ああ、可笑し。をほほほほほほ」

弥次「こりゃあ、こたえられぬ。はははははは」

北八「静かに笑いなせえ。肴の中へ、お前の唾が入らあ」

弥次「入ってもいい。黙っていろえ。もし、とかくこの男めは、わっちがすることに、ケチをつけてなりやせん。わっちは是でも、唄も歌いやす、三味も少しは弾きますから、女中方を、ころころと笑わせ、面白がらせることが、得意業(とくいわざ)でござりやす。そんな時には、とかくきゃつめが焼餅を焼いて、ほとほと困りやす」

後家「ほんにおまいさんは、面白そうなお方じゃわいな」

と思いのほか受けの良さに、弥次郎は、心の中で、もうしめたと喜んでいるうちに、後家の召使の女が来て、

召使の女「もし、只今、あら吉が見えまして、さっきから、あっちゃの座敷で、貴方のお出でなさるのをお見受けいたしましたが、遠慮いたしておりましたけれど、ちょっとなと、お伺いしてから帰ろうといって、あっちゃの座敷で待ってでござりますわいな」

後家「あのあら吉が来てかいな。これは河四郎さん、ありがとうござります。皆さんこれにへ。はい、さよなら」

と急にそわそわして、挨拶もそこそこに番頭を引き連れて立って行く。弥次郎はあっけにとられた顔つきをして、

「こりゃ、何のことだ。もし、あら吉たあ何のことでござりやすね」

河内屋「そりゃ、嵐吉三郎といって、今での立物(歌舞伎役者)で年は若いし、男ぶりは良し、大阪一番の役者じゃわいな」

弥次「はあ、そんなら後家どのが、急に狼狽えて、立って行ったのは、その役者めに、惚れていると見えるわえ」

語句

■あつちやいこつちやい-あっちへやったりこっちへやったり。さしつさされつ。■こてへられぬ-うれしさをつつみきれない。上機嫌の体。■けちをつける-欠点をいう。文句をつける。■かぢりやす-少しは弾く。■ころころと-笑いよろこぶさま。■ゑてもの-得意業。■あら吉-上方の歌舞伎役者、嵐吉三郎の略称。年次からみて二代目(1769~1821)。天明七年(1787)襲名。俳名を璃寛といい、当代を代表する名立役。美男で、ことに女性に人気があったのも有名。■お伺(うかが)ひ申ていのてて-お伺いしてから帰ろうといって。■みなさんこれにへ。ハイさよなら-人々を後に残して、自分が席を去る時の、女性の口上。■たてもの-立物。歌舞伎の一座の幹部級の役者。そのうちで更に座頭などの大幹部を大立物と称し、看板にものせられる。

原文

かはちや「さよじやあろぞいな

左平「コリヤア弥次さん、いかいおちからおとしじやわいな

北八「ハハハハハハおもしれへおもしれへ。コウ弥次さん、ここへ来がけに見たら、このちつとさきに、髪結床(かみゆひどこ)があつた。おめへ今いつて髪月代(かみさかやき)でもして来ねへな

弥次「何とでもいやアがれ

トつらふくらしてこごといつてゐる内、ばんとうまた出きたりて

「河四郎さん、ききなされ。これじやさかい、わしや心づかひじやわいの。アノあら吉が、ゑらいひいきじやさかい、さいわいのこつちや、これからあら吉といつしよに、船でもふいぬさかい、わが身は、ひとりあるひていねてて、わしばかりまかれましたわいな。もふ御相談のこともあかんはなしじや。おさきあへまいりましよ。どなたもこれにござりませ

トあいさつそこそこにして出てゆくと、たがておくざしきから、庭におりて、かの後家はあら吉をともなひ、こしもと下女打つれて、何やらおもしろそふに、わらひざざめきて出かけるていを、こなたより見て

左平「アレアレあら吉は、なるほどゑい男じや

弥次「アノ黒仕たてのやろうか。ナニあれがいい男。くそがあきれる。いろのなまじらけた、日影(ひかげ)の瓢箪(ひやうたん)見るやうなしやつつらだ

仲ゐ「おまいさん、そないにいふてじやけれど、あないなゑい男は、やつとはござりませんわいな。そじやさかい、あら吉にほれんおなごは、おさかぢうにはないといな

北八「アレアレ弥次さん見なせへ。何か後家めがささやいて、こつちのほうへ指(ゆび)をさして、わらつてゐるは。大かたおめへのこつたろう

弥次「いめへましい。かわちやのおやかた、おめへがうらみだおめへがうらみだ

トむしやうにぐちをいつてくやしがる。かの後家はいさゐかまはず、さはぎつれて出てゆく。弥次郎うらめしげに

「モシモシわつちらももふけへりやせう

かはちや「ゑいことがあるわいな。わしがふねまたしてあるさかい、みないつしよに乗(のつ)て、敵等(てきら)が舟のじやましてやろかいな

弥次「コリヤいいおもひつきだ。サアそんなら出かけやしやう

左平「しかしおまちなされ。どふじややら、雨がおちてきたじやないかいな

現代語訳

河内屋「さよじゃあろぞいな」

左平「こりゃあ弥次さん、大変お力落しじゃわいな」

北八「はははははは、面白い面白い。これ弥次さん、ここへ来がけに見たら、このちっと先に、髪結床があった。おめえ今行って髪月代でもして来ねえな」

弥次「何とでも言やあがれ」

とふくれっ面をして小言を言っているうち、番頭が又やって来て、

「河四郎さん、聞きなされ。これじゃさかい、わしゃ心配じゃわいの。あのあら吉がえらい贔屓じゃさかい、幸のこっちゃ、これからあら吉と一緒に船でもう帰るさかい、

語句

■船でもふいぬさかい-船で最早帰るから。■わが身-女性語で、目下の者をいう二人称。■まかれました-連れの者を、上手に連れからはずれさすをいう。■あかん-「あかん」は上方語で埒のあかぬこと。むだ・だめのこと。■黒仕たて-黒仕立。黒縮緬の上下、羽織をつけている。■くそがあきれる-「あきれる」を強めた言い方。■日影(ひかげ)の瓢箪(ひやうたん)-青白いものの形容。■しやつつら-顔や顔つきを、悪しざまにいった語。■やつとはござりません-多くはありません。■敵等(てきら)-あの連中。

原文

弥次「雨でも鎗(やり)でもとんぢやくはねへ。サアおたちなせへ

トひとりきをのみ さきへ出かけるところに 時ならぬかみなり 弥次郎のあたまのうへにて

「ごろごろごろごろ

みなみな「コリヤやくたいじや

弥次「くはばらくはばら

トうろたへてかけもどる。此うちあめはしだいに大ぶりとなり、いなびかりすさまじく、かみなりはしきりになりつづけ、あま戸をくるやら、まどをしめるやら、三もんじやの家内のものも立さわげば みなみなひとつ所によりかたまり

北八「コリヤとんだめにあつた。此かみなりで、うらやましいはあら吉だ。今此はふねのなかで、ごろごろぴかりといふたびに、アノ後家めがヲヲこはなぞと、しがみつきおるだろうの

かはちや「ソリヤそふはかいの。あの後家はあら吉に、ゑらはまりじやといふこつちやさかい、このかみなりをさいわいに、くひついたりひつついたり、はなれはしよまい

北八「さやうさやうアノまた、後家がひたいつきや、はへさがりのあんばいでは、こたへられめへ。のふ弥次さん

弥次「おがむから、もふいつてくれるな

左平「ソレ又ひかつた

かみなり「ごろごろ

北八「ヲヲこわやの

トごけのものまねして、弥次郎にだきつくと、つきとばして

「アイタタタタタタエエ何をしやアがる。あいたあいた

北八「コレどこがいてへ

弥次「このふろしきにつつんだ、天狗(てんぐ)の面(めん)が、いたくてこたへられねへ

北八「ハハハハコリヤそのはづそのはづ

左平「ときに雨はやんだそふじや。この間にちやと、ふねへ出かけましよかい

現代語訳

弥次「雨でも鎗でも頓着はねえ。さあ、立なせえ」

と一人あせって、先に出かけるところに、突然の雷、弥次郎の頭の上で、

「ごろごろごろ」

皆々「こりゃ、困ったことじゃ」

弥次「くわばら、くわばら」

と狼狽えて駆け戻る。そのうちに雨は次第に土砂降りとなり、稲光はすさまじく、雷はしきりに鳴り続け、雨戸を繰るやら、窓を閉めるやら、三文字屋の家内の者が騒ぎ立てると、皆々一カ所に寄り固まり、

北八「こりゃ、とんだ目に遭った。この雷で、羨ましいのはあら吉だ。今頃は船の中で、ごろごろぴかりという度に、あの後家めがををこわなどと、しがみつきおるだろうの」

河内屋「そりゃ、そうだろうのう。あの後家はあら吉に、えらい惚れこんどるちゅうこっちゃさかい、この雷を幸いに、食い付いたり、引っ付いたり、離れはしょまい」

北八「左様、左様。あの又、後家の額の形や、襟足や揉み上げの髪の具合では、こたえられめえ。のう弥次さん」

弥次「頼むから、もう言ってくれるな」

左平「それ、又、光った」

雷「ごろごろ」

北八「をを、怖やの」

と後家の真似をして、弥次郎に抱き付くと、突き飛ばして、

「あいたたたたたた、ええ、何をしゃあがる。あいた、あいた」

北八「これ、何処が痛(いて)え」

弥次「この風呂敷に包んだ、天狗の面が、痛くてこたえられねえ」

北八「はははは、こりゃ、その筈その筈」

左平「ところで雨は止んだそうじゃ。この間に手早く、船へ出かけましょかい」

語句

■きをのみ-あせって。■やくたいじや-困ったこことだ。■くわばらくわばら-雷除けの呪文。■そうはかいの-上方語。そうだろうのう。■はまり-ここは、色に迷うの意。すっかり惚れ込んでいる。■ふろしきにつつんだ-浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」(明和五年初演)の四段目で、男が言い寄るところで、「顔見て是がたまるものか。コレ御覧じませ、天狗の面を風呂敷に包んだようで、どうもならぬと抱き付き」とあるによる。褌中の一物の突起をいう。■ちゃと-手早く。

原文

弥次「サアサアはやくめへりやせう

トひとりせきこみさきへたちて げんくわんのかたへ出かけると大そうなるいなびかり

「ぴかりぴかり

かみなり「ごろごろごろぴしやぴしやぴしやぴしや

トあたまのうへへおちかかるごとき大かみなりに、弥次郎わつといふて、そこへへたばり、かほをしかめて

「あいたあいたあいた

左平「何としたぞいな

弥次「エエ何としたどころか、へしおれたへしおれた

北八「なにをへしおつた

弥次「今のぴしやぴしやで、はつとへたばつた、はづみに、かの天狗の面のはなばしらが ぽつきりといつたやうだ。あいたあいたあいた

トきんたまをかかへていたがるゆへ、みなみなおかしさどつと打わらひて、けうにいりけるうち、ほどなく雨もかみなりもやみ、そらもあをあをとなりたるに

かはちや「うれしや天気になつたそふな。ナント最(も)いつぱいヅツ、わつさりとのみなをして遁(いの)わいの

ト又あらたにさかなをとりよせ 大わらひとなり おのおの酒よきほどにくみかはし それより打つれて長まちへとかへりける

斯(かく)て弥次郎兵衛きた八は、。河四郎のかたに、またまた逗留(とうろう)して、所々残る方なく、見物しけるうちにも、ふたりとも江都気性(ゑどぎしやう)の大腹中(ふくちう)にて、かかる難渋(なんじう)の身を、へちまともおもはず、晒落(しやお)とをして、すこしもめげぬやうすに、かわち屋の亭主(ていしゆ)、大きに感心(かんしん)し、衣類(いるい)などあたらしく着かへさせ、路用(ろよう)十分にもたせ、大阪を出立させけるゆへ、此たびは木曾路(きそぢ)にかかり、草津(くさつ)の温泉(おんせん)に一回(ひとまは)りあそび、善光寺(ぜんくはうじ)へまはり、妙義(めうぎ)は留那(るな)へ参詣(さんけい)し、めでたく帰国(きこく)したりける。此記行(みちのき)は追てああらはすべく、まづはここにて筆をさしおき畢(おわり)ぬ

道中膝栗毛八編 下巻終

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小間もの商人何かしが あきなひながらの三社まふで 鹿嶋香取生栖への道すがら 船中のおもむき 潮来の遊楽 それより筑波山日光などまはる 泊々の滑稽記せし本なり

十辺舎一九著 栄邑堂近刻

現代語訳

弥次「さあさあ、早く行やしょう」

と一人咳き込みながら席を立ち、玄関の方へ出かけるとすごい稲光、

「ぴかり、ぴかり」

雷「ごろごろごろ、ぴしゃぴしゃぴしゃぴしゃ」

と頭の上に落ちかかるような大雷に、弥次郎はわっと叫び声をあげ、そこへへたばり、顔をしかめて、

「あいた、あいた、あいた」

左平「何としたぞいな」

弥次「ええ、何としたどころか、へし折れた、へし折れた」

北八「何をへし折った」

弥次「今のぴしゃぴしゃで、はっとへたばった弾みに、あの天狗の面の鼻柱が、ぽっきりいったようだ。あいたあいたあいた」

と金玉を抱えて痛がるので、皆々、可笑しさにどっと笑って、面白がっているうちに、間もなく雨も雷も止み、空も青々となってきたので、

河内屋「嬉しや、天気になったようだ。なんと、もう一杯づつ派手に飲み直して帰ろうわいの」

と又新たに肴を取り寄せ、大笑いになり、各々酒をいい具合に酌み交わし、それから連れだって長町へと帰って行った。

かのおうにして弥次郎兵衛と北八は、河四郎の宅に、またまた逗留して、所々残る所無く、見物をしている中にも、江戸っ子気質(かたぎ)の物事にこだわらない性格によって、このようにすぐに難渋を抱え込む身の上を、全く意にも介さず、洒落通して、少しもへこたれない様子に、河内屋の亭主は大いに感心し、衣類など新しく着替えさせ、旅費を十分に持たせ、大阪を出立させたので、この旅は木曽路にかかり、草津の温泉で七日程遊んで、善光寺に回り、妙義山は留那へ参詣し、めでたく帰国したということだ。この紀行文は追って著すとして、先ずはここで筆を置き、終にする。

道中膝栗毛八編 下巻終

語句

■わつさっりと-さっぱりと。はなやかに。■江都気性-江戸っ子気質。■大腹中-ものごとにこだわらぬ性格。■へちまともおもはず-へちまの皮とも思わぬ。全く意に介さず。■めげぬ-へこたれない。■木曾路-この名称の内容には、大小さまざまの説があるが、一九の『続膝栗毛』五の叙に「是までは中山道を尽し、此篇御嶽駅より東を木曾路といふなれば」と書いてあるので、大の木曾街道即ち中仙道にとらずに小の木曾地方のほうとっておく。■草津の温泉-上野(こうずけ)(群馬県)の著名なる温泉。一九の『続膝栗毛』十は、そこを描く。■一回り-温泉や医療では七日間をいう。■善光寺-信州の著名なる霊場(長野市内にある)。『続膝栗毛』八・九は、そこを写す。■妙義-妙義山・榛名山。上野の名山。『続膝栗毛』十一は、そこに至るところを述べる。■記行(みちのき)-本書にも、『木曾街道膝栗毛』の広告を出したが、実際は文化七年刊の『続膝栗毛』初編には、「金比羅参詣」と冠し、序中に、この末尾の言葉と、金比羅参詣を書いた、作者と書肆の交渉を述べてある。

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朗読・解説:左大臣光永

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