貧福論 六

スポンサーリンク

秀吉竜と化したれども蚊蜃(かうしん)の類(たぐひ)也。『蚊蜃の竜と化したるは、寿(いのち)わづかに三歳(みとせ)を過ぎず』と、これもはた後なからんか。それ驕(おごり)をもて治(をさめ)たる世は、往古(いにしへ)より久しきを見ず、人の守るべきは倹約(けんやく)なれども、過ぐるものは卑吝(ひりん)に陥(おつ)る。されば倹約と卑吝の境(さかひ)よくわきまえて務(つと)むべき物にこそ。今豊臣(とよとみ)の政(まつりごと)久しからずとも、万民(ばんみん)和(にぎ)ははしく、戸々(とと)に千秋楽を唱(うた)はん事ちかきにあり。君が望(のぞみ)にまかすべし」とて八字の句を諷(うた)ふ。

 堯冥(げうめい)日杲(ひにあきらかに)百姓(ひやくせい)帰家(いへによる)

数言(すげん)興(きやう)尽(つき)て遠寺(ゑんじ)の鐘(かね)五更(かう)を告(つぐ)る。「夜既(すで)に曙(あけ)ぬ。別(わか)れを給ふべき。こよひの長談(ながものがたり)まことに君が眠(ねむ)りをさまたぐ」と、起(たち)てゆくやうなりしが、かき消(けし)て見えずなりにけり。
左内つらつら夜もすがらの事をおもひて、かの句を案ずるに、百姓(ひやくせい)家に帰(き)すの句粗(ほぼ)其の意(こころ)を得て、ふかくここに信(しん)を発(おこ)す。まことに瑞草(ずいそう)の瑞あるかな。

雨月物語 五之巻大尾

安永五歳 丙申 猛夏吉旦

     寺町通五条上ル町
書肆   京都 梅村半兵衛

     高麗橋筋壱町目
     大阪 野村長兵衛

現代語訳

この秀吉は位、人臣を極めて確かに竜と化したといえるのだが、実は蚊蜃(みづち)の類に過ぎない。『蚊蜃(みづち)の竜と化したるものは、その寿命はわずか三年を過ぎない』と言われているが、この秀吉も結局は子孫が絶えるではないか。いったい、驕(おご)りで修めた世が昔から長続きした例がない。人の守るべきは倹約だが、それも度が過ぎると卑吝に陥るのだ。それゆえ、倹約と卑吝の境をわきまえて務める事こそ肝要である。今の豊臣の世が長く続かないにしても、万民が平和に富栄え家ごとに家運の繁栄と世の太平を謳歌することは近い将来のことであろう。貴殿のお望みによって次のとおりにお答えしましょう」といって次の八字を謳いあげた。

その言葉が言うには

堯冥日杲

堯帝の時代に冥莢(えいきょう)という瑞草(ずいそう)が生え、日は高く太平の世を照らし

百姓帰家

天下万民はそれぞれ家に安住していた。

数々の話に興じたが、それも終わり、遠くの寺の鐘が午前四時ごろを告げていた。老翁は、「夜はすでに明けました。お別れをいただきましょう。今宵は私の長い話で君の眠りをすっかり妨げてしまった」と、立ち上がって行くように見えたが、ふっとかき消えて見えなくなってしまった。

左内はつくづくとこの一夜のことを思い出し、あの句について思案してみると、「百姓家に帰る」の句の真意もおおむねつかむことができ、その言を深く信じる気持ちになった。まことにその詩句のごとく瑞草の生じるような聖代にめぎりあうべきめでたいしるしであり、めでたい話であったことだ。

語句

■蚊蜃-「蚊」は蛇に似て、四足、角を持つ竜の一種。「蜃」は蚊の属で角とたてがみを持つ。「蚊蜃」は竜でありながら未だ竜になっていない一種。■和(にぎ)ははしく-平和で栄える事。■千秋楽-御代長久を祝う雅楽の曲名。だがここでは謡曲などでめでたい句をうたうこと。■堯冥-中国上古の聖天子「堯」の時代に生えた冥莢(えいきょう)という瑞草(めでたい草)。豊かでよく治まる聖代の象徴としての語句。■杲(あきらかに)-「明らかに」と同じ。■百姓-天下万民。■帰-従い頼ること。■五更-午前四時ごろ。■粗(ほぼ)-おおよそ。■瑞兆-めえたいことが起こる前兆。■安永五歳-一七七六年。「丙申」は干支。■猛夏吉旦-「猛夏」-四月。「吉旦」は吉日の事。■梅村半兵衛-秋成との関係不詳。■書肆-書店の意。発行責任を明らかにするための慣例として、現代の「発行所」程度の意味で使用されている。■野村長兵衛-秋成の友人。

備考・補足

<参考文献一覧>

本資料作成にあたり以下の文献を参考にしました。

・英草紙 西山物語・雨月物語・春雨物語

  一九九五年十一月十日 第一版第一冊発行
  ニ〇〇三年七月二〇日第一版第三冊発行
  発行所 小学館

・古典新釈シリーズ25 雨月物語

  一九七八年四月二十五日 初版発行
  ニ〇〇余年       重版発行
  著者 太刀川 清
  
・三省堂 全訳 読解古語辞典

  二〇十三年一月十日 第一冊発行

・完訳 日本の古典 第五十七巻 雨月物語 春雨物語

  昭和58年9月30日初版発行
  発行所 小学館

・マンガ 日本の古典 雨月物語

  一九九六年十二月十日初版印刷
  一九九六年十二月二十日初版発行
  著者 木原敏江
  発行所 中央公論社  

・図説日本の古典17 上田秋成   

  一九八九年八月二十三日 新装第一刷発行
  著者代表 松田 修
  発行所 株式会社 集英社

・雨月物語

  一九七六年三月三十日 初版発行
  一九九七年四月十日  5版発行
  原本所蔵者 国立国会図書館
  発行者   池嶋洋次
  発行所   (株)勉誠社

・日本の名作映画集28 雨月物語
 
  監督 溝口 健二
  出演 京マチ子/森雅之

・雨月物語(上)

  著者 青木政次
  1981年6月10日 第1冊発行
  1994年12月20日 第21冊発行
  発行所 株式会社講談社

・改訂版雨月物語

  発行者 青木誠一郎
  発行所 角川学芸出版
  平成十八年七月二十五日 初版発行
  平成十九年十月十五日  三版発行
  
・雨月物語

  校訂者 高田 衛・稲田篤信
  発行所 株式会社 筑摩書房
  一九九七年十月九日 第一刷発行

・雨月物語精読

  編者 稲田篤信
  発行所 勉誠出版(株)
  ニ〇〇九年四月一日 初版発行

・水木しげるの【雨月物語】

  著者 水木しげる
  一九八五年七月二十日初版発行
  一九九二年八月二五日六版発行
  発行所 河出書房新社

朗読・解説:左大臣光永


スポンサーリンク

音声つきメールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」のご案内

現在18000人以上が購読中。

メールアドレスを入力すると、日本の歴史・古典について、楽しくわかりやすい解説音声を無料で定期的に受け取ることができます。毎回10分程度の短い解説で、時間を取りません。楽しんで聴いているうちに、日本の歴史・古典について、広く、立体的な知識が身につきます。スマートフォン・Androidでもお聴きになれます。不要な場合はいつでも購読解除できます。

いつも使っているメールアドレスを入力して、 「無料メルマガを受け取る」ボタンをクリックしてください。次回からお使いのメールアドレスにメルマガが届きます。

≫詳しくはこちら


スポンサーリンク