浅茅が宿 一

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雨月物語 巻之ニ

浅茅(あさぢ)が宿(やど)

下総(しもをさ)の国葛餝郡真間(かつしかのこほりまま)の郷(さと)に、勝(かつ)四郎といふ男ありけり。

祖父(おほじ)より旧(ひさ)しくここに住み、田畠(ばた)あまた主(ぬし)づきて家豊(ゆたか)に暮しけるが、生長(ひととなり)て、物にかかはらぬ性(さが)より、農作(なりはひ)をうたてき物に厭(いと)ひけるままに、はた家貧(まづ)しくなりにけり。

さるほどに、親族(うから)おほくにも疎(うとん)じられけるを、朽(くち)をしきことに思ひしみて、いかにもして家を興(おこ)しなんものをと左右(とかく)にはかりける。

其の比(ころ)雀部(ささべ)の曾治(そうじ)といふ人、足利染(あしかがぞめ)の絹を交易(かうえき)するために、年々京(みやこ)よりくだりけるが、此の郷(さと)に氏族(やから)のありけるを屡(しばしば)来(き)訪(とぶ)らひしかば、かねてより親(した)しかりけるままに、商人(あきびと)となりて京にまうのぼらんことを頼みにし、雀部(ささべ)いとやすく肯(うけ)がひて、「いつの比(ころ)はまかるべし」と聞えける。

他(かれ)がたのもしきをよろこびて、残(のこ)る田をも販(うり)つくして金に代(かへ)、絹素(きぬ)あまた買積(かひつみ)て、京に行く日をもよほしける。

勝四郎が妻(め)宮木(みやぎ)なるものは、人の目とむるばかりの容(かたち)に、心ばへも愚(おろか)ならずありけり。此の度勝四郎が商物買(あきものかひ)て京(みやこ)にゆくといふをうたてきことに思ひ、言(ことば)をつくして諫(いさ)むれども、常(つね)の心のはやりたるにせんかたなく、梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)のたづきの心ぼそきにも、かひがひしく調(こし)らへて、其の夜はさりがたき別(わか)れをかたり、

「かくてはたのみなき女心の、野にも山にも惑(まど)ふばかり、物うきかぎりに侍り。朝(あした)に夕べにわすれ給はで、速(はや)く帰り給へ。命だにとは思ふものの、明(あす)をたのまれぬ世のことわりは、武(たけ)き御心(みこころ)にもあはれみ給へ」といふに、

「いかで浮木(うきぎ)に乗(のり)つもしらぬ国に長居(ながゐ)せん。葛(くず)のうら葉のかへるは此の秋なるべし。心づよく待ち給へ」といひなぐさめて、夜も明けぬるに、鳥が啼く東(あづま)を立ち出でて京(みやこ)の方へ急ぎけり。

現代語訳

下総の国葛餝郡真間の郷に、勝四郎という男がいた。

祖父の代から、長いこと、ここに住み、田畑をたくさん所有して、豊かな生活をしていたが、大きくなって、物に執着しないさっぱりした性格だったので、農作業を嫌がり、いやいや暮らしているうちに、果たして家が貧しくなった。

そうして、多くの親戚から相手にされなくなったのを、悔しく思いこみ、どんなことをしても家を再興しようとあれこれ思案を巡らせていた。

そのころ、足利染の絹の取引をするため雀部の曾治という人が毎年京から下って来ており、此の郷(真間)に親戚があると聞き時々訪ねて来ていた。(勝四郎は)以前から(彼と)親しくしており商人になって京へのぼりたいので(一緒に連れて行ってくれないかと)頼んだら、彼はそれを簡単に承諾し、「いつ頃行こうか」と言う。

(勝四郎は)彼の頼もしさを喜び、残る田を全部売りつくして金に代え、絹を大量に買い集めて、京へ行く日のために準備をした。

勝四郎の妻の宮木という人は、人の目につくほど美しい容貌で、そのうえ心根もしっかりしていた。此の度の勝四郎が商売で京へのぼるということを困ったことだと思い、言葉をつくして(行かないよう)なだめたが(勝四郎は)常の気性の上に(京へのぼろうと)はりきっており、どうしようもない。仕方なく、将来の暮らしへの不安があるにもかかわらずかいがいしく夫の出立の準備をし、その晩は(寝物語に)別れがたい辛さを訴える。

「ひとり取り残される身になりますと、弱弱しい頼りない女心は、野や山にあてどなく放たれたように心細く途方に暮れるばかり、せつのうございます。どうぞ朝夕に妻が待ちわびていることをお忘れにならないで早くお帰りください。(貴方の)命さえあれば(いい)とは思うものの、明日の事はわからないのは世の道理。(貴方の)勇み立つ心にも(この気持ちを)憐れんでください」と言うのに、

「どうして、水に浮いた木のような不安定な状態で知らぬ他国に長居することがあろうか。葛の裏葉が涼風に翻る此の秋にはきっと帰るだろう。心強く待っていておくれ」と言い慰め、夜が明けたので、鶏の声とともに東国を立ち、京に向って急いだのである。

語句

■浅茅-茅萱(ちがや)がまばらに生えていること。またはそのような荒地。■下総-旧国名。現千葉県北部と茨城県南部辺り。■葛餝郡-普通は「葛飾」。江戸川の東の葛飾が下総に属する。■真間-現市川市真間の辺り。古くから文献に見え、歌枕でもあった。■勝四郎-本編の主人公。架空の人物であろう。■主づきて-所有して。■生長-「人となり」(性格)と「生長」(成人)の両義をあわせもった語。■物にかかはらぬ性-物事に執着しないさっぱりした性格。■農作-「なりはひ」(生業)と読んでいるのは「農作」がすべての生活の基で生業の代表てきなものであったから。■うたてき物-嫌なもの。面白くないもの。■はた-果たして。■疎んじられける-相手にされなくなった。■思ひしみて-心に銘じて。思い込んで。■いかにもして-どうにかして。■雀部の曾治-架空の人物。■左右にはかりける-あれこれと思案を巡らした。「左右に」は、あれこれと、いろいろにの意。「はかり」は計画する。もくろむの意。■足利染の絹-下野国足利(栃木県足利)地方から生産された染絹。■交易-取引。売買。はじめは物々交換であったから。■氏族-一族の者。親戚。■まうのぼらん-「まゐりのぼらん」の略。都にのぼろう。「のぼりたい」という気持ちを含める。■肯がひて-承知して。引き受けて。■まかるべし-「まかる」は、「退出する」の謙譲語であるが、単に「行く」「来る」の尊敬語としても使用されていた。■他がたのもしきを-彼(曾治)が頼もしい人物であるのを。「他」は中国の俗語。■絹素あまた買積て-絹などをたくさん買い集めて。■もよほしける-用意した。連体形止めは秋成の慣用的語法。■宮木-架空の人物ではあるが、その命名の根拠はほぼ判明している。一つは、秋成が青年時に通った加島稲荷付近の遊女宮木塚で、もう一つは、原拠「愛卿伝」(煎灯新話)の翻訳(伽婢子・藤井清六遊女宮城野を娶ること)の人名であった。「宮木」という名には既に、一定の女性像が予定されていた。■うたてきこと-困ったこと。■梓弓-末の枕詞。■末のたづき-「末」は行く末の意で将来の生活、暮し。■かくては-あなたに行かれては。別れてひとりぼっちになってしまうこと。■たのみなき-一人残されて、頼りなくなったことをいう。■野にも山にも-野や山にさまようように。「惑ふ」にかかる序詞。■朝に夕に-いつも。■命だにとは思ふものの-命だけでもあればよいと思うものの。この別離がやがて永久に別れとなる宮木の薄命を暗示した。「だに」は、ほかのものはとにかく「せめて…だけでも」の意。■明日をたのまれぬ-明日の事はわからない。「れ」は可能の助動詞。■武き御心-雄々しい男心。妻を一人残していく気丈な男心を「武き」といった。■いかで浮木に乗りつも-「いかで」は反語表現で「長居せん」にかかる。「浮木に乗る」は水面に浮いている木で、不安定な状態をいう。水に浮いた木に乗ったような頼りない思いをしながらどうして。「つも」は「つつも」と同じで、秋成の慣用表現。■葛のうら葉のかへる-「葛のうら葉」は「かへる」にかかる序詞。葛葉はよく風に翻るから。「かへる」は、「葉の裏が返る」と「帰る」を掛ける。■鳥が啼く-「東」の枕詞。ただしここでは「夜もあけぬるに」から続いて情景を含めた表現。■東-東国。古くは逢坂の関より東の国々を指したが、ここでは今の関東地方を指している。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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