【桐壺 02】光源氏の誕生

前《さき》の世にも、御|契《ちぎ》りや深かりけん、世になくきよらなる玉の男皇子《をのこみこ》さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参《まゐ》らせて御覧ずるに、めづらかなるちごの御|容貌《かたち》なり。

一の皇子《みこ》は、右大臣の女御の御|腹《はら》にて、寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おはかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私《わたくし》ものに思《おも》ほしかしづきたまふこと限りなし。

はじめよりおしなべての上宮仕《うへみやづかへ》したまふべき際《きは》にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆《じやうず》めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びのをりをり、なにごとにもゆゑある事のふしぶしには、まづ参《ま》う上《のぼ》らせたまふ、ある時には大殿籠《おほとのごも》りすぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前《おまへ》去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽《かろ》き方《かた》にも見えしを、この皇子《みこ》生まれたまひて後《のち》は、いと心ことに思ほしおきてたれば、坊《ばう》にも、ようせずは、この皇子のゐたまふべきなめりと、一の皇子の女御は思《おぼ》し疑へり。人よりさきに参《まゐ》りたまひて、やむごとなき御思ひなベてならず、皇女《みこ》たちなどもおはしませば、この御|方《かた》の御|謀《いさ》めをのみぞ、なほわづらはしう、心苦しう思ひきこえさせたまひける。

かしこき御|蔭《かげ》をば頼みきこえながら、おとしめ、疵《きず》を求めたまふ人は多く、わが身はか弱く、ものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。

御局《みつぼね》は桐壺《きりつぼ》なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひて、隙《ひま》なき御前《おまへ》渡りに、人の御《み》心を尽くしたまふも、げにことわりと見えたり。参《ま》う上《のぼ》りたまふにも、あまりうちしきるをりをりは、打橋《うちはし》渡殿《わたどの》のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣《きぬ》の裾《そで》、たへがたく、まさなきこともあり。またある時には、え避《さ》らぬ馬道《めだう》の戸を鎖《さ》しこめ、こなたかなた、心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。事にふれて、数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧して、後涼殿《かうらうでん》にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司《ざうし》を、ほかに移させたまひて、上局《うへつぼね》に賜《たま》はす。その恨みましてやらむ方なし。

現代語訳

前世でも御契りが深かったのだろうか、世間にほかになく美しい玉のような男皇子までお生まれになった。

いつ生まれるだろうかとそわそわなさって急いで宮中に召し寄せて覧になると、めったになく美しい子の御すがたである。

一の皇子は、右大臣の女御の御腹で、後ろ盾が強く、疑いなく皇太子に立つべき君だと、世間が大切にお仕え申し上げるが、この弟君のお美しさにはお並びようもなかったので、(帝は一の皇子を)ひととおり大切に思われるだけで、この弟君を、個人的なこととして大切にかわいく思われることは限りがない。

(桐壺更衣は)はじめから世間並みの女官のように天皇のおそばに直接お仕えするようなご身分ではなかった。

世間からもたいそう尊敬されて、高貴な身分のように思われていたが、天皇が理をまげておそばに置かれるあまりに、しかるべき管弦の遊びの折々、なにごとも情緒のある行事の時々には、まずおそばに参上させなさる、

ある時は朝まで寝過ごされて、翌日もすぐにおそばに置かれたりして、無理やりに御前を去らないようにお取り扱いになっているうちに、自然と、軽い身分の方とも見えたのを、

この皇子がお生まれになって後は、たいそうご配慮なさって(桐壺更衣を)第ニ皇子の母として特別に扱うよう指示したので、これでは、悪くすると東宮にもこの皇子が立たれるのではないかと、一の皇子の女御は思い疑われた。

(一の皇子の女御は)他の女房たちよりさきに入内なさって、(帝の)大切に思われることはなみなみでなく、皇女たちなどもいらっしゃるので、この御方(一の皇子の女御)の御諌めのみを、(帝は)やはりわずらはしく、心苦しいことに、お考えあそばす。

(更衣は)もったいない帝のご寵愛を頼み申しながらも、(その一方で)、更衣をおとしめ、あらさがしをなさる方は多く、わが身は病弱で、なんとなくはかないありさまで、なまじのご寵愛ゆえのもの思いをなさる。

(更衣の)御局は桐壷である。帝が、多くの女御更衣の方々の局の前を素通りなさって、足しげく(桐壺更衣の局に)お通いになるので、(ほかの女御更衣の方々が)やきもきなさるのも、まったく道理と見えた。

帝の前に参上なさるときも、あまりに頻繁である時は、打橋・渡殿のあちこちの道に、汚物をまきちらしなどして、御送り迎えの人の衣の裾は、たえがたく、ひどいことになったこともある。

またある時には、避けて通れない馬道の戸に錠をさして閉じてしまい、あっちとこっちで心を合わせて、辱めわずらわせなさる時も多い。

なにかにつけて、数知らず苦しいことばかり増えるので、たいそう悲しい思いをしていたのを、(帝は)たいそうあはれとご覧になって、後涼殿にもとからお住まいになっていた更衣の局を、ほかにお移しになり、天皇の前に参る時の控えの間としてお与えになる。その追放された方の恨みは他の人にもまして、やる方もない。

語句

■めづらかなる めったにない。 ■一の皇子 後の朱雀帝。源氏の兄宮で三歳年上。 ■寄せ 後見の力。 ■まうけの君 皇太子。 ■もて 強意の接頭語。 ■かしづき お仕えして。 ■きこゆ …申し上げる。 ■御にほひ お美しさ。 ■私もの 私人としての気持ちから。 ■上宮仕 うへみやづかへ。帝のおそば近くに直接仕えること。身分の低い女官の役。女御更衣などは遠くに局を給わって、直接は仕えない。 ■上衆 貴人。 ■わりなく 道理をこえて。 ■まつはさせまふ 「まつはす」はそばにいつも引きつけること。 ■ゆゑある 風情ある。 ■大殿籠り 寝るの敬語。 ■あながちに 無理やりに。 ■思ほしおきてたれば 「思ほしおきつ」は心に決まりを立てること。 ■坊 東宮坊。 ■なめり …であるようだ。 ■思ひきこえ お考えあそばす。「きこえ」は敬語。 ■かしこき もったいない。畏れ多い。 ■御蔭 帝のご好意。 ■なかなかなるもの思ひ なまじのご寵愛ゆえの物思い。 ■桐壺 内裏の殿舎のひとつ。淑景舎(しげいしゃ)。壺庭に桐を植えてあった。清涼殿からもっとも離れた、内裏東北角。 ■御前渡り 天皇が、局の前を渡り歩くこと。 ■打橋 建物と建物の間に渡した取り外し式の橋。 ■渡殿 屋根のある廊下。細殿とも。 ■あやしきわざをしつつ 汚物などをふりまいたこと。 ■まさなきこと 道理に反したこと。 ■馬道 板敷の廊下。 ■後涼殿 宮中の殿舎。清涼殿の西隣。 ■曹司 部屋。局に同じ。 ■上局 ふだん生活している局のほか、御前に参上するときの控えの間として使う局。

朗読・解説:左大臣光永

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