【柏木 03】女三の宮、男子を出産 産養の儀

宮はこの暮つ方より、なやましうしたまひけるを、その御けしきと見たてまつり知りたる人々騒ぎ満ちて、大殿《おとど》にも聞こえたりければ、驚きて渡りたまへり。御心の中《うち》は、「あな口惜しや、思ひまずる方《かた》なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし」と思せど、人にはけしき漏《も》らさじと思せば、験者《げんざ》など召し、御|修法《ずほふ》はいつとなく不断《ふだん》にせらるれば、僧どもの中に験《げん》あるかぎりみな参りて、加持《かぢ》まゐり騒ぐ。

夜一夜《よひとよ》なやみ明かさせたまひて、日さし上《あが》るほどに生まれたまひぬ。男君、と聞きたまふに、「かく忍びたる事の、あやにくにいちじるき顔つきにて、さし出でたまへらんこそ苦しかるべけれ。女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見るものならねば安けれ」と思すに、また、「かく心苦しき疑ひまじりたるにては、心やすき方にものしたまふもいとよしかし、さてもあやしや、わが世とともに恐ろしと思ひし事の報《むくい》なめり。この世にて、かく思ひかけぬ事にむかはりぬれば、後の世の罪もすこし軽《かろ》みなんや」と思す。

人、はた、知らぬ事なれば、かく心ことなる御|腹《はら》にて、末に出でおはしたる御おぼえいみじかりなんと、思ひ営み仕うまつる。

御|産屋《うぶや》の儀式いかめしうおどろおどろし。御|方々《かたがた》、さまざまにし出でたまふ御|産養《うぶやしなひ》、世の常の折敷《をしき》、衝重《ついがさね》、高坏《たかつき》などの心ばへも、ことさらに心々にいどましさ見えつつなむ。五日《いつか》の夜、中宮の御方より、子持《こもち》の御前《おまへ》の物、女房の中にも、品々《しなじな》に思ひ当てたる際々《きはぎは》、公事《おほやけごと》にいかめしうせさせたまへり。御|粥《かゆ》、屯食《とんじき》五十|具《ぐ》、所どころの饗《きやう》、院の下部《しもべ》、庁《ちやう》の召次所《めしつぎどころ》、何かの隈《くま》までいかめしくせさせたまへり。宮司《みやづかさ》、大夫《だいぶ》よりはじめて院の殿上人みな参れり。

七夜は、内裏《うち》より、それもおほやけざまなり。致仕《ちじ》の大臣《おとど》など、心ことに仕うまつりたまふべきに、このごろは、何ごとも思されで、おほぞうの御とぶらひのみぞありける。宮たち、上達部《かむだちめ》などあまた参りたまふ。おほかたのけしきも、世になきまでかしづききこえたまへど、大殿《おとど》の、御心の中《うち》に心苦しと思すことありて、いたうももてはやしきこえたまはず、御遊びなどはなかりけり。

現代語訳

宮(女三の宮)はこの日の暮れごろから、ご気分を悪くしていらしたが、ご懐妊のご様子とよく心得ている人々は、みな大騒ぎをして、大殿(源氏)にもご報告申し上げたので、大殿は驚いて、宮のもとにおいでになられた。御心の内では「なんと残念なことだ。心にわだかまりなくてお産の世話ができるのであれば、珍しくうれしいことだろうに」とお思いになられるが、人にはそのそぶりを漏らすまいとお思いになられるので、修験者などを召して、御修法はいつとなく、絶え間なくおさせになるので、多くの僧たちの中に霊験あらたかな者はみな参って、加持を行い申し上げて大騒ぎする。

一晩中ご気分が悪いままに夜をお明かしになられて、日が上がるころにお生まれになられた。男君、とお聞きになられるにつけ、(源氏)「このような秘め事が、あいにくにもはっきりとお顔にお出になられるなら、困ったことになるだろう。女であれば、何となくごまかされて、多くの人が見るものではないので、安心であるのだが」とお思いになられるが、また一方で、「このような心苦しい疑いがまじっているので、男子として安心できるお生まれをなさったのは、とてもよいことであるよ。それにしても妙なことだ。私がいつも恐ろしいと思い続けていた事の報いだろう。今生の世で、このような思いがけない報いに巡り合わせたのだから、後の世の罪もすこしは軽くなるだろうか」とお思いになられる。

女房たちはまた、知らない事であるので、このように格別に高貴な御腹から、晩年になって生まれていらした御子なので、院(源氏)の御おぼえも、大変なものだろうと思って、お世話申し上げる。

御産屋の儀式は仰々しく派手に行われる。六条院の御方々は、さまざまに御産養をご用意なさって、こういう場合の常である折敷、衝重、高坏などの趣向も、格別に、それぞれ競い合うような気持ちがまじって、ご準備なさる。五日の夜、中宮(秋好中宮)の御方より、御産婦の召し上がるものや、お付きの女房たちにも、それぞれの身分に応じて用意した贈り物を、公務として仰々しくお贈りになられた。御粥と屯食五十そろえ、あちこちの宿所のごちそう、六条院に仕える下級役人や庁の召次所や、何やかやの下々の部署にいたるまで、大いにおふるまいになられた。宮司(中宮職)の役人の大夫(長官)からはじまって、院(冷泉院)の殿上人はみな参った。

七日の夜は、帝から、それも公事として人が遣わされた。致仕の大臣などは、格別に念を入れてお祝い申し上げるべきところだが、このごろは、何事もお考えになられる余裕がなく、ただひととおりの御見舞いだけがあったのだ。宮たち、上達部などが多くお参りになる。世間向けのご祝儀の有様としては、世に類もないほどに大事にしてさしあげなさるのだが、大殿(源氏)は、御心の内に引っかかっていらっしゃることがあるので、それほど派手に儀式を開催なさらず、管弦の御遊びなどはなかったのである。

語句

■その御けしき 出産の兆候。 ■思ひまずる方 実の子ではないという疑いを持つこと。 ■男君 後の薫。 ■かく忍びたる事の… 子の顔が将来、柏木に似てくることを懸念する。 ■いちじるしき顔つき はっきりと柏木に顔が似ていること。密通の証としてのその顔を想像して源氏はおののく。 ■何となく紛れ 女子であれば深窓の内に育て、結婚後も夫以外の目にふれなければ、どうこう問題になることはない。 ■心やすき方 男子は将来自立できるし、女子よりも手がかからないの意をふくむ。 ■この世にて 今生で罪の報いを受けたので来世ではそれほど報いを受けなくてすむのではないかという期待。 ■むかはりぬれば 「むかはる」は(報いが)巡りくる。 ■人 女三の宮つきの女房たち。 ■知らぬ事 出生の秘密を。 ■かく心ことなる 女三の宮の二品内親王という格別な身分。 ■御産屋の儀式 出産当日の湯殿の儀、読書、鳴弦、乳付《ちつけ》などの儀式。 ■御方々 紫の上、明石の君、花散里など。 ■御産養 産後、三日・五日・七日・九日の祝宴。ここでは三日夜のそれをさす。 ■折敷 食器を載せる盆。周囲に片木《へぎ》をめぐらせる。 ■衝重 折敷の下に台をつけたもの。 ■高坏 一本足の食器。 ■五日の夜 五日夜の産養。秋好中宮主催。 ■品々に重ひ当てたる際々 女三の宮つきの女房たちに、それぞれ身分に応じて贈る贈り物。 ■公事として 中宮職の業務として仰々しく行う。 ■屯食 強飯を卵型に握り固めたもの。 ■院の下部 六条院に仕える下級役人。 ■庁の召次所 六条院の家政を行う部署。 ■宮司 中宮職。中宮の身の回りの庶務を行う。 ■七夜 七日夜の産養。帝主催。 ■何ごとも思されで 長男柏木が重体であるため。 ■おほかたのけしき 世間向けの外面としては。 ■心苦しと思すこと 実の子ではないのではないかという疑い。

朗読・解説:左大臣光永