源氏物語の現代語訳つくってます 源氏の中年化・内大臣の気苦労・夕霧と雲居雁

こんにちは。左大臣光永です。本日は「源氏物語の現代語訳を作っています」ということで、その途中経過報告を兼ねて、源氏物語についてあれこれ語っていきます。8回目の配信です。これまでの配信はリンク先をご覧ください。

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源氏の中年化

源氏物語の現代語訳を作っています。第二十六帖「常夏(とこなつ)」に入りました。内大臣の隠し子である玉鬘(たまかずら)と、その求婚者たちにまつわる、いわゆる「玉鬘十帖」のまんなかあたりです。

光源氏は36歳。太政大臣になっています。中年になって、くどくど理屈をたれがちになってきました。玉鬘に対して人の妻としての心得を延々と述べたり、紫の上に対して教育論をとうとうと語ったり、とにかくクドいです。

なんというか、貴方はそんな理屈を言ってるような人じゃなかったでしょうに、女性と見ればウムを言わず、ガバーーと襲いかかる。それこそが光源氏の行動力であり魅力だったのにと、ちょっと寂しいです。

とはいえ、歳をとるということをリアルに描いているなァ…と思います。年取ると、誰しも行動より理屈が先に出るようになっちゃうんですよね……

やはり中年というのは物語の主人公として向いてないと思います。どうしても行動に制約が多いので、若者のようにぐいぐい話をひっぱっていけないです。

神話だってそうじゃないですか。神話の主人公はだいたい若者です。

スサノオノミコトは若い行動力にまかせてヤマタノオロチを退治して英雄的な活躍を見せたけれど、その後は大国主命に主役の座をゆずって、自分は黄泉の世界に引きこもって、若き主人公の成長を見守る立場にまわるわけです。若者が時代を切り開いていく。おっさんは時にそれを阻み、時に見守るのが役目です。

光源氏も、ライバルの内大臣も、中年になって以降は、しだいに表舞台から退いていき、夕霧・柏木・雲居雁といった、次の世代の若者たちにスポットが当たっていきます。主人公の世代交替が行われるのです。それは、自然な物語の流れだと思います。

内大臣の気苦労

とはいえ光源氏も内大臣も、まだしばらくは主人公の座にとどまります。内大臣は昔の頭中将です。若い頃からの源氏のライバルであり友人であり、何かにつけて源氏に先を越されて、歯がゆい思いをしてきた人物です。

源氏と内大臣 系図

若い頃から、学問でも、遊びでも、内大臣はなにかと源氏とはりあい、そのたびに負けて、くやしい思いをしています。

18歳の光源氏と内大臣(当時は頭中将)が、桐壺帝の御前で青海波という舞を舞う、有名な場面があります。そこで光源氏と内大臣(頭中将)を比較して、「立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木《みやまぎ》なり」と描写されています。

たしかに頭中将もはなやかではあるが、光源氏という花とならべたら、花のかたわらの深山木だと。この一文に、源氏と内大臣の関係がみごとに集約されています。

その一方で、内大臣は誰よりも源氏に友情を感じてもいます。

源氏が失脚して須磨に流され、誰からも見向きもされなかった時代に、まっさきに都からお見舞いに訪れたのが、この内大臣です。けっこう情にあつい人物であるのです。

さて中年なった内大臣は、娘の雲居雁(くもいのかり)を天皇に嫁がせようとするも、またも源氏に先を越されます。源氏の養育する斎宮女御(さいぐうのにょうご=秋好中宮。六条御息所の娘)が先に天皇の后となったために、内大臣のもくろみはパーになってしまいました。次に内大臣は雲居雁を皇太子(東宮)の后に立てようとしますが、ここで問題が発覚します。

よりによって雲居雁と、源氏の息子である夕霧(ゆうぎり)とが、恋仲になっていたんですね。幼いふたりながら、付き合っていたのです!

「えーい油断もすきもない。親も親なら子も子だ!」

地団駄をふむ内大臣。もっとも夕霧と雲居雁の関係は、幼馴染同士のほのかな憧れといったていどで、やっと手を繋ぐか繋がないかというぐらいの清いものだったのですが、

内大臣は勝手に誤解して、腹を立てて、源氏の息子・夕霧の官位がまだ低いことを理由に、夕霧と雲居雁の間を引き割きます。しかし引き割きはしたものの、「ちょっと待てよ。考えてみればいい話じゃないか。姫を帝や東宮の后に立てることはできなかったが、源氏の息子の妻にすることができれば、将来は安泰だ。しかし…自分から頼みに行くのはしゃくだ。向こうから頼んできてくれれば、結婚を認めてやってもよい」と考えます。あの光源氏が私に頭を下げてくる!なんと愉快なことだろう!早く頼みにこいと、ニヤニヤしながら待ちます。

ところが、光源氏・夕霧父子は、まあ結婚のことはそのうち、なるようになるだろうと、のんびりかまえていて、ちっとも動こうとしない。夕霧と雲居雁の関係は、棚上げになってしまいます。

「まったく何という父子だ!頭を下げてきさえすれば、娘との結婚は、認めてやろうと考えているのに!ああぁぁぁはがゆい」と、内大臣は、ジタバタする。かといって自分から頼みにいくことは、プライドが邪魔して、できない。このあたり内大臣が一人で赤くなったり青くなったり、大騒ぎしているするようすが、実にほほえましいです。

内大臣はとてもひがみっぽい性格で、お屋敷に仕えている侍女たちが、いろいろ陰で悪口を言うわけですよ。「また源氏の殿にしてられたんですって」「まあこりないわねえ」なんて。そのように言われていることが分かるから、「侍女たちがまた私の悪口を言ってる…恥だ!」と、いっそうイライラする。

とにかくひがみっぽく、キレやすく、欠点が多い人物として内大臣は描かれていますが、その一方で娘たち息子たちには対してはとても優しく、あれこれ小言を言いながらも、すごく娘たち息子たちの将来を心配しているのが、ほほえましいです。

ある日、内大臣が雲居雁の部屋を通りかかると、気持よさそうに昼寝していました。とてもあどけなく、頬が赤らんでいる。内大臣はそれを見て、「うたた寝はよしなさいと言っていますのに!女というものは身の回りの用心をしっかり守っていなければなりませんよ。そんな投げやりに振る舞って、下品なことです。だからといって、あまりも堅苦しく構えて、お不動様が陀羅尼を唱えて印を結んで座っているようなのも、よくない。そういうのは人から憎まれるかわいげのないやり方です」などと、どくとくな説教をはじめます。昔の親子関係もたいへんだったんだなァと、感心しながらよみました。

雲居雁と夕霧 歌の贈答

では歌をよみます。親同士の都合によって一旦は仲を割かれてしまう若き二人、雲居雁と夕霧の歌のやり取りです。

霧深き雲居の雁もわがごとや晴れせず物の悲しかるらむ

(霧が深い日に雲のあたりを飛んでいる雁。それは私自身のように思える。空が晴れず、悲しいことだろう)

物語中では雲居雁自身がこの歌をよんだのでなく、古くからある歌を引用した、という形になっています。この歌により姫君の名を雲居雁と称します。これに夕霧が答えて、

さ夜中に友呼びわたる雁がねにうたて吹き添ふ荻《をぎ》のうは風

(ま夜中に友を呼んで飛んでいく雁の声に、さらに嘆かしさを吹き加える荻の末葉の上をわたる風よ)

いかにも、若いふたりの切ない恋心みたいのが出てるじゃないですか。

私は昔から源氏物語ではこの夕霧と雲居雁の二人が好きで、お父さんの源氏と内大臣のようなめちゃくちゃな行動力やカリスマ性はないんだけれど、この二人はまあ、普通の常識人なんですね。どこにでもいるような、ごくふつうのカップルです。だからこそ源氏物語という異常で極端な世界の中にあって、ほっとすると言うか、紆余曲折を経て夕霧と雲居雁が、どうなっていくのか?見守っていきたい、応援したいという気になります。

朗読・解説:左大臣光永