『源氏物語』の現代語訳つくってます~柏木、女三の宮を垣間見る

こんにちは。左大臣光永です。

日に日に春めいてきてますね。龍安寺の桜は少しずつ花開いて、門前の楓はうっすらと芽吹いてきて、水際のユキヤナギも美しいです。

仁和寺の駐車場沿いの桜は、もう満開にちかいです。メジロやウグイスにまじって、時折イソヒヨドリがヒッヒョーロと誇らしげに鳴いています。

ああ気分いいなァといっているようで、ほほえましいです。

本日は、『源氏物語』の現代語訳をつくっていますということで、その経過報告のような話です。

■柏木、女三の宮を垣間見る
■源氏の住吉参詣
■紫の上、出家しようか迷う

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柏木、女三の宮を垣間見る

源氏物語の現代語訳を作ってます。第三十四帖「若菜上」の終盤まで訳しました。春の六条院の蹴鞠の遊びのさなか、猫が駆け抜けたはずみに御簾がスッと引き上げられてしまい、中にいた源氏の正妻・女三宮の姿があらわになる。その姿を柏木がたまたま見てしまい、「何と美しい人だ」と心打たれるという、有名な場面です。

几帳の際《きは》すこし入りたるほどに、袿姿《うちきすがた》にて立ちたまへる人あり。階《はし》より西の二の間《ま》の東《ひむがし》のそばなれば、紛れどころもなくあらはに見入れらる。紅梅にやあらむ、濃き薄きすぎすぎにあまた重なりたるけぢめはなやかに、草子《さうし》のつまのやうに見えて、桜の織物の細長《ほそなが》なるべし。御髪《みぐし》の裾《すそ》までけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、裾のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七八寸ばかりぞあまりたまへる。御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへるそばめ、いひ知らずあてにらうたげなり。夕影《ゆふかげ》なれば、さやかならず奥暗き心地するも、いと飽かず口惜し。鞠《まり》に身をなぐる若君達《わかきむだち》の、花の散るを惜しみもあへぬけしきどもを見るとて、人々、あらはをふともえ見つけぬなるべし。猫のいたくなけば、見返りたまへる面《おも》もちもてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やとふと見えたり。

几帳のところから少し入ったあたりに、袿姿で立っていらっしゃる人がある。階から西にニつ目の柱の間の東側の端であるので、紛れようもなく筒抜けに中が見える。紅梅襲だろうか、濃い色薄い色、次々に多くの衣を重ね着している袖口の重なり具合も華やかに、草子の小口のように見えて、上は桜襲の織物の細長にちがいない。御髪の、裾まであざかやに見えているのが、糸をよりかけたように後ろに引かれて、髪の裾がゆたかに切りそろえてあるのが、まことに可愛らしく、地について七八寸ほど余っていらっしゃる。御衣に対して裳の裾が長く余っていて、とてもきゃしゃで小柄で、その姿も、髪がかかっていらっしゃる横顔も、言いようもなく気品があり可愛らしい。夕方の薄暗い光であるので、はっきりとは見えず部屋の奥が暗い感じがするのも、まことに物足りなく、残念ではある。蹴鞠に没頭している若君達の、花の散るのを惜しんでもいられないありさまを見ようとして、女房たちは、すっかり御簾が引き開けられてしまったことに、すぐには気づかないようである。猫がたいそう鳴くので、振り返られた顔立ち、立ち居振る舞いなど、まことにおっとりして、若くて可愛らしい人だなと、直感された。

……

ここで注目したいのは「柏木は女三の宮の姿を今まで見たことがないのに、なぜはじめて見る女三の宮がその人だとわかったのか?」ということです。

それは袿姿であったからです。袿は女性の平服で、くつろいだ服装です。主君にお仕えしている女房たちは、正装である唐衣を着ています。そういうところでただ一人、くつろいだ袿姿であるということは、つまりこの人が女主人であることを示しているのです。このあたり、当時の風俗とをうまくストーリーの中に組み込んでいて、うまいと思います。

柏木と夕霧

源氏物語の現代語訳を作っています。六条院での蹴鞠の遊びの後の帰り道。同じ車に乗りこんだ夕霧と柏木。柏木が女三宮に同情して、しきりに語るのです。六条院は紫の上さまにばかり愛情を注いでおられて、女三の宮さまをないがしろにしておられる。おかわいそうだと。

夕霧がそれに対して、まあそんなこともないだろうとなだめているという場面です。勢いに任せてつっ走りがちな柏木と、どこか上から目線で冷めている夕霧の対比がよいです。

第一部の頭中将と光源氏の関係、宇治十帖における匂宮と薫の関係とも重なります。三世代をまたいで、人間関係の「型」が繰り返すところも、源氏物語の見どころです。

柏木、女三の宮を想い悶々とする

第三十四帖「若菜上」を訳し終わりました。長かったです。

「若菜上」「若菜下」のニ帖は、とてつもなく長いです。もう気が遠くなるほど長い。宇宙の誕生から終わりまで書いてあるかと思うくらい、長い。つかれました。

つづく第三十五帖「若菜下」は、弥生晦日…三月末日の六条院の競射の場で、柏木が、女三の宮を想って物思いに沈んでいる場面からはじまります。

柏木は三月の六条院の蹴鞠の時、たまたま女三の宮の姿を垣間見てからというもの、その愛しさに胸ふさがって、悶々としていました。

そのままの流れで、弥生の晦日、三月すえの六条院の競射の場面となります。競射は左方・右方に分かれて弓を射て、優劣を競うあそびです。

晦日《つごもり》の日は、人々あまた参りたまへり。なまものうくすずろはしけれど、そのあたりの花の色をも見てや慰む、と思ひて参りたまふ。

……

殿上人どもも、つきづきしきかぎりは、みな、前後《まへしりへ》の心、こまどりに方分《かたわ》きて、暮れゆくままに、今日《けふ》にとぢむる霞《かすみ》のけしきもあわたたしく、乱るる夕風に、花の蔭、いとど立つことやすからで、人々いたく酔《ゑ》ひ過ぎたまひて、…

楽しい催し物のはずが、柏木は女三の宮のことを思って、一人悶々としているのです。弥生の晦日は春の終わりの最終日です。

今日のみと春を思はぬときだにも立つことやすき花のかげかは(躬恒)

行く春を惜しんで、物憂い気持にかられる、そういう一日です。そこに柏木の女三宮に対する悶々とした思いが重なる……人間心理と、場面設定がよくはまっていて、秀逸です。また「春の終わり」は「青春の終わり」ということも暗示しているでしょう。

柏木、猫を愛でる

『源氏物語』の現代語訳を作っています。第三十五帖「若菜下」に入りました。柏木が女三宮の猫をあれこれ手を尽くしてようやく手に入れて、かわいがっている場面です。

柏木は春の六条院の蹴鞠の会で、源氏の妻・女三の宮の姿を垣間見ました。

猫が走り抜けたひょうしに、御簾が引き開けられたのです。

それ以来柏木は女三の宮に夢中になり、せめてもう一度お会いしたい。あわよくばあのお方と一緒になりたいと悶々とします。しかし、とても叶わない夢であるので、せめてあの猫を手に入れたいと、なる。

そこで猫好きの東宮から、桐壺女御(明石の女御)を経て、女三宮に話を通してもらって、件の猫をまんまと手に入れて、朝な夕なに可愛がっていると言う場面です。

猫に女三宮を重ねて顔を覗き込んではニヤニヤしたり、懐に入れてみたり、猫好きの私でも、さすがにこの場面は引きます。キモいです。

柏木が少しずつ狂っていくさまが、生々しく描かれています。

源氏の住吉参詣

源氏物語の現代語訳を作っています。確定申告のため、しばらく中断していましたが、またペースを取り戻していこうと思います。

源氏が人々を引き連れて、住吉に願解きの参詣にむかう場面です。願解きとは神さまにお願いしていたことが叶ったから、神さまに報告と感謝をささげに伺うものです。

冷泉帝が譲位し、新しい天皇が即位して、源氏の孫にあたる若君が東宮となりました。これは前々から明石の入道が住吉の神に祈っていたことが実現に向かっているということです。源氏は、明石の入道の先を見通す眼力に感心しつつ、願解きのため住吉に参詣するのです。

住吉参詣のはなやかな様子が、流れるような文体でつづられます。こういう場面はほんとうにうまいと思います。

十月|中《なか》の十日なれば、神の斎垣《いがき》にはふ葛《くず》も色変りて、松の下紅葉《したもみぢ》など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり。ごとごとしき高麗《こま》、唐土《もろこし》の楽《がく》よりも、東遊《あづまあそび》の耳馴れたるは、なつかしくおもしろく、波風の声に響きあひて、さる木高《こだか》き松風に吹きたてたる笛の音《ね》も、外《ほか》にて聞く調べには変りて身にしみ、琴《こと》にうち合はせたる拍子《ひやうし》も、鼓《つづみ》を離れてととのへとりたる方、おどろおどうしからぬも、なまめかしくすごうおもしろく、所がらはまして聞こえけり。

昼間の参詣のようすにつづいて、夜通しおこなわれる舞と歌の遊びのようすが、ゆったりと描かれます。

夜一夜《よひとよ》遊び明かしたまふ。二十日《はつか》の月|遥《はる》かに澄みて、海の面《おもて》おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたくおきて、松原も色|紛《まが》ひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあはれさもたち添ひたり。

折しも旧暦の十月二十日。松の木をおおう霜が、夜明け前の光にはえていよいよ白く、さむざむした感じが、印象的です。そして翌日、人々は名残惜しく思いながら住吉を後にします。

千夜《ちよ》を一夜《ひとよ》になさまほしき夜の、何にもあらで明けぬれば、返る波に競ふも口惜しく若き人々思ふ。

千の夜を一晩の中におしこめてしまいたくなるほど素晴らしい夜が、何をすることもないままに終わってしまった。寄せては返す波と競い合うように都に帰っていくのも残念だと、若き人々は思う。

この楽しい夜が、すばらしい宴が、ずっと続いて欲しかったのにという感慨。ここは伊勢物語の歌をふまえます。

秋の夜の千夜を一夜になせりともことば残りてとりや鳴きなむ

秋の夜の、千の夜を一夜に込めたとしても、まだ言い尽くせず、鳥が鳴いてしまうだろう。

千の夜を一夜にこめたいと、それほどのすばらしい夜の記憶、私にもありましたねえ。なつかしい昔のことで。

そして翌朝、住吉からの帰り道の様子もゆったりと描かれます。

松原に、はるばると立てつづけたる御車どもの、風にうちなびく下簾《したすだれ》の隙《ひま》々も、常磐《ときは》の蔭に花の錦《にしき》をひき加へたると見ゆるに、袍衣《うへきのぬ》のいろいろけぢめおきて、をかしき懸盤《かけばん》とりつづきて物まゐりわたすをぞ、下人《しもびと》などは、目につきてめでたしとは思へる。

松原に、どこまでも立てならべてある数多くの御車の、風になびく下簾のそれぞれの隙間に見える出衣《いだしぎぬ》も、常盤木の蔭に花の錦を添えたと見えるところに、各人の位階に応じて、区別して色のちがう袍衣を身に着け、趣味のよいお盆を次々とまわして、ほうぼうに食物をさしあげるのが、下人などは、目を離さず見入って、華やかなことだと思っている。

松の緑と、女車のすだれの下に見えている女房の袖や裾の色とりどりな様を花と見て、松の緑と色とりどりの花の対比を描き出します。色彩のコントラストが見事です。

紫の上、出家しようか悩む

源氏物語の現代語訳をつくっています。

紫の上が出家しようかどうしようか、悩んでいる場面です。

確かに自分は殿の寵愛を受けているけれど、後ろ盾はなにもないし、年取ったら殿のお気持ちも離れていくだろう。まして正妻の女三の宮さまに殿のお気持ちは傾いていっているし、いっそもう出家してしまおうか。でもそんなこと言い出したら殿に小賢しい女と思われるかもしれないし…とか、延々と悩んでいる場面です。

こういう、人が悩んでいる場面を書かせると、作者は実にしつこく、長く、くどく書きます。個人的にはやるならやる、やらないならやらないで、まず決めてから物語に参加してほしいと思います。何も言わず人に相談もせず「私、出家します」と言って、勝手に髪をおろす。

そういうのが、個人的には好きですね。

しかしまあ、そうキッパリと割り切れない、人の心の揺れみたいなのを書くことが文学の趣旨なんでしょう。それにしても源氏物語はクドすぎると思います。

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